第三十九話「新・鸚鵡貝の誘惑」






第一章『マーク・スプリング』

 1996年9月30日さながら大掃除か、はたまた嫁入り支度といった感じで私のフ
ロアーから大型スピーカーの大移動が行われた。この日は、かねてから予定していたノ
ーチラスの搬入の日なのである。このフロアーの数あるスピーカーを一掃して、営業上
のリスクを顧みずに1セットのスピーカーだけを最高のコンディションで演奏しようと
いう試みは、二年前の夏にガルネリ・オマージュが登場した時以来である。私が取り扱
っているコンポーネントはみんな重量級ばかりで、運び出した数々の製品を合計すれば
1トン近くの重量になるであろうと思われる。本随筆においても第九話と第二九話の二
編でノーチラスとの出会いから基本原理までを解説しているので、今回は二か月以上に
及ぶノーチラスの試聴経験から使いこなしの面での考察をまとめてみる事にした。さて
、今や遅しと待っていると、やっと輸入元がチャーターしたトラックが到着した。ノー
チラスの梱包は、厚みが約0・6m程度、一辺が約1・5m四方のほぼ正方形の木箱で
ある。そのままではエレベーターにも入らず、ましてや売場で開梱することも出来ずに
、否応なく当店の軒先である歩道上で開梱作業を開始する。細心の注意を払って汗だく
の作業を繰り返し、約1時間の奮闘の末にノーチラスの搬入が完了する。あぁ、遂に、
ミッドナイトブルーの鸚鵡貝が1年ぶりに優雅な立ち姿を見せてくれたのである。「さ
あ、セッティングだ。」とはりきる私だが、そう簡単にはいかない。まずノーチラスは
親指ほどの太さのスピーカーケーブルが本体底部から直接引き出されており、全長3m
のケーブルは先端の1m手前から八本の色分けされた各帯域別のケーブルへと先分かれ
している。この純銀線ケーブルの先端は何も端末処理がなされていない状態、いわゆる
「先バラ」で何も付いていないのである。パワーアンプの出力端子に接続するために、
同行してこられた輸入元である日本マランツのサービスの方にスペードプラグの圧着を
お願いした。今回の企画で最初に選択したのがマークレビンソンのアンプ群である。ト
ゥイーターにはNO・332L、ミッドハイとミッドローにはNO・333Lを各1台
、そしてウーファーにはNO・33Lを準備してある。ここで、ちょっとした問題。N
O・332LとNO・333Lはステレオアンプなのでノーチラスの手前中央に3台横
並びとしたが、NO・33Lは巨大なモノラルアンプである。これをノーチラスの内側
に置くことは出来ない。しかし、ノーチラスの先別れしたスピーカーケーブルは股裂き
状態で広げても2m程度しか広がらないのでウーファー用のケーブルがアンプに届かな
くなってしまう。「しかたない、延長だ。」しかし、生半可なケーブルは使いたくない
。そこで、ちょうどシルテックのLS4−120(1m当り9万円)が手元にあったの
で、それを3mほど延長用に使うことにした。「これだったらディッキーさんも文句な
いでしょう。」と独り合点する。プリアンプはNO・38SL、CDトランスポートは
入荷したばかりの新製品NO・31・5L、DAコンバーターはNO・30・5Lと見
事に最新最高のマークレビンソンが勢揃いしたのである。ちなみにノーチラスを含むシ
ステムの定価合計は1,848万円となる。マークレビンソン社々長のマーク・グレイ
ジャー氏からも同社のフルセットをB&Wへ納入しているという話を聞いているだけに
、これからの二か月間の滑り出しには中立性が高く、同一ブランドで入り口から出口ま
でを網羅出来る統一性、これから繰り返される数々の試聴に向けたリファレンスとして
の完成度の高さと素性の素直さを求めたのであった。インターコネクト・ケーブルは、
当フロアーのリファレンスであるカルダス/ゴールデン5のバランスケーブルで統一し
た。このゴールデン5も5年近く使いこんでいる代物で、頼りになる仕事をしてくれる
もので私にとっては手放しがたい貴重な存在である。さぁて、いよいよノーチラスに歌
ってもらう時が来た。最初に選んだアルバムは、私の試聴では定番となっている大貫妙
子の「ピュア・アコースティック」である。話は横道にそれるが、この「ピュア・アコ
ースティック」は私が何度もご紹介しながらも限定発売というアルバムのために、お問
い合せを頂きながらも皆様にご提供することが出来なかった。しかし、以前の7曲に4
曲を追加して、11月27日に東芝EMIから同タイトルのままで再発売されたのであ
る。(東芝EMI TOCT‐9690 税込\3000)これで私は87年の初版、93年に限定再発売さ
れた「ピュア・アコースティック・プラス」、そして今回の物と三種類の同タイトルC
Dを手にする事になったのである。同じ音源でありながら、時代の変化に伴って変化を
見せるマスタリングの音質差がノーチラスで鮮明に聴き取れたことをご報告しておきた
い。さて、いよいよ音を出す瞬間がやってきた。その「ピュア・アコースティック」の
冒頭の曲「雨の夜明け」をかけてみた。「あぁッ、(これは私がもらした溜息です)や
っぱりいいなあ。」ヴォーカルが空間に浮かび、そして空気に溶け込んでいく。陽光燦
々と輝く日差しの中で、霧吹きのスプレーで冷たい水をシュッと吹き出した瞬間をイメ
ージして頂きたい。みずみずしく生気にあふれる彼女のヴォーカルは、日差しのただ中
へきらきらと光輝きなが噴射された水の微粒子のように、瞬時に拡散するエコーを発散
して彼女の姿を包み込むのである。しかし、その空間を漂う微小な水滴の透明感は彼女
の姿を取り囲みながらも、決して口元を隠してしまうような濁りは見せない。そして、
吹き出された霧が目前の地上に落ちて黒い染みをつけるのではないかと案じていると、
空気中に漂う霧がごく自然に気化していくように、彼女の声は美しい余韻を残しながら
フゥーと消えていくのである。一年ぶりのノーチラスは、その第一声だけで私を虜にし
てしまった。昨年の経験を生かしてラフにセッティングしただけなのに、もうその魅力
を発散させるノーチラスに思わず聴き惚れていてハッと我にかえる。「いやいや、こん
なものじゃない。プレースメントをしっかりとやらなくちゃ。」と、日本マランツの皆
さんに力仕事をお願いする。「あと10センチ広げて。イャ、もう20センチ広げて。
」と立て続けて位置を動かしてもらう。一見軽そうに見えるノーチラスだが、片側11
0kgという重量を考えるとこまめに動かすにも骨が折れる。「じゃぁ、次はオフセッ
トを変えましょう。」一端ノーチラスの正面が私を見つめてくる角度から始まって、「
もっと内側に向けて。」を何度も繰り返していく。ノーチラスを正面から見るような角
度で聴きはじめると、音像は手前に張り出してくるような印象が感じられる。この状態
ではノーチラスの各ユニットから音波が出ているという、音源に対する位置感覚がイメ
ージされてしまうのである。ところが、両チャンネルのノーチラスがオフセットアング
ルを強めるに従って、言い替えれば内側へ向ける角度が大きくなるに従って興味深い変
化をしはじめるのである。当初、大きく分ければ各スピーカーのユニット近辺とセンタ
ーの三か所に群れていた楽音に、あたかも行進する軍隊が指揮官の号令を受けてピシッ
と隊列を整えるがごとくの変化を示すのである。まず、左右チャンネルのユニット位置
から更に左右の両翼へ、楽器の定位とエコーが拡散する空間の大きさも含んだ状態でサ
ウンドステージが拡大される。これはカメラで言うところのパノラマ撮影モードとイメ
ージして頂きたい。写真に写った人物の姿が凸レンズによって横方向に引き延ばされて
