第四十一話「最終幕のプロローグ」




   第一章『一本の電話』

 1997年3月21日、半期の仮決算を終えてホッとしているのもつかの間で慌ただ
しい一日が始まった。数えたことはないが、私が一日に受発信する電話の本数は大変な
数にのぼる。悲喜交々の出来事が電話を通して行われるわけだが、この電話を使って私
に良からぬ情報を吹き込む事を得意としている御人がおられる。この随筆を読まれた方
から唐突にその人のお名前が飛び出すこともあり、それほど度々登場するものだから隠
れた有名人になってしまわれたようである。御推察の通り、ステラヴォックス・ジャパ
ン株式会社の代表取締役社長であられる西川英章氏がその人である。同社を設立されて
はや9年となるが、あの重たいゴールドムンドをかついで地道なセールス活動を続けら
れてきた成果は、現在の業務レベルと実績から容易に推し量ることが出来るであろう。
その西川氏から危うい誘いの手が伸びてきたのである。「昨日入ったばかりのスピーカ
ーがあるんだが、これはぜひ川又さんに聴いてもらいたい。どうでしょう、お忙しいと
は思いますが、ここはひとつ当社までお越し頂けないだろうか。」昨日入ったばかりと
いうと、雑誌の取材はおろか評論家の誰もが聴いていないということである。正直に言
って、私はこの手の誘いには大変に弱いのである。何でも初物が好きなのである。輸入
元以外の外部の人間で初めてご相伴に預かれるという興奮。その品物を、日本中の販売
店の中で最初に販売するという快感。過去を振り返って見ると、見事にこの図式で嵌め
られてしまったことが何と多かったことか。その仕掛け人となった回数は何と言っても
西川社長が最高であろう。その証拠に「エッ、一体なんですか、そのスピーカーは。」
と、早くも私の好奇心は一連の質問となって私の口からほとばしり始めているではない
か。「実は、昨年レバションが言っていたゴールドムンドのエピローグが遂に来たんで
すよ。ラスベガスでは展示だけで音は出していなかったんですが、量産モデルの第一号
を日本に送って来たんですよ。これが、もう凄いのなんのって・・・。モー、イインで
すよ。」まるで料理の鉄人の店でフルコースを食してきた後の自慢話しのようで、電話
では伝えようのない美味を溜息混じりに語るのである。他からも電話が相次ぐ中で、何
と罪作りな話しを持ち出すことか。お客様の電話を待たせてはいけないと一旦は電話を
切ったものの、早くも私の頭の中は「エピローグ1」のことで一杯になってしまった。
私は「またしても・・・。」と心中で節操のない自分を呪い、舌打ちしながらも暗記し
ているステラヴォックスのナンバーを叩いて、気がついたときにはもう言葉が口から出
てしまっていた。「来週伺います!」

   第2章『ゴールドムンドの十字架』

3月25日私が板橋区常盤台の住宅地にあるステラヴックスジャパンに到着する頃には
、桜の開花を間近に控えた弥生の宵が穏やかな夕闇を辺りに敷き詰めていた。お茶のも
てなしを受けながら西川社長としばしの雑談を交わしてから、早速隣接する試聴室にお
通し頂く。「あぁ、これですか。」と、私は「エピローグ1」に対する初対面の挨拶も
そこそこに手を伸ばした。横幅23cm、高さ36cm、奥行き4242cm、という
コンパクトなボディーの「エピローグ1」が高さ84cmのシンプルな一本足のスタン
ドに乗せられているではないか。同じ小型スピーカーでも、「リンフィールド」や「A
E」の数十キロはあろうかというスタンドと比べると、この幅5cm、奥行き7cm、
長さが78cmのスチールの角柱で構成されるスタンドの柱部分は一見華奢に見えてし
まう。「ずいぶんとシンプルなスタンドだねぇ。」と言外の意味をこめて言うと、西川
社長は社員を呼び集めて四人がかりで「エピローグ1」を横に寝かし始めるではないか
。「ずいぶんと慎重ですねぇ、そんなに重たいんですか。」「いやいや、傷をつけたく
ないんでね。」と西川社長。思わず手を貸して「エピローグ1」を受け止めて私は驚い
た。前述のコンパクトなボディーにしては何と重たいことか。このサイズで「エピロー
グ1」の本体重量は何と42kg、スタンドも12kgの重量があるという。「このス
タンドはまだプロトタイプなんですよ。最終的には柱の部分をメタクリレートに素材変
更して四角柱から楕円形の断面を持つ棒状のデザインに変更する予定なんです。」ちょ
っと待って下さいよ、いわゆるアクリルであるメタクリレートの棒の上に42kgもあ
る「エピローグ1」を乗せてしまうんですか。気がつくと私は、この疑問を「エーッ!
