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2005年6月7日
No.349 小編『音の細道』特別寄稿 *第47弾* 
      「Lossless Acoustic Transducer がもたらす可能性とは!!」
1.セットアップ

2005.5.9-No.1085-にて配信した速報がこれだった。

今回の新製品のプロローグとしては下記をご一読頂ければと思います。
http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/brn/126.html

そうです、2000年9月に国内初公開を旧サウンドパーク時代のH.A.L.で行ったあの
KRELL LAT-1が五年の歳月をかけてLAT-1000としてリファインされました。

http://www.krellonline.com/html/m_LAT-1000_p_LAT1.html

昨年のインターナショナル・オーディオショーで試作機が公開されましたが、私も
首を長くして輸入開始を待っていたものです。今回は写真撮影が終わった直後に
国内初公開としてH.A.L.に持ち込まれることになりました。これはすごい!!

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

実際にLAT-1000が運び込まれたのは5/11のこと。しかし、これほどの価格であり
それに秘められたパフォーマンスを短時間の第一印象で語れるはずがない。いや、
短時間での試聴では実力のすべてを引き出すことは出来ないだろう。

そこで、私はまずPADのウルトラ・システムエンハンサーを約48時間リピートさせ、
通常の音楽信号の再生も48時間以上行い、まず本体とユニットのコンディションを
整えることからスタートした。

搬入した当日は左右のLAT-1000のトゥイーター間で3メートルとして一旦は設置し
てオーケストラを聴き始めたが、第一印象はよろしくなかった。弦楽器のパートが
左右に開きすぎスピーカー本体の軸上に楽音の定位がまとわりついてしまい、かつ
空間の広がりも左右のスピーカーの周辺のみで余韻感の広がる領域も左右二つに
分かれてしまっている印象である。しかも、ヴァイオリンの質感が乾燥していて
がさつな印象があり、とてもではないが評価できる状態ではなかったのだ。

そのスタートから各項目での微調整がスタートした。

先ず、今回LAT-1000の試聴に際して私が熟慮した上で構成したシステムはこれだ。

       -*-*-*-*- KRELL LAT-1000 検証システム -*-*-*-*-

 ESOTERIC G-0s ■8N-PC8100■    
     ↓
 7N-DA6100 BNC(Wordsync)×3本
      ↓       
 ESOTERIC P-01 ■8N-PC8100■
      ↓
AD DIGITAL YEMANJA XLR 1.0m ×2
      ↓
 ESOTERIC D-01 ■8N-PC8100■
      ↓  
 ESOTERIC 7N-DA6100 RCA
      ↓   
 VitusAudio SL-100(税別価格\2,800,000.)
      ↓  
 ESOTERIC 7N-DA6100 RCA
      ↓   
 VitusAudio SM-100(税別価格\4,980,000.)
      ↓  
 STEALTH Hybrid MLT Speaker Cable 5.0m H.A.L.'s Special Version
      ↓
 KRELL LAT-1000

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、私がKRELL LAT-1000の検証に当たり選択したアンプがVitusAudioだった。

http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/brn/322.html

私は上記のブリーフニュースの最終章で次のように述べているが…。

「 7.すべての要因を持ちえたVitusAudio ・暖色系という表現を各論で述べると
 次のような印象になるだろう。」

詳しくはこの本文をご一読頂ければお分かり頂けると思うのだが、過去の記憶から
してもKRELLのスピーカーを最もそれらしく鳴らしてくれたアンプはKRELLだった。
しかし、今後の輸入開始を待つ同社のEvolusion SeriesのOne / Twoというパワー
とプリアンプの入荷時期は決定せず、現状の持ちえる素材からの選択ということで
私はVitusAudioの暖色系というキャラクターをLAT-1000に組み合わせることにした。

このシステムでも更に14時間の間ウルトラ・システムエンハンサーをリピートさせ
本日の試聴本番へと熟成を早めていったのである。

ここで一度LAT-1000の全体像をつかむためにも下記の資料をご覧頂きたい。

http://www.dynamicaudio.jp/file/050517/krell_lat-1000.pdf

そして、この5ページ目にある内部の透視図を開いて頂ければありがたい。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、前述のようにLAT-1000の間隔だが、オーケストラの弦楽器の質感と配置、
そして広がり方を聴きながら重たい本体を少しずつ動かして数回の試聴を行い、
結果的にトゥイーターの間隔は2.9メートルという距離に再設定しなおした。
これに対して私の耳の位置はトゥイーターから約3.9メートルという距離で試聴の
ポジションを設定した。

ここで上記の透視図を見るとLAT-1000の底部ベースに赤い線で描かれた先端がスパ
イク形状になっているネジ式のシャフトで貫通しているものがお分かりだろうか。

フロントのスパイクはタッピングが切られているネジの部分を除いて露出する部分
の長さは1インチ、約25ミリのものと2インチで約50ミリの長さの二種類の物が付属
している。最初は25ミリのスパイクを使用して、後部の高さ調整が出来るスパイク
も同様にしてほぼ水平の状態で聴き始め、これもオーケストラの弦楽器でチェック
した。

「あ〜、やっぱりそうだな〜」

大分以前にもLAT-1で同様な経験をしていたことを思い出す。完全に水平、いや垂
直の状態では弦楽器の質感は硬くなり潤いもない。スピーカーのボディーの素材感
を思わせるような硬質で鋭角的な切り口の鋭い音質がこれ以上聴く気力を失わせる。

そこで、フロントのスパイクを50ミリの長い方に単純に取り替える。すると不思議
なことに弦楽器の質感はしっとりとして音場感がぱっと広がるのだ!! さて、今度
は仰角の付いたLAT-1000をどのレベルで設定するか。

後ろの二本のスパイクは上にハンドルが付いており、これを回すことによって一人
でも上下に調整することが出来る。センターポジションのシートに座って聴き、
そしてまたハンドルを回して角度を調整する。オーケストラ全体の広がりと弦楽器
の質感を同じパートを何回も繰り返して聴きながら地味な作業を何回も繰り返す。

