第四十四話「スタンディング・オベーション」





序章『アンタッチャブルCD』

 早いもので、CDが発売されて今年で16年目となった。
この同じ年に生まれた子供たちはもう立派な高校生である。そして、当
時幼稚園に通っていた子供たちは成人して社会人の仲間入りをしている。
これらの世代は物心が付いたときにはCDを既存の物として受け止め、
日常生活の中で「当たり前の存在」としてつきあってきたことであろう。
この「当たり前の存在」という認識は「科学技術の多大なる恩恵」を裏
返した認知であり、苦せずして高性能な道具を簡単に使い楽しむことが
出来るようになった時代の盲目的価値観の喪失と言えなくもない。
つまり、最新技術は時代と共に忘れ去られるものであり、ハイテクが人
々の生活に利益と豊かさをもたらすようになると、その技術を開発研究
した技術者たちの努力と研鑽も同様に忘れ去られてしまうのである。
この「当たり前」という存在に分析と理解という興味関心のスポットラ
イトを当てることによって、日常的に親しんでいる道具に新たな価値観
を見出し、音楽再生の将来に対して更なる向上と選択の提案が出来れば
と考えたのである。
 さて、このCDだが、人々はどの程度の認識を持っているだろうか。
現在のCDシステムの生みの親とも言える中島平太郎氏が12年前に書
かれた著作に次のような一節がある。
「コンパクトディスク|略してCDシステムをひとくちで言えば、直径
12センチの透明ディスクの片面に刻み込まれた標本化周波数44.1
キロヘルツ、量子化数16ビットでデジタル化された60分の音響ステ
レオ信号を、0.78ミクロンのレーザーでディスクに非接触で読み出
すシステム、ということになる。」
この中の数字と技術的な単語をブランクとして、町行く人々にアンケー
ト調査をしたならどうだろうか。
渋谷、新宿、銀座、などの繁華街で老若男女を問わずに行ったとしたら、
おそらく全問正解は1パーセンもないだろうし、ここ秋葉原でさえも5
パーセントを超えるかどうかという程度ではないかと思われる。
この定義をまるまる解説するには筆者の力量不足と紙面の制約があるの
で、今回探究していこうとするポイントをたったひとつにしぼり込んだ。
CDシステムにおいて誰でもが100パーセント答えられる単純な事実、
CDには針がない「非接触」という再生方式に対する考察である。


第一章『奴隷の貢献』

第一部「知っておきたいCDの概要」

 図1はCDの概要である。そして、写真1は図の中で説明されている
ディスク表面を1000倍に拡大したものである。
「こんな事は先刻承知である。」とおっしゃる方も多いと思われるが、
今一度じっくりとご覧頂きたい。
アルミの反射層にある細長いくぼみがデジタル信号の軌跡でピットと呼
ばれているものである。まず、一般的に認識されていないものとしてあ
げられるのが、このピットの大きさである。
この長さの単位ミクロンとは1ミリの1000分の1である。
赤色の光の波長が0.8ミクロン、紫色の光の波長が0.4ミクロン程
度、私たちの頭髪の直径が平均70から80ミクロンであるから、図に
記されているピットの大きさがいかに極小であるかを想像して頂きたい。
つまり、髪の毛1本の幅の中にデジタル信号のピットが50列並ぶこと
になり、1ミリ幅では625本のピットが整然と並んでいるのである。
マイクログループと呼ばれるLPレコードの音溝の間隔は70から80
ミクロンであるから、1ミリ幅では4から6本程度が記録されているこ
とになり、CDでは優に100倍以上の高精細な信号が記録されている。
一時間以上の演奏ではピットの総数は軽く10億を超える数になり、毎
秒20から30万個のピットを読み取っていることになる。
 そして、このピットをレーザー光線がたどる速さは線速度一定で毎秒
1.2から1.4メートルと決められており、おのずとディスクの内周
外周では回転数が違ってくる。
最内周では毎分約500回転、最外周では毎分200回転と言われてい
る。確かに高速回転しているというイメージはわくのだが実感に乏しい。
こう言い換えればどうだろう。
最内周では毎秒約8.33回転、最外周では毎秒3.33回転と考えれ
ばCDの高速回転のイメージがつかめるのではないだろうか。
このように高速回転しながらレーザー光線を照射する対象のピットが、
幅0.5ミクロン、深さ0.1ミクロン、ピットの長さと間隔が0.3
ミクロンステップで0.9から3.3ミクロンと気が遠くなるようなミ
クロの世界であることをここではご記憶頂きたいのである。
 次にレーザー光線がCDに対してどのように当てられるのかを示した
のが図2である。これにはプレーヤーの小型化と低価格化を考えて半導
体レーザーを使用している。0.78ミクロンという単一波長のレーザ
ー光線をレンズを使って収束させるのだが、収束出来るエネルギーは回
折の影響で全体の84パーセント程度が限界と言われている。そして、
CDシステムでは図2にあるレーザースポットの径は様々な要素を検討
し各社の選択により約1ミクロンから1.4ミクロン程度となっている。
こうして幅0.5ミクロン長さ0.9から3.3ミクロンのピットに向
けて焦点を結ぶような機構が設けられているのである。そして、図2・
1にあるように、ディスクの信号面に照射されたレーザースポットは、
ピットのないところでは反射光が対物レンズの視野内で戻ってくる場合
と、ピットによって拡散されて戻ってこない状態をフォトダイオードが
電気に変換してデジタル信号が光から電気信号へと変換されるのである。
この流れを図3・1に示しているが、このときの対物レンズとディスク
の間隔は約1ミリであるということも合わせてご記憶頂きたい。この1
ミリというすきまこそ「非接触」方式の最重要なポイントであり、「非
接触」であるからこそ難問がともなってくるのである。