」の一言で表現していた。すると、それを察した西川社長は笑みを浮かべて一言で答え
る。「実は・・・。」と言いながら「エピローグ1」からスタンドを引き抜いて行くで
はないか。この「引き抜いていく」という表現は不適切かも知れないが、「エピローグ
1」の底面からスタンドの先端が引き離されたかと思うと、なんとそこには直径3cm
はあろうかという一本足のスパイクが表れたのである。このスパイクは先端が円錐上に
鋭くなっており、長さが84cm重さが4kgもあるのだ。これがスタンドの柱部分を
貫通して「エピローグ1」の全荷重を床に1ポイントで接地させていたのである。柱部
分を垂直に支えているのは、「エピローグ1」よりも一回り大きな面積を持つ厚さ8ミ
リのスチールボードで、床面に接する4コーナーには独立した小さなスパイクが取り付
けられている。従って、スタンドそのものが「エピローグ1」の重量を受け止めていな
いということが一目瞭然であり、メカニカル・グランディングの思想が単純明快な形状
で実現されているということになる。「いやぁ、まいったな。単純だけど凄いアイデア
ですね。」「ついでだから中も見てみましょうか。」と西川社長のご提案に甘える。「
エピローグ1」のリアパネルにはゴールドムンドのリニアル・スピーカーケーブルを直
結させるHFコネクターと、バナナプラグに対応した一般的なバイワイヤリング・ター
ミナルが装備されている。「パキッ!」と音がするのは、リアパネルの周辺を何個所に
もわたって強固に固定しているボルトを6角レンチでグイッとゆるめた時に出る機械音
である。やっとはずし終わるのに結構な時間がかかってしまった。数えて見ると、コン
パクトなくせにリアパネルを固定していたボルトは何と14本もあるではないか。つい
でにボトムプレートを見ると大小17本のボルトが見える。ここにも何か秘密がありそ
うである。皆さんがフゥーッとため息をついて、リアパネルのターミナルをつかんで持
ち上げようとする。しかし、「ウーンッ、ウーンッ。」と唸り声をあげれど一向に持ち
上がらない。「だめだめ、精度が凄く出ているから平行に持ち上げないとだめだよ。」
と西川社長が乗り出してきた。やっとのことでリアパネルを持ち上げると、なるほど凄
い工作精度である。紙一枚差し込むのも困難なほど、各サイドパネルとのすき間は無い
に等しい。しかも、開けて見てわかるのは両サイドとトップ・ボトムの各パネルの大変
厚いことである。リアとボトムパネルはミメーシス29のボトムプレートと同じ真鍮製
で、トップと両サイドパネルはアルミである。このどれもが10ミリという厚みがある
のだから驚いてしまう。このリアパネルの裏には、信じられないような構造のネットワ
ークが表れた。17・5cm×35cm、高さが5cmのステンレス板で囲まれた槽に
たっぷりとグレーのシリコン樹脂が流し込まれており、うっすらとコイルの端がのぞい
ているではないか。振動対策はもとより、ネットワーク素子の熱による特性変化も万全
の対策がなされているのである。持っているのが辛くなりそうな重量だが、このスキに
と「エピローグ1」の内部構造を見ることにした。



エピローグ1のブレーシング構造

ブレーシングの過程

発展性を考慮したブレーシング設計

エピローグ1の完成された外観

 「アァッ。」と私は一瞬言葉を失ってしまった。間口が23cm×36cmの空間を 覗き込んだときの衝撃は尋常ではない。驚きというよりも、むしろ呆れてしまうという 表現の方が適切である。10ミリという分厚い金属パネルに囲まれた「エピローグ1」 の内部には、ステンレスの光沢を放つ十字架がクロスの交点をずらしてふた組も組み込 まれているではないか。十字架の縦棒は横幅が50ミリ、厚みが20ミリもある金属の 角材で、トップパネルに接する側にはごっついターンバックルが組み込まれているでは ないか。寸法通りにカットした角材を組み入れただけではなく、ネジを切った太いシャ フトを囲むように取り付けられたターンバックルを回転させて縦方向につっぱるように して応力を与えているのである。見ると直径20ミリの丸棒である十字架の横棒もネジ を切ったシャフトをくわえ込んでおり、それ自体に空けられた穴に棒を差し込んで回転 させる要領のターンバックル構造となっているのである。この横棒は縦棒を境にして左 右独立の部品となっており、両サイドパネルに対して同様なつっぱり応力を与えている のである。よくよく観察すると、奥の方に組み込まれた十字架の足元、ボトムプレート に接する位置は・・・、「アッ!」とそこで気がついた。3cmの太く長い一本足のス パイクとの結合が、この十字架の縦棒との連結によって「エピローグ1」を支持してい たのである。しかも、この一本足スパイクと連結された十字架からウーファーユニット の背面に向けて防振材が混入された太いスプリングが橋渡しされており、ウーファー自 身もメカニカル・グランディングのループに折り込まれるという巧妙な制振構造を完成 させているのである。前述のボトムプレートにある17本ものボルトの秘密がここにあ ったということか。