「うん、これくらいかな〜」

と、額に汗して繰り返す作業の中で大体私が納得できるポイントが見つかってきた。
フロントのスパイクが50ミリに対して後部の二本は20ミリという長さになった。
5年前のLAT-1の時には輸入開始当時には50ミリのスパイクは付属していなかったの
で、私はフロントのスパイクの下にスペーサーになるディスクをはさんで同様な
角度を付けることをやっていたものだ。それをKRELLに輸入元からフィードバック
したのかどうか知らないが、二ヶ月ほどして輸入されるようになったLAT-1には長
いスパイクが付属するようになったのである。これは本当の話しだ。(^^ゞ

昨年のマラソン試聴会で私がNEOをステージにセットして最初に行ったのが、この
スピーカーの仰角を調整する実験だった。
http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/brn/318.html

リプレースメントでスピーカーのポジションを聴きながら調整し、その後で今度は
聴きながら仰角を付けてスピーカーの傾きを調整していく。他社のスピーカーでは
最初からデザインの中でこの仰角を与えているものが多いのもお分かりだろうが、
超が付くほど敏感なLAT-1000ではその変化が顕著に現れる。これだけの手間ひまと
時間をかけて、いよいよLAT-1000の本当の姿が見えてきたのである。


2.違いすぎるオーケストラ

今回もこれを最初に聴いた。マーラー交響曲第一番「巨人」小澤征爾/ボストン
交響楽団で第二楽章である。

「いや〜っ!? これほどまで違うものか…!!」

私がこだわっていた弦楽器の質感は十分なバーンインと細部にわたるセッティング
で既に納得できるところまで追い込んだつもりだ。今度は改めて演奏の細部を確認
し、オーケストラ全体での表現性をつかもうとして聴き入ったのだが、私の口をつ
いて出た言葉はこれだった。

ここにあるどのスピーカーともまったく違う鳴り方なのだ。まず弦楽器の各パート、
ヴァイオリンの第一第二、ビオラとチェロの中央付近での存在感、右側でのコント
ラバスの各々の定位感が驚くほど鮮明にポジションを占める。そして編成が大きな
ホルンとトロンボーンなどの金管楽器がホールの照明をきらっと反射したかのよう
な輝きが目に入ったように鮮やかに存在感を示し、木管楽器は対象的にしなやかな
余韻の尾を引きながら弦楽器群の埋もれることなく自分の居場所を自己主張する。

先ほどはメジャーでスピーカーの間隔を測ったのだが、左右のLAT-1000にメジャー
を橋渡しして、それをテープで止めたとしよう。今私の目の前に現れた大編成の
ボストン・シンフォニーオーケストラは、その個々の楽音を3メートルあまり引き
出したメジャーの目盛りに、ここからここまでというマーカーを付けて各々の位置
関係と音像の大きさを目に見える形で示せるほどに鮮明に再現されているではない
か。ここまでピンポイントにオーケストラの多数の楽器を緻密に空間に描き出す
スピーカーは初めてかもしれない。その描写力は言葉で語り尽くせないほどだ。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

もちろん、この一曲でオーケストラでの検証が終わることはない。小澤征爾の録音
では他のディスクでもオーケストラの分解能に共通するものがあると思う。次は
小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラによるブラームス交響曲第四番・ハン
ガリー舞曲第五番・第六番(90年当時PHILIPS 426 391-2)を聴くことにした。

前回同様に、最初にハンガリー舞曲第五番・第六番を、続けて第四番の第三楽章、
最後に第一楽章という順番で試聴することにした。選曲の理由も前回同様である。
ベルリンにあるイエス・キリスト教会という録音環境からの推測からだ。

さあ、どのように聴かせてくれるだろうか!?

「お〜、低音の打楽器が!!」

ハンガリー舞曲では大太鼓が教会という空間で録音されたものが、これまでに体験
したあるスピーカーでは独特の量感を伴って響き渡ったものだった。
それらのスピーカーでは低域の再生に独特の工夫を凝らし、スピーカーの見かけの
大きさよりも低音のボリューム感を出そうという傾向があったのだろうか?

しかし、LAT-1000ではウーファーの振動板のピストン運動によってのみ出力すべき
低域再生ということが私には直ちに感じられたのだ。それは残響の多い教会という
録音環境であるにも関わらず、大太鼓のヒットした瞬間からそのエコー感の立ち消
えまでの過程が時間軸に沿って忠実でリニアな減衰特性を耳で感じたからである。

低域の楽音が叩き出されてから、いわゆる放物線を描くような音響エネルギーの
変化ではなく、時間軸に対して直線的にエコー感が減衰していく様子が私には見え
たのである。一言で言えば、素直な低音、ハイスピードな低音、膨らまない低音、
ということになるだろうか。

打楽器の低音だけでなく、コントラバスのピチカートのように弦が震える数瞬の楽
音がことさらに鮮明に聴こえるということはLAT-1000における低域の高い再現性に
関与するものであり、この後に分析すべき課題がクローズアップされたようだ。

豊かな残響がある録音環境の中で強烈な低音がどのように聴こえていたのか!?
それは推測しても実体のないものなので確認のしようがないものだが、私は数多く
の経験からスピーカーによっては録音に含まれていない低音を付加していたのでは
という記憶がいくつかあるのだった。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

そして、このディスクの課題曲の四曲を聴き終わってみてつくづく感じることは、
マーラーの時と同じ傾向が明確に感じられたということだ。ここでは現在でも複数
のハイエンドスピーカーが許せる範囲の台数をセッティングを工夫して比較試聴で
きるようにセットアップしてある。それは過去にさかのぼってみれば更に多数の
スピーカーを検証し評価してきたという自負が私にはある。

しかし、それらの記憶と照らし合わせてみても、これほど克明にオーケストラの各
パートを独立して聴かせてくれるものはなかっただろう。言い方を変えれば楽音の
音量感の大小と音階に関わらず、その存在感を鮮明に聴かせてくれるということだ。

だが、それは決して解像度を重視するあまり楽音が演奏空間で交じり合う余韻感の
美しさを台無しにするものではなく、エコー感と音源のセパレーションが極めて
優れているというものであり、私が目指すフォーカスイメージの鮮明さにつながる
ものなのだ。

オーケストラをはじめとして私がLAT-1000の検証で強く感じたこと。

それは、あのStradivari Homageと対極をなす個性の持ち主であるということだ!!