第二部「スピンドルサーボとスレッド送り機構」

 さて、LPレコードの回転数はご存じの通り毎分33.3回転である。
これは1秒間では0.5回しか回転していないことになり、レコードの
上をカートリッジがトレースしている姿はなんとも優雅に目に映るもの
である。ディスクに対して針が接触しているLPは、音溝のトラック移
動がそのまま針を力学的に内周にいざないトーンアームの設計がトラッ
キング能力の高低を決定する要因であった。しかし、いずれにしてもシ
ンプルきわまりない原理で、常識ともとれる操作性をいまさら語る必要
もない。しかし、前述のようにCDの超ミクロのピットに1ミリの間隔
をおいて超高速でレーザースポットを追随させるにはいったいどうした
ら良いのだろうか。
CDシステムは音をデジタルに変換してディスクに記録し、またアナロ
グに変換して音楽を楽しむものであるが、この音楽信号の記録再生だけ
がデジタル技術ではない。
このわずか12センチのディスクに刻み込まれた幅0.5ミクロン長さ
0.9から3.3ミクロンのピットを正確に読みだすという制御機構に
こそ、最新のデジタル技術が大変高精度なサーボシステムとして駆使さ
れているのである。
 LPは回転数一定の回転方式CAV(Constant Angular Velocity)で
あり、ターンテーブルは絶えず一定の回転を維持することをひたすらも
とめられた。つまり、動作としてはトーンアームとまったく切り離した
別の機構を設計すればよかったのである。しかし、CDは線速度一定の
回転方式CLV(Constant Linear Velocity)であるので、ディスクの回
転機構にはピックアップ側と密接な関係を持っているのである。
そこで、プレーヤーのターンテーブルに相当するCDの回転系から先に
解説することによって、CDシステムのサーボシステムを簡単に理解す
るための土台となる基礎知識を定着させたいと考えた。
前述のように幅0.5ミクロンのピットはトラックピッチわずか1.6
ミクロンという極小の間隔で配列されており、レーザースポットがトレ
ースすべきピットはディスクが一回転するあいだに外周へ1.6ミクロ
ンずつ送られていくことになる。この1.6ミクロンのトラックピッチ
に追随させるためには、当然この間隔を維持して精密にピックアップを
移動させていかなければならず、これをスレッド送り機構と呼んでいる。
CDの信号記録面は中心から半径25ミリと58ミリの間というわずか
33ミリの間隔にあるので、これを一時間以上の時間をかけて非常にゆ
っくりと送られなければならず、減速されたギアやリニアモーター、以
前のフィリップスのようにスイングアーム方式などの各社各様のスレッ
ド送り機構が設計され各々にサーボがかけられているのである。
第一部で述べているように、ディスクの回転数は直径50ミリの信号記
録面の最内周から毎分500回転で始まり、最外周の毎分200回転ま
でと毎秒1.2メートルから1.4メートルをトレースするように線速
度一定で設定され、これにもサーボがかけられている。
これをスピンドルサーボといい、ディスクの中心からピックアップの位
置がどこにあるべきかをディスクに記録されている各データブロックの
先頭を最初に検出しておくことにより、スピンドルモーターの回転数を
推定し、クォ|ツロックを用いたPLL(位相比較)制御で定速制御さ
せるのである。
このようにピックアップの移動をつかさどるスレッド送り機構と、その
位置検出がスピンドルサーボと密接な関係を持っているのである。

