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H.A.L.担当 川又利明


No.196「小編『音の細道』特別寄稿 *第十一弾*遂に完成(今回はweb公開)」
小編『音の細道』特別寄稿 *第十一弾* 
『res.「Ins + Outs」に見出した私との共通項とは!?』


先日、予告として試聴をお薦めしたres.「Ins + Outs」は、すでにお聴きになり
ましたでしょうか?
http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/brn/194.html


詳細はこちらのサイトでご覧下さい。
http://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A014978.html

今回はH.A.L.'s Circle Review No.0248に続き、私が着目したCDソフトに関して
コンポーネントの解説を交えながら語る軽い読み物です。どうぞお楽しみ下さい。
なお文中のリンク再生には、リアルネットワークス社のRealPlayerが必要です。
こちらよりダウンロード頂けます。



プロローグ----「遠近法の消失点」

まずはCDジャケットの観察から…。このアルバムタイトルの「Ins + Outs」
も特に“これを!?”という特定の意味を持つものではないという。ちなみ
にこれは「インズ・アウツ」と読んで頂きたい。このタイトルは読みの通り
「出たり入ったり」でもいいでしょうし、裏と表、黒と白、光と闇、解放と
緊張、混沌とした気分。簡単にさらには記号っぽく。というのがイメージ
であったという。つまり、相反するものを象徴しており、このアルバムに
納められた楽音とナレーションによる現代の都市生活者に送るストーリー性
とメッセージ性を表現したもの、それが「Ins + Outs」の意味と言える。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

そのジャケットなのだが、モノクロ写真の表面をじっくりと見て頂くと
長い廊下の両側から開かれたドアが何枚も重なっている。このドアの各々
にも「Ins + Outs」の意味があり、更に最も奥の本当に小さく写って
いる突き当りのドアが見えるだろうか!? この突き当りのドアを開くと…。

そして裏面は人気のない広大な駐車場である。このだだっ広いパーキング
への出入りにも「Ins + Outs」の意味があり、そして中央の最も奥に何とも
小さくドアが写っているのがお解かりだろうか…。

そうです!! 表面の突き当りの最後のドアと裏面のずーっと奥の小さいドア
は同じものの表裏ということなのです。表面の最後の突き当たりのドアを
開けると裏面の米粒のようなドアが開くという裏表を表しているのです。

ジャケットからして、このようなメッセージを投げかけるアルバムとは
一体どのような演奏なのだろうか…。

今回の試聴は主に当フロアーのリファレンス・ラインである以下のシステム
で行い、要所でGOLDMUNDのフルMillenniumシリーズでB&W Sibnature 800の
システムで聴きなおしていくという要領で進めていった。

Timelord Chronos>dcs 992>Esoteric P-0s>dcs purcell1394>dcs Elgar
plus1394
>Jeff Rowland Coherence2>Jeff Rowland Model12×4set>B&W Nautilus
and murata ES103 with PAD ALTEUS Super Tweeter cable
Digital & Ward clock cable by dcs  and other cable PAD DOMINUS & RLS

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、このアルバムを理解するために大きな前提となる事実を挙げておか
なくてはと思う。このアルバムに参加したミュージシャンは以下の通りである。

Voice : Thomas J.Hojnacki
Text : Lennie Smith
Tenor Sax : Osamu Koike
Alto Sax : Mitsuru Sawamura
Vocal & Cho : Jeanne Bastos
Acoustic Guitar :  Hiroki Miyano
Trampet : Issei Igarashi

私が、ここで参加ミュージシャンを述べているということが、後ほど述べる
ことになる今回のshort Essayを執筆する動機となった大きな要因でもある。


1.Is it mine?
http://www.jvcmusic.co.jp/SE9/SE9-12921.ram
左右チャンネルともコンガと思われるパーカッションから始まる。
このパーカッションが両翼を固め、その内側にまずはストリングスが展開
される。中央のやや右寄りにはチェロ、ヴァイオリンがセンターを挟んで
左右に浮かぶ。この冒頭の一部を聞いただけで、シンプルな疑問が浮かん
でくる。上記の参加ミュージシャンにはストリングスはない…。

そうなんです。この瞬間にして音階を駆け上がるようなストリングスは
実はサンプリングによる演奏なのである。と、いうよりも音の洪水のよ
うに様々な楽音が展開する「Ins + Outs」では、上記のミュージシャン
以外はすべてサンプリングであるということが、まず最初の驚きであった。