LAT-1000の検証は一日では終わらなかった。(^^ゞ



3.スタジオ録音における着目点

オーケストラにおける録音環境の忠実な再現性に圧倒された私は、次の段階では
スタジオ録音における表現力を探ろうと考えたのだが、ホールのような大きな空間
で録音されたものとスタジオワークによるヴォーカルのフォーカスの現れ方の両方
をチェックしてみようと考えた。そこでおなじみの「Muse」からフィリッパ・ジョ
ルダーノ「ハバネラ」をかけることにした。
http://www.universal-music.co.jp/classics/healing_menu.html

ホールや教会録音での空間表現の素晴らしさが記憶に残るのだが、巧妙にリヴァー
ブがかけられたスタジオ録音でも同様にスピーカーの表現力が問われ、そしてそれ
自身の評価にもつながるものだ。さて、冒頭の多重録音のコーラスとソロヴォーカ
ルはどうだろうか…!?

「これって…、“超”が付くくらいにくっきり鮮明だ!!」

この曲を何度聴いたか覚えていないほどだが、LAT-1000から放出されたフィリッパ
の声はオーバーダビングされハーモニーを奏でるバックコーラスのひとつひとつで
あっても、センターにくっきりと浮かび上がったソロにしても私の記憶を更新する
鮮やかさがある。

LAT-1000はNautilusやNEO、そして最新型の800dとは違ってコラムデザイン、いわ
ゆる四角柱の細長いボックス形状なのでフロントバッフルは存在し、音場感の表現
の仕方が前者とは違う。Nautilusほどの空気中への浸透力はないにしても、それに
変わって楽音の輪郭表現の鮮明さという対抗策でLAT-1000は自身の魅力を自己主張
している。オーケストラで実証したLAT-1000の各パートにおける描写力の素晴らし
さは今度はヴォーカルのジャストフォーカスという名人芸で私を驚かせた!!

そして、ゆったりと響く重厚なドラムがセンターに現れた。その瞬間である。

私は幾度となく、このともすれば聞き流してしまうドラムの質感に今までの記憶と
違うものを察知していた。これまでに試聴した数々のスピーカー、その低域の個性
を記録している頭の中のファイルをいくらスキャンしても同類のものがないのだ。

「えっ!! こんなに重量感があるのに余韻が軽〜く広がっていくのはなぜ!?」

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

スピーカーのセンターに定位する打楽器の音像の大きさ、輪郭の鮮明さというのは
そのスピーカーに搭載されているウーファーユニットの特性とキャビネットデザイ
ンによって大きく左右される。

それは低音楽器の質感として色彩感の濃淡として例えられるかもしれない。例えば
ここで私が感じたドラムの音を“黒”としてイメージしてみよう。低音の重量感や
密度感という表現は色の濃さとして重い浮かべて頂きたい。そして、低音楽器の音
像がその面積ということで、白色の背景との境目の表現が輪郭ということにしよう。

今までに私が体験してきた多数のスピーカーたちを思い浮かべてみると、低域の再
現性にはエンクロージャーの材質とデザインで体系的な特徴があるのではないかと
考えられるのである。

先ず“黒”という一言で語れるものでも、その黒という色彩感にもスピーカーによ
る個体差があるのではないか、と思われた。LAT-1000が発する低域を漆黒の黒、
まさに混じり気なしの墨とい例えたとしたら、キャビネットの材質がMDFなどの合
板やSonusfaberが得意とする天然木材なども含めて、木製であるというものはここ
までの99.99999999%(ケーブルではないが8Nの世界)という純度の“黒”と思われ
る低音は出していなかったようだ。

0.1%程度の水彩絵の具の“白”が混ざっている黒なのだろうが、それだけを見たの
では直ちにわかるものでもなく、また、そのメーカーなりの音作りの個性と魅力と
いうことで理解されるものだろう。

そして、木製エンクロージャーのスピーカーが発する低域表現では、その黒の面積
はLAT-1000の場合に比べて多少広く大きくなっているようだ。ただし、この場合に
は私が推奨しているMOSQUITO NEOはその限りではない。抜群の低域をNEOは聴かせ
るので一言述べておきたかったものだ。

次に音像の輪郭ということでも木製エンクロージャーのスピーカーではLAT-1000
ほどのきっちりした縁取りの線を描くことはできないようだ。これも空気に溶け
込んでいくような低域の表現も魅力と言えるので一概には言えないが、LAT-1000が
s発する低域の輪郭表現はアニメやイラストのようにしっかりとデッサンの黒い線が
背景と音像の境目に引かれているのである。

さあ、これらを私なりの比喩として予備知識として頂き、LAT-1000の低域を分析す
ると、私が今までに体験していなかった要素が発見されたのである。

他のスピーカーで聴くハバネラのドラムは黒い低音としての濃密感はLAT-1000より
も希薄に感じられ、その輪郭も多少の曖昧さを含み、音像の大きさも絞込みという
ことではまだ先の可能性を残していたのだろうか?

とにかくLAT-1000の発する低域は8Nの純度の漆黒の墨というイメージがぴったりす
るほどの無限大の濃さを思わせる“黒”なのである。しかし、それだけだったら私
も驚かなかったのだが、その“黒”にはフレアーが付いていたのだ!!

低音楽器の音像の面積は前例がないほどにタイトに絞り込まれて楽音がスタートす
るのだが、その打音が発せられた数瞬の後に、8Nの黒が7N、6Nと純度を薄めながら
打音の周辺に余韻感として漂い出ているのがわかったのだ!!

