第四十話「オーディオと聴覚」





 『プロローグ』

 「光陰矢の如し」と昔の人は言ったものだが、この随筆も回を重ねて今回で第四十話
を数えるまでになった。ノーチラスと連れ立って明けた1997年も、早いもので如月
から弥生の頃に季節は移ろうとしている。今年も数々のハイエンド・オーディオが私を
訪ねてくれる予定が目白押しである。一千万円を超えるという、これらの高貴(価)な
来客を迎えるにあたっては、今から耳をかっぽじって・・・・、いや、これは失礼。耳を清
潔に、そして鍛錬してお迎えしなければという心境である。どんなに高価なオーディオ
システムであっても、我々はこの地球上の大気(空気)を通じて音を聴いているという
不変の原則に理解を深めるために、本随筆の第六話から第八話において音波の概念を解
説してきた。さて、それでは我々は耳という感覚器官を通じて、一体どのように音を感
じ取っているのだろうか。オーディオ・コンポーネントを販売する人間は、ステレオ装
置の能書きだけを語れれば良いのか。いや、私はそうは思わない。これらを情熱を傾け
て作り上げる人々。そして、これらを情熱を込めて使っていこうとする人々。両者に共
通するのは、好奇心にくるまれたロマンチシズムである。電子工学のエキスパートが作
ったアンプ。音響工学の天才が作り上げたスピーカー。デジタル技術のオーソリティー
が開発したCDプレーヤー。しかし、もしかしたら彼らは聴覚の成立ちを説明できない
かもしれない。聴覚という内的宇宙の不思議を少しでも知ることによって、私は同類の
ロマンを追求していくスタートに立てるのではないかと考えたのである。

第一章『聴覚の成立ち』

 第一部「目に見える耳・外耳」

 私達は聴覚の成立ちについて一体どの程度の認識を持っているだろうか。そして、こ
の質問を町行く人々にしたら、一体どんな答えがかえってくるのだろうか。耳における
一つの構成部品として「鼓膜」と答える人は多いだろうが、果たしてその前後の器官の
名称と役割を説明出来る人はまずいないことだろう。常識を知識とするために、私はこ
の点を掘り下げて見ることにした。図1はむかし学校で習った耳の構造そのものである
。私たちが一般的に耳と言っているのは、外から見ることの出来る外耳を称しているこ
とが多い。外耳は耳介と外耳道に分けられるのだが、各々になくてはならない必然性と
機能性があることはあまり知られていない。ウサギの耳は長く大きいのだが、これは音
を聞くことのほかに体温を下げるための放熱器の役目を果たしているそうである。赤道
直下の亜熱帯に棲むウサギは耳をピンと伸ばしているのだが、雪の中を動き回るウサギ
はピタッと体に寄せ付けている映像を思い出して頂きたい。人間の耳たぶの各部分も。
図2のように色々な名前が付けられている。耳介は皮膚の皮下組織がほとんどなく、す
ぐ耳介軟骨(弾性軟骨)となっている。いわゆる耳たぶ(耳垂)の部分にはまったく軟
骨はなく、皮下の脂肪組織が豊富なのである。ここには血管が少ないため、体中でも冷
温の部位といえる。動物では耳を動かして音を集める効果を狙った耳介を持つものもい
るが、人間は耳介を動かすことは出来ない。人間の耳にはさほど大きな集音効果はない
のである。それよりも耳介の複雑な形は5キロHzくらいに共振性があると言われてお
り、人間同志の会話に適した音の選別に効果を発揮しているようである。そして、この
耳介が複雑に音を反射して外耳道に音波を送り込む過程で、その人固有の音のグラデー
ションを付けているのではないかと言われている。さて、図3では外耳の構造を示し
ているが外耳道の長さは約2から3cmで、外側三分の一は軟骨部外耳道、内側三分の
二を骨部外耳道と呼ばれている。この外耳道は一種の共鳴管として機能しており、中音
域の2から3キロHzに共鳴して音波が鼓膜に達するときには二倍の音圧に増幅される
と言われている。これも会話の中心となる帯域なので、人間同志のコミュニケーション
を優先して耳が進化してきたなごりと言えるだろう。