そして、このアルバムの重要な導入部では誰しもが驚くVoiceという演奏
者が登場する。Thomas J.Hojnacki、彼は日本在住のイギリス人の画家と
いうことで、特にアナウンスの訓練を受けたプロというわけではない。

そして、最終トラックの「Half Awake, Half Asleep」にも登場するの
だが、この録音の際には一切曲は聴いていないという。文脈による盛り
上がりを意識したり余計な感情移入を避け、ただ淡々とLennie Smithが
書いた誌的文章を語っていくのみである。

Lennie Smithはニューヨークでコラムニストをしている、いわゆる著述
のプロであり、res.〔藤田哲司 石川哲也〕のお二人の求めるイメージ
を伝えて書き下ろしてもらったコピーであるという。そして、その文章
はすべてを公開することなく、このアルバムの歌詞カードというかライ
ナーノーツというか、付属のペーパーでは次のページにあるように、
なぜかくしゃくしゃに丸められてしまっている。事前の情報を制限する
ことによって聞き手のイマジネーションを構築していってもらいたいと
いうのがres.の狙いだ。

もちろん語学力のある皆様であれば聞き取りして意味を解するだろうが、

「彼は寒さで目覚めた。前には冷たいコーヒー。
 彼の乗った列車はまだ動いていた。」

から始まり…、最後の方には…。

「この街は自分の街だが自分の街ではない。
 この時間は自分の時間だが自分の時間ではない。」

と結ばれるナレーションの意味に演奏を絡めてイメージをふくらませて
欲しいものである。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、両翼のパーカッションに縁取りをされるように、そのセンターには
VoiceがNautilusの得意技である空間定位によって眼前に現れ、その奥の
センターにはトライアングル、タンバリンが時折出現する。その遠近感
が何とも見事な表現であり、そのVoiceとちょっとだけ左に定位をずらせて
小池修のTenor Saxが展開する。更にTenor Saxが入ってくると、それまで
そこで鳴っていた左側のストリングスが消失して席を譲るのである。

そして、時折地響きのような低域の唸りがVoiceの下の方から湧き上がって
来てNautilusのウーファーをゆらす。これはブラジルの民族楽器をサンプ
リングして作られたもので、相当な低周波が含まれている。実は、この
トラックは下のフロアーに行って、違うシステムでも聴いてきたのだが、
Nautilusの織り成す奥行き方向へのレイヤーの重なりは見事という他はない。

仮に「Voice」「Tenor Sax」「Strings」などと書いたパネルをNautilus
の置いてある天井から奥から手前にと順序だって吊り下げたとする。
そのパネルは透明なアクリルのように文字だけが読み取れて後ろの楽器
は透視して見ることができる。視覚的にはそのように各楽音の定位感が
呆れるほど鮮明にNautilusの前後方向に並び、録音時の定位感を慎重
すぎるほど慎重にコーディネイトしていることが伝わってくる。

さて、そこで興味深いのが小池修のTenor Saxである。これだけは生の
楽器によるインプロゼイションでありスタジオで収録したものである。
しかし、そのSaxは完全にサンプリング音源の他の楽音とまったく違和感
なく同じ空間での演奏として認識できるほどに調和されているではないか。
そして、興味深いのは小池修はリズムだけを頼りに即興演奏したもので
あって、バックのオーケストレーションは一切録音当日には聴いていな
いという事実である。

Voiceを取り囲むように三次元的な定位感に驚き、Voiceのかなり後方
からトライアングル、タンバリン、そしてヴィヴラホンが聴こえてくる。
これらのリズム楽器の隙間をちょうど縫うようにしてストリングスが
展開し、混沌としているようで録音状態としては的確なパンポットで
各パートはオーバーラップすることはない。

仮にVoiceの音像の中にストリングスがオーバーラップしてしまう、また
はVoiceの残像の中にSaxが折り重なってしまう、そしてVoiceの後頭部の
ずっと遠方にトライアングル、タンバリンが立ち上ってくれないという
ことであればスピーカーの周辺の環境がよろしくないという目安になる
だろう。カオス状態のように一見聴こえる演奏だが、実はその録音状態
は極めて理路整然とした定位感を持っているということがうかがい知れる。

いやはや、それにしてもVoiceとTenor Sax以外はすべてサンプリングで
ありデスクトップで作られたものだとは誰が気がつくであろうか!?