これには驚いた!! 

他のスピーカーでは打音そのものは正確に認識できたのだが、それは濃度が一定の
一色の黒であり、階調の段階も少なく、音像の中身と周辺に濃淡差がなかったのだ
ろうか? しかし、LAT-1000では低音の“核”となる中心部の8Nのブラックがくっき
りと打ち出されると、そこからふわ〜っとLAT-1000の周辺の空気に黒い霧として
低音の余韻が拡散していく過程が観察できるのである。これは初めてのことだ!!

さて、LAT-1000の情報が下記のように輸入元のサイトにアップされたので、ぜひ
ご覧頂きたい。ここにこの低域の秘密が述べられている。

http://www.axiss.co.jp/whatsnew_krelllat1000.html

まず、ウーファーの口径は同じであるが、ユニットとしての強化がなされたことは
解説からお分かり頂けるだろう。しかし、私が注目したのは先ず何と言ってもバス
レフのポートチューニングである。透視図のグリーンの斜線で示された部分がそれ
だが、30インチ長、300立方インチ容積という人間の腕が入ってしまうほどの大き
な1ポートによるものに変更され、そのチューニングは約18Hzという超低域にバス
レフの共振峰が設定されているというのだ!!

私はもう8年以上前に、VALONのニール・パテル氏が「トゥイーターやミッドレンジ
は電圧駆動だが、ウーファーは電流駆動なのでネットワークのコイルが非常に大事
な設計ポイントになる」ということを伺った。確か下記の随筆でも述べていた。
http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/oto/oto43.html

確かに低い周波数でローパス・フィルターを構成するには大きなコイルが必要に
なるのだが、上記の輸入元の解説でも述べられているように、ハイ・カレント/
ハイスピード・クロスオーバーネットワークに使用されているコイルはLAT-1000の
透視図にもあるようにパワーアンプの電源トランス並の大きさであり巻かれている
コイルも半端ではない。自社のパワーアンプに自信があるせいだろうか、パワーア
ンプの負荷がいかに大きくなろうと知ったことか、と平然と3オームのインピーダ
ンスを設定しハイカレントを文字通り設計思想に生かしているのだから豪胆だ!!

しっかりと輪郭を描くからこそ、その中心部の密度感と重厚さが引き立ち低音楽器
の発生から消滅までのグラデーションが空間へ浸透する余韻感として漂うのである。

余韻感とは中高域だけに存在しているわけではなく、前回オーケストラの演奏でも
その片鱗を見せていた低域の余韻感がスタジオ録音での瞬発力とエコー感の消え方
という双方で見えてきたのだ。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

ちょうどこのDyna 5555がオープンして間もないころ、私はあるTVコマーシャルに
使われている曲が気になって仕方がなかった。

Keiko Leeが歌う「WE WILL ROCK YOU」である。やがてはアルバムが出るだろうと
わかっていてもシングル版で先に聴きたいと購入したものだった。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Jazz/Artist/KeikoLee/

それが、SICP-45/マキシシングル/2001.12.19/であり、その三ヵ月後にはアル
バム「Voices」SICP-46/2002.2.6/が発売された。

先に発売されたマキシシングルで「WE WILL ROCK YOU」を聴く分には「あ〜、やっ
と聴きたいものが聴けた。テレビのスピーカーの音じゃやっぱりね〜」という思い
だったのだが、同じ曲を「Voices」のラストに入っている同じ曲を聴き始めたとき
に「なんだ!! これは!?」という驚きが走ったものだった。

同じレコーディングなのだがマスタリングがまったく違うようだ。簡単に言えば
シングル盤に収録されている方はアルバムの同じ曲に比べて音質が落ちるのである。
この評価は今まで何度か新しいスピーカーでもどのくらいの差に聴こえるか、と
言う逆説的な分析のために時折聴いてきたものだった。

さあ、これをLAT-1000で比較してみよう!!

いつもの手順で、まずはシングル盤を数回聴き、次にアルバムの同じ曲をかけるの
だが、私の場合には“オーディオ的間違い探し”をしているのである。まず写真で
も絵でもいいが、基準とすべきひとつの画像をじっくりと眺め観察し、その内容を
各所において記憶しておく。そして、次の画像を同じシステムとボリュームで間を
おかずに観察するのである。ビジュアルでは二つの画像を並べて比較すればいいの
だが、オーディオではそれは出来ないので最初の音質を一旦記憶させてから比較す
べき音を繰り返すことになる。

その場合には、漠然と全体を聴いているという意識ではなかなか違いがわからない
ので、自分の頭の中で演奏の各パートを分解して記憶しておくのだ。
あの楽器、この部分、この歌、あの音像、と演奏の部分を記憶することで比較する
場合のポイントが明確になってくるものだ。

一曲すべてを聴き終わり、チェックポイントを思い出しながら、今度はアルバムで
同じ曲を聴きはじめた。

「え〜、こんなに違うものだったんだ!!」

この曲はほとんどがサンプリング音源だと思われ、彼女の他の曲のように生バンド
による一発録りのジャズとはまったく趣きを異にする曲だが、その冒頭に心臓の
鼓動を思わせる低域のリズムが響く。この音像の大きさと鮮明度に呆れるほどの
違いが見られる。

ここで上述の低音の“黒”という例えを引用することが出来るので話しは楽だ。
アルバムバージョンではLAT-1000のセンターにくっきりと、しかも絞り込まれた
音像でドスドスという黒い発光が瞬間的に瞬いて消えていくようである。

しかし、シングルバージョンでは、その黒に10%程度の白を混ぜて音像の面積を2.5
倍ほどに拡大したものが現れるのだ。しかも、その白の混ぜ方が不十分なので音像
の中身に斑があるようで一塊の低音とは言いがたい。これほどに低域の有様を忠実
に見せてくれるスピーカーは稀である。

続くKeiko Leeのヴォーカルでは口元の大きさがひと目で、いや“ひと耳”でわか
るほどの違いがある。当然シングルバージョンの方が音像は大きく、解像度が甘い。
これは声の鮮度とも言えるだろうが、アルバムバージョンでのピンポイントに定位
するヴォーカルとは雲泥の差がある。先ほどの芳醇なまでのエコー感を含ませた
フィリッパとは対象的にバックの演奏が広大な空間を作り出しているこの曲では
Keiko Leeのヴォーカルはダーツ・ゲームの的の赤い中心部のように周囲から引き
立つ輪郭を見せているのである。LAT-1000はヴォーカルの表情の作り方、音像の
取り扱いを何と克明に浮かび上がらせることだろうか!!