 第二部「聴覚のトランスデューサー・鼓膜」

 一般的に知られているように、鼓膜は空気の振動をとらえて中耳の小さな骨に伝え、
内耳のリンパ液の振動に変換し感覚細胞が感じて神経に伝えていくという変換器/トラ
ンスデューサーの役目を果たしている。図4は外耳道の突き当たりに位置する鼓膜を表
しているが、外耳道に対して垂直ではなく下向きに約30から40度傾いている。健康
な鼓膜は真珠色をしており、直径は約1センチ厚さは約0・1ミリでゴムのような弾性
がある。この弾性を保つために、外耳道は一定の温度と湿度を保つように出来ているの
である。図5のように鼓膜は外耳道側から見ての粘膜層、内耳側から見ての上皮層、中
心部の固有層と、近代的なスピーカーユニットの振動板とそっくりな三層構造になって
いるのである。鼓膜はマイクロホンのようにすべての音に共鳴して振動するが、中耳の
耳小骨に付着しているので一定の制動がかけられており、聴覚の解像度もこれによって
得られるのである。しかし、人間が聞くことの出来る最小の音圧では、鼓膜の振動は水
素分子の直径ほどと言われているほど高感度なのである。ある学説によると鼓膜のライ
ズタイム(立上り時間)は15μsと言われており、聴覚がいかに繊細なものであるか
がうかがい知れる。次に、図6が中耳の構造を示したものである。鼓膜の中には大豆く
らいの(1から2cc程度)鼓室と呼ばれる小部屋がある。ここには空気が入っていて、
その空気は耳管と呼ばれる細長い管を通って咽喉に抜けている。耳管は通常は閉じてい
るのだが、唾を飲み込んだり大きく口を開けたりすると自動的に開くようになっている
。その時に空気が鼓室に入り鼓室の気圧を調整するのである。よく高い山へ登ったりエ
レベーターに乗ったりすると耳がつまったような違和感を覚えるが、鼓膜内外の気圧が
変動して鼓膜がどちらかに引っ張られることが原因である。それでアクビのような動き
をすると耳管が開いて気圧差が解消されるのである。さて、鼓膜を振動させた音はどの
ように鼓室内を伝わっていくのか。図6でおわかりのように、三つの小さな骨(耳小骨
・ツチ骨/キヌタ骨/アブミ骨)が関節でつながっており、鼓膜の受けた振動をたくみ
に内耳に伝えていくのである。この時、一般にはあまり知られていないが、実に驚くべ
き効果を発揮しているのである。音の性質を変えずに音の強さを調整しているのである
。中耳の鼓室は空気が入っているわけだが、内耳はリンパ液で満たされている。水中に
潜っているときに声をかけられてもわからないように、空気の振動である音波が液体中
に伝わる際に99・9%は反射されてしまう。人間の聴覚は、まるでアンプのようにこ
の喪失分を耳小骨連鎖で回復するのである。この音圧の増強には二つの作用が考えられ
る。ひとつは鼓膜の面積とアブミ骨の内耳につながる部分の面積比によって音圧の増強
を行うのである。ここでもう一度図4を見直していただきたい。一般的には鼓膜と耳小
骨との連結は鼓膜の中心点で行われているような認識なのだが、ツチ骨条と呼ばれる節
によって鼓膜の半径に相当するような線(多少の面積を含む)で連結しているのである
。そして、鼓膜の面積とアブミ骨の内耳につながる部分の面積比は18対1(もしくは
17対1)と言われているのである。大きな面で受けたエネルギーを小さな面積で出力
するのである。ご婦人のハイヒールのかかとで踏まれた場合の痛さをイメージして頂け
ればおわかりになるのではないだろうか。そして、もうひとつは耳小骨連鎖において、
三つの骨がテコのように働いて増幅しているのである。この作用だけでも1.3倍の増
強が見込めると言われている。さて、ここで話の展開はまったくの逆方向に向かう。人
間の聴覚は、ほんのかすかな音まで聞き取る能力を持っていることは日常の生活からも
実感出来ることであると思われる。人間の耳のダイナミックレンジとして、最小に対し
て100万倍という大きさまで感じることが出来るということを本随筆の第六話でも説
明している。そして、それ以上の音圧が飛び込んできたら聴覚が破壊されてしまう危険
もありえるわけだ。そこで、強い光がまぶしいときにまぶたを閉じるように、人間の聴
覚は増幅だけでなくリミッター機能も有しているのである。図6のアブミ骨筋は強力な
音圧に反応して収縮し、耳小骨の動きにブレーキをかけるのである。但し、これは次第
に音が大きくなっていく過程で反応するので、爆発などの瞬間的な衝撃には対応出来な
いので注意が必要である。