デブに見えるという映像イメージではない。人物は正確にあるべきプロポーションを維
持しながら、背後の景観がグーンと視野を広げて再現されるということである。ここで
一言、スピーカーが消えるのである。そして、手前に張出しがちだったセンター定位の
ヴォーカルは、三次元的に見たノーチラスのセンターに後退する。三次元的なセンター
という意味はスピーカーの正面から見た場合のセンターであり、スピーカーを上から見
下ろした場合のセンターである。しかし、この時のヴォーカルは立体的な定位が変化す
るだけではない。正面から見たときの口の大きさがキューッと絞り込まれ密度感が高ま
り、大きめに淡い色彩で広がっていたヴォーカルが、濃厚な色彩感に変化しながら空間
の一点に像を結ぶようになってくるのである。さながら一眼レフのファインダーを覗き
ながら、マニュアルでフォーカスを合わせ込んでいくような快感である。そして何より
も強調しておきたいことは、大きかった口が潮を引くように空間の一点に向けて収束さ
れても、今まで口元の音像が拡散されていた空間に空虚な無音部分が現れてくるという
失態を演じることはない。そこには何段階にも識別出来る見事な階調表現で、ヴォーカ
ルを含む色々な楽器が漂わせる余韻のグラデーションが魔法のごとく現出するのだ。こ
こで一言、スピーカーが消えるのである。さて、ノーチラスのセッティングにおける変
化は、もうひとつの空間情報を生成することで完成を見ることとなる。前述のヴォーカ
ル定位の魅力的で有意義な変化は、もうひとつノーチラス後方への音場展開となって表
れてくるのである。つまり、遠近感と奥行き感の創造がオフセットアングルの調整によ
って更に熟成され、スピーカー後方へ、しかも天井へ向けて余韻が消滅していく方向感
として、広範囲にエコーが消えながら伸びていくそれぞれの方向へのベクトルが感じら
れるようになるのである。オーケストラを聴くにあたって、またオペラを愛好する方に
は、これはもうたまらないほどの臨場感と快感をプレゼントされることになる。ステレ
オサウンド誌でノーチラスを展示している同業他社の店頭写真を広告で見かけたが、ノ
ーチラスの真中にラックでアンプやCDの山を築き、カメラのレンズに向かって正対す
るように顔をこちらに向けたノーチラスが、果たしてどんな表情で歌っていることか心
配になってしまう。「大きなお世話だ。」と言われれば、「もちろん、そうですね。」
としか言いようがないのだが、ノーチラスの魅力を理解して来店客に聴いてもらわねば
ノーチラスがかわいそうに思えてならない。私がセッティングしたノーチラスを見て一
番多かった質問が、やはり90度近いノーチラスの強烈なオフセットアングルの取り方
であった。ノーチラスのオーナーズマニュアルには、きちんとこのクロスセッティング
の考え方が図示されており、店頭のセッティングによって大きく印象が変わってしまう
スピーカーという商品は、その実力を正確にデモンストレーションしなければと思うの
である。もっとも、そのデモの音質自体がその店のレベルであると思えば、皆様に認め
て頂いた事実から私も本望であり何も申し上げる必要もあるまい。しかし、マークレビ
ンソンはノーチラスにとって保守本道といった安定感を提供してくれる「失敗しないア
ンプ選び」としては格好の指標であると実感された。今回の企画は「ノーチラスの四季
を彩る」と題しているが、まさに「春」のイメージにピッタリのコンビネーションであ
る。ナイスガイ、マーク・グレイジャーにぜひ聴かせたい。

第二章『飛び入り・その1』

 周到に準備をしてきた今回の企画だが、私の胸のうちには顧客の求めに応じて更なる
可能性を試みる腹案があった。ノーチラスを導入し基本的なセッティングを完了した1
0月4日から6日までの3日間、マークレビンソンに加えてFMアコースティックのア
ンプで試聴を行ったのである。この時のアンプはプリがFM255、パワーがFM41
1、4台である。FM411の選択に関しては、比較的狭い部屋を考慮して最小高性能
なアンプはないだろうかという顧客の要望によるものである。幅43cm、高さ18c
m、奥行き45cm、そして重量はわずかに22kgというFM411のコンパクトな
ボディーは、ノーチラスのように4台を必要とする局面では大変ありがたいパワーアン
プなのである。この試聴に関してはFMアコースティックの輸入元であるアクシス株式
会社には多大なるご協力を頂いた。それでなくても高価で入荷台数も少ない同社のアン
プを4台揃えるのは大変難しいのだが、何とこの時は4台中3台は新品を開封して準備
して下さるという気合の入れ方なのである。ノーチラスは、他の輸入商社からすればア
ンプが4台まとめてセールス出来る可能性を持っているだけに関心が高く、この時とば
かりの協力体制で援助をして頂いたのである。いずれにしても、今回の企画の実現に関
しては関係各社の多大なるご協力を頂いており、この紙面を通じて心からのお礼を申し
上げたい。 さて、もう熟練と言っても良いくらいにノーチラスの配線に関しては 馴れ
親しんでおり、アンチョコを見なくてもケーブルのカラーコードが頭に入っており、興
味津々の内にFMアコースティックで配線を行った。そして、最初の数分間でFMアコ
ースティックの個性をはっきりとノーチラスの中に聴き取ることが出来た。これはマー
クレビンソンとは見事な対比を見せる個性のひとつである。マークレビンソンを四季の
中で「春」というイメージで捉えているが、ちょうど緑多き原野にそびえ立つ大木の姿
を思い浮かべて頂きたい。その大きな広葉樹は、遠目から見ると三角形の輪郭で見事な
枝をはりめぐらしているのである。新緑の季節がめぐってきて、その枝には鮮やかな緑
の葉が豊かに茂りだしてくる。やがて枝ぶりにそって濃密に生い茂る無数の葉は、背景
の青空に対して鮮明な輪郭を描くようになってくる。この情景を比較のための情景描写
として、マークレビンソンの印象として頭の中に定着させて頂きたい。この情景をFM
アコースティックのイメージに変えていくとこうなる。夏を過ごした広葉樹は次第に落
葉の季節を迎え、少しずつ葉の数を減らしていくのである。密成して生い茂る無数の葉
が隠していた枝ぶりが、再び見えるまでに背景の空から漏れてくる光が感じられるよう
になってくる。そして、しまいには太い幹から細かく細い末端の枝にいたるまで、その
大木の骨組みとなる複雑な枝の細部までが観察出来るようになってくる。この状況が、
FMアコースティックの個性を形容する表現としてご理解頂ければ幸いである。あくま
でも、この表現は四季のうつろいにヒントを得た表現であるので、FMアコースティッ
クを基準にすれば逆の過程で説明出来るであろう。ここで言う基準とは、すなわち個々
のユーザーの好みとする個性である。つまり、比較の対称として基準となるブランドが
どちらになろうとも、それはユーザー個々の感性によって決まることなので優劣を決め
るべき問題ではない。もっとストレートな表現をすれば、芯が丸まってきた鉛筆を削り
直し、それまで書いてきた柔らかいタッチの文字が急に引き締まってくるイメージと例
えたらどうだろうか。このオーディオに関する表現で「引き締まった音」と書いてしま
うと、すべてにさしおいて良いものであるという解釈がなされそうであるが、必ずしも
その一点の結論に固執するのはいかがなものであろうか。その好例が次に経験した出来
事である。真剣にノーチラスの導入を検討したいという要望に答えるために、前章で述