低域での観察に加えてヴォーカルというミッドレンジの再現性に舌を巻いていると、
この曲でアクセントになっている高音が気になった。空のワイングラスを指先で
キーンと弾いたような、尾を引く流星のように輝きながら消えていく高音が随所に
ちりばめられているのだが、この流星の尾として例えたエコー感の滞空時間がシン
グルバージョンに比べてアルバムバージョンでは極めて長いのである。

しかも、グラスの透明度の違いが音になっているようにアルバムで聴くこの一音は
まさにクリスタルのクールな輝きをイメージさせるのだが、シングルでは水洗いを
繰り返したために白く曇ってしまった高音のように輝きがないのである。
これは10人中の10人ともに私でなくとも気が付く間違い探しだろう。それほど鮮明
に微小な情報量の違いを聴き手に伝えるスピーカーは私の記憶でも五指にあまる。

「そうか〜、ロスがないということは記録された情報の違いを見せてくれること
 なんだ。スピーカーに入力される手前での情報量の差が聞き取れるということは
 LAT-1000は入力される信号のクオリティーによって見違えるほどの変化をすると
 いうことなんだ!! そうだったのか!!」



4.まだ先があるのではという予感

スピーカーを変えれば音は変わる。この常識とも言える事実に関して低音に関する
音質の違いが複数の要素として表れるということを前述した。当然スピーカーを取
り替えれば中・高域の音質も変化するのだが、低音の大きな違いと比べてみると
中・高域における変化量というのはある枠内に収まっていると言えなくもない。

私は接客の最中に試聴室内にあるスピーカー各々に特定の低音が録音されてる同じ
曲をかけて個々の違いを実演することがよくある。同じベースやドラムであっても
これほどまでに違うものかと体験された皆様は口にするものだ。
しかし、あるスピーカー1セットだけで聴くとどこにも違和感はない。

さて、ここで私は過去の記憶を呼び起こすと、ハイエンドオーディオのショーを
視察して、ふとあるメーカーのデモの音に足を止めたことが合った。あるイギリス
のスピーカーが鳴っていたのだが、その時かかっていたエンヤの曲の特定の低域が
密閉された室内に立ちこもるタバコの煙のように充満していたのだった。聴く人に
よってはその量感に驚き感激する人もいたのだろうが、いくら何でもこの低域は
おかしいだろうと思い私は眉をひそめて早々に立ち去ってしまった。

オーディオ的な知識と経験がどのくらいあるかはまったく別にして、ごく一般的な
スピーカーの評価の仕方では低域の量感がより豊かになることに否定的なユーザー
は特定の高音が同様に量的に多すぎることに対してよりも寛大な理解をするようだ。
言い換えれば高域が出すぎると直ちに敏感に反応するのだが、低域が同様にたっぷ
りと表現されることに関してはスピーカーの再生能力が低域まで伸びているからだ
という解釈に陥りやすいものではないだろうか?

高域の質的・量的なものに関しては敏感であり否定的で厳しい見方をするのに、
同じような低域の個性が見えた場合にはスピーカーの個性として寛容になりがちで
豊かな鳴りっぷりとして肯定的な見方をしてしまう場面が多いのではないだろうか。

ここには周波数が高くなるにつれて刺激として認知されやすく、逆に低くなるに
つれて重厚さや豊かさとしてスピーカーの低域のレスポンスを一種の快感として
受け入れてしまう風潮はないだろうか?

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、今度は録音されている音楽のスタイルというか、前記のように音楽の種類と
傾向に対しては一般ユーザーの先入観みたいなものはないだろうかと考えてみた。

オーケストラをはじめとするクラシック音楽では高域が量的に多いと弦楽器の質感
や管楽器の音色にギラギラしたまぶしさ、あるいは刺激成分として認知されやすい
のではないだろうか? 逆に低域の量感がやや多かったとしても豊かな表現、または
ホールエコーがよく出ているのではという受け取られ方をされることが多いのでは
ないだろうか? やはりここでも低域に関しては寛容であり高域に対しては敏感に
反応してしまうという一般論はないだろうか? エンヤなどのサウンドも同類項とし
ての受け取り方があるようで、多少オーバーボリュームであっても雄大な表現を
するスピーカーだとして受け入れてしまわれる方が多いのではないだろうか?

さて、私はクラシック以外にも実に多様性ある選曲で色々なテストをしているのは
ご紹介している通りなのだが、同じスタジオ録音でも低域の量感の受け取り方に
ついてはスピーカーの個性と同様に録音の内容に関しても解釈による違いが結構
見受けられるのである。アコースティックなジャズでウッドベースの再現性、同様
にイフェクターを極力使用しないアンプラグド的な録音でのベースやドラムなどで
は単独の楽器としての低音の量感についてはグラマーな演奏だと誰でも気が付く
傾向もあるだろう。

しかし、ポップミュージックのそれらは低音の量感は迫力との比較関係で多少の
オーバーレベルであっても好ましい鳴りっぷりとして受け入れてしまう傾向がある
のではないだろうか!?