 第三部「ミクロの決死圏・内耳と蝸牛」

かくして、いよいよ聴覚の神秘である内耳に音がたどりつくことになる。図1でおわか
りのように、内耳は別名「迷路」とも呼ばれており非常に複雑な構造をしている。これ
らは蝸牛・半規官・前庭に分類することが出来る。三半規官はご存じのように人間の平
衡感覚を司るものであるが、聴覚としての本題からそれるので今回は説明を割愛させて
いただく。このなかで蝸牛が聴覚器官にあたり、文字通りカタツムリの形をしていおり
、図7のように二回と四分の三回転している。その長さは約35mm、大きさは小指の
先程度である。蝸牛は骨のトンネルといった感じで骨迷路とも呼ばれている。図8がこ
のカタツムリの殻の断面である。中央部に骨らせん板があり、トンネルを上下に二分し
ているのである。上を前庭階、下を鼓室階といい、骨らせん板の先で骨迷路の前庭階側
には膜の袋がある。この膜の袋はカタツムリの頂点で閉じられており、この袋の管を蝸
牛管と呼び、骨迷路に対して膜迷路と呼んでいる。つまり、蝸牛は骨迷路の中に膜迷路
が格納された二重構造になっているのである。図9のように、蝸牛の頂点で袋は閉じら
たところで前庭階と鼓室階は通じている。図10を見てわかるように、前庭階の中に膜
迷路(蝸牛管)があり、それと鼓室階とで実際には三層構造になっているのである。前
庭階と鼓室階はリンパ液で満たされており、両者を結び付けている媒体の液体を外リン
パと呼んでいる。蝸牛管にはコルチ器という感覚受容器官があり、外リンパとは性質の
違う内リンパ液で満たされている。そして、これは半規管と前庭へと通じており、かつ
ては同一器官であったなごりをとどめているのである。さて、音の振動は鼓膜を振動さ
せ耳小骨で増幅されアブミ骨の底板に伝わった。図7のようにアブミ骨の振動は内
耳の窓(前庭窓)から前庭管の外リンパに伝わり、前庭階を通ってカタツムリの頂点で
折り返し鼓室階に入って正円窓(蝸牛窓)に抜けるのである。そして、この外リンパに
生じた波が基底板を振動させるのだが、この振動様式を進行波と呼んでいるのである。
つまり、基底板は外リンパの振動に応じてカタツムリの根元から頂点の方にうねるよう
にして振動していくのであり、この時に最大振幅が起こる場所が音の高さ(周波数)に
よって違ってくるのである。図11のように高い周波数は基底板のカタツムリの根元に
近い方で最大振幅が発生し、周波数が低くなるほどカタツムリの頂点へと最大振幅する
場所が変化していくのである。従って、人間の感じる音というのは、この基底板の進行
波を感じて音を聴いているということになるのである。そこで、この進行波をどう感じ
るかが問題となる。図8で示された蝸牛管の中で基底板に接するようにして設けられて
いるのが、図12で表したコルチ器と呼ばれる感覚受容器官である。コルチ器は前庭階
の方はライスネル膜という細胞二個分の薄い膜で、鼓室階とは基底板で外リンパ液に接
している。基底板の上に支持細胞があって、それに支えられて有毛細胞がある。有毛細
胞は文字通り大変微小な毛があって、この毛の上に帽子のような形をした蓋膜がのって
いる。一部の毛は蓋膜に付き刺さっており、その他はわずかに接したり完全に離れたり
しているのである。写真1のように、この有毛細胞は蝸牛の入り口から奥までビッシリ
と整然と並んでおり、内側有毛細胞と外側有毛細胞の二種類がある。内側有毛細胞の直
径は約10ミクロン(1000分の10ミリ)で、片耳に約3500個、外側有毛細胞
は直径5ミクロンで同じく片耳に12,500個もあると言われている。一個の細胞に
は各々100本ぐらいの毛があり、これら無数の毛が外界から入ってくる音波に対して
整然と揺れ動いている様を想像して頂きたい。外リンパの振動は各々の音に反応して基
底板を動かし、蓋膜と基底板に挟まれた毛が揺れ毛先にずれが生じる。このずれから毛
根にある感覚細胞が興奮して神経パルス(電気)信号を発するのである。この神経パル
ス信号は、CDトランスポートから出力されるデジタル信号のようなもので、これだけ
では音の認知にはならない。これが大脳の聴覚皮質に達してから初めて音として感じる
ことになるのである。図13では有毛細胞がこれらの状況に対して反応する瞬時の変化
を表している。蝸牛内を伝わる進行波は、鼓膜と耳小骨連鎖によって外リンパに微小な
圧力をもたらす。まず前庭階に伝わったこのミクロの圧力がカタツムリの頂点で折り返
して鼓室階に導かれていくと、両者の間には正と負の圧力が進行波の周期によって同一
部位で落ち合うポイントが発生する。その部位の位置的なズレによって、図11のよう
な周波数ごとの最大共振点が発生するのではないかと私は推測している。また、この有
毛細胞は、脳細胞と同様に生まれたときに出来たままで、新しく入れ代わるということ
はなく再生はしないのである。さて、これらのことが分かったのは、それほど昔の事で
はない。コルチ器そのものも1851年にコルチという人が有毛細胞の上に並だ感覚細
胞を発見し、それから100年以上もたってベケシーがストロボ照明によって基底板の
動きを観察することに成功したのである。これらの研究によってベケシーは1961年
にノーベル賞を受賞している。コルチがこの発見をした1851年というのは、どのよ
うな時代であったか。蓄音機を発明した、かの発明王トーマス・アルヴァ・エジソンは
、生まれてからまだ四年しかたっていない。アメリカ合衆国では最初のオペラハウスが
ニューヨークに建てられたのが1832年、米国最古のオーケストラであるニューヨー
ク・フィルハーモニーの設立が1842年、そしてヨットレースで有名なアメリカズ・
カップの第1回大会が開催されたのがコルチ器発見の年一八五一年である。その頃の日
本はと言えば、2年後の1853年にやっとペリー提督が浦賀に入港して国際化の窓口
を開いたという時代なのである。知られているようで知られていなかった、知識として
の人間の聴覚の歴史はほぼ一世紀半であり、その歴史は音を記録し再生するオーディオ
コンポーネントの進化と起源をほぼ同じくしていることが興味深く思われるのである。