第三部「フォーカスサーボ」

 さて、もう一度図3・1をご覧頂きたい。
ピックアップの対物レンズとディスクの距離は約1ミリと前述している
が、実際の再生ではどのような状態になっているだろうか。
回転中のディスクが見られるようになっているCDプレーヤーであれば、
この高速回転しているディスクの挙動が観察出来ると思われる。
その時ディスクのレーベル面が肉眼で観察出来るほど上下に振動してい
るのがわかるはずである。肉眼で確認出来るのだから優に100ミクロ
ン以上は上下動しているだろうと思っていたのだが、ある技術者に尋ね
たところ再生するプレーヤーにもよるが、ひどいものでは何と0.5ミ
リも上下の面ブレを起こしているというのだ。
図2でレーザービームの収束を示しているが、これはあくまでもレンズ
とディスクが一定の距離にあるという前提で約1ミクロンというレーザ
ースポットの確保に成功しているのである。
ところが、この両者の焦点距離がこれほどまでに大きく変動していると
いう事実を知っている人は少ない。
そこで、第二部で述べたディスクの回転数を思い出して頂きたい。
当然この面ブレはディスクの回転周期によって発生するのであるから、
数100ミクロンの上下動が毎秒ごとに内周では8.33回、外周では
3.33回発生しているという驚くべき事実をイメージして頂きたい。
「これでも音が出るなんて信じられない・・・。」ごもっともな感想です。
この驚異的に変動する焦点距離を一定に維持するために開発されたのが
フォーカスサーボである。すべてのCDプレーヤーは図3・1のように
光学系の末端に対物レンズをもっているのだが、実はこのレンズは非常
に細いワイヤーによって空間に吊るされている構造になっている。この
レンズには微小なコイルとマグネットによるアクチュエーターと呼ばれ
る駆動部分が取り付けられており、水平垂直の二次元方向に向かって超
微妙な運動を可能としているのである。
この対物レンズの垂直方向の運動を利用して、ピックアップの焦点深度
とされているプラスマイナス二ミクロンを維持するように対物レンズを
ディスクの面ブレに完璧に合わせて上下動させるのがフォーカスサーボ
である。そして、サーボである以上は検出された何がしかの信号を基準
として対象物を制御する必要があるのだが、「非接触」という大命題を
もって誕生したCDシステムは一体どのようにしてディスクとレンズの
距離を検出しているのだろうか。
 フォーカスサーボをかけるには、このピット面から反射してきた光が
焦点を結ぶ手前から返ってきたか、ちょうど焦点を結んだところから返
ってきたか、あるいは焦点を結んだもっと奥の方から返ってきたかによ
って光の反応が異なるような特殊レンズを光学系の過程に入れて判定を
するのである。特殊レンズに円筒形レンズを使用するのが非点収差法で
あり、非点収差法の原理を示したのが図3・2である。(a)では対物
レンズとレーザースポットの焦点距離を表し、焦点深度のプラスマイナ
ス二ミクロンをbで示している。(b)ではビームスプリッターで偏向
したビームをシリンドリカルレンズを通すことによって(c)のような
ビームの断面形状を検出しているのである。シリンドリカル(円筒形)
レンズは丸みを持つ水平方向にはレンズとして働き、上下方向には単に
透明ガラスとして働くという性質をもっており、(c)のように縦長の
楕円から真円に、真円から横長の楕円へとビームの形状が変化するので
ある。この中間点jに四分割したフォトセンサーを配置すればディスク
の反射面の位置関係がビームの形状として表れ、四分割されたセンサー
それぞれの光量を演算すればフォーカスサーボ用の誤差信号を検出出来
るという原理である。
 更に、このシリンドリカル(円筒形)レンズの代わりにプリズムを用
いたのがフーコー法と呼ばれる検出法である。図3・3に原理を示して
いるが、ディスクから反射されてきたビームがプリズムの頂点に焦点を
結ぶように設定する。図中にあるように二分割された二つの光センサー
を設置しておき、ディスクの遠近によって反射光の結像面の状態を判定
してサーボ用の検出信号を得るのである。