“Lossless Acoustic Transducer”の名前の由来を考えてみると大義名分として
ユーザーには信頼性の代名詞として聞こえるセールスポイントなのだが、スピー
カーに入力されるオーディオ信号の内容には原型というものがないはずである。
だから私も下記のような巻頭言を随筆の冒頭に冠している。

「芸術は真実でない。とは、我々誰もが知るところである。
 芸術とは真実を、少なくとも我々に理解すべき真実を、認識させるための
 虚構である。
 芸術家は、虚構を真実として他者に納得させるすべを知らなくてはならない。」  

つまりはレコーデット・ミュージックのすべては虚構の産物であるという認識から
私はオーディオ全体を考えているのである。従って、ロスをしていると定義づけす
るのであれば、その原型を示すか、あるいはスピーカーの入力までを1メーカーが
責任を持って保証するということが必要になってくる。幸いにKRELLはエレクトロ
ニクス・コンポーネントも自社で手がけているので、当事者のシステム構成であれ
ばスピーカーの入力直前まではディスクからピックアップされた信号の情報量を
維持していると主張することが出来るだろう。あくまでも自己主張なのだが…。

しかし、往々にしてスピーカーに入力される直前の信号と情報量との比較において
完全なる“Lossless”ということは私の常識ではすべてを肯定することは出来ない。

さて、私が前述してきたのは“失うもの”よりもスピーカーによって録音信号には
含まれないものが“追加される”という可能性の方が多いのではないだろうか、と
言う疑問点の確認なのである。

さあ、このような視点から私はLAT-1000の潜在能力を更に引き出すべく、第二段階
のシステムへと下記のように変更した。


      -*-*-*-*- KRELL LAT-1000 第二段階の検証システム -*-*-*-*-

 ESOTERIC G-0s ■8N-PC8100   
     ↓
 7N-DA6100 BNC(Wordsync)×3本
      ↓       
 ESOTERIC P-01 ■8N-PC8100
      ↓
 PAD DIGITAL YEMANJA XLR 1.0m ×2
      ↓
 ESOTERIC D-01 ■8N-PC8100
      ↓  
 PAD YEMANJA XLR 1.0m 
      ↓   
 VitusAudio SL-100■PAD  AC DOMINUS
      ↓  
 PAD YEMANJA XLR 7.0m
      ↓   
 VitusAudio SM-100■PAD  AC DOMINUS×2
      ↓  
 STEALTH Hybrid MLT Speaker Cable 5.0m H.A.L.'s Special Version
      ↓
 KRELL LAT-1000

このシステムへとケーブルを変更したのが一昨日のこと、当日出始めた音はバーン
インがゼロという状態でまったく評価できるものではなかったので、約50時間以上
のウルトラ・システムエンハンサーにてバーンインを行い本日の試聴となった。
もやもやしていた情景は風が霧を吹き払ったようにLAT-1000周辺と奥行き方向の
視界をクリーンにして爽快な音が出始めたのである。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

そして、最後のチェックポイントを確認するために私が選んだディスクがこれだ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000HZFL/250-0220855-7535410

アーチスト単独の適当なサイトがないので、上記のリンクにてご紹介するが、名手
Quincy Jones が自らセレクトしたベストアルバムである。なぜ選んだかというと
このディスクの録音に関しては業界の有名人でもありポップミュージックの録音で
は名人と言われているBruce Swedienがレコーディング・エンジニアを務めている
作品だからである。ウェストレーク・スタジオの流れを汲み、かつ同スタジオの
ウェストレークのラージ・モニタースピーカーの傾向からしても、仕上がったとき
のBruce Swedienの作品は低域の量感が再生側スピーカーのキャラクターによって
どれほどグラマーな音質になろうとも違和感なく聴けてしまうマジックがかかって
いるのである。エンターテイメントとして迫力を求めれば十分な手応えで再生され
る彼の作品は私はこれまでにも実に多くのスピーカーで試聴し、時には低域の躍動
感に感動すら覚えることが多々あったものだ。しかし、現在の私の感性では…!?

ディスク: 1から
1.Setembro (Brazilian Wedding Song) 
今は亡きSara VaughanとTake 6の絶妙のコーラスが溶け合うようにして LAT-1000
から繰り出され、スキャットによるパッセージの反復がとても美しく私も大好きな
一曲である。スタジオワークによる音場感の広がりをどうやったらこんなに広大に
ドラマチックに録音できるのだろうかと不思議でならない。ここでは低域のニュア
ンスがどうだこうだという各論に惑わされることなくQuincyがこの曲をトップに
配置した理由が愛おしさとして伝わってくる。しかし、バックのメンバーがゴージ
ャスなこと、驚くべき陣容のアーチストが終結しているものだ。

あれもこれも聴き続けてしまったが、すべてを語ることは出来ないので前述のポイ
ントである低域の再現性をチェックするために次の曲にジャンプした。


11.Rock With You
1979年にロッド・テンパートンによって書かれたこの曲は、今裁判で話題になって
いるマイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウオール」に収録されている一曲であり、
私もこの業界に入ったころであり良く当時のショップでかけていたことがあった。
その当時にはまだ生まれてもいない若手女性シンガー、ブランディーとヘビー・D
のラップでリメイクされたものである。

Quincyの息子QD IIIがドラムパートのプログラミングをしているのだが、この曲の
リズムセクションはサンプリング合成によるものであり生の楽器での録音ではない。
また、この曲のミックスはTommy Vicariが行っているので、上記のBruce Swedien
の作品ではない。しかし、この曲で聴けるドラムとベースの弾力性ある響きと重量
感と密度感の素晴らしさは不思議とスピーカーの低域表現の個性をひときわ目立た
せてくれるのである。

私は遠い昔にはレイ・オーディオやJBLの初代K2シリーズなど、バスレフのポート
からかなりの排気がある大型スピーカーでこの曲を大音量でさんざん楽しんだもの
だった。その時には低域の質感というこだわりよりも、この曲の音作りの上手さか
ら品位の高い低音と迫力というエンターテイメントに流されていわゆる“ノリ”と
して聴いて来たものだった。

しかし、今LAT-1000から弾け出してきたブランディーの若々しいヴォーカルの輝き
と新鮮さは初体験であった。それに輪をかけるようにヘビー・Dのラップには全然
刺激成分がなく、これだけのボリュームであるにも関わらずストレスはまったく
感じられない。気分爽快で音量が自然と上がっていく!!