第二章『聴覚への挑戦』

 第一部「聴覚の存在理由」
前章では空気の振動(正確には空気の疎密波)が聴覚を通して神経パルス信号に変換さ
れるまでを解説してきた。次に、私が販売し皆さんが愛用するオーディオコンポーネン
トが、これら聴覚にどれだけフィットした音楽再生を行っているのかを考えてみること
にした。まず、人間を含む動物の五感の中で聴覚がどのような目的で進化してきたか、
その存在理由は生存のための警告器官として発達してきたようである。他の動物や炎の
ような高熱に対しては、触れてからでないと判断できない触覚は自己防衛のためにはあ
まり役立たない。味覚と嗅覚も重要であるが、状況判断するためには情報量としては少
ない。原始的な生活環境の中で視覚は大変多くの情報量を瞬間にして取り入れることが
できるが、視野が限られており全方位の危険察知には時間的に遅すぎる場合も多いだろ
う。しかし、聴覚はあらゆる方位と距離においても敏感にそして早期に危険を察知して
きたのである。この警告信号としては、かすかであってもパルス性音波(例を挙げれば
、枯れ葉を踏んだカサッという音、小枝が折れるパキッという音など)には、人間を含
む動物は大変敏感なのである。これは聴覚から脳にいたる神経経路において、この種の
パルス信号は約30倍にも増幅されると言われているからである。この初期のパルス音
により、危険の潜む方向・距離をいち早く察知し反射的に回避行動に移りながら、その
後の持続された信号によって危険の種類や内容を分析評価して行動を行うのである。さ
て、人間の聴覚では10ms(100分の1秒)以下の持続音は覚醒意識下では感知で
きないとされている。それ以下の極めて短時間の音は潜在的な神経反射の領域で、音と
言うよりは気配・危機感としての情報処理が行われているのだ。従って、正確に音とし
て認知するには80ms以上の持続時間が必要であると言われている。音圧は一定とし
て、この持続時間をどんどん短縮しても主観的な音量感は低下するが、方向感と距離感
を左右する音像定位感はほとんど変化しないのである。この聴覚の性能上の特徴が警告
信号として大変有効なのである。従って、これらのパルス性音波は明確に音として認識
するのではなく、「ハッ」とするような無意識あるいは潜在意識の中で心理的な危機感
を増長していくのである。それでは、人間は一体どのくらい短時間のパルス性音波を危
機感として感じる事ができるのかというと、何と0・02msのパルスまで認識できる
と言われているのだ。これは20μsと言い替えれば、周波数としては50キロHzと
いう超高域の音波であり、半波長としても25キロHzという高音域となるのである。
さて、ここで図14にご注目頂きたい。この図はもともとドイツ語の文献から引き出し
たものなので、私の考察による解釈と和訳に関しては全て私の責任であることをお断り
しておく。簡単に言えば、万一私の解説に誤解があった場合には責任を持てませんとい
うことで、皆さんが楽しんで読んで下さればそれでよいと思うからである。前章を読ん
で頂いていれば、この図表の表している内容におおかたの理解がなされるのではないか
と期待している。解剖学的に聴覚の各器官を知った上で、更にこれを書いたドイツ人は
聴覚の成立ちを時間軸に当てはめて理解を求めているのである。音波が外耳を通過する
のに50μs(0・05ミリ秒)、内耳では35μsの時間を要するという。耳小骨連
鎖がテコの原理を応用していることも上手に表現されている。また、蝸牛の内部におい
ては音波の周波数によって、最大共振部分が違う位置に発生するというのも前述されて
いる通りである。そして、ここでは内耳における周波数と振動周期に大きく関心が寄せ
られるのである。つまり、この周期とは図13で示しているように、基底板が上下に一
回ずつ動いてもとの場所に復帰するまでの時間を表しているのである。おおかた純音(
正弦波)での計算値であると思われるので、周波数で割算すれば当然のように思えるが
、蝸牛内部で50μs以上の周期で基底板が上下動している様を思い浮かべると驚異的
である。そして、ある説によるとして前章で述べた鼓膜のライズタイムが15μsとい
うことは、パルス性音波の検知限界が20μsであるという聴覚の能力を余裕を持って
裏付けているのである。つまり、これら聴覚の諸性能を時間軸に対して表現するのであ
れば、パルス性シグナルに対する聴覚の分解能・分析力は20μs以上の精度を持って
いると言えるのである。