厚みが10ミリもある各パネルで構成するエンクロージャーだけで は飽きたらずに、車の部品ではないかと見間違うばかりの十字架でメカニカル・グラン ディングを徹底させるとはさすがにゴールドムンドである。そして、「エピローグ1」 はバスレフ型エンクロージャーであった。ボトムプレートには直径6 のポート開口部 があるのだ。このバスレフ・ポートで意外なのは、ダクトの素材が発泡スチロールであ ることだ。確かに見た目には安っぽいのだが、私には大変よく理解される素材選択であ る。真鍮とアルミという異種金属の強固なエンクロージャーに対して、一般手な紙巻き ダクトや塩ビ、プラスチックやアクリルなどのダクトを取り付けてしまったならば、い かにダンプしたにせよ中高域にかけての不要共振が発生してしまうことだろう。つまり 、ダクトを固定する基底部が金属であるがゆえに、ダクト自身の共振点も高域へと移行 して耳ざわりになってくるはずである。それを指で触っても容易に曲がってしまう柔軟 性のある発泡スチロールであれば、共振点はむしろ低域側に移動してしまうのではない かと私は推測したのである。ゴールドムンドのアンプ作りのポイントとして、トランス のように振動を自ら発生するようなパーツに対しては、直接的にスパイクという手段で メカニカル・グランディングを施しているのは知られるところである。しかし、内部の 基板やパワーデバイスのように、自らは振動を起こさず外来の振動から防備したいパー ツにはテフロンやゴムといった弾性素材を使ってフローティング構造としていることは あまり知られていない。つまり、ゴールドムンドの思想は「剛」とひと文字で終わるの ではなく、要所では「柔」の素材採用によってバランスを完成させているのである。こ れまでにゴールドムンドの思想をミッシェル・レバション社長ご本人から直接うかがい 、歴代のミメーシス・シリーズをつぶさに分析してきた教訓から、大変自然に「エピロ ーグ1」の内部構造を理解することが出来たのである。    第三章『ロレックスとパテックフィリップ』 この「エピローグ1」の予定価格はスタンド付きで268万円である。このプライスを 見て、皆さんが受ける印象は様々なものがあると思う。幅23cm高さ36cmの小型 スピーカーに付けられたプライスとしては、さすがに私も過去に記憶がないほどである 。「キロいくら。」という物量観念でオーディオ製品を見てきた傾向のある日本的な価 値判断では、思わずため息が出てしまう方も多いのではないかと思われる。簡単に言え ば大きく重たいほど高いという見方である。さて、私は滅多に評論家先生の言葉を自分 の解説話法に引用することは無いのだが、ハイエンドオーディオの価値感に関して傅信 幸氏は巧妙で親しみやすい表現でハイエンドオーディオを定義付けられておられる。記 憶するに値する文章であるので、この機会に紹介しておきたい。「ハイエンドオーディ オ機器は確かに高価である。しかし、金ムクのパネルだから、ダイヤがボリュームに埋 め込まれているから、高価なのではない。そんなのはまやかしだ。」「ハイエンドオー ディオは、開発者が自分に忠実で嘘がつけなくて、妥協するということをあまり知らず 、了見の狭いせいもあって没頭し、ただし一種の鋭い感は働いている。その結果生まれ てきたために高価になってしまうのである。しかし、そうやって誕生した製品は、わか るユーザーを大変納得させる。ハイエンドオーディオの存在価値はそこにあるのだ。」 「ユーザーは音楽とオーディオに情熱を注ぐ人である。そういうあなたと同じ思いをし ている人たちの作った作品は、あなたの五感からさらに第六感まで刺激するに違いない 。それをハイエンドオーディオと呼ぶ。」これまで多くのハイエンド・メーカーの社長 たちにお会いしてきた経験から、この傅信幸氏の表現は的確に私の言わんとしているこ とを語るものであり、プライスによってハイエンドであるかどうかを決めようとする価 値観に対しては絶妙なアドバイスとなるものである。さて、プロトタイプでさえ、スタ ンドを含めて58kgと小さくて重い「エピローグ1」に対して一体どの様な秘密が隠 されているのだろうか。時系列は半年ほどさかのぼって1996年11月27日私は西 川社長を初めとして、ゴールドムンドの社長ミッシェル・レバション氏と同社副社長の ベッティーナ・セガーラ(Bettina Segala)嬢を伴って栃木市にお住ま いのVIPのご自宅へ特別あつらえのミメーシス20・22を納品にうかがった際の事 である。もちろん海外メーカーの社長自らがエンドユーザーのお宅に納品に出向くとい う事態からも、世界的にも類を見ない豪華なシステムであることは推測の範囲内であろ うと思われる。セッティングの最中に、オーディオのレベルにふさわしい調度品を眺め ていたベッティーナ嬢が突然フランス語で話し始めたことが大変強く私の印象に残った 。概略の意味はこうである。「世界的にも有名なスイスの高級時計メーカーであるロレ ックスやパテックフィリップ(Patek Philippe)が使っている工場にゴ ールドムンドはアンプパネルの仕上げを依頼しています。伝統を重んじる職人気質のそ の会社は他のメーカーの仕事を受けることはなく、ロレックスとパテックフィリップス 以外では、世界中で唯一ゴールドムンドの仕事だけを引き受けてくれています。」