2.Mas Que Nada
http://www.jvcmusic.co.jp/SE9/SE9-12922.ram
Vocal,choは元TimbaladaのJeanne Bastosである。GuitarはTeo Maselo
のProduceでALBUMも出している宮野弘紀の演奏によるものである。
そして、この曲は実は変わった録音方法を採っている。

Jeanne BastosのVocalを録音する際、割とオーソドックスなアレンジの
簡単な「Mas Que Nada」を作り、その上で歌って貰い、その後Vocalと
chorusを「Ins + Outs」の「Mas Que Nada」のオケに載せ直すという、
いわばRemixの手法をとっているという。つまりJeanne Bastosはこの
アレンジでの「Mas Que Nada」では「歌っていない」ということだ。

Guitarは宮野弘紀にブラジルっぽく無く弾いてくださいと指示して自由
に弾いて貰い、その各パートを細かく100以上のパーツに分け編集し、
再構築しているというのだ。曲のエンディングで出てくる奏法はフラ
メンコなどで使う奏法であるという。

私も驚いたのは、これもやはりVocalとGuitar以外はすべてサンプリ
ングで作られているということなのだが、パーカッションのビート感、
ピアノの生々しさなど、どれをとっても生バンドの一発録りと思える
程のリアルさではないか。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

私が先日「Mas Que Nada」の意味を教えてくださいとハルズサークルの
皆様にお願いしましたが、数名の皆様からご返事を頂戴しました。
本当にありがとうございました。この場で改めて御礼申し上げます。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

> Mas que nada
 最高!

> Sai da minha frente
> Eu quero passar
 僕の前をどいて!! 僕は通りたいんだ。

> Pois o samba esta animado
> O que eu quero e sambar
 サンバは楽しいから早く踊りたいのさ!!

> Este samba
> Que e misto de maracatu
> e samba de preto velho
> Samba de preto tu
 このサンバはマラカト(踊りの種類)とサンバがミックスしてるんだ!!

> Mas que nada
 最高!

> Um samba como esse tao legal
> Voce nao vai querer
> Que eu chegue no final
 このサンバはとても楽しいから終わる前に着きたいんだ。
 僕の前からどいておくれ!!


どうやらラブストーリーではないようだ。遠くからでも聞こえてくる
リズムに胸は早やおどり、ある男がサンバ会場に急いで向かっている。

しかし、何とも込み合う雑踏と人通りが多くてなかなか前に進めない。
そんなもどかしさの中でもサンバへの情熱が溢れ出てくるという感じの
サンバへの賛歌であり、格段に特定の意味をもつ歌詞ではないようだ。
それが「Ins + Outs」の2トラック目に配置されたということは!?

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、いよいよスタートする。まず冒頭のピアノのリアルさに愕然と
する。これがサンプリングなのかと!? そして、それと絶妙に絡み合う
Guitarなのだが、これは藤田氏の六畳の自宅で録音したものであると
いうのだ。それを前述のように各パートの部品として分解し、この
ピアノのサンプリングと合成しているのである。これは信じられない。
イントロの二つの楽器のあまりの自然さ…、つまりミュージシャン
同志が顔を見交わしながら演奏しているがごとくの迫真の録音だと
思われて仕方がない…、というよりもそれが狙いだったのだろう。

そして、このアルバムでも最も低い周波数の楽音ではないかと思わ
れる「ドロドロドロ…」というような低域が挿入されている。
これはフロアータムをサンプリングして加工したものだというの
だが、これを10Hz以下までレスポンスを持つNautilusで聴くと、
まあ何とも重量感と開放感がない交ぜになった低音として響き渡る。
同時にウィンドチャイムが彩りを添えて、レインスティックが左右に
定位感を変えながら流れていく。それらがトゥイーターに貼り付か
ないように再現されれば、スピーカーの能力としても空間表現が
優れているということになろうか。ちなみに石川氏の自宅では
N805をモニターとして使用し、コンピューター上での作業を進めて
きたという。

と、いうことはここのNautilusで演奏されるようなサウンドは作者
である石川氏も体験したことのない世界であるはずだ。もちろん
スタジオでのラージモニターを聴き慣れているいることであろうから
大音圧での再現性もチェックしていることだろうが、Nautilusの
ような三次元的再生を簡単に行ってしまうスピーカーでの体験は
まだないということであった。

このフロアータムのサンプリングの低域が皆さんのシステムでは
どのように再生されるのか、これもNautilusとの比較で興味津々と
いうポイントである。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