 第二部「パルス性トランジェントノイズ」

さて、今回はこむずかしい話ばかりで、川又は商売っ気がないなと思われている方も多
いかと思います。しかし、どうぞご安心ください。いよいよ、これからがオーディオの
お話しで、これまでの話しは壮大なイントロダクションであったのです。まず、聴覚の
基礎知識から、0・02msの分析力を人間が有しているということを念頭に置いて頂
きたい。一般的なダイナミック型スピーカーの構造では、振動板とボイスコイル及びボ
イスコイル・ボビンが可動部分であり、それには当然質量が存在する。そして、その振
動系を支えるダンパーとエッジにはバネ性があり、これらを磁気回路を含む電気モータ
ーでピストン運動させている。図15では、横軸を時間として縦軸でエネルギー・レス
ポンスを表している。図15Aは、自然界のパルス性音波が時間と共に減衰していく様
子を表している。それに対して図15Bは一般的な3ウェイ・スピーカーシステムに同
様なパルス性シグナルを電気的にステップ入力した場合の反応を表しているのである。
振動板が電気的なプラスの方向に向かって押し出され、そのままもとの位置にピッタリ
もどってくれればよいが、振動板の質量と支持構造のバネ性から、運動エネルギーの蓄
積と放出を繰り返してしまうのである。図15Bでわかるように、コントロールしきれ
ずにオーバー・スイングしてしまい、実際には入力信号にない振動板の挙動が発生して
しまうのである。これがパルス性トランジェントノイズと呼ばれている歪の一種である
。そして、このトランジェント・レスポンスは一般的なスピーカーの測定法、つまり一
定で不変であったりゆっくりと変動するサイン波を入力するといった定常状態での出力
音圧レベルの周波数特性では解明できないのである。また、同様な状態での第二次・第
三次高調波歪率の周波数特性からも見つけることは出来ないのである。この、やっかい
なパルス性トランジェントノイズの発見のためには、ステップ・レスポンス(段階応答
の意/入力が0から1へジャンプして維持されるこ)と、シングル・・インパルス・レ
スポンス(単一インパルス応答の意/入力が0から1へジャンプし、すぐに0にもどる
)を入力してみる他はないのである。ここで始末が悪いことに、これらのパルス性トラ
ンジェントノイズは、時間軸上で0・1msから20msという人間の聴覚が十分に感
じ取ってしまう領域で盛大に発生してしまうのである。そして、音楽とは過渡的なパル
ス信号の集合体なのである。それでは、このパルス性トランジェントノイズを人間が感
じてしまうとどのような反応を示すのだろうか。無意識、または潜在意識へ働きかける
警告音として、聴覚は絶えず生理的な危険信号を大脳に送り続けるということになる。
私が手にした文献によると「聴き疲れして長時間聴いていられない。」とか、入力信号
に含まれる過渡的成分が高い周波数に多いために「アンプで高音をカットしないと聴い
ていられない。」という反応になってくるようである。さて、大変お待たせしました。
このパルス性トランジェントノイズを発生しない、人間の聴覚に優しいスピーカーが遂
に開発されたというのが今回のメインテーマなのである。前章では基底板を振動させる
外リンパにおける横波状の波動を進行波と呼んでいるが、形状的には静かな水面上に小
石を投げ入れたときに発生する同心円上の波紋にも似ている進行波のことを、この文献
ではベンディング・ウェイヴ(Bendingwave)と呼んでいるのである。ベン
ディング・ウェイヴと聞いてピンッときた人は情報通であられる。そうです、BWT(
ベンディング・ウェイヴ・トランスデューサー)として知られるようになったマンガー
・ユニットがそれである。このBWTは、ドイツ連邦フランケン州メルリッヒシュタッ
ト市にあるマンガー研究所で開発された。この研究所の所長を勤めるのが理論音響学の
権威であるヨーゼフ・W・マンガー博士である。1967年にBWTの開発を開始し、
1974年には基礎開発を終え、1984年に現在の原形が完成するに至ったのである
。これらの開発途上における学術的な探究の成果に対しては、連邦政府より研究資金援
助を得たりバイエルン州政府から表彰を受けるなど輝かしい成果を上げていった。しか
し、研究者としては大変有能であっても、その開発した技術を商品として社会が受け入
れるかどうかは別問題である。しかも、その風潮は世界的に見ても同様な事例を数多く
生んでいたのである。BWTの完成を目前にしていた1983年には、レーザー・ター
ンテーブルの開発を行ったフィニアル・テクノロジー社がアメリカで設立されている。
日本では、時を同じくして孤高のエンジニアとしてうたわれた寺垣武氏が波動理論を発
見して、現在のΣ5000の原形となるプレーヤーの開発に着手しているのである。【
詳しくは本随筆の第二八話参照】各々がビジネス的には光があたらず、執念に支えられ
て経済的苦境の中で研究開発を継続していったのであった。初期のBWTは、その素晴
らしい理論とは裏腹に圧倒的な低能率であり、ハイファイ市場の他社製品と比べれば低
域の再生には物足りなさがあり商品化には至らなかったのである。こうした現状にいや
けがさしたのか、あるいは人里離れて研究活動に没頭していたのか、五年間ほどの間マ
ンガー博士は表舞台から姿を消して消息不明になってしまったのである。1989年の
ある日、ひょっこりと姿を表したマンガー博士が訪れたのが、以前から親交があり当時
スピーカーの事業で安定した右肩上がりの成長を続けていたドイツのブリロンに本拠を
置くオーディオフィジック社のヨアヒム・ゲアハート氏であった。ヨアヒム氏との共同
作業によって以前は80デシベルを下回っていたBWTの能率も、試作品では89デシ
ベルまで高能率化することに成功し、91年発表の「メデア」に商品として初めて搭載
されたのである。