べたマークレビンソンのシステムに変化を持たせた試聴をしたのである。それはウーフ
ァーを受け持つアンプがNO・33Lでは現実的ではないので、それをNO・333L
に変更して、NO・332Lが二台とNO・333Lが二台による試聴であった。ただ
し、これまでの接続方法とは違う。これまでは、例えばNO・332Lは左右のトゥイ
ーター、NO・333Lは左右のミッドローという具合に、ステレオアンプ一台に同帯
域の左右チャンネルを受け持たせるという接続をしていたのである。しかし、NO・3
3LからNO・333Lへの変更を最小限の音質変化にとどめたかった私は、各二台の
NO・332LとNO・333Lをモノラル化して接続することにした。つまり、NO
・333LのRチャンネルにはウーファーを、Lチャンネルにはミッドローをつなぎ、
NO・332LのRチャンネルにはミッドハイを、Lチャンネルにはトゥイーターをつ
なぐという方法である。従って、片チャンネルにNO・332LとNO・333Lを各
一台ずつ使用するということである。さて、さすがにNO・33Lと寸分違わないウー
ファーの駆動力を求めるわけにはいかないが、この接続方式によってアンプの負担が軽
減され一般家庭では十分なパワーとクォリティーでノーチラスを鳴らすことが出来たの
である。その時の印象が前述のちょうど逆の解釈で大いに好感を持ったのである。つま
り、鋭い芯で神経を使いながら文字を慎重に書くよりは、多少丸みを帯びてきた鉛筆で
少しは力も入れられるようにリラックスして書ける方が楽なのではないかという逆説的
な解釈が心地良く聴こえるのである。ノーチラスがスタジオモニターに適しているとは
決して思わないが、アンプやCDにとっての厳しいモニターであることは間違いないと
思う。つまり、パワーアンプの素性やプリアンプやCDなどの能力を鋭敏に、しかも的
確に聴かせてくれる洞察力が素晴らしく、まさにエレクトロニクス・コンポーネントの
姿をそのままに映しだす鏡のような存在である。待望のノーチラスと同棲生活を送るよ
うになってわずか一週間で、早くもノーチラスの潜在能力の素晴らしさが相当なもので
あることを思い知らされたのである。このノーチラスと同居することによって、この私
も高レベルの勉強をさせられる相手であることが実感されたのである。

第三章『クレル・サマー』

 そして、10月16日いよいよ第二のブランド、クレルの搬入である。ウーファー用
にはFPB600、ミッドロー以上の帯域はFPB300を3台使用する。それでなく
ても新世代クレルは精悍なデザインのフェースパネルだけに、4台のFPBがズラッと
勢揃いすると壮観そのものである。CDはワディア7と9としてノーチラスを含むシス
テム価格は1,450万円である。本随筆の第三十五話でもクレルの最新テクノロジー
を解説してあるのでその内容に関しての説明は割愛させていただくが、これだけは最初
に申し上げておかなくてはならない。これだけのクレル・アンプを使用するとすれば、
誰もが心配するのが電源供給の問題である。カタログ上での消費電力は次のような記載
になっている。FPB300はスタンバイ時で75W、アイドリング時で350W、最
大出力時で3000Wである。100V(ボルト)電源での電流値は、アイドリング時
で3・5A(アンペア)、最大出力時で30Aとなる。このFPB300を3台使用す
るのだから、アイドリング時で10・5A、最大出力時で90Aと計算される。そして
、FPB600はスタンバイ時で85W、アイドリング時で430W、最大出力時で6
000Wである。同様に100V電源での電流値は、アイドリング時で4・3A、最大
出力時で60Aということになる。これだけ見ると「とんでもないアンプだ。」と思わ
れるだろうが、あのマークレビンソンNO・333Lと比較してみると次のようになる
のだ。スタンバイ時で200W、アイドリング時で350W、8Ω負荷に対する定格出
力である300Wを出した場合には1850Wとなるのである。クレルFPB300と
NO・333Lは、同じ300Wを定格出力としている。スタンバイ時には明らかにク
レルの方が省エネ設計であり、アイドリング時は全く同じ350Wを消費しているのが
わかる。問題はピークパワーを出力するときの消費電力、FPB300が3000W、
NO・333Lが1850Wという違いであろう。多くのアンプデザイナーが電源部の
能力をキャパシター・バンキングに依存した設計をしているが、クレルの電源部は高速
レギュレーターとして発想されており(詳細は第三十五話にて)、この相違点はアンプ
本来の電源をACコンセントとみなしていることが主因として考えられる。つまり、ク
レルはAC電源にもリニアリティーを要求するのである。これがクレルの音質の素晴ら
しさにつながっているのだから仕方がない。さて、肝心なのは一般ユーザーが聴くとき
の音量という実用レベルでの消費電力ではないだろうか。正直に言って、私は自分のフ
ロアーではかなりの音量まで上げてみることがある。いうなれば高速サーキットに持ち
込んで、実用的ではないにしても、その車の最高速度での走行状態もためして見なけれ
ばという思いからである。そして、そんな時に当フロアーのブレーカーが上がってしま
うのは、きまってクレルを全開にした時である。当フロアーの壁コンセントには全部で
80Aの電源を取り入れているが、残念ながら一つで20Aの小さいブレーカーで四系
統に分割されている。その系統ごとにうまく分散させないと、ブレーカーがダウンして
しまう。それでなくてもクレル以外に相当数の装置を使用しているので、この配分には
コツがある。室内の電源系でほとんど手つかずの20Aラインから、FPB600とF
PB300の2台で7・8Aのをまかない、残りのFPB300二台7Aをほかの系統
へと接続した。これら4台のアイドリングで14・8Aとなり、この状態ではほとんど
の家庭でも問題は起きないであろう。この状態では当フロアーのエアボリュームにおい
て、いわゆる「市街地走行」をしても全然平気である。おそらくは大多数のご家庭でも
、私がここで行っているテストケースでの大音量をそのまま聴くという事はまずありえ
ないと思われる。とは言うものの、実際にはどの程度のパワーを必要とするのか気にな
るところである。そこで、年末の忙しい時期ではあるが輸入元のアクシスに無理をお願
いして実測での消費電力を測定して頂いた。これはカタログにも雑誌にも載っていない
データなので、クレルを筆頭候補として検討している皆様には良い情報となるはずであ
る。最大出力に近いレベルを求めるユーザーには、電源環境の整備と容量の余裕を見込
んで頂ければ良いと思うので、今回は実用レベルでの出力として30WまでをFPB3
00を対象として測定したものである。まず、アイドリングの無信号状態で350W、
スピーカーの負荷を8Ωと固定し1キロ の正弦波を入力して5Wの出力を得ようとし
た場合コンセントに求める電力は780W、同様にして10Wの出力を得るためには7
90W、そして30Wを得るためには1400Wという消費電力が実測されたのである
。この様に倍の出力を求めても消費電力が倍になるという比例関係はなく、実用レベル
での使用状態では一般的な電源での対応でも問題は発生しない。30Wを求めると14
00Wを消費するが、この1400Wいう数値が大変大きな消費電力だと思われる方も
あるのではないかと思う。しかし、十二畳から十五畳程度の部屋を冷房するエアコンで
も1300W程度、容量2・2リットルのジャーポットでも1000W、一升炊きの炊