第四部「トラッキングサーボ」

 ディスクに刻まれたピットの列はディスクの中心を中心として真円に
近い螺旋の円周上に精密に整然と並び、1.6ミクロンのトラックピッ
チで外周に向けてピットの列が続いている。これをスピンドルモーター
で回転させるのだが、ディスクの幾何学的中心を中心として完全な円を
描いて回転するということはありえない。というよりも、トラックピッ
チの1.6ミクロンを外さないほどの真円で回転させるということは事
実上不可能なのである。CDシステムの開発を行ったフィリップスから
CDの規格を明文化したレッドブックと呼ばれる文書があるが、そこに
は最大偏芯量±70ミクロン以内になるようにと規定されている。トラ
ックピッチの1.6ミクロンからみれば、ディスクは50倍近くも大揺
れに揺れながら回転しているのである。この偏心の影響は回転周期で発
生するため10 以下の低い周波数であるが、ピット列をレーザースポ
ットでトレースするにはどうしても強力なサーボシステムが必要となる。
ここで思い出して頂きたいのが第三部で述べたアクチュエーターのもう
一つの可動方向である水平方向の運動である。対物レンズのピット列に
対して左右方向の運動によって、内外両方向に外れたレーザースポット
をピット列に対して正確にトレースさせるのである。
 このフォーカスサーボにも当然基準となる検出信号が必要となり、主
なもので3ビーム方式とプッシュプル方式という二つの方式がある。
図3・4は3ビーム方式のトラッキング誤差信号の検出原理を示してい
る。一本のレーザービームを特殊ガラスの回折格子を通過させることに
よって二種類のビームを作る。最初のビームを主ビームとし、回折格子
で作った二つのビームを副ビームとする。A、B二つの副ビームは主ビ
ームを中心として等距離に配置される。これを図のように、ピット列に
対して主ビームがちょうど中心にあるとき、A、B二つの副ビームはわ
ずかにピット列にかかる程度にしておく。この場合、それぞれの副ビー
ムからは同じ量の光が検出されるため、その差をとると出力はゼロとな
る。もし、主ビームが(b)のようにずれると、AとBのビームはピッ
ト列へのかかり方が変わり、AとBの反射光量に差を生じて誤差信号と
なる。(c)のように逆方向にずれると、AとBの反射光量の差が逆転
して逆の誤差信号が検出されるという仕組みである。そして、この誤差
信号の差の電圧のプラスマイナスに応じて対物レンズを左右に移動させ
れば正確なトレースが可能となる。
また、一本のビームでサーボを可能としたのが図3・5で示したプッシ
ュプル法である。ピットによって回折・反射されて再び対物レンズに入
射してきた光の強度分布が、ピットとレーザースポットの相対的な位置
変化によって変化することを利用している。図3・6の中央の事例のよ
うに、ピットとビームがちょうど一致しているときには左右に等しい光
強度分布をしているが、この位置関係がずれると左右の強度分布が非対
称となりとなり、これをサーボ用の差信号として検出するのである。
 このように、針で接触しているLPであれば、それを正確にトレース
する手段も容易に推測出来るであろうが、「非接触」のCDではすべて
がディスクの反射光を応用してトレーシングアビリティーを高めている
のである。専門的な電子工学の複雑な回路を論じるのではなく、「非接
触」方式で正しくピット列をトレースしていく原理だけでも理解して頂
ければ何よりである。あまり複雑にしないでCDにおけるフォーカスサ
ーボとトラッキングサーボの原理を解説すると以上のような理屈になる。
ディスクとレンズに一定の距離を保ち、正確なトレースを実現しなけれ
ばならないという絶対条件を「非接触」という原理にのっとってどのよ
うに解決したか、この基礎知識をご記憶頂ければこれからの話しがます
ますおもしろくなってくるというものである。