 第三部「耳に優しい音」

それでは、このマンガー・ユニット(BWT)とはどの様なものなのか。ステレオサウ
ンド誌のNo.119の132ページにオーディオフィジックの「メデア」が取り上げ
られているので、写真としては同誌を参照して頂いた方が明瞭である。この原理に関し
て、もっとわかりやすい解説を私は述べていく事にする。図16はBWTの構造断面図
である。軽く軟らかい膜のような振動板の片側を高速で細かく振動させる高域の周波数
と、逆にゆっくりと大きく振動させる低域の周波数を単一のダイヤフラムで行おうとす
るのがBWTである。従って、高域では振動面積は中心に向かって小さくなる傾向があ
り、逆に低域では大きな振動面積を持つことになる。全体の面積は8インチ(20セン
チ)ユニットに相当し、ベンディング・ウェイヴ理論によって振動板は非ピストンモー
ション(波形運動)で駆動される。簡単に言えば、ダイヤフラムの表面は複雑に波打っ
ているのである。このダイヤフラムの内部損失(運動エネルギーを熱エネルギーに変換
する性質)は大変大きく、運動エネルギーの蓄積と放射がないので有害な共振が発生し
にくいのである。駆動方式としてはダイナミック型と同じムービング・コイル型であり
、ネオジウムを使用した強力な磁気回路と70ミリ口径のダブル・ボイスコイルによっ
て駆動される。この口径のフルレンジ型としてはワイドレンジ再生が可能であり、80
Hzから35キロHzまで再生可能としている。さて、肝心なパルス性トランジェント
ノイズ対策の回答が、BWTの立ち上り特性に秘められているのである。人間の鼓膜の
ライズタイムは15μsであると前述しているが、BWTの立ち上り(立ち下がりも同
様)は何と13μsであるというのだ。人間の潜在的な認識限界は0・02msであり
、0・013msの反応速度は十分以上の入力追随性を備えており、事実上パルス性ト
ランジェントノイズを発生させる要因が無くなってしまったと言える。入手した文献に
は他社の具体的な商品名をあげて、パルス性トランジェントノイズの実測データもあっ
たのだが、さすがに公表は差し控えた。図17は、概念図としてステップ入力への反応
を示したものである。縦軸はレスポンス、横軸は時間である。この場合の横軸全体の経
過時間としては、大体1000分の1秒という極めて一瞬の時間である。図17Aは電
気的な入力信号にステップ・レスポンスシグナルを与えたときの波形である。この場合
に考えられる理想的な音響出力特性が点線で描いたカーブである。オーバースイングす
ることなく、瞬時にしてゼロに復元することが望ましい。図17Bでは、一般的な3ウ
ェイ・スピーカーに同様な信号を入力した際の反応である。このカーブのようにオーバ
ースイングしてしまうのは、振動板に質量とバネ性の支持構造を持っているからに他な
らない。本来入力信号にはありえない波形が発生してしまうのだから驚いてしまう。し
かも、世界的に大変有名であり、大量に販売されている有名なモデルである。このパル
ス信号に続いて無数の信号が続けざまに発生するのが音楽だとしたら、この混濁の様相
想像を絶するものになるだろう。図17Cは、マンガー(BWT)ユニットの出力波形
である。ステップレスポンスと同様に急俊に立ち上がるダイヤフラムのライズタイムは
見事の一言に尽きる。しかも、プラス・マイナスに対してオーバースイングすることも
なく、立ち下がりも素直で理想波形に近い特性を示している。そして、シングル・イン
パルス・レスポンスに対しても、縦軸の直線と見紛うばかりの優秀な過渡特性を示して
いるのである。こんな、あからさまなグラフを見せられてしまうと、従来からあるダイ
ナミック型の他社スピーカーは粗悪品に見えてくるかも知れない。このステップレスポ
ンス特性の測定から見えてきたことを通して、世界中の様々なスピーカーを販売してき
た私は、一体どの様な解釈をすれば良いのだろうかと考えてしまった。まず、これらの
事象を肯定的に考えるのであれば、スピーカーの駆動部分であるダイヤフラムに質量と
バネ性を持っていないものは同様なトランジェント特性が得られるであろうということ
である。例を挙げれば、エレクトロスタティック型のクォードESL、ソニーのSS−
R10も同様だ。アポジーのフルレンジ・リボン型もそうである。ジェネシスのミッド
・ハイレンジのリボン型ユニット採用もまさに同格であり、サーボコントロールによっ
てウーファーにまでトランジェント特性を追求した同社の手法は徹底した理論の実践を
感じさせられる。これらは当然機械的に支持されたダイヤフラムを搭載しているのだが
、そのダイヤフラム自身に駆動力となるボイスコイル等の質量の連結もなく、大変優秀
なトランジェントを確保しているのである。次に、前述のパルス性トランジェントノイ
ズの測定とBWTの理論に対して否定的な考え方をするのであれば次のような反論が予
想される。ダイヤフラムの支持構造に関しては、スピーカーシステムの寿命・耐久性を
考えたときに現状では大きな変革は期待出来ない。この支持構造の中心となるものはダ
ンパーと呼ばれる部品である。このダンパー素材は、帝人株式会社製の「コーネックス
」という化学繊維を用いているのが世界的にも標準的な事例である。素材色として黄色
い繊維質で、同心円状のコルゲーションがつけられたパーツで皆さんもご存じの事と思
う。1キロHzという周波数を再生するということは、一秒間に1000回の往復運動
を振動板が行い、ダンパーがそれを支持しているのだ。1分間に6万回、一時間では3
60万回、一日1時間音楽を聴くとすれば一年間で13億1400万回のピストン運動
を支持する。同様に、再生周波数が10キロHzであれば一年間131億4000万回
、一日2時間聴けば1年では262億8000万回、あとはお好きなだけ計算をと言い
たくなるほど、本当に気の遠くなる運動回数なのである。これをダンパーはじっとこら
えて支えているのだから、縁の下の力持ち的な大変重要なパーツなのである。スピーカ
ーユニットの花形は何と言っても表面に見える振動板で、「〜の特殊素材」 「〜の何
層構造」と開発競争が盛んであるが、顔がどう変わろうとダンパーの素材は何年も前か
ら「コーネックス」なのである。一番地味でありながら最も過酷な仕事を一身に引き受
けているダンパーは、よっぽどの突然変異が起こらない限りは大きな変革はないであろ
う。従って、各スピーカーメーカーは、振動系の軽質量化と磁気回路の強化へと開発の
ほこ先を向けていったのである。人間の鼓膜の構造は既に述べているが、その質量を測
定したという話は聞いていない。現在1インチ口径のトゥイーターに搭載されている振
動系の質量はゆうに1gを下回っており、磁気回路は年々強化されているだけに、ユニッ
トを設計する立場の人々からも、パルス性トランジェント・シグナルだけが最重要では
ないのだと色々な反論が用意されていると思われる。これらの論争に関してひとつの明
確な判断基準を私は持っている。よく「木を見て森を見ない」と言われるが、「この方
式を採用したのだから間違いなく良いのだ。」「このパーツを採用したんだから悪いは
ずは無い。」などと、着眼点を一つにしぼりこんだ解説がなされることがある。しかし
、一つの理論にあぐらをかいてしまった結果、その技術だけに視野を占領されてしまっ
た設計が行われ、期待しながらも実物を聴いてしまってからは失望を隠せない製品もあ
ったのは事実である。要は、各々の理論に基づいた技術をどの様にまとめるか、製作者
の感性が大きく問われる場面であり、高価な製品を販売する立場から成功例と失敗例が
あることをはっきりと申し上げていく義務感を私は再認識しているのである。