私は 、「へぇ、凄いなぁ。それは大切なセールスポイントになるのに、何で今まで黙ってい たんだろうか。」と西川社長に問い詰めると、「いやぁ、まいったな。ゴールドムンド を初めて九年もたつというのに、私もたった今はじめて聞きましたよ。」と、したり顔 である。作業に追われるかたわらでの話しだったので、その場の話題はそこまでで終わ ってしまうのだが、私の記憶にはしっかりと焼き付いている。自分で販売しているオー ディオ製品が何百万円しようと、あるいは一千万円を超えようとも驚かない私が、数百 万円の時計を見るとどうしても「高いなぁ、凄いなぁ。」と思えてしまい大きな価値観 のギャップを感じてしまう。つまり、「無知こそが価値観の大敵」ということになろう か。しかし、これだけ精巧な工芸加工技術を微小な時計に注いでいる老舗がゴールドム ンドのパネルを仕上げていたとは驚きである。アルミの質感を損なわず非常に繊細なヘ アライン仕上げを施し、きらびやかに品のない煌めきを発することもなく、かといって 量産主義のありきたりで地味な仕上げで高級感を損なうでもなく、光軸の変化によって 微妙に色彩感を変化させる気品ある仕上げは、まさにスイスメードの格調を無言のうち に誇らしめるものである。歴代のミメーシスシリーズに対する価値観を見直すと共に、 新時代のゴールドムンドを象徴するミメーシス20・22・29と、デザインは変わっ ても他社に真似のできない優美な仕上げを継承していくことに大きな拍手を送るもので ある。そして、何よりも「エピローグ1」は、この仕上げそのままのパネルで両サイド とトップパネルを構成しているのである。このこだわりで完成された「エピローグ1」 のパネル加工料はいくらかかっているかなどと、無粋な詮索はしない方が賢明ではない だろうか。むしろ、時計のハイエンド・ブランドが専門に仕事を依頼するというスイス の某社に対して、唯一の外注仕事を認めさせてきたレバション氏の外交手腕を高く評価 するべきであろう。  さて、ここまで原稿を書き進めていたある日、スイス/ジェノヴァにあるゴールドム ンドからファックスが届いた。「エピローグ1」から始まって、今後システムアップし ていく過程を段階的に示しているものである。それに私が手を加えたのが図1であ る。まず図1にご注目頂きたい。この図1のスタンド部分でご理解頂けるように「エピ ローグ1」とスタンドは完全にアイソレートされており、この長いスパイクの様子を見 れば、スタンドを「引き抜いていく」という表現の意味合いがご理解頂けるのではない かと思う。このスパイクが「エピローグ1」に接している個所の内部にごっつい十字架 が組み込まれているのである。各部の詳細は図1中にもコメントしているので、じっく りとご参照頂きたい。そして、問題なのは図2の方である。「エピローグ1」単体では 史上最高価格の小型スピーカーであると言えるのであるが、実は「エピローグ」の真骨 頂はこのシステムアップの構想を前提とした開発であったということである。図2にあ るように、低域のユニットが各々「エピローグ2」「エピローグ3」と呼ばれるウーフ ァーシステムを構成しているのである。これらに搭載されるウーファーユニットは、す べて20cm口径で同一のものが装備されているのだが、表面上からはわからない秘密 が隠されている。レバション氏から聞いたところでは、30cm口径あるいは38cm 口径という大型のウーファーではスピードが遅くなってしまい、信号に対する追随性が 劣るということであった。そこで、20cm口径のウーファーを複数使用して振動面積 を維持し、かつ反応速度に遅滞を発生しないようにとの配慮である。この20cmウー ファーとまったく同一のものが内部にもう一つ組み込まれておりパラレル駆動されると いうの である。この二つのユニット間と内部ユニットの後方ににどの程度の キャビテ ィーを設けているのか細かな点はまだ不明であるが、内部ユニットのキャビティーには ダクトを設けてエアーは抜くという方針らしい。前後でダブルウーファーを駆動すると いう点では「アイソバリック方式」と言えるが、内部ユニットの背圧を抜くという点で はエグレストンワークスのアンドラと酷似する手法であると言える。さて、ここで図2 をご覧になって気がつかれる点があると思う。ここからはほとんどが私の分析と推測と いうことになるので、将来「エピローグ」が完成した場合に相違点が合ったとしてもご 容赦頂きたい。観察力の鋭い方はお気付きかも知れないが。そうです、図1には無かっ たものが「エピローグ1」のリアパネル後部に追加されているのである。前章でも重厚 なネットワークの有様を解説しているが、「エピローグ2」「エピローグ3」を追加す るにあたっては、「エピローグ1」の低域特性を調整しなおす必要性が発生する。せっ かくハイスピードなウーファーセクションを追加したのだから、「エピローグ1」のウ ーファーの負担を軽減させ、かつミッドレンジのハイスピード化を図るためにもネット ワークの3ウェイ化が必要になるのである。図2に示される「エピローグ1」後部の物 体はシステムアップに伴うネットワークボックスの追加ではないかと考えている。