第五部「サーボの貢献」

 さて、前述のようにCDはサーボシステムにがんじがらめにしばられ
ていると言っても過言ではなく、逆にサーボシステムなくしてCDの再
生は出来ないといって良いほど必要不可欠な存在なのである。
いかんせん大半のCDプレーヤーはディスクをローディングしてしまう
と回転しているディスクを観察することは出来ないので、サーボシステ
ムの貢献がどのようなものかを推し量ることは難しいことであると思う。
しかし、一部のトップローディング方式のトランスポートであれば、少
なくとも回転中のディスクの挙動を目にすることが出来る。
肉眼で見てもレーベル面の上下動や、ディスクの末端が周回ごとに偏芯
している様子は数秒の観察で確認されるものであり、ピックアップが外
周にさしかかったところでは偏芯周期に同期して運動しているのも見て
とれる。一体回転中のディスクには何が起こっているのだろうか。
ミクロン単位の話しをしても実感がわかないので、手元にある定規をな
がめてふと思い付いた。
「ディスクのピットが、この1ミリの大きさだったらどうだろうか。」
と、早速電卓で計算してみると大変なことがわかってきたのである。
まず、ピットの幅が0.5ミクロンとして、これを目に見える1ミリと
するためには2000倍という倍率にすればよい。ピットの幅が1ミリ、
ピットの長さは1.8ミリから0.3ミリステップで6.6ミリとする。
他のパラメーターも同様な倍率で掛け算してみると次のようになる。
ディスクの直径は何と240メートル、厚みは2.4メートル、信号記
録面はディスクの中心より半径50メートルから116メートルの間で
66メートルの区間ということになる。
毎秒1.2から1.4メートルの線速度一定でピット列をトレースする
ということは、毎秒2400メートルから2800メートルの距離をレ
ーザースポットが走るということになる。何と、その速度はマッハ7を
超えてしまうのだから凄まじい。これを74分の演奏時間で考えると総
走行距離は10,656キロメートルから12,432キロメートルと、
ざっと東京とロンドン間に等しい距離を走破してしまうことになる。
この幅1ミリ、長さは1.8ミリから6.6ミリのピットが螺旋状に整
然と配置されているのだが、ピット列のトラックピッチは3.2ミリと
いう間隔になり、このピットに狙いを定める対物レンズとディスクの間
隔は2メートルでレーザースポットの直径は2ミリ前後というスケール
になる。
 さて、ここで先程までのサーボシステムの話を思い出して頂きたい。
まず、この巨大なディスクに対してフォーカスサーボをかける場合の面
ブレを想像してみるとこうなる。対物レンズが2メートル先にわずか2
ミリの焦点を結ぼうとしているのに、ディスク面は上下に1メートルも
上下動してしまうのである。この上下動に完全に一致させて、対物レン
ズが毎秒8.33回から3.33回の周期で同様に振幅1メートルの上
下運動をすることになるのである。
実際には一ミクロンのレーザースポットを正確にディスク面に照射する
ために、これほど過激な制御駆動が行われているなど誰が想像しえたで
あろうか。
そして、ディスクの最大偏芯量が±70ミクロンということは、定規の
最小単位であるわずか1ミリのピットをマッハ7の超高速でトレースし
ていると想定した場合に、何と±0.14メートルもコースが外れている
ものを追随するのがトラッキングサーボの仕事ということになるのであ
る。ピーク・トゥ・ピークでは何と0.28メートルという偏差になる。
このように考えてみると、垂直方向のフォーカスサーボは焦点深度2ミ
リの適正範囲に対して500倍以上の修正をしていることになり、同じ
く水平方向のトラッキングサーボは幅1ミリのピットに直径2ミリのレ
ーザースポットを追随させるために280倍以上の誤差を修正してい
ることになるのである。両サーボの制御周期は等しく毎秒8.33回か
ら3.33回ということになり、縦軸横軸と二次元的に制御方向が設定
されている対物レンズは、このような運動を繰り返すうちに実際には三
次元的な動きを伴ったサーボシステムに拘束されながらトレーシングア
ビリティーを確保しているのである。
サーボ(Servo)という言葉の語源は〈奴隷〉という意味から発祥してお
り、ある制御信号に従って正確無比に仕事をする様からサーボ〈奴隷〉
の貢献と重要性をご理解頂ければ何よりである。
しかし、この素晴らしい働き手のサーボ〈奴隷〉はCDの黎明期では英
雄的存在であったのだが、時代の変化とともに今まで隠されていたサー
ボ〈奴隷〉の意外な側面が色々と見えてくるようになったのである。