Vocalが入ってきた。結構オンマイクでの距離感が感じられ、あまり
深いリヴァーブを感じない素直な印象が好ましい。それにオーバー
ダブしたコーラスが背後を埋め尽くす。ここでもストリングは重要な
役割を果たしており、Vocalのフォーカスを聴き手に十分に伝えるなか
で後方に展開する。そして、私がぐっときたのがストリングスのピッチ
カートをVocalの左後方で使ったという粋なアレンジである。

確か、「マシュケナダ」には多くのカバーバージョンがあったが、
このタイミングでリヴァーブをたっぷりかけて指を鳴らした音を
使っているものもあった。しかし、「Ins + Outs」のこれでは聴き
手に広い音場感をイメージさせて、パーカッションとストリングスと
いう点と面で表現される要素が本当に同じステージ上で描かれている
ではないか。

また、トライアングルがVocalの左奥で鳴らされるのだが、その空間
にポンと湧いてきたような提示のされ方はNautilusならではのもの
だろう。そのトライアングルが左右スピーカーのバッフル面と同じ
奥行き感で、平面の上に描かれた点として聴こえるようでは今一。
これは、本当に天上から吊るした糸にぶら下がっているように、その
空間に現れて欲しいものである。スピーカーユニットという機械的な
音源が感じられることのないようセッティングしたいものである。

Vocalの右側ではコンガの刻みが心地よく展開され、右チャンネルの
最も外縁部ではハイハットが刻まれる。このハイハットのリズムは
同じサンプリングであってもノリを重視して指でキーボードを叩い
て録音しているという。しかし、このハイハットの音は正に本物と
しか言いようがない。そして、演奏の中ごろからキックドラムが
センターでリズムを取り始める。

このキックドラムなのだが、他のスピーカーで試してみると違いが
鮮明にわかった。Nautilusではセンターに個体感のある音像として
輪郭を鮮明にして連打されるのだが、あるスピーカーでは面として
大きく膨らんだキックドラムになってしまうのである。この辺は
低域の再生にエンクロージャーがどのようにかかわっているか、
またスピーカーの設置環境に低域のみ輻射効率が高くなる反射面
が付近にないかどうかチェックのしどころだろうと思われる。


3.Ritomo e Voce
http://www.jvcmusic.co.jp/SE9/SE9-12923.ram
「Rhythmと声」というタイトルのこの曲は、前の曲の「Mas Que
Nada」を更に分解、再構築したものだという。元々この曲のJeanne
Bastosのスキャットは「Mas Que Nada」の間奏で使われるはずだった
ものだが、更に編集を加えるうちに別の曲に独立してしまったという
のが本当のところらしい。

パーカッション奏者はいないので当然サンプリングによるリズムが
冒頭から小気味よく打ち鳴らされる。それがNautilusでは左右の
スピーカー間の空気中に切れ味よく響くのだが、他のスピーカーで
試してみると、トゥイーターの位置関係に貼りついた表現でこれらが
鳴らされてしまうことがある。このギャップは大きかった。
なぜ、空間から湧き上がってこないのだろうか!?

そして、Jeanne Bastosのスキャットがセンターに見事にはまり込み、
その後方を左右に大きく広がりながら「opa opa opa」のバックコー
ラスが展開する。このVocalとバックコーラスの奥行き方向の分離感が
たいそう気持ちのいいもので、包み込まれるような冒頭の展開が楽しい。

ほどなくハンドクラップの手拍子と床を踏み鳴らすような低音が響き
渡るが、これは複数のハンドクラップの発音タイミングをデーターで
ずらして大人数の存在感を演出しているという。

昔のQueenの「WE WILL ROCK YOU」のような雰囲気である。

でも、このハンドクラップとの距離感がポイント。それはバックコー
ラスと同様にJeanne BastosのVocalの後方で響いてくれなくてはいけ
ない。しかし、それがスピーカー前面のユニットの位置関係と同じで
Vocalと同じ距離感で聴こえてしまうものがある。つまり、パーカッ
ションもVocalも、そしてハンドクラップのようなSEもひとつのディメ
ンションとして伝わってくる場合があるということだ。

そのような場合にはスピーカー周辺の一次反射を引き起こす反射面が
音源のそばに存在していて、直接音との時間差があまり発生せずに
一挙に押し寄せてくる場合がそうである。スピーカーから放射される
音波が、放射された後の空間で整理されていれば、それらは空間に
浮かび上がる点音源として認識できるのだが、それらが“面”に貼り
つけられたような表現は避けたいものである。

一分程度経過したところで小池修のTenor Saxが入ってくるのだが、
これは彼のインプロゼイションであり、単純なリズムを聴きながらの
即興で編集はしていないという。このSaxの一発OKの録音をしてから
バックの多彩な楽器群を後から作り上げたというものだ。本当!??