しか し、新たなネットワークを「エピローグ1」の背中に貼付るという愚策をゴールドムン ドが犯すはずはないので、恐らくは「エピローグ1」のリアパネルを3ウェイ用にそっ くり入れ替えてしまうのではないかと思う。そして、このシステムアップの過程を想像 すると、まったく呆れてしまうような事態を真っ先に思い浮かべることが出来る。これ ほどコンパクトな「エピローグ1」本体の重量でさえ42kgあるというのに、一体「 エピローグ2」と「エピローグ3」は何キロあるのだろうか。そして、「フルシステム ・エピローグ」はどうなるのだろうか。図中の左から三つめまで高さは同じ1・2mと なっているが、側面から見た場合のボリューム感はご覧の通りである。近い将来に答え るだろうと思い、クイズではないが各ウーファーセクションと各システムの重量を推測 するとこうだ。「エピローグ2」80kg、のシステム全体ではおよそ130kg。「 エピローグ3」120kg、のシステム全体ではおよそ170kg。「フルシステム・ エピローグ」では総重量で400kgに及ぶのではないかと推測している。さて、次に 気にかかるのが価格である。これも私の個人的な推測であるが、「エピローグ1」プラ ス「エピローグ2」のシステムで約800万円、「エピローグ1」プラス「エピローグ 3」で1200から1300万円、「フルシステム・エピローグ」では2000万円前 後というプライスになるはずである。私は数々のハイエンドオーディオを目にし耳にす る度に、各々の価格の裏付けを製作者に求めるという行為は差し控えるように心がけて いる。それは、設計者が売らんがためのコスト意識に支配されてしまうと、本当の意味 でのハイエンド製品が誕生しないのではないかという配慮からである。私はハイエンド たる製品の設計者に次のような答えを求める。「この作品にコスト的な制約があったか 。」「製作に時間的期限があったか。」「デザイン的意匠に妥協はあったか。」「使用 パーツに限定があったか。」そして、「設計全般でやり残したことはないか。」これら すべてに自信を持って「NO!」と答える設計者が生み出した作品に付けられた価格を 私は認め、設計者に代わって価値観を解説する労を決して惜しまないと断言するもので ある。そこに、ハイエンドオーディオのロマンがあり、作品を提供する側と使用する側 の双方に夢と幸福感を提供出来ることが私の生き甲斐でもある。人様が何と言おうと、 ユーザー個々の価値観が満足を生み出すのである。傅信幸氏の言葉を借りれば、ユーザ ー側のハイエンド志向も次のように言い替えることが出来る。  「使用者も自分に忠実で嘘がつけなくて、妥協するということをあまり知らず、了見 の狭いせいもあって音楽に没頭し、ただ選択眼には一種の鋭い感が働いている。その結 果、選択したものが高価になってしまう。」「設計者は音楽とオーディオに情熱を注ぐ 人である。そういうあなたと同じ思いをしている人たちが作った作品は、価格の壁を乗 り越えてあなたの五感からさらに第六感までを刺激するに違いない。それをハイエンド オーディオファイル(ユーザー)と呼ぶ。」    第四章『エピローグ1の音』 さて、時系列を第二章の段階まで戻して、いよいよ試聴を開始した。ステラヴォックス ジャパンの試聴室は約二十畳程度の広さで、特に大掛かりな音響設計がなされていると いうことはない。左右の「エピローグ1」の距離は約2m程度で完全な平行状態でセッ ティングされており、スピーカーとの距離は約2・5m程度である。使用機材はアップ ・トゥ・デートされたミメーシス36プラス、D/Aコンバーターはミメーシス10C プラス、プリアンプはミメーシス2プラス、そしてパワーアンプはミメーシス9・4と いう布陣である。私は事前に電話で聞いた「エピローグ1」の内容からすると、正直に 言って低域の再生能力にはおのずと限界があるものと予想をしており、まず低域の限界 を聴いておこうと考えた選曲でソフトを持参していた。私の試聴記では度々登場する、 イーグルスの「ホテル・カルフォルニア」の導入部で繰り返されるキックドラムを最初 にかけてみた。「ウーンッ、確かに重低音は難しいが、パワーを入れても輪郭は維持さ れているなァ。アーッ、この辺が限界か。」とパワーをしぼり始める。しかし、この時 の音量は6畳から10畳程度の部屋で聴いた場合は相当な音量感になるはずである。低 域の重みという部分では確かに限界が感じられるのだが、音量に対する輪郭の保存性は たいしたものである。そして、コンガを主体としたパーカッションの立上りとエコーの 引き方、重複するギターの解像度の鮮明さと正確な余韻表現、この二項目に関しては衝 撃的な美しさを見せつけるのである。ウィルソンのWATT5(システム5の上だけ) を、同様な試聴位置とシステムで鳴らした場合の音質がすぐ頭に浮かんできた。両者共 に同口径といって差し支えない2ウェイシステムであるが、この「エピローグ1」のよ うな鳴り方はしないであろう。異種金属の塊といったエンクロージャー構造を持つ「エ ピローグ1」の方が、金属的な「キ|ンッ。」というような響きを残すのではないかと 誰もが想像するであろうが、結果的には逆なのである。