第三章『BWTを搭載したスピーカー』

 現在このBWTユニットを搭載したスピーカーシステムは二機種が発表されている。
一つは前章で紹介しているオーディオフィジックの「メデア」(390万円)であり、
もう一つは昨年発表されたアクースティック・ラボの「ステラ・エレガンス」(248
万円)である。後者もステレオサウンド誌のNo.121の512ページを始めとして
数ページに渡り紹介されているので、なるべく雑誌の記事と重複しない解説を試みるこ
とにする。1996年4月5日東京は神田の某ホテルの一室、プレス関係・評論家・販
売店などの人たちを招いてオーディオフィジックの「メデア」の発表会が行われた。私
は、このような席に招かれたときには極力目立たないように、片隅で成り行きをうかが
うのが常である。複数の人たちに混じってセンターから外れたところで聴いても、はっ
きり言ってその製品の能力を判断することは出来ないと信じている。しかし、従前から
お世話になっているスキャンテックの皆さんが大変に期待を寄せるだけあって、とても
なおざりには出来ない。午前中のプログラムが終わって、また一人と皆さんが席を発た
れて人数が減っていくのをじっと辛抱して待つことにする。「もう、そろそろ聴かせて
もらってもいいかな。」と声をかけると、どうぞという返事が返ってきた。当時私のフ
ロアーにはジェネシス200が入っており、超ワイドレンジの再生音を聴いて選曲して
きたディスクを持参してきたのである。図々しくもセンターの適当と思われるところに
陣取り、期待の「メデア」を聴き始めたのである。「ウゥンッ、あまりたいしたことな
いな。」が正直な第一印象であった。期待のマンガーユニットは大変素直な素性を聴か
せてくれるのだが、空間情報に乏しいのである。簡単に言えばエコー感が稀薄でサウン
ドステージの展開が広がらない。マンガーユニットの軸上に音像が集中してしまい、左
右スピーカーの中間点では音場よもユニット前面での音像ばかりが印象に残るのである
。ユニット軸上に定位する楽器の質感は自然で良いのだが、二つの音源のあいだに点在
すべき楽音の影が薄いのである。他の人がいる場合には言えないが、外部の人間は私だ
けという状況になり、「どうですか。」という声に遠慮無く本音を話し始めたのである
。もともとスキャンテックの面々とは気さくなつきあい方をしており、私の考え方も十
分に理解してもらってる仲であった。私の感想をオーディオフィジック社の社長である
巨漢のヨアヒム・ゲアハート氏に伝えると、氏はすかさず「メデア」にかけよりリアパ
ネルをいじり始めたのである。「これで、もう一度聴いて下さい。」と自信ある面持ち
でほほえむ。「アレッ、さっきとは全然違うじゃないか。これだったらイイヤ。」と内
心でうなりの声を上げた。左右の音源の密度感がしっかりと中間定位の楽器群にも表れ
、片側から発せられたエコーの尾をしっかりと他方が引き継いでいくのである。何を変
えたのかと訪ねると、リアパネルのジャンパーを切り替えて三個あるマンガーユニット
のうち両サイドのレベルを通常の状態に戻したと言うのであるという。思わず、デモの
音質もこの状態で最初から聴かせていれば良かったのにと思った。そして私は、「大変
シンプルなデザインだが、このスクェアなコーナーからディフラクションが発生するの
ではないかと思うが。」と質問した。そこで、ヨアヒム氏はあるチャートを手にして説
明を始めたのである。(以下は分かりやすいように解釈した私の意訳での解説です。念
のため)図18は、マンガーユニットを平面バッフルに取り付けて、前述のステップ・
レスポンス・シグナル(Ue)を入力したときの放射パターンと出力特性のシミュレー
ションである。グラフにもマンガーユニットにおけるトランジェント特性の素晴らしさ
が表れている。ヨアヒム氏が目指しているマンガーユニットの最善の使用結果がこの状
態にあるという。図19は、マンガーユニットを一つだけ一般的な箱型キャビネットに
収納した場合の同様な測定結果である。矢印で示しているとおり、キャビネットの前面
コーナーから放射される反射波の影響で、ステップ・レスポンスの反応に異変が起こっ
ていることが観測されている。図20は、同型のキャビネットに対して、側壁の反対側
にもう一つマンガーユニットを追加した場合の特性図である。図18の理想波形に対し
て、ステップ・レスポンスの急激な減衰が認められる図19の特性が音源の追加によっ
てかなり改善されてきたことがわかる。図21は、更にユニットを追加して三個を使用
した場合である。結果的に図18の理想波形に酷似してきた状態が表れている。平面バ
ッフルの最大の特徴であるキャビネットによる回析効果やコーナー輻射が発生しないこ
とが、マンガーユニットのトランジェント特性にも重大な影響力を持っているというこ
とである。そのためにヨアヒム氏が「メデア」の設計に関して重要視したのが、マンガ
ーユニットを三個搭載するということなのである。そして、両サイドに取り付けられた
ユニットは正面のマンガーユニットに対して、二分の一ずつの音圧を放射するように設
定されていると言う。正面のマンガーユニット1に対して両側のユニットは各々0・5
ずつのエルネギーを放射し、結果的に測定点では平面バッフルと同様なパルス応答性を
確保したのである。この両側の二個のマンガーユニットのレベルはリアパネルで調整が
出来るようになっており、前述のような私の経験からも音場感の創出に大きな効果を持
っていることがわかる。私は、偶然にも図19の状態に近い「メデア」の音を聴き、音
場感の欠乏を感じて図21の状態に変化するという実例を既に当時経験していたことに
なるのである。さて、次にBWTに組み合わされるウーファーの問題である。「メデア
」に関しては、400Wのパワーアンプを内蔵するアクティブ・ウーファーシステムで
あることは当初から発表されていた。しかし、「ステラ・エレガンス」に関してはPP
Cと呼ばれる外部プロセッサーを、パワーアンプとスピーカー本体の間に挿入して使う
ということが前提になっている。雑誌を見ても「ネットワーク・ボックス」とか「アク
ティブ・ネットワーク」としか表記されておらず、当時は輸入元にきいても正体がおぼ
つかないのである。九七年一月のある日、そんな私の欲求不満が募る中で、突然アクー
スティック・ラボの社長であるゲルハルト・シュナイダー氏が私を訪れたのである。事
前に伝え聞いていたとおり、見るからにドイツ人という感じの長身で精悍な男である。
英語であれば専門用語を含む会話の内容は大体推測出来るのだが、ドイツ語ではまった
く話が分からない。幸いにも同社の日本人スタッフが同行され、通訳をして頂けるとい
うので質問をしてみた。「PPC(プロセッシング・プレッシャー・コントロール)ユ
ニットとは、具体的にどのような働きをしているのですか。」「ステップ・レスポンス
に代表されるようなBWTの素晴らしい能力を活かすため、ウーファーにも独自のコン
トロールを施しているのです。」それは、もうわかっている。こちらも素人ではないの
で具体的にエレクトロニクスの内容を知りたかったのである。質問の仕方を変えて・・
・。
「簡単に言えばパワーアンプの一種ですか?」
「そうです。」
「それでは内臓パワーは何ワットですか?」
「チャンネルあたり400Wです。」
「PPCにはデジタル回路が入っていますか?」
「入っています。」
「デジタル回路を内蔵した目的は?」
「BWTのトランジェント特性にウーファーを追随させるためにメイン・パワーアンプ
から送られてくる信号の波形(電圧検出)だけを受け取り、このマイクロプロセッサー
がフィードバックを内臓パワーアンプにかけてウーファーを制御します。」
なるほど、質問の仕方も単刀直入なドイツ流に変えた方が収穫は大きそうだ。後日送ら
れてきたPPCのブロック図を見ると、このフィードバックの検出点はパワーアンプの
出力段以降でスピーカーの直前から引き出されている。その帰還経路はスピーカーの逆
起電力を受け取り、内臓アンプを通じてマイクロプロセッサーにシグナルを送り、マイ
クロプロセッサーは内臓アンプの電源とアクティブ・ローパス・コレクション・モジュ
ールに指令を出しているようである。ジェネシスのようにセンサー・コイルを内蔵した
サーボシステムではないが、速度帰還型のループを構成しているアクティブ・ウーファ
ーシステムを「ステラ・エレガンス」は搭載しているようだ。しかし、400Wのパワ
ーといい内臓パーツといい、そしてコントロール方式やメイン・パワーアンプからの信
号の受け取り方など「メデア」そっくりではないか。これは、私が両者の内容を見聞し
ての個人的な推測であるが、「メデア」の内臓アンプと「ステラ・エレガンス」のPP
Cを設計した人は同一人物ではないかと考えている。つまり、「メデア」の内臓アンプ
を取り出して別筐体に納めたものがPPCであると理解しているのである。そして、双
方共に肝心なことは、BWTのトランジェント特性をきれいにウーファー帯域につなげ
ていくためには、ウーファーに専用のプロセッシングを施して特に信号の立ち下がりを
重視したブレーキ効果を持たせることが肝心であるということである。いやはや、なか
なか奥深いスピーカーではないかと感心してしまった。