シンセサイザーで合成したうなり声のような低域が途中からウーファー
を揺さぶるが、決して中高域の再現性を濁らせることがない。2Wayの
スピーカーシステムだと、この辺のウーファーのストロークによる
変調歪が心配なところだろう。Nautilusではミッドローの帯域を含め
ての4Wayという構成が低域の解像度を上げ、同時に中高域の独立した
再現性を実現している。小口径のウーファーを持つシステムでは、
この辺がきわどいところであろう。ちょっとパワーを上げて試したい
演奏である。

しかし、本当に楽音の洪水のように熱く切れ味の良いラテンのリズム
が展開されるが、不思議と混濁のない再生が続きエンディングへと
進んでいく。最後に右チャンネルからシャレで追加されたGuitarの
フレーズは、そう、前述のように六畳間で録音したというあれです。
それがごく自然に同じ空間に溶け込んでしまっているのだから見事!!


4.Luz
http://www.jvcmusic.co.jp/SE9/SE9-12924.ram
この三文字のタイトルは「光」という意味の言葉であるという。
元Interiorの沢村満がSaxを吹いるのだが、Saxには難しいkey(半音が
延々と続き)なおかつ弱音で演奏しているので、プレイヤーにはさぞ
かしきついレコーディングであったことだろう。Guitarはやはり宮野
弘紀であり、簡単なオケで延々とインプロゼイションして貰ったもの
を部品として分解してから編集、再構築しているという。

この曲の冒頭は左チャンネルからGuitar、センターにSax、右チャン
ネルにパーカッションという布陣で、それらすべてを包む全体の空間に
シンセサイザーが神秘的な背景音を付け加えている。最初と最後には
ウィンドチャイムが右から左へと流れ星のように空間を飛んでいく
あたりはmurata ES103 とPAD ALTEUSのコンビが質感を整えてくれ、
輝いているのだが不思議にまぶしくないという高域が美しい。

パーカッションの種類は多数あるのだが、他の曲と比べればゆったり
した流れの中でSaxのメロディーが美しく展開していき、左右とセン
ターに明確な定位をもった楽音がシンプルに配置されているだけに
個々の楽器のエコーの広がり方に注目できた。と、言うのは他のスピ
ーカーで聴くとx軸とy軸があって上下左右という広がりと定位はある
のだが、z軸としての奥行き感が乏しいと思われた。つまり、四角い
キャビネットのスピーカーでは正面から観察してx軸とy軸は確かに
感じられるのだが、z軸を単純に音圧レベルの違いで小音量の楽器が
遠のいて聴こえるのか…? というと、そういう簡単なものではない
のである。特に左右中間の空間にぽっと浮かぶような定位の楽音は
単純に音量が小さくなれば遠近感が出るというものではない。

レコーディングではリブァーブをかけることによって遠くから聴こ
えるように演出できるものだが、再生側では奥行き方向への積層化
された複数の音源に対して、極力球面体に近い放射パターンが奥行き
方向の距離感を感じさせてくれるものである。そのためにスピーカー
ユニット付近のバッフル面積を極力最小化しようというデザイン上
での配慮が現代のスピーカーには数多く見られる。例を挙げれば
B&WのNautilusシリーズのトゥイーターとミッドレンジの形状、
WILSONではWATTの台形デザイン、AVALONではトゥイーター付近の
バッフルの面取りカットのデザイン、THIELでは滑らかなカーブに
よって造形されたフロントバッフルなどが同様な効果を狙っている。

いずれにしてもエコー感の拡散の仕方に巧妙なテクニックが施され、
再生側ではスピーカー周辺への音場感の拡大がチェックされる曲である。


5.New Steps
http://www.jvcmusic.co.jp/SE9/SE9-12925.ram
まず面白い舞台裏のエピソードをひとつ。この曲の冒頭でケーナ、ある
いはパンフルートのように聴こえなくもない、「フュッ!!フーッ!!」と
鋭く息を吹き込む楽器…、これが何だかお解かりであろうか!?

そして、それと並行して鳴らされているラテンパーカッションのような
「ポンポン、ポムポム!!」という不思議な音色の打楽器の正体は!?