「エピローグ1」の高域表現に は、刺激成分のほんのひとかけらすらも見出すことは出来ないであろう。金属の箱とい う構造からは信じられないくらいにスムースな高域と、最後のひとしずくまで微細な余 韻が発散されるのである。私としても意外な第一印象を西川社長に悟られまいと、微笑 みを噛み殺して冷静にソフトを交換していた。次は、この一年あまり私の試聴では欠か すことの出来ないソフトとなったダイアナ・クラールの「オール・フォー・ユー」(M CA VICTOR MVC−1)の四曲目「フリム・フラム・ソース」をかけてみた のである。前章で述べているように、昨年ゴールドムンド社長のレバション氏と行動を ともにし、ノーチラスを当フロアーで試聴して頂いた事実がある。この時すでに「エピ ローグ1」の構想を打ち明けられていたのだが、彼らの目指す音のベクトルはノーチラ スに非常に近いものがあるとレバション氏から聞かされていた。この曲が始まってしば らくすると、その意味するところが実際の再生音として眼前に展開し始めたのである。 イントロのピアノから、ダイアナのヴォーカルから、そしてギターのピッキングから、 当時のレバション氏が語られた「エピローグ1」の音のベクトルが明確な方向性として 私の目の前でゴールドムンドのビジョンを展開しはじめたのである。言葉で表現するの は難しいのだが、まったくの白紙に鉛筆で描かれた風景のデッサンがあったと仮定しよ う。そのデッサンを霧の中で目を凝らして何とか見つめているという状態をイメージし て頂きたい。従来の体験では、時おり霧が途切れたつかの間に何が描かれているかを輪 郭のパターンから想像していただけかも知れない。しかし、この時の私の驚きはそれを 上回った。ゴールドムンドの涼風が霧を流し去り、視界に極めて高い透明感を発生させ デッサンの全景を鮮明に眺めることが出来るようになったのである。しかも、一つ一つ の楽音を表すかのような鉛筆の線に対して、分析力を伴うズーム効果を発揮させるので ある。今まで鉛筆の芯の太さと同じ単なる線であったものを拡大すると、その線の輪郭 と紙の白さとの境界でグレーから白に変化していくグラデーションが観察されるのであ る。肉眼ではただの線でも、それを拡大していくと一本の線の輪郭に微妙なヴァイブレ ーションがあることが発見されるのである。その鮮度の高いヴォーカルの襞(ひだ)が 私の聴覚を心地良く刺激する快感は、まさにノーチラス以来の感覚であり、ハイエンド ・オーディオが宿命として背負わされた能力の到達点を示すものである。ここで注釈を 加えなければならないことは、目標とするレベルの高みは同じであってもアプローチの 仕方は各社様々であり、その手段によって各社のアイデンティティーが発揮される分野 だけに、私はノーチラスの表現力に酷似しているとか同様であるという言い回しで、B &Wを下地とした表現でゴールドムンドの成果を評価したくないということである。そ こには、明らかにゴールドムンドの哲学が存在しているのである。つまり、以前にも私 が解説してきたオーディオにおけるハイスピードの意味が、源信号の正確な波形伝送に あるということを「エピローグ1」は明確に聴かせてくれるのである。さて、低域への 情報拡大を期待していなかったこともあり、当日持参したソフトはヴォーカルものが多 かった。そこで、次はホリー・コールの「ドント・スモーク・イン・ベッド」(東芝E MI TOCP−7734)の一曲目「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」をか けてみた。導入部のウッドベースは重量感よりもピッキングの鋭さを鮮明に表現してイ ヤミがなく、ホリー・コールのヴォーカルも同様な鮮明さが感じられる。とにかく、ヴ ォーカルものにはとてもフィットする見事なエコー感を発揮するという性質を「エピロ ーグ1」は備えている。ここで、一つの試みをステラヴォックスジャパンの担当者にお 願いした。いままで、完全な平行状態で聴いてきたのでが、今度は「エピローグ1」が 完全に私に正面を向くようにオフセット角をつけてもらった。簡単に言えば、私に対し て「エピローグ1」が正面を向くように左右のスピーカーを内側に向けてもらったので ある。「まぁ、なんと正直者であることか。」と変化を瞬時に悟って、あまりにも予想 通りの変化に内心で微笑んでしまった。ウッドベースは前方へ張出し、ヴォーカルとの 距離感もグッと接近してきたのである。ニア・フィールドのモニターとして音像部分だ けを聴こうとする場合には良いかも知れないが、失われてしまったものもある。センタ ーに定位するヴォーカルは前後左右の空間に向けてふんだんにリヴァーブを振り撒いて いるのだが、このエコー感の広がる空間領域に変化が起こる。まったくの平行なセッテ ィングでは左右スピーカーの更に両翼、音源位置の外側にまでも拡散していたリヴァー ブの残響感がぐっと内向的に左右スピーカーの範囲内に集約されてくるのである。「こ れはこれで悪くないが、やはり音場感は自由奔放に展開して欲しいなぁ。」と自分の希 望するステージ感とのギャップを感じながら、「ゴールドムンドではどのくらいのオフ セットアングルを推奨しているんですか。」