第六部「バイブレーションフリー・リジッド・ディスククランピングシステム」

 16年前にCDが登場してしばらくの頃、「CDスタビライザー」な
る商品が数社から発売されていたことを覚えておられるだろうか。
CDとほぼ同型のブチルゴムや非磁性体金属をディスクに張り合わせる
ようにしてローディングするという単純なしかけであったが、確かにし
っとりと落ち着いた再生音に豹変し音質に変化が表れていたものである。
単純な実験としてディスクを二枚まとめてローディングしても同様な効
果が表れるので、皆様にもこの事実を簡単に試して頂くことが出来る。
当時の能書きを思い出してみても「ディスクの不要な振動を抑えること
によって音質の向上を・・・・。」としか説明がなされていなかったような
気がする。LPレコードにも同様なスタビライザーが種々発売されてい
たので、その能書きに対しても特に疑問を抱かなかったことを記憶して
いる。とにかく不思議だけど音が良くなったと喜んでいたのである。
LPは針でひっかかれながら音楽信号をピックアップしているので、ひ
っかかれた盤面が反作用で振動し、それが再びカートリッジの針に悪影
響を及ぼしていたという理屈なので比較的理解しやすかったのであろう。
しかし、「非接触」を大前提とするCDで、ディスクの振動を抑えるこ
とが音質に寄与するという理由付けを、当時は明確な答えを出さずして
私は商品を販売していたのである。
ところが、もう前章をご一読頂いた皆様ならば推測が付くと思われるが、
焦点深度2ミクロンを維持するために、その500倍以上の修正をフォ
ーカスサーボが行っているということからCDスタビライザーが持って
いる効用の技術的な説明が出来るのではないだろうか。
ディスク自体が引き起こす面ブレがCDスタビライザーの使用によって
目指す精度2ミクロンに対しての補正量である500倍という数値より
も下回り、フォーカスサーボの使用量を軽減するのであれば音質にメリ
ットをもたらしたと推し量ることが出来るのである。
これは今現在も究明中の課題であり明確な回答はまだ出せない状況なの
だが、前章で述べたようなピックアップの各種サーボシステムに関して
その使用量が増大することのデメリットが問題視されているのである。
対物レンズを一種の電磁モーターを使用して微細な運動をさせるのがサ
ーボの本質と考えれば、対物レンズが動く振幅が大きくなればなるほど
サーボの使用量が大きくなったと言い換えることが出来る。
このサーボの使用量が大きくなると一体どんなことが起こるのだろうか。
考えてみるといくつものクェッションが思い浮かんでくるのである。
 まず、アクチュエーターは電磁モーターであるので、そのコイル部分
に電流を流せば当然ながら磁界を発生させ、この磁界はサーボの目的を
達する役目の他にも色々な影響を周辺のパーツに与えるものと思われる。
また、ほとんどのメーカーのCDプレーヤーでは、このサーボ回路を駆
動するのに使用している電源電圧が5ボルト、肝心なレンズを駆動する
アクチュエーターに供給されているのも12ボルト前後と意外に低いこ
ともあり、サーボ量の増大が電源電流の乱れに一役買っている可能性も
大きいのである。
そして、おそらくは1グラム以下と思われる対物レンズであるが、質量
が存在しているのは事実であり、これを高速で動かせば当然慣性の影響
を受けることになるであろう。ということは、大きな振幅で動かせば動
かすだけ、より大きなサーボ電流を流し込まないとトラッキングエラー
を起こしかねないということである。
これらサーボ電流の乱れがノイズ成分を形成してしまい、システム内部
のいたる所に悪影響を及ぼす。その象徴的なものがジッターと呼ばれる
デジタル信号の時間軸に対するズレと揺らぎであり、結果的にはアナロ
グ系にも影響を与えてしまうのである。
ただ、ここで誤解を招かないようにお断りしておくが、サーボシステム
が諸悪の根源というものではない。前章でも述べているとおり、要求さ
れる精度がディスク側にない以上、CDが「非接触」で再生出来るのは
サーボあってのことであり、要はその使い方というテクニックに関わっ
てくるものなのである。現時点でいえることはCDが「非接触」方式で
ある以上サーボは必ず必要なものであり、そのサーボの使用量を低減す
ればするほど音質向上に対する貢献度が高まるということである。
 さて、そこで前述のCDスタビライザーを参考として機械的な回転精
度を高め、サーボの使用量をいかに低減するかという点について着想し、