この回答は数行下に述べるので、興味のある方は直ちに5トラックを
聴きなおして頂くと面白い。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

この曲の最初から入ってくるトランペットは五十嵐一生によるものだが、
この曲もやはり簡単なSession用の曲をプレイヤーに聴かせるだけでイン
プロゼイションした楽音を編集、再構築しているという。つまり、普通
に再生している時間軸の流れに沿って、それなりに吹き上げていると思
われるだろうが、これらは楽音のサンプルとして録音された後にパーツ
として分解され、その後デスクトップ上で再度組み立てられたというも
のだ。ミュートを付けたトランペットがあたかもいっしょに演奏してい
るようだが、これも五十嵐一生ひとりが延々と吹き上げた即興演奏の各
部分をパーツとして分解し再構築しているのだという。

…しかし、信じられない。

そして、ピアノも当然サンプリングによるものだが、本当に生の演奏を
収録してきたかのようなリアルな音色に何の疑いも感じられない。

聞くところによると、一概にサンプリングといっても多種多様な演奏を
収録しているものがあり、ピアノというひとつの楽器にしても、サン
プルとして録音する現場の環境によってあらかじめホールエコーという
か、楽器を演奏しているその場の余韻感もいっしょに含んであるもの
も多々あるという。そして、驚くことに、ある種のソフトを駆使すると
録音現場で楽器に対してのマイクの距離感を色々と変化させているよう
にデスクトップで加工してしまうプログラムもあるというのだ。

従来であればレコーディング・エンジニアの腕の見せ所はマイク・アレ
ンジにあるというものだが、誰かが素人レベルでポンと置いたマイクで
録音した音であっても、後から「オンマイク/オフマイク」という楽器
との距離感を自由に操作できてしまうというのだから時代は変わったと
しか言いようがない。それにしても生々しいピアノではないか!!

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

        さて、前述のクイズの正解であるが…。

         答えは何と“コーラのビン”!!

「フュッ!!フーッ!!」はコーラのビンの口に息を吹き込んだときの音。
「ポンポン、ポムポム!!」はコーラのビンの口を手のひらで叩いた音。

これらの音をサンプリングして加工したものを編集して、このような
リズムを付けたものであると言う。深夜、大の男がマイクに向かって
コーラのビンを吹き続ける様を皆様の頭の中でイメージして頂ければ
口元もほころんでこようというものである。(*^_^*)

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、この曲の展開ではこれまでの曲と違った楽音の配置と質感に
変化している。まず、ミュートなしのトランペットがセンターに
終始定位している。そして、ミュート付きのトランペットが左右に
振り分けられており、あたかも三本のトランペットが演奏している
ような広がりを見せる。

そして、ここで特筆しておきたいのはドラムスとパーカッションが
これまでの曲とは違ってセンター定位に絞られているということだ。

3.Ritomo e Voceのように右チャンネルの軸上でハイハットが刻まれる
様子をクローズアップするのではなく、また、2.Mas Que Nadaでの
キックドラムのように個体感のある低音が特定の面積で鳴らされるの
でもなく、音源としてのスピーカーが存在していないセンターでの
フルドラムセットの演奏なのである。ハイハット、シンバル、キック
はもちろん、スネアーに張られたスプリングが「シャン!!シャシャ!!」
と響く音色もリアルにリズムを刻んでいく。

スピーカーユニットの位置と同じところに現れるハイハットやシンバル
はトゥイーターが鳴っているぞー、と感じさせる定位感があるのだが、
まったくの空気しかないNautilusのセンターで叩かれるドラムスは
必然的に遠めに聴こえトランペットとの重複を避けているようだ。
そして、スピーカーユニットがないはずのセンターであってもシン
バルの質感が精巧に形作られているところに注目されたものだ。

どうだろか、皆様のスピーカーではセンター定位のドラムはちゃんと
一定の枠内にキック、タム、スネアー、シンバルなどのドラムセット
の各々がひとつの音像としてまとまっているだろうか??

調整が不十分だとキックドラムが肥大化し、シンバルは手前に張り出
してくるがスネアは奥に引っ込んでしまっているというようなことは
ないだろうか。それらが一定の距離感と、ひとまとまりの枠内に均一
な音像の大きさで展開されていることを願うのみである。


6.Half Awake, Half Asleep
http://www.jvcmusic.co.jp/SE9/SE9-12926.ram
半覚醒状態…、とでもいうのだろうか、エンディングを飾るこの一曲
は何と言ってもセンターにピシッと定位するウッドベースとVoiceが
主役となっている演奏である。当然Voice以外はすべてサンプリング
によるものだ。ここで注目したいのはウッドベースの大きさなのである。