と返事に時間がかかることを予想して西川 社長に質問した。しばらくの沈黙の後に、「まったくの平行から、ほんの少し内側に振 った感じですね。でも、今の状態のようにスピーカーの正面をリスナーに向けるという ことは推奨しないようですよ。」なるほど、とお話を伺った後で再び平行状態で聴きな おし、微妙に段階を作りながらオフセットを取り戻していく。「ウ−ン、この辺かな。 」私は左右への音場展開とヴォーカルの音像の収束具合をはかりにかけながらセッティ ングを変化させていった。前述の距離関係において、おおよそ15度程度の内ぶり加減 であろうか。しかし、このようなセッティングによる変化の追随ぶりから推測すると、 ウェイながら位相特性が大変優れているということが感じられる。フルシステムの「エ ピローグ」に発展した際にミッドハイレンジを担当することになる「エピローグ1」の 基本条件として、さすがにゴールドムンドの緻密な計算が初期段階から実現されている ものだと感心した。そして、次は私の定番である大貫妙子のヴォーカルを数曲続けて聴 く。イントロでクラリネットのソロが入ってくるが、タンギングの明瞭さは抜群の正確 さで描かれ、ストリングスのバックはヴォーカルとの距離感をともなって奥に引いてい く定位感が雰囲気を上品に醸し出している。そして、大貫妙子の第一声が入ってきたと きに思わず微笑みがこぼれた。「あぁ、このヴォーカルは正確だ。いいねぇ。」歌詞の 単語を区切るように歌う彼女の歌唱法、その途切れた言葉の後に美しい余韻をたっぷり と含ませるというレコーディングが印象的である。この「間」とも言うべきエコーの消 えていく時間軸と次の歌詞の始まりとが明瞭に聴きわけ出来るということは、今まで大 小様々な、しかも高価なスピーカーをたくさん聴いてきたなかで数少ない存在かもしれ ない。そして、3曲目の「横顔」でウッドベースのイントロが始まった。「アレッ、ち ょっと待ってよ。」という私のひと声に西川社長が思わずこちらに顔を向ける。私は、 思い浮かんだ疑念を確かめるために、最初に聴いたイーグルスを急いでセットし「ホテ ル・カルフォルニア」を再度聴きなおしていた。私は、何事だろうと懸念の表情を浮か べる西川社長に一言。「西川さん、このスピーカーの低域は変化してますよ。」この試 聴を初めて40分は経過しているだろうか。最初に低域の限界を見極めるために聴いた イーグルスを聴きなおして、疑いが確信へと変わってしまった。「エピローグ1」の低 域は、当初のレベルよりも明らかに量的な増加と、若干であるが下に向けてのレンジが エクステンションされているのである。とにかく理由は推測し難いのだが、不思議なこ とに低域が延びているのである。もちろん、この方がウェルバランスだ。ごく短時間の ウォームアップで見せた「エピローグ1」の変化は私としても意外であり、今後私のフ ロアーに持ち込まれたときの実験課題として頭の中にしっかりとメモをしておくことに した。さて、ポピュラー系ヴォーカルを数曲聴いた後、時間も限られているのでクラシ ック系のソフトを何曲か聴いて仕上げとすることにした。弦楽のアンサンブルをかけた 瞬間に再びわが耳を疑う出来事が起こった。「弦楽器が遠いですね。こんな音は初めて だ。弦楽器がこんなに奥に引いて展開するのはおかしいんじゃないかな。」と、何とも 素人臭い低レベルな言葉が思わず口をついて出てしまった。それほど奥行きが深く、「 エピローグ1」の向こうの方に弦楽器が定位するのである。思わず、ウーファーの接続 を外してトゥイーターが鳴っているかどうかという初歩的な実験をしてみると、当然の 事ながらトゥイーターは正常に動作している。試しにヴォーカルを聴きなおすと、バッ クの伴奏を含めて先程のバランスで聴くことが出来る。少なくとも、ハイ落ちという初 歩的トラブルはないようであるが、どう聴いても弦楽器の群れとは大きな距離感を感じ てしまうのだ。今までに経験したことのない初めての音だからといって、すなわち悪い ことだと決め付けるのは短絡的過ぎる。努めて冷静さを維持しようと、聴くと言うより は考え込んでしまったのである。「待てよ、もしかしたら、この聴こえ方の方が本来の 姿なのかもしれないなぁ。」この同じ曲を色々なスピーカーで聴いてきた過去の記憶と 照合しながら、私の頭の中では分析から解釈の段階へと思考が展開していった。過去の 数々の試聴体験の記憶をパラパラとめくっていくうちに、もしやと思われる体験の記憶 がひらめきページを繰る指をパッと止めた。1993年9月28日、ゴールドムンドの アポローグ(1,400万円)を私のフロアーに導入し、一か月以上に渡る試聴をした 時の記憶である。この時の詳細は本随筆の第十八話に書ているので、ぜひ読み返して頂 きたい。要は、ゴールドムンドのCDプレーヤーやアンプなどエレクトロニクスのコン ポーネントを、他社のスピーカーで聴いた場合の同社のサウンドイメージは次のように 簡潔に表現されるであろうと思われる。