『エピローグ』

 私は常々このように考えている。海外の商品を日本の皆様にご紹介するにあたって、
私はそれらメーカーの哲学・技術・感性を代弁出来ることが重要であると考えている。
言い替えれば、高度な技術をわかりやすく噛み砕いて説明すること、崇高な理論を間違
いの無いように伝えていくこと、情熱的な感性をロマンチックな表現で語ること、これ
らすべてが私の仕事の核心なのです。そのために、私に対して色々な情報をどの様にイ
ンプットしてくれるかで、皆様にお話し出来る内容が天と地ほどの差が付いてしまうの
である。今回は人間の聴覚の話題から最新スピーカーの裏話しまで、長編の随筆となっ
てしまった。これも、日本のオーディオファイルの皆様に対して私の知識と経験の分配
を繰り返していくことで、日本のオーディオ・レベルが高くなっていくことを望んでい
るからに他ならない。数年先には、有名な海外メーカー各社にとって、世界で一番手強
い国が日本であって、日本で評価されることが世界市場で評価されることにつながるよ
うな情勢が実現すれば素晴らしいことだと考えているのである。そのために、販売する
立場にある私に何が出来るのだろうか?私の職務が続く限り果てることのない課題であ
り、オーディオという趣味を通じて、売り買いするだけではない人間同志の絆を無限に
拡大していきたいと考えてるのである。1997年・世界的な高級モデルを日本を代表
して受け入れていこうとする今この時に、自分の感性を磨くことが皆様のお役に立つこ
とであるとの信念を確認し、ことさら真摯な態度で基本を見つめ学習を続けていくこと
を新たに誓うのであった。21世紀に向けて、更に多くの人々とめぐりあえる期待がふ
くらむ。ヒアリングと会話こそ、その感性を伝えていく唯一の手段である。皆様が求め
ているコンポーネントの価格に対比させて見れば、東京に移動するための交通費は一体
何パーセント位になるだろうか。その移動のための経費と労力をかけても、生涯の伴侶
ともなるべきコンポーネントに巡り合えるのであれば、皆様にとって最も大切な感動と
体験が得られるのではないでしょうか。今年こそ、どうぞ東京へお越し下さい。   
                                    【完】
               参考資料及び図・写真引用  株式会社 風人社刊
                 山田 宗陸(代表)著  「耳は何のためにあるか」
               同書より(顕微鏡写真/浜松医科大学 星野 知之)

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