前の曲と同じように、低音楽器であるベースだが高調波を多分に含ん
で入るために、スピーカーとその環境が整っていないと正確な音像と
して再現するのが難しい。簡単に言うと、ウッドベースが左右スピー
カーの真ん中に、左右のウーファーユニットの位置とは明らかに隔た
りをもってベースの輪郭を持っているかどうかということである。

左右のウーファーを結ぶ線上の面積いっぱいにベースが広がって聴こ
えてはいないだろうか。Voiceと同じ程度のシルエットであり面積と
してフォーカスされたベースが望ましいのである。明確な口の大きさ
という指標と、へたをすれば拡散してしまう低音楽器のウッドベース
が同一レベルの音像の大きさとして表現されているかどうか、この
曲ではその一点にこだわってしっかりセンターに座って聴き込んで
頂きたい。スピーカーのセンターという空間に現れる音像は、その
スピーカーの環境を非常に端的に知らせてくれるものである。

なぜなら、そこには音源であるスピーカーユニットが存在しておら
ず、左右のスピーカーが放射した音波が交差し集積して音像を形作る
ことになり、周辺からの一次反射波によって攪拌されてしまうと直
ちにセンターに定位する楽音の輪郭を乱してしまうからである。

正面からセンターをにらみ、Voiceとウッドベースが両手の親指と
人差し指で作る小さなサークルに同じ大きさで納まっていれば
問題はありません。もちろん音量によっても違いますが、できれば
すべてのボリュームでこれが実現できればベストというものだ!!


エピローグ----「Restructure の共通項」

さて、この「Ins + Outs」の収録時間は33分35秒。音楽ソフトとして
は短めの録音であろうか。しかし、何ゆえに私がこのソフトをここま
でしてご紹介したかったのかというと、純粋に耳に入れた音楽として
楽しかったということ。素晴らしいと思ったということの他に、自分
の日頃のオーディオに対する思いに関係する次のような発想があった
ということなのである。

このshort Essayに大いに関連するという主旨を下記の随筆本編で
述べているので、お時間があればご一読いただければ幸いである。

http://www.dynamicaudio.jp/audio/5555/7f/oto/oto17.html

そして、話しを進めるために、この随筆の中で述べている一文を
以下に引用したのが次のコメントである。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 私の職業上来店されるお客様から良くこんな質問をされることが
 ある。「どれが本物の音で、どれが自然な音なのか。」いかんせん、
 数百万円もする製品が当たり前のごとく並んでいるので、お客様が
 求める期待感が高まるのは仕方のないことである。

 しかし、私は敢えていつもこのように答えているのだ。

 「ここに並んでいるもので、本物の演奏とまったく同一の音を出
 すものはありません。オーディオという趣味はすべて虚構の産物
 なんです。それらの方法論と手段を吟味選択し、その選択のなかに
 使い手の個性を発揮していく。そして、コンポーネントそれぞれの
 個性を楽しみながら演奏との一体感、臨場感を追求していく行為、
 というのが正しい理解ではないでしょうか。」

 つまり、本物の生演奏は、その場で聴きながら時間と共に瞬時に
 して消滅していくもので、〈本物の音〉という定義が存在しえない
 事実を安易なセールストークとして用いたくないというのが私の
 信条である。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

さて、今回述べてきた「Ins + Outs」の最大の特徴。それはミュージ
シャンの演奏をどれだけ正確に記録するか…、という演奏家そのもも
の<冷凍保存>にすべてを賭けた作品ではないということである。

つまり、レコーデッド・ミュージックとハイファイ再生という両者を
考えた場合に、録音された音質と内容が唯一“絶対的”な存在として
有無を言わせぬ完成度と忠実度があり、つまり録音作品を制作しよう
とする人々は、すべて演奏家の“僕・しもべ”であってミュージシャン
が発する一音一打のすべてをひたすら忠実に記録し商品化するとい
うことが絶対的な使命であるという考え方である。ありていに言えば
演奏家の感性とテクニックがすべてであり、録音に携わる人々は自分
の感性と技術で演奏家の楽音を一切加工・改訂してはならないという
考え方である。

そう、別の言い方をすればミュージシャンが演奏している楽音に対し
て、その時の時間軸の流れに沿って発せられた音のままでただ記録す
るということだ。これを機械的な仕事と言い直したらちょっと言葉が
きつくなってしまうが、わかりやすく言えば録音における“主従関係”
みたいなものだろうか。さて、ここで石川哲也氏の話しを思い返し、
次のような誤解が起こらぬように述べておきたい。