「鈍角よりも鋭角」「ソフトよりもハード」「 ホットよりもクール」「曖昧よりも正確」「ルーズよりもタイト」「軟質よりも硬質」 ところが、ゴールドムンドの製品を部分的にシステムに組み込んで聴くのではなく、ア ポローグというスピーカーを使って最終段階までゴールドムンドで統一して聴くと、以 前のイメージを修正せざるを得なくなるのである。つまり、「ハードな中にソフトな一 面があり」「正確さの中に許容されるべき曖昧さがあり」「クールな中にホットな温度 感があり」「タイトな表現の一部にルーズな側面を持ち」「硬質とばかり思っていた表 情にやわらかい笑みがある」という解釈に落ち着いてくるのである。言い替えれば、ゴ ールドムンドのエレクトロニクスを単体で評価すると、「高レベルの透明感とハイテン ション」というイメージであったものが、最終的に同社のスピーカーを使用することに よって、クォリティーは同じであっても大幅な緊張感の緩和を見ることが出来るように なるのである。私は、この当時の出来事を思い返して、「あぁ、そうだ。きっとそうに 違いない。」と、今回の「エピローグ1」が演奏したクラシック系音楽の特徴をゴール ドムンドが有する絶妙なバランス感覚として解釈したのである。しかし、先程のような オフセットアングルの調整によって前方へ迫り出してくるヴォーカルを中心とするポピ ュラー音楽と、このクラシック系音楽の極めて深い奥行き感の表現という、相反する二 面性を高度なレベルで共有している「エピローグ1」は、これまでになかったニア・フ ィールド・モニターとして素晴らしい可能性を持っていることになる。そして、「エピ ローグ2/3」というウーファーシステムを追加しても大変コンパクトに使用出来るサ イズ展開を考えると、まさに日本向け小型高密度スピーカーの最高峰とも言える存在に なってくることであろう。さて、前述しているように一九九三年九月にアポローグが私 のフロアーにやって来たわけだが、アポローグをセッティングした翌日にはレバション 氏を招いてセミナーを開催したのである。世界中を飛び回っているレバション氏が、エ ンドユーザーの前で講演を行ったというのは後にも先にもこの時だけである。この日、 残り時間も少なくなったころに来場者からの質疑応答の時間を設けたのだが、いまでも 記憶に残っているユニークな質問があった。「あなたは自宅でもアポローグを使ってい るのですか。」あるお客様から発せられたこの質問で会場はドッと沸いたのだが、レバ ション氏は笑いながらこのように答えておられた。「NO!自宅ではアンサンブル社の リファレンスを聴いています。」アンサンブル社の製品をアメリカを中心とした世界市 場に紹介したのもレバション氏であれば、個人的にウィルソンのWATT&PUPPY をヨーロッパで紹介し販売していたのもレバション氏であったという。アンサンブル社 の高性能小型スピーカーであるリファレンスは皆さんもご存じの方が多いと思うが、レ バション氏としても家庭用としてのスピーカーサイズには一家言あったのであろう。そ して、究極的には「フルシステム・エピローグ」に至るまでの過程に選択肢を設定して いることが、「エピローグ1」のサイズ決定に大きく寄与しているのである。これまで 私が推奨してきた小型ハイエンド・スピーカーとして、ウィルソンのシステム5、エグ レストンワークスのアンドラ、アンサンブルのエリージア、ソナースのガルネリオマー ジュ、等々があるわけだが、グレード的にも価格的にも、九七年以降は「エピローグ1 」の存在が大きな台風の目となって影響力を高めていくことであろう。つまり、ここで 例に上げたスピーカーよりも大変安くて大きなスピーカーはたくさんあるのに、なぜ高 価な小型スピーカーを選択するかというこだわりである。大半は部屋のサイズという妥 協点を理由に上げる方が多いことだろうが、様々な人生の変節からスペースにゆとりが できる環境に移転された場合など、「エピローグ1」は三段階のシステムアップの可能 性を前提にゴールドムンドの哲学を生涯に渡って享受していくことを可能としたのであ る。前章で述べたような精巧なパネルの仕上げなどを例にとっても、「エピローグ1」 のライフサイクルの長さを裏付ける要因の一つになるであろう。1988年発表のアポ ローグ(Apologue)という、教訓談/寓話を意味するネーミングのスピーカー に始まり、97年にはエピローグ(Epilogue)でゴールドムンド哲学の終幕を 飾ろうとするネーミングの妙が面白い。今世紀最大の文学者と称されるヘルマン・ヘッ セの大作「知と愛(NARZISS UND GOLDMUND)」の主人公である真の美を追求する彫刻家ゴ ールドムンドをブランド名とした同社は、この「エピローグ1」の発展性によってハイ エンドユーザーの生涯の最終局面までをもフォローしようとする壮大な思想を感じさせ ると言ったらオーバーであろうか。このゴールドムンド哲学の長い長い最終幕は今始ま ったばかりである。そして、今後私のフロアーで「エピローグ1」を聴かれる方は、こ の壮大な物語の衝撃的なプロローグを垣間見たにすぎないのである。                                     【完】


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