飯器でも1300W、最近のヘアードライヤーにいたっては1200Wと、電化製品の
消費電力と比較して見れば理解して頂けるのではないだろうか。しかし、誤解のないよ
うに付け加えるのであれば、清潔な電源環境と余裕ある電源容量を準備出来れば、クレ
ルのアンプはそのレベルに応じて見違えるような能力を発揮していくという可能性は残
しているのである。要は、ついついカタログ公表値の最大消費電力に目が行ってしまう
が、実用上の音量によって必要とする範囲で消費電力を想定すれば、それほど大げさに
考えなくても大丈夫ではないかと私は考えている。安易に考えれば当事者が求める音量
で、頻繁にブレーカーが落ちてしまうという事態を確認してから電源の強化を実施して
も良いと思う。そして、万全を尽くしての電源工事を行ったとしても、FPB300の
定価(135万円)の10数パーセントの費用で100Aまでの改定が可能である。こ
のへんは川又にご相談いただきたい。さて、クレルのパワーアンプでセッティングを完
了し、いよいよノーチラスに第三のアンプで息吹を吹き込むときがやってきた。「うま
い。これはいける。」と、私は胸のうちで感嘆の声をあげた。「濃厚で滑らか。比較の
対象としてFMアコースティックの音のイメージをコンソメスープとするならば、マー
クレビンソンはコーンクリームスープのようだ。滑らかさはあるものの、味わいとして
はコーンという主材料の統一性をもって充分に予想した通りの食感で答えてくれるのだ
。しかし、キメ細やかな舌触りが最初に味覚に馴染み、濃厚でありながら複数の素材を
ブレンドしていることが後味の深さと余韻とに裏打ちされて、まさしくクレルの味わい
はポタージュスープのそれなのである。」クレルで鳴らすノーチラスにも、私は自信を
持って太鼓判を押した。そして一言、この例えにふさわしくクレルは熱くしないとおい
しくない。こんな例えを口にすると不謹慎だと怒られるかもしれないが、両者共に好み
が別れるのだから、これもユーザーにわかりやすい選択の根拠を提供するための比喩で
あるとご理解いただきたい。そして、10月21日クレルの社長であるダニエル・ダゴ
スティーノ氏が自社アンプで調理されたノーチラスを味見にこられたのである。「ハウ
・ア・ユー」「ナイス・ミート・ユー」発音の未熟さは皆様の頭の中で補って頂くとし
て、久しぶりの再会に喜んで頂き早速席に着いて頂く。通訳にはアクシス株式会社の室
井専務が同行して下さった。「以前ここには二度ほど起こし頂いており、一度は奥様と
ご一緒におみえになったのですが覚えていらっしゃいますか。」「YES!オフコース
。」私は挨拶に続いてダゴスティーノ氏にこう言った。「以前お会いしたときと比べて
表情が変わりましたね。大変笑顔が多くなっているなと思っています。私が思うに、ア
クシスとパートナーシップを結んでからはフラストレーションが減ったのではないです
か。」私のコメントを通訳する前に、アクシスの室井専務が笑いながら前置きを(もち
ろん流暢な英語で)言っているのがおもしろい。「いいですか、ダン。これから通訳す
ることには一切のデコレーションをしないから、そのつもりで聞いて下さいよ。」そし
て、通訳を聞きおえるとダゴスティーノ氏は一瞬の間を置いて、アメリカ人がよくする
ように大きな肩をすくめるように持ち上げて大変可愛らしい笑みを浮かべながら大きく
うなずいたのである。写真で見るダゴスティーノ氏からは想像も出来ないような表情で
あるが、さすがに言葉で答えないところは世界的にセールスを推進している紳士的なビ
ジネスマンであり好感のもてる人柄であることを再認識した。今回の来日もスケジュー
ルがつまっているということなので、早速私の選曲でノーチラスの試聴をはじめること
にした。この時の最初の曲は、さすがに大貫妙子ではなくオッターのマリアン・カンタ
ータ&アリアにした。第一印象を無言のままで語ろうとしないダゴスティーノ氏の横顔
を見ながら、次のディスクに交換しようとしたその時。「ベリー・グッド!」ダゴステ
ィーノ氏は大きくうなずきながら声をかけてくれたのである。「サンキュー。」と言い
ながら私は胸のうちで「やった!」と感激の声を上げてしまい、うれしさが表情に出て
しまうのを必死に抑えていた。次の曲もダゴスティーノ氏は指先でリズムを取りながら
真剣に、しかも楽しそうに聴き続けているではないか。ティールを日本に紹介して軌道
に乗せた実績を持つ室井専務からも、「はじめてノーチラスを真剣に聴いたけど、これ
ほど素晴らしいとは思ってもいなかった。」と、めずらしくお褒めの言葉を頂いた。そ
の合間に質問する。「クレルのオールドモデルを持っているユーザーが、ノーチラスを
鳴らそうとして新型のFPBシリーズを買い足すとしたらゲインが同じでないと困って
しまう。その点はどうだろうか。」エンジニアであるダゴスティーノ氏の回答は早かっ
た。「1990年に発表したKSA−250以来、当社のパワーアンプはほぼ一貫した
ゲインを設定しているので問題はない。大変微妙な数値を計測しようと思えばコンマ数
デシベルの誤差はモデルによっては考えられるが、実用上のコンビネーションには何ら
問題はないと言えます。」なるほど、実は今回の企画に際して、マークレビンソン、ジ
ェフローランド、ゴールドムンドなど、各社に対しても同様な質問を投げかけたところ
、新旧のゲイン設定で問題が発生することはなかったのである。確かに各社の歴代のア
ンプの中には微妙にゲインの異なるものもあるが、技術的には調整可能であるという回
答を得ている。個々のケースに関しては私にお問い合せ頂きたい。また、ダゴスティー
ノ氏とB&Wとは社長同士の親交が以前からあり、ノーチラス専用の特殊な4ウェイの
チャンネル・ディバイダーの開発を依頼されたという経緯がある。4ウェイのクロスオ
ーバー周波数は、220Hz、880Hz、3・5キロHz、とほぼ2オクターブごと
に設定されており、スロープ特性は18デシベル/オクターブとなっている。このチャ
ンネル・ディバイダーは、帯域分割という基本機能に加えてノーチラス専用とするため
に新たに二つの機能が追加されたのである。一つはウーファー用ローパスフィルターに
おける周波数特性の補正だ。ウーファーの背面放射を消滅させるというトランスミッシ
ョン・ロッドの原理により、ウーファーは極端なオーバーダンプ特性を示し、6デシベ
ル/オクターブのスロープで低域レスポンスは減衰しているのである。一般的なスピー
カーでは、この低域再生をエンクロージャー設計によって増強補強しようとしている理
論とは全く好対象と言える現象である。しかも、その増強補強を実行した副産物として
特定のキャラクターが発生し、それを補正するための手段が更に必要になるという実態
がある。しかし、ノーチラスの低域特性は全くきれいなスロープを描いて減衰してしま
うので、6デシベル/オクターブの逆特性で低域をブーストすることになる。だが、計
算されたエレクトロニクスの手段によってブーストされるのだが、その逆特性に特有の
キャラクターは発生しない。量よりも質を追求したノーチラスの低域がそこにあるので
ある。 この逆特性は10Hzにおいて20デシベルのブーストを行っており、 パイプ
オルガンの最低域からサブソニックのレベルまでもレスポンスを得ているのである。こ
こまでは私も既に知っている事柄であった。そして、もう一つの機能は、オペ・アンプ
によるアナログ・ディレー付きのリニア・フェイズ・フィルターという構成になってい
ることである。従って、ディレーを組み込むということは、遅延させるための基準周波