ちなみに、今までVitusAudio SL-100でのボリュームは-24から-28dB程度であった
のだが、上記の新しいシステムでケーブルを変えてからというもの、不思議なのだ
が-16dBという相当なボリュームになんのためらいもなく上がっていたのである。

そして、ヴォーカルの素晴らしさは言い換えればバックの演奏との極めて鮮明な
分離感があってこそというもので、同時にスタートしたシンセ・ドラム/ベースと
いう低域が細身のLAT-1000から期待以上の重量感と開放感を伴って発せられた。

開放感ということでは低域の大きなストロークがウーファーユニットを襲っても
決して破綻することもなく、らくらくと大振幅を繰り返しながらも低域の残滓を
まったく引きずるような表現がないのである。つまり、バスレフポートから大量に
排気されるスピーカーだと、その排気のスピードが入力信号の振幅と速さに追いつ
かないのでブーミーな印象と低音楽器の高調波がマスクされて詰まったような印象
を与えるのだが、キャビネットの個性に伴うこれらの要因が皆無なので低い周波数
の楽音のブレーキングと落としどころが他のスピーカーと大変違うのである。

そして重量感ということについては上記のブーミーな印象を与えるスピーカーでは
その反応速度が遅いことで重々しさがあるのでは、という誤解をされる方が多いと
思われる。しかし、本当に低い周波数までを正確に再現するということは打音の後
に録音信号には含まれていない低域の付帯音のようなアフターエコーとしての残響
時間が長く感じられるということではなく、打音が発生した瞬間にこそ重量感が存
在していなくてはならない。時間軸に対して高速反応する低域こそLAT-1000の魅力
であり、楽音の発生した瞬間に重みを乗せられるという芸当はさすがである。

とにかく、今までに体験したことのないRock With Youが私を虜にした!!

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

ディスク: 2から
3.Human Nature 
TOTOのデイヴッド・ペイチとスティーブ・ポーカロがマイケル・ジャクソンに
レコーディングしてもらいたいとデモテープをQuincy Jonesに持ち込み、ロッド・
テンパートンといっしょに聴きながらインスパイアーして生まれたのがこの曲で
ある。後年あのマイルス・デイビスがカバーしたこの曲には、Quincyいわくヒップ
なジャズのヴァイヴがずっと流れているという。

この曲に私が興味を持っているのは、マイルス・デイビスだけでなく他の多数の
アーチストもHuman Natureをカバーしており、ここにも何枚かのディスクがあるの
で聴く機会が多かった。しかし、なぜかオリジナルを聴くことは当時24歳のマイケ
ルは確かに輝けるスターだったことから、いつしかミーハー的に見られるようにな
ってしまい現在のハイエンドオーディオの試聴に使うということが自然とはばから
れていたようである。この曲こそBruce Swedienのミックスによるものであり、ス
ピーカーの低域再生能力を上手に包み隠してしまうマジックを秘めている曲である。

しかし、曲がスタートした瞬間に私はしばらく凍り付いてしまった!!

カバーバージョンばかりを聴いてきた私にオリジナルのイントロが流れ始めたとき
には一瞬鳥肌が立つような感触が背筋を走った!!

23年前に初めて聴き、それからも数回は色々なスピーカーで聴いてきたこの曲だが、
冒頭の低音の厚みと広がり、きらめくような高音のアクセントと音場感の大きさは
なんと言うことだろうか!! 四半世紀も前の録音であるにも関わらず、万華鏡のよ
うな色彩感が乱舞するような音の数々、そしてマイケルの周辺を彩る情報量の大き
さはなんと言うことだろうか!!

デイヴッド・ペイチとスティーブ・ポーカロのシンセサイザー、ジェフ・ポーカロ
のドラム、スティーブ・ルカサーのギター、ポリーニョ・ダ・コスタのパーカッシ
ョン、とこちらは名人揃いのアーチストがリズムセクションを演奏し、前述のRock
With Youのバックバンドのあり方とは好対照な演奏だ。

こんなにも素晴らしい演奏と録音だったとは…!?

自分の記憶の中にある23年前の再生装置で聴いた思い出が、まるで音楽のタイムカ
プセルを開けてみたら当時の音が色あせてしまっているのを発見したようなものだ。
しかし、今聴いているHuman Natureは当時の、いや今まで聴いてきた再生音のすべ
てを一旦消去してBruce Swedienのテクニックと感性の素晴らしさを再認識されら
れた思いである。これほどのクォリティーで聴くということが初めてという意味な
のだが、LAT-1000という存在があってこその感動だ!!

今まで軽視していたポップミュージックの音質というのがこれほど素晴らしいもの
だということをLAT-1000が教えてくれた。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

ここで無性にオリジナル版である「Thriller」が聴きたくなってしまった!!
ちょうどSACDでディスクがあり、ちょっと贅沢なひと時を過ごしてみたくなった。
アルバム一枚を通しで聴く、という贅沢である。

4.Thriller
当時大流行したMTVのビデオが思い出されるが、この曲にこんなに透明な質感が
あったなんて嘘のようだ。効果音的な迫力ばかりが強調され混濁した喧騒の中で
歌われていたイメージだったが、マイケルのヴォーカルがこんなにも澄んでいたと
は。そして、やっぱり上手い!! 

5.Beat it
LAT-1000でVan Halenのギターを聴いて欲しい!! それだけで感動した!!
今まで感じていたギラギラしたイメージは、この曲の雰囲気を助長するものとして
多少刺激があっても無理やり快感と思わなければ、という聴き方をしてきたものだ
が、なんと激しくも美しい演奏であることか!! 低音の表現に節度があると他の楽
音が何と透き通って聴こえることか!! 