まず、「Ins + Outs」に生の演奏として参加されたミュージシャンの
各々の演奏をパーツとして分解し…、という表現があったが、これは
ひとつの音符の音に相当するものを更に細分化して、というほどの
“超”が付くくらいの細切れ状態で、発音された一単位を更に分解し
てしまっているというわけではないという。
ミュージシャンの発した小節なり、フレーズなりのある程度演奏家の
テクニックが認識できる単位での編集と再構築ということである。
従って、時間軸ではごく短いものだが、れっきとしたアーチストの
息遣いみたいなものがちゃんと存在しているということ。

次に、本文中に何度も登場するサンプリングというものだが、デジタル
記録された生の演奏の様々な形式や状態での音源であり、それ自体は
生演奏を正に<冷凍保存>したものだ。それをどのように取り出して編集
・再構築するかというものであり、サンプリング音源に収録されている
<冷凍食品>の解凍の仕方と調理の仕方がres.〔藤田哲司 石川哲也〕
のお二人の腕の見せ所となっているものである。

つまり、ここでもサンプリング音源に収録されている演奏を破壊する
ような分解の仕方ではなく、前述のような適切な時間軸での区切りで
処理しているということだ。つまり、いっときの流行であったシンセサ
イザーですべてをゼロから合成して作り出すという行為ではないという
ことが大事なポイントなのである。ビジュアルで言えば最近の映画で
もてはやされているコンピューター・グラフィックスとは違うという
ことであろう。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

       さて、まとめに入らなくては…(^^ゞ

私の考えだが、簡単に言うとres.のお二人は、この「Ins + Outs」で
どのようなことをやったのかというと、オーケストラの指揮者、音楽
監督みたいな役目を今までと違った手法で実現されたものと考えている。

そして、そのオーケストラとしてステージに上がっている楽員たちは
あるものはスタジオで収録したプロのミュージシャンであり、あるもの
はサンプリング音源のCD-ROMであり、そしてあるものは六畳間での
ギター生演奏であり、更に“コーラのビン”であったりということだ。

しかし、それらのすべてがもとをたどっていけば人間が演奏したもの
であり、それらをデスクトップで再構築するということでじっくりと
時間をかけて高品位な音楽性へと仕上げていったということではない
だろうか。つまり、私が前述の随筆の引用で述べている“虚構”の
ひとつなのだが、その構成要素は血が通った人間の演奏であるという
ことなのである。さて、ここで私の随筆の目次の冒頭で述べている
次の引用をご紹介したい。

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

「芸術は真実ではない。とは、我々誰もが知るところである。
 芸術とは真実を、少なくとも我々に理解すべき真実を、認識させる
 ための虚構である。芸術家は、虚構を真実として他者に納得させる
 すべを知らなくてはならない。」       パブロ・ピカソ

             -*-*-*-*-*-*-*-*-*-

そして、res.のお二人が目指したことと、私が目指していることは
この引用で象徴されるような共通項がある。

res.が素材とした演奏とサンプリング、そのいずれにも演奏家の感性
とテクニックが含まれている。そして、それらを分解してパーツとし
て処理する際にも、それらが失われないような配慮をしてres.としての
センスで再構築するという試みである。


さて、私は…というと…!?

世界各国のハイエンドオーディオを志向する設計者・経営者が自分たち
の技術力と感性のありったけをつぎ込んだ作品が私のフロアーに並んで
いるわけだ。そして、私はそれら作品の中味を改造するようなことは
もちろんすることはない。その意味では素材としてのコンポーネントの
作者たちに敬意を払い、彼らの設計によるパフォーマンスを忠実に引き
出そうとすることは、同時に彼らの感性と技術力を全面的に肯定する
ということである。

しかし、それをどのようにコーディネイトし、製作された国、あるいは
メーカーの研究室ではありえないグローバルな組み合わせの事例を、
日本のオーディオファイルの皆様に大きな感動を提供する結果として
実現していくか…、ということが私の目指しているものである。

つまり、上記のパプロ・ピカソのコメントにもあるように、私も“虚構”
であることを認識しつつ、それを求める人々にいかに真実であるかの
ように音楽という芸術を提供していくか、この目的にこそres.のお二人
との共通項を見出したのである。

そう、私はCoordinatorなのであろう。

しかし…、人ができないことをするCoordinatorになりたいのである。

このページはダイナフォーファイブ(5555):川又が担当しています。
担当川又 TEL:(03)3253−5555 FAX:(03)3253−5556
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