数と、何マイクロセカンド遅らせるのかという時間軸においての偏差が知りたかったの
である。残念ながら輸入元に聴いても、ノーチラスに詳しいと言われる評論家に尋ねて
も明確な答えは得られなかった。基本設計を依頼されたダゴスティーノ氏ならば知って
いるのではないかと思い、そこを質問したのだった。しかし、さすがの室井専務も、こ
の通訳はかなり難しかったようで、「ディレーがかけられる基点の周波数は、どうやら
1キロHzらしいよ。」と、何度も確認しながらの答えを日本語で伝えて下さった。「
そうか、1キロHzということはミッドハイ・ユニットが受け持つ帯域だ。おそらくは
波長を考えても、そこから上の帯域に向けてディレーが働いているんだろう。」と私は
頭の中で考えをめぐらせる。さて、ここで時系列は多少とんでしまうのだが、ノーチラ
スの内部をのぞく機会があって意外な発見をする。これはカタログにも雑誌にも載って
いない事なのだが、現在のノーチラスには初期に生産されたものにはなかった、あるパ
ーツが追加されているのである。トゥイーターにいたる内部配線に太さ3cm程度で長
さが8cmくらいのキャパシターが直列に挿入されているのである。表面にはパーツナ
ンバーのC2429、B&Wスーパーサウンドという英文字がレタリングされており、
SPA30U・J250という記号が付されている。恐らく耐圧250ボルトで30マ
イクロファラッドという規格ではないかと推測しているものだ。さて、ここでこのキャ
パシターの役目を時定数を算出することによって推測して見ようと思ったのだが、それ
にはユニットのインピーダンスが必要になる。これは公表されていないスペックなので
、輸入元へ問い合わせをしてみた。4ウェイマルチ専用という設計のノーチラスはパッ
シブネットワークが存在していないため、システム全体でのインピーダンス特性は計測
しようがない。そこで各ユニットを特定の周波数で計測して次のような数値を求めてい
たのである。ウーファーは210Hzにおいて8Ω、受け持ち帯域内でのミニマムで6
・9Ω。同様にミッドローは400Hzにおいて6Ω、ミニマムで5・44Ω。ミッド
ハイは1キロHzにおいて8Ω、ミニマムで7・2Ω。そしてトゥイーターは3キロH
zにおいて10Ω、ミニマムで9・6Ωというインピーダンスが判明した。そこで、ト
ゥイーターのインピーダンスを10Ωとすれば530Hzという時定数が算出されてく
る。このキャパシターが直列に配されているということは一次の単純なハイパスフィル
ターを構成することになり、530Hz以下にローカットをかけてトゥイーターを保護
する目的であろうと思われる。いずれにしても、これによって基本的には位相が45度
進行するという変化が起こるはずであり、それを考慮にいれたチャンネル・ディバイダ
ーのボードにも多少の改良が施されているのではないかと推測している。私は、この推
測にいたる理由をもう一つあげることができる。昨年ここに3日間だけノーチラスをセ
ッティングして、今年と同じように数社のアンプで鳴らすという試聴会を開催したのだ
った。当時サンプルとして日本に1セットしかなかったノーチラスのウーファーが、盛
んにサブソニックに反応してハタハタと動いていたのものだ。いかんせん10Hzで2
0デシベルのブーストをかけているのだから、音にならない超低域の不要振動にも当然
の事ながら反応してしまったのであろう。しかし、現在のノーチラスを毎日数えきれな
い数のソフトで聴いているが、あの時のウーファーのような際立った揺れがないのであ
る。このウーファーに対する補正カーブも、この一年で改善されてきたのではないかと
個人的な推測として考えている。輸入が開始された当初のチャンネル・ディバイダーと
比べて、内部のパーツレイアウトも変更されてきているということも耳にしており、や
はりノーチラスも成長と熟成を重ねて完成度を高めているようである。さて話は大分そ
れてしまったが、元々技術者であるダゴスティーノ氏は、こちらが技術的な質問を投げ
かけると「待ってました。」とばかり雄弁に答えて下さり、自社製品に技術的関心が寄
せられることを楽しみにしていることがうかがい知れたのである。やはり、アンプの設
計者として手塩にかけた製品が素晴らしい音質でデモンストレーションされている事を
大変に喜んで下さったようである。クレルで鳴らすノーチラス、そして私のセッティン
グにいたく感激して下さった様子のダゴスティーノ氏は、突然あるものを私にプレゼン
トして下さると言い出したのである。同席していた室井専務も、「本当か、本当にいい
のか!」(もちろんこれも英語ですが)とダゴスティーノ氏に問いかける場面もあり、
私も耳を疑うような素晴らしいプレゼントに驚いてしまった。まさしく世界に1台しか
ないノーチラスに関係した物なのである。クイズみたいな勿体振った表現しか出来なく
て申し訳ないのだが、大変多くの方が読まれるこの場では正体を明かすことは出来ない
のである。これからの予定期間が終わって、ノーチラスがこのフロアーを去ってしまっ
たならば、私はノーチラスのオーナーとなられた皆様にこのプレゼントをおすそわけし
ていこうと考えている。「私とお付き合いすると、こんな特典がある。」と、広範囲な
人脈の広がりから得られた役得は多少とも自慢出来るものになってきたのである。4台
のクレル・アンプが放出する熱気が強く感じられ、感動的なダゴスティーノ氏との会見
もあり、この時のノーチラスを聴いた多くの人々と私の気持ちを熱くした音はまさしく
に「クレル・サマー」であった。

第四章『ローランド・オータム』

 早いものでノーチラスとの共同生活も一か月となり、聡明な人格者として様々な局面
で色々な教えを私に授けてくれる良きパートナーとなってくれた。しかし、力仕事とい
う代償が二週間おきにやってくるのである。50kg以上あるアンプを何台も移動して
再びセッティングのやり直しで、11月1日からはジェフローランドが登場することと
なった。ウーファーにはモデル9T、ミッドローにはモデルDC9、ミッドハイにはモ
デル6、トゥイーターにはモデル6とバッテリー電源BPS6、プリアンプは当フロア
ーのリファレンスとなっているコヒレンスという大かがりなシステムである。これまで
のステレオアンプ4台とは違ってモノラルアンプで8台プラスバッテリー電源と、台数
と大きさともにスケールアップしてきた。CDシステムはワディア7と9を継続して使
用するので、この時の定価合計はノーチラスを含んで2,545万円となる。汗だくの
セッティングを終えてホッと一息つく暇もなく、ノーチラスは私のミスを見逃さずにす
ぐさま音質でそれを指摘してきたのである。このミスを音として感じ取って頂くには上
級者レベルの感性が必要とされると思うのだが、私には大きな違和感として感じられた
のである。今まで大変スムースに空間に溶け込んでいった楽音とその余韻が、何らかの
障害にあいザラッとした感じできれいに消えていかないのである。第一章で例えたよう
に、吹き出された霧が空中で気化してくれないのである。まるで、霧吹きの噴射口の穴
が広がってしまい、水鉄砲のように勢い良く水を吐き出すようである。前章の例えで言
うならば、粉末のインスタント・スープがお湯に溶けきれないで、粉っぽい後味が口の
中に残ってしまいとても安っぽい感じになってしまう。こんな筈ではないのにと、ジェ
フローランドへの配線やリアパネルでのインピーダンスやゲインのスイッチをチェック
するのだが原因がわからない。とにかく、私が知っているノーチラスとジェフローラン