商品化されたものを考えてみることにした。
まず、垂直方向のフォーカスサーボの負担を軽くしようとする試みで、
近年話題となったのがソニーが発売したCDP−R10であろう。
ディスクを逆さまにしてレーベル面を下にターンテーブルにディスクを
乗せ、ローディング時にはチャッキング・クランパーがディスク中心部
を加圧して固定し、ディスクの面ブレを解消しようとしたものである。
加えて、微小運動を繰り返すアクチュエーターとピックアップこそ大き
な質量でリジッドに固定されるべきであるという発想から、回転するデ
ィスクを等速度移動させピックアップを固定してしまった逆転の発想は
大きな評価を得たものである。
これはちょうどセイコーエプソンから発売された寺垣武氏の設計による
アナログプレーヤーΣ5000の発想に、レコードの圧着によるソリの
解消とピックアップ側の質量増加という点で大変近いものがある。
しかし、前章で述べたサーボの問題点を駆逐すべく、10年前にターン
テーブル方式によるトランスポートを開発していたメーカーがあった。
エソテリックのブランドによるP−1を開発したティアックである。
このP−1の心臓部と言えるのが、V・R・D・S(バイブレーションフリー・
リジッド・ディスク・クランピングシステム)であり、以降アルミダイ
キャストを亜鉛ダイキャストに変更し、更には真鍮とアルミの二重構造
に、そしてターンテーブルを保持する軸受けブリッジ部を強化するなど
現在のP−2sにいたるバージョンアップがなされてきた。
これらの改良でフォーカスサーボのサーボ電流を従来の1000分の1
約60デシベルまで減衰させることに成功したのである。
このP−2sのチャッキング機構をオン・オフと解除するシステムは原
理上設定されていないので、V・R・D・Sの効果を同プレーヤーで比較
実験することは出来ないが、米国のワディアやマッキントッシュ、スイ
スのアンサンブルなど数社のハイエンド・メーカーに採用されているこ
とでも、この優秀なメカニズムの高い評価が伺い知れるところであろう。
エソテリックは既に10年前にサーボシステムとメカニズムの各々が果
たすべき仕事の境界を見定め、サーボに頼りきっていたCDの再生シス
テムに問題提起という一石を投じながら更なる音質向上の可能性に光明
をもたらしていたのである。
現状でフォーカスサーボを極力低減する手段としては、この方式が最も
有効でありCDの垂直方向への偏差に対しては一応の解決を見たという
認識で良いと思われる。
 しかし、水平方向のトラッキングサーボに関してはどうだろうか。
前章でも述べているように、フォーカスサーボよりも水平方向のトラッ
キングサーボの方が三倍以上と補正量が多く、偏芯誤差もディスクによ
ってまちまちであり、ひたすらサーボメカニズムに頼るしかないという
のが現状であった。この未開の地に収穫を求めるという難事業に挑む技
術者はなかなか現れず、世界中のどのメーカーも手を付けられない分野
であったのだ。
 このトラッキングサーボの宿命に果敢に挑戦し、世界で初めて水平方
向のサーボからCDを開放したのがエソテリックのP−0なのである。
後述の通り、専門誌に詳細な記事が掲載されているので、今後の解説を
円滑に理解して頂くために結果を先に申し上げれば次のようになる。
「P−0は世界で初めてトラッキングサーボに依存せずにジャストポイ
 ントでピットを読み取ることに成功したトランスポートなのである。」
これまで述べてきたように、問題となっているディスクの偏芯に対して
ピックアップ全体をディスクの偏芯に完全に同期して動かすことによっ
て解消し、水平方向に最低でも140倍の補正量を対物レンズの運動
によって修正してきたレンズの動きが、CDが誕生して以来初めてピタ
リと静止した再生音を聴くことが出来るようになったのである。
(この時点ではまだ発売されていないが、ステレオサウンド誌の 12
5の412ページから422ページにP−0の詳細な紹介記事が掲載さ
れた。今後の解説では、この内容から写真など参照を要するものを引用
させて頂くことがある。また、この記事を抜粋した印刷物もあるので希
望される方には送付も可能である。内容が充実しているので基本的には
書店での同誌の購入をお勧めするが、ページの抜粋について送付を希望
されるの方は私までご連絡を頂きたい。そして、今後はこの記事の解説
と重複する説明を私が極力避けていることを一言申し上げておきたい。)

 第二章へ

 目次へ

  Heariing Line Up へ