8.Billiie Jean
イントロのキックドラムの音は今まで多数のスピーカーで比較の対象としてきたが、
LAT-1000で聴くと何とあっさりと、そしてキレがいいことか!! 言い換えれば、他
のスピーカーでは何かが追加された低音だったのだろうか。ルイス・ジョンソンの
ベースはとても好きだ。テンションがあり重さも十分で、Quincyのアルバムには
欠かせないアーチストの一人だが、彼のベースをLAT-1000で聴くのは初めてだった。
そして、もし今のLAT-1000の音を20年以上前に聴いていたら、それ以降に聴かなけ
ればならなかった数多くのスピーカーたちに対して私は常に欲求不満を持たなけれ
ばならなかったかもしれない。これほど鮮明なエレキベースは初めてだ!!


オーケストラから始まって最後は何とマイケル・ジャクソンという流れでLAT-1000
を検証してきたが、特にその低域再生に関しては大きな発見があった。

スタジオ録音のポップミュージック、その中で重要な低音リズム楽器の音像や質感
言い換えれば実体感というものは定義とすべき対象がないのでは、ということだ。
演奏者はいてもスタジオワークで処理される演出があるので、我々が再生装置を
通じて聴く時のさじ加減というものはユーザー側の自己責任における量感の捉え方
しかできないということである。

それはBruce Swedienのような名人が作り出したような低音であれば、ユーザーが
スピーカーから摂取する低音には麻薬的な魅力があり、オーバーボリュームであっ
ても快感を感じてしまうのでついつい過剰摂取となっていることがわからないので
ある。心地よい演出はエンターテイメントの世界では肯定されても仕方ないだろう。

しかし、低域に余分なものが追加されてしまうスピーカーで、その低音を聴き続け
ていると、知らない間に他の楽音にも影響を及ぼしているということがあるのだ。

長年にわたり低音という高カロリーな音楽をプロポーションの変化を気にしないで
摂取してきたユーザーは、次第にグラマーな音質に違和感を持たなくなり体型が
崩れてきていることにも気がつかなかったのだろう。

だが、ここでLAT-1000が聴かせる低域の魅力を体験すると、姿見に映った自分の姿
に愕然としてしまうだろう。自分が知らぬ間に下半身デブになってしまったからだ。

LAT-1000はどのような音量においても低域の輪郭を維持し決して音像を膨らませる
ことはなく、“黒”として例えた重量感をきちんとその輪郭の内部に留めており、
エンクロージャーとポート・チューニングによる質感の変調もない。従って、この
スピーカーで聴くスタジオ録音のポップスで麻薬的に摂取量を増やしてしまう低域
のボリューム感に素晴らしい節度をもたらすのである。

これはLAT-1000だけが成し得るオーディオ的体質改善効果だ!!

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

「Lossless Acoustic Transducer」というネーミングを再度考えたみた。

何を基準とし何を原型としてロスがないのか?
スタジオ録音を再生するときには原音とすべき対象はありえない。
従って、何かをロスしている、失っているということは言いがたい。

しかし、こう考えたらどうだろうか?
楽音にはふさわしい音像の大きさと、それを取り囲む輪郭の鮮明さが必要不可欠だ。
つまり楽音のプロポーションということだろうか。

スピーカーによっては本来のプロポーションが崩れてしまい、魅力的だという意味
で用いるグラマーという表現で「本来の体型はこうあるべきという遺伝子情報」を
失ってしまうものがあるということだ。

LAT-1000のLosslessとは、この音像を形成するオーディオ的遺伝子情報をロスしな
いということなのだ!! 


私はオーディオが虚構の産物であるということを述べているわけだが、最後に
その解釈にちょうどよい引用が見つかったのでご紹介したい。

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

今は亡き社会派の巨匠松本清張に「現実の薪(たきぎ)が虚構の火を燃え上がらせ
る」という名言がある。前後の文脈は次の通りである。

「話しが作り話であればあるだけ、その表現なり文章の筆致は、あくまでも現実的
 にすることが大切ではないかと考えます。虚構の火を燃え上がらせるのは現実の
 薪です。大げさな形容詞や、いたずらに持って回った言い回しは必要ないばかり
 か、かえって効果を減ずるものです。」

これを批評家の郷原 宏氏がある本の解説で引用され次のように述べている。

「今、私の率直な感想を言えば近代において新本格派と言われる作家は一般に現実
 の薪の探し方を知らず、新社会派系の作家は逆に集めてきた薪の燃やし方を知ら
 ない。今ほど作家の文体が力を失った時代はない。」

               -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

なるほどな〜、思いつつオーディオにおける“現実の薪”と“虚構の火”とはなん
だろうか、と考えてしまった。

「再生する音楽が作りモノであればあるだけ、その表現なり音質は、あくまでも
 現実的にすることが大切ではないかと考えます。虚構の火という聴き手が自らの
 内面において想像する演奏の再現イメージを燃え上がらせるのは現実らしさです。
 大げさな楽音の演出や、いたずらにデフォルメした特定の楽音は必要ないばかり
 か、かえって効果を減ずるものです。」

私が考える“現実の薪”とは決して録音時の原音ではありません。生演奏をアーチ
ストと同じ時空間で楽しむということは、そのひと時で終わってしまうものです。
ホールにしてもスタジオにしても、それらを録音するということはその段階で既に
非現実となってしまいます。

オーディオにおける“現実の薪”とは知識と経験とセンスを持ち合わせた人間が
作り上げたオーディオシステムの再生音、いや演奏なのです。

オーディオにおける“虚構の火”とは、ユーザーが虚構であるということを認識し
ているという前提で、その虚構の中で素直に感動できる寛容さではないでしょうか。

私が最後に一言言いたいこと。
それは皆様に薪の燃やし方をここで発見して欲しいということです!!

そして、LAT-1000が火付け役です!!


このページはダイナフォーファイブ(5555):川又が担当しています。
担当川又 TEL:(03)3253−5555 FAX:(03)3253−5556
E−mail:kawamata@dynamicaudio.jp
お店の場所はココの(5)です。お気軽に遊びに来てください!!

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