ドの音ではないのである。こんな時は一晩頭を冷して見るのが良いと過去の教訓が教え
てくれる。帰宅途中にアレコレと原因を考えながら歩いていると、もしやと思われるヒ
ントが頭の中にひらめいた。「よし、明日やってみよう。」機械的、電気的な原因でな
いとすれば何なのか。ヒントはアンプのレイアウトにあったのである。そのセッティン
グの過程を思い返して見る。当フロアーのスピーカーステージは、まず床面から14c
mの高さに一段上がって、ノーチラスをセットしてある一番広いレンガタイル仕上げの
スペースがある。更にノーチラスの背後にあたる壁面に沿って、そこから40cmの高
さで奥行きが約75cmの二段目のステージが雛段形に作られている。この二段目のス
テージにジェフローランドを置いたのである。モデル9T(DC9も同様)は横幅が4
4・5cm、高さが29cmというフロントパネルであり、電源部も同様の大きさであ
る。この電源部の上に本体を乗せた2段積みのペアが四つ出来ることになり、それをノ
ーチラスの中間に並べてモデル6二台とBPS6の三段積みをその両脇に配置したので
ある。従って、ノーチラスが置いてあるステージからの高さ40cmに、モデル9Tの
本体と電源(DC9も同様)を合わせて58cmの高さが加わり、結果的には98cm
の高さで横幅が1・8メートルにも及ぶアンプの壁が、ノーチラスの中央部後方90c
mくらいのところに出来上がってしまっていたのである。私の推論を実証するためには
行動するしかない。昨日重たい思いをしてセッティングしたジェフローランドをすべて
一端 取り外し、モデル9TとDC9の本体と電源の片チャンネル分四台を タワー状に
ノーチラスの両翼に積み重ねる。モデル6の三段重ねは、ノーチラス本体の後に隠れる
ように移動する。これで、2台のノーチラスに挟まれた至近距離の空間にはアンプが無
くなったのである。考えて見れば、ただこれだけの事なのである。総重量で約500k
g以上になるジェフローランドのレイアウトを汗をかきながら組み直し、さぁて、どう
なることやらと大貫妙子をかけてみた。「ピンポーン!」でも「ビンゴ!」でも良い、
とにかく大当りである。ノーチラスのユニットから後方へ約90cmのところにそそり
立ったモデル9TとDC9の、高さ58cm幅が約1・8mのフロントパネルの壁が知
らぬ間に一次反射波を私に向かって吹き付けていたのである。「いやぁ、気分爽快だ。
これでこそノーチラスの音だ。」と、胸の内で喜びの声を上げてしまった。しかし、完
全な球面波を発生させようとしたノーチラスとは何ともデリケートなセッティングを要
求することか。
 大変初歩的でありながら、つい見逃してしまったセッティング上の高レベルなミスを
ノーチラスの教えに従って改め本来の歌声が戻ってきた。これでジェフローランドとノ
ーチラスのコンビネーションを評価出来るようになったわけだが、ある日行った比較実
験で今度は逆にノーチラスからジェフローランドの素晴らしさを教えられてしまったの
である。このノーチラスを導入してからというもの、毎週土日は来店客が多くなり予備
の椅子まで並べてお客様をお迎えするという状況が続いている。多い時には10名前後
のお客様を前にしてノーチラスを演奏し、さながらディスクジョッキーのように私の多
ジャンルに渡る選曲で次々とソフトを交換しながらエンターテイメントを演じることに
なる。この頃にはジェフローランドに加えてクレルやマークレビンソンのアンプ群も残
っていたため物量としても壮観な眺めとなり、アンプの切り替え試聴を繰り返すように
なってきたのである。配線を間違えれば大変なことになるので慎重の上にも慎重を重ね
ながら、16個所のスピーカー端子と、プリやCDシステムも加えれば10か所以上の
インターコネクトを切り替えなければいけない4ウェイマルチのノーチラスには大変な
労力を要する。それに、4台以上のアンプが発する熱量は結構なもので、冬でもエアコ
ンは冷房にしているほどである。厳密な試聴をするときには、室内の暗騒音を嫌ってエ
アコンを切ってしまうので勢い室温は上昇してくる。これらの状況下で、熱心な顧客の
求めに応じて開店から閉店まで多い時には1日10回以上も汗だくになりながらアンプ
を切り替えるのである。ある時、パワーアンプのゲインを揃えるという前提を逸脱して
も許容範囲がありそうだ、という話の成り行きで私が比較実験をしたことがある。ジェ
フローランドのパワーアンプは、リアパネルに26デシベルと32デシベルのゲイン切
り替えがある。今までのマークレビンソンやクレルは26・数デシベルというレベルで
設計されており、いずれもコンマ数デシベルの違いはあるものの大同小異のゲイン設定
なのである。そこで私は、ジェフローランドのゲインを26デシベルで試聴して頂き、
その当日に試聴されている7・8人の皆様には内緒で同じ音量になるようにボリューム
を操作して、次に32デシベルのゲインで同じ曲をかけてみた。それから、いかがです
かと感想を問いかけて見たのである。この試聴に使用したソフトは、オルフのカルミナ
ブラーナ(小澤正爾・ベルリンフィルハーモニー管弦楽団・晋友会合唱団PHILIP
S 422 362−2)の13トラック、バリトン・ソロから男性合唱へと、その合
間に強烈なパーカッションが挿入されてくるパートである。このトーマス・ハンプソン
のバリトンが空間に浮かび上がる再現性が素晴らしく、最近は頻繁にノーチラスの試聴
に用いているものである。これは1988年にベルリン・フィルハーモニーホールで収
録されたものだが、この演奏部分のホールエコーが大変精巧に再現されるのである。ジ
ャケット写真では指揮台の小澤正爾を取り囲むようにして三人のソロ歌手が見られるが
、ベルリンフィルのワインヤード型ホールのステージ後方に位置する晋友会合唱団とは
十数メートルの距離があると思われる。そして、その遠近感そのものと上空に消えてい
く余韻の美しさは、これまでの物と一線を引くようなリアリティーを含んでいるではな
いか。トーマス・ハンプトンと晋友会合唱団の面々が口を閉じてから、思わずストップ
ウォッチで計って見たくなるほどのエコー感を形成するのだ。この響きが、ジェフロー
ランドでは26デシベルのゲインよりも、32デシベルの方が開放感を伴って最後のひ
としずくまでも見せてくれる。ジェフローランドのパワーアンプは電圧ゲイン32デシ
ベルを基本設計としており、26デシベルに切り替えると抵抗が挿入されゲインを調整
するという仕掛けになっているのである。さて、この比較を行ってから試聴された皆様
を代表してある方の意見をうかがってみると、後に聴いた方が良かったという答えがか
えってくる。そして、周囲の皆さんもうなずいて同意の意思表示を表情で答えてくれた
のである。そこで種明かしをすると、うなずきが更に大きくなって自分たちの分析に納
得が加わったことをボディーランゲージで表現して下さるのである。聴かれる人たちの
反応と評価をほぼ100%予測した上で、こんなカルト・クイズのような試聴を頻繁に
盛り込んでいくのも私の接客の特徴である。ジェフローランドの特質を、こんな試聴で
得られた分析から理解して頂ければ何よりであると思う。同じアメリカ製のアンプなの
だが、これまでの2社とは明らかに違うベクトルを持っているのである。楽音の肉付き
や厚みといった描写する対象のものを直接的に変化させていくよりも、それらの音源が
空間の中でどう取り扱われるかによってジェフローランドの真価が聴きとれるのである
。前章ではFMアコースティックをコンソメスープ、マークレビンソンをコーンクリー
ムスープ、クレルをポタージュスープなどと例えたのだが、ジェフローランドの場合は
ミネラルウォーターと言えるかもしれない。それ自身が味わいを持っているというより
も、スピーカーやフロントエンドなど他のコンポーネントの魅力を引き出してくれる素
晴らしい透明感とニュートラリティーが際立つ、システム全体に対する鏡のような存在
でもあると思われるのだ。ジェフローランド氏とは何度もお会いしているが、「静寂を
表現することが自分の音楽表現である。」と発言されていた事が、ノーチラスの空間表
現力に裏打ちされて開花している。「奥行き感」「遠近感」「余韻感」あるいは「デプ
ス」「パースペクティブ」「ディメンション」などといった音源の背景を表現する諸々
の言葉がジェフローランドの志向を物語っていると、証言台に立たされたノーチラスが
見事に語ってくれたのである。

第五章『飛び入り・その2』

 今回の企画では四台のパワーアンプにどれくらいの予算を計上するかが興味を引くと
ころでもあり、同時にノーチラスを導入するに当たってはアンプを予算的にどの程度ま
で低コスト化出来るのかという相談が多かったのも事実である。そこで、アメリカ製の
アンプでジェフローランドと同様の32デシベルのゲインを基本設計としているエアー
(Ayre)のV3(1台55万円)を飛び入りで試聴することとなったのである。8
Ωで100W/chという手頃なパワーを備えており、二段重ねのフィルタリングコイ
ルを左右独立で装備し、全段バランス伝送シングルプッシュプルのFETパワーステー
ジ、ノンNFBというシンプルな構成で重量22kgとハンドリングしやすいステレオ
パワーアンプである。これをノーチラスの中央に四段積みとしても、横幅46cm高さ
も56 に納まり大変コンパクトである。しかし、結構な放熱量がありバイアスのかけ
かたには贅沢をしている。何と言っても四台で220万円、販売価格では200万円を
切ることから大変魅力的な価格であり、これでうまくノーチラスが鳴ってくれれば言う
ことはない。さて、最初のセッティングとしては1台のV3に左右のウーファー、とい
うように同帯域を一台のV3に受け持たせるという標準的なステレオアンプの使用方法
を取った。そして、プリアンプのコヒレンスと、CDシステムのワディア7・9はその
ままとしている。この組合せでノーチラスを計画しているお客様と一緒に試聴を開始す
る。これまでのジェフローランドと比較して、「思ったほど悪くない。」というのが第
一印象であった。当初からジェフローランドと同一な音を期待する方がおかしいという
見方をしていたが、これなら充分いける。しばらく聴き進むうちに、ジェフローランド
に対してもう少し距離を縮められないだろうかという欲がでてくる。さすがに、モデル
9Tの強靱な低域の印象とは違う。まず、これを何とかしたい。そこで私は、一銭もお
金をかけないで音を変化させる実験をしてみた。マークレビンソンの時と同じように配
線だけを変えたのである。1台のV3の右チャンネルにウーファー、左チャンネルにミ
ッドロー、もう1台のV3も右チャンネルにミッドハイ、左チャンネルにトゥイーター
、という具合にモノラルアンプとして接続をし直したのである。これは効いた。理想的
に言えば、ノーチラスのウーファーには他の帯域の4倍のパワーが欲しいと言われてい
るだけに、左右2本のウーファーを1台のV3にまかせた場合よりも伸びやかさが出て
きたのである。そして、次に4本のAC電源ケーブルを付属品のものからゴールドムン
ドのパワーケーブル(1本6万5千円)に取り替えてみた。先程の接続の変更によって
得られた低域の変化に、低音楽器群の輪郭の鮮明さが面白いほどに向上するという変化
が付け加えられたのである。同様に中高域の音質に関しても、演奏が始まっているオー
ケストラのステージで徐々に薄い幕が開いていくような爽快な解像度の向上が見られた
のである。ということは、V3の素性と品質が想像以上に良いことを裏付ける事になる
のではないだろうか。緻密な分解能は高価なジェフローランドに及ぶ術はないが、予算
対比で言えば音質評価の各項目に関しては一応の及第点を付けることが出来る。高額な
システムのさなかにあって掘り出し物的な発見をしたものだと、思わずノーチラスを予
定しているお客様と一緒に微笑んでしまった。

第六章『ゴールドムンド・ウィンター』

 早いもので二か月の予定も最終ラウンドを迎える頃となってきた。11月13日には
ゴールドムンドのフルシステムをセッティングした。CDトランスポートはミメーシス
36Pプラス、D/Aコンバーターには最新のミメーシス20、同様にプリアンプもミ
メーシス22、パワーアンプは多少予定の変更があった。トゥイーター用に予定してい
たミメーシス6・2が生産終了となってしまったので、結果的にはミッドローからトゥ
イーターまでを3セットのミメーシス8・4で受け持たせ、ウーファーをミメーシス9
・4という組合せとなったのである。この時の定価合計は同社専用のラックやケーブル
を含めると、おおよそ2,800万円となる大がかりなシステムになってしまった。セ
ッティングに関しては手馴れてきており、これまでの教訓を頭に入れながら順調に進ん
でいく。しかし、このメーカーのアンプも重たい。今までのアンプはすべてバランスケ
ーブルを使用してきたのだが、ゴールドムンドはアンバランス設計であり純正のRCA
ピンケーブルであるリニアル・インターコネクトに変更する。ノーチラスのチャンネル
ディバイダーはバランス/アンバランス両方式の入出力を装備しているので何も問題は
ない。そして、最初のマークレビンソンのようにトランスポートからパワーアンプまで
、すべてを統一された感性で仕上げていることも期待されるポイントである。さて、い
よいよノーチラスとゴールドムンドのペアリングを開始する。「あぁ、この音だ。」懐
かしさが第一印象となった。昨年のゴールドムンドで鳴らしたノーチラス、そしてVI
Pのユーザー宅でセッティングしたノーチラスの歌声が甦ってくるのである。楽音の粒
子感がことのほか細やかであり、音の立上りが大変高速である。そして、音の立ち下が
りにおいても音が絶ち消える時間軸が大変すばやい反応を見せる。「音ばなれがよい。
」という表現もよく耳にする言葉だが、ゴールドムンドで駆動されるノーチラスはこと
さら反応が早く余韻を放出するのである。ユニットから放射された音波を自らのキャビ
ネットによって反射させることのないノーチラスは、それだけに楽音の発生から消滅ま
でに遅延を引き起こすことはない。パッと瞬間的に発せられた音は定位するポジション
を基点として瞬く間に空間に飛散していくのである。特にパルス的な楽音の反応には、
これまでにないスピード感をゴールドムンドとのカップリングによって見せてくれたの
である。温度感を見事に表現したマークレビンソンやクレルを熱いスープと例え、ジェ
フローランドをミネラルウォーターと例えてきたわけだが、ゴールドムンドのイメージ
はどのように例えたら良いだろうか。東京では味わうことの出来ない清純な空気が素晴
らしいスイス。アルプス山脈のふところに抱かれた泉から湧きあがる自然水が、大自然
の厳冬にさらされるうちに氷柱(つらら)と化したものをポキッと折って光にかざして
みたイメージである。ミネラルウォーターを冷蔵庫を凍らせても、これほどの透明感は
得られないだろうというくらいに潤いのある光の透過が手に取れるような氷柱。しかも
、その先端は針のごとく鋭い頂点を形成しており、ゴールドムンドのサウンドイメージ
がその輪郭に表れているようである。しっかりとした固体感はあるが限りなく透明であ
り、エッジの鋭さは楽音を熱膨張させることを拒み、その静寂感は氷柱が生成された大
自然をも表現しているのである。とにかく、これまでのアンプとは別格の個性がノーチ
ラスによって導き出されたことは事実である。そして、その証明とも言える出来事が起
こった。11月25日、このゴールドムンドの社長であるミッシェル・レバション氏が
ノーチラスを聴きに訪れたのである。今回の来日の目的は三つ。一つは新製品のプロモ
ーションとビジネスミーティング。一つはノーチラスのために最高級のゴールドムンド
製品を発注したVIPのご自宅に、特別仕様のミメーシス20と22を私と同行して納
品して頂くこと。そして、世界的にも類を見ない豪華なラインアップによって鳴らされ
るノーチラスを聴きに来ることであった。これからの三日間は連続で同氏と顔を合わせ
ることとなったのである。当日私のフロアーに入ってくるなり、手の平を上に向けて肩
をすくめて「OH!グレート!」と驚きと喜びを同時に表現するレバション氏はけっこ
うなユーモアの持ち主であり、私もきさくに話しかけられる人物である。三年前にゴー
ルドムンドのアポローグを導入してセミナーを開催した時以来の顔見知りであり、その
後も度々お会いしていたのである。挨拶もそこそこに早速ノーチラスを鳴らそうかと思
っていると、輸入元のステラヴォックスジャパンの担当者が重たそうなパワーアンプを
運び込んでくるではないか。後ほど述べる事にするが、これがゴールドムンドの新製品
、ミメーシス29との出会いである。このミメーシス29を早く聴きたいという思いを
いったん断ち切って、ノーチラスの試聴に取りかかる。今では定着したレイアウトの試
聴用ソファーの前列、スピーカーステージから約3メートルの位置でオーケストラを聴
いて頂く。「今と同じ曲をかけますから、恐れ入りますが後ろ側のソファーに移動して
いただけますか。」と私が言うと、うなずきながら2メートルほど後方のソファーの真
中に腰を落ち着けて頂く。そして、同じ曲をかける。またしても大きくうなずいて、「
OH!グッド!」と私に向かって一言。何も説明はしないが、さすがにゴールドムンド
をプロデュースしている感性は、私が言わんとしていることを再生音の違いから理解し
てくれたようである。それから約30分間、私が選曲した様々なジャンルの曲を体でリ
ズムを取りながら楽しそうに聴いて下さったのである。そうするうちに同行されたステ
ラヴォックスジャパン株式会社の西川社長が、何やらレバション氏から耳打ちされてい
るのに気がついた。「彼はこれまでにもノーチラスを何度か聴いているが、川又さんの
デモが最高だ、と言ってますよ。」と、笑顔で答えて下さったのである。これだけ豪華
なラインアップで自社製品を聴いたのだから、(これはクレルのダゴスティーノ氏も同
様)社交辞令が半分くらい含まれているのではないかと、失礼ながら了見の狭いかんぐ
りで表情をうかがうのだが、どうやら私の思い違いであったようである。自分の作品が
感動的な音楽を奏でてくれれば、やはり作者としては最大級の賛辞を送りたくなるのは
人情であろう。そして、ユーザーも自分が求めていた音が目の前で提示されれば同様な
表情を浮かべることを思い出したのである。さて、一通りの演奏が終わるとレバション
氏はラップトップ型のIBMを取り出したのである。「シークレット。」と人差指を口
に当ててからキーを操作していくと、何やらスピーカーのようなものが表れてきたので
はないか。「エピローグ・スピーカーシステム」これがゴールドムンドが将来発表を予
定しているハイエンドスピーカーの名前である。この詳細を語ると長くなってしまうの
だが、要は自分たちが目指している音のベクトルにこの時のノーチラスの音が大変近い
そうなのである。その後に何度も「シークレット。」を連発してIBMのディスプレー
に色々なコンピューターグラフィックスを呼び出して下さったのである。こんなに内緒
話しを聞いてしまって良いのだろうかと思いながら、ゴールドムンドの将来に対する計
画性とアイデアには思わず唸ってしまった。既にゴールドムンドの本社では次世代のス
ピーカーであるエピローグ1の音が出ているわけで、その傾向に近いものをノーチラス
から感じとって頂いた。このような経過から、ノーチラスはゴールドムンドの魅力を引
き出す格好のコンビネーションであると、私はレバション氏ともども確認できたという
実感を持てたのであった。 さて、贅沢の限りを尽くしたゴールドムンドとノーチラス
とのペアリングは、予想以上のマッチングを示したと言える。しかし、これほどのグレ
ードを妥協なく購入出来る幸運の持ち主は大変まれであろう。ここでも前章と同様の思
惑に期待するお客様の要望があった。ゴールドムンドにおいて4台のパワーアンプをど
れだけ節約出来るかという単刀直入な疑問と期待であり、それをお客様の眼前で実際に
実験することも今回の企画を推進させた大きな要因なのである。昨年末のステレオサウ
ンド誌で取り上げられたノーチラスは、ゴールドムンドのミメーシスSRパワー(1台
30万円・50W/ch)を3台使用し、ウーファーにミメーシス8・4を組み合わせ
るというシステムであった。ノーチラスに30万円のアンプを組み合わせるという意外
性もあり、これで事足りるのであればノーチラスの購入が現実的になってくるという顧
客の期待も充分に理解出来るものである。私としても営業的な商談の進展が期待される
ところが大きく、そして雑誌の記事による斬新とも言える提案がどの程度のパフォーマ
ンスを見せてくれるものなのか心中の期待には大きいものがあったのである。現在ゴー
ルドムンドのフルシステムを愛用中のVIPを迎えて、いよいよ問題のミメーシスSR
パワーをノーチラスに接続した。私の第一印象は、「あれ、どこかが違う。」というひ
らめきであった。これまで相当おいしいものを食べてきたということから、感覚が少し
ずれてしまっているのではないかと自分を疑ってしまった。しかし、上質なものをうま
いと感じて味わってきたのだから、それは良い方向への感覚的進歩であり、うまいと思
えなければ製品への評価として現実を直視しなければならないと思う。ここで注釈を加
えなければならないが、あくまでも私が記憶しているゴールドムンド・ブランドのレベ
ルを基準にして、ということである。どうやら、かたわらで聴くお客様も同様な印象を
持ち始めたようである。まずパワー感の不足は否めない。50Wとは言え、ノーチラス
のミッドロー以上の帯域は明らかに質感の相違で不満を表現しているようである。何も
大きな音量が出せないという単純な事ではない。今まで感じていた余韻の伸びやかさが
得られないのである。言い替えればノーチラスの最も重要な空間表現に対して、発せら
れた楽音の余韻を最後まで引き受けて発散させてくれるだけのパワーの継続性に貧弱な
印象を持ってしまうのである。それに、そこそこの音量であっても楽音に変質を感じ取
ってしまうのだ。指先の感触では何のひっかかりも感じないサンドペーパーの#300
0から、いきなり#300程度のサンドペーパーに触れたときの感覚だ。ある造形を削
りだす、あるいは楽音の表面に磨きをかけるにしても、ちょっと難を感じるのは私だけ
ではなくミメーシス9・4を愛用中のお客様も同じ印象を持たれたのかもしれない。ノ
ーチラスは録音の中に含まれているエコーを正確に捕らえるのだが、自ら発する楽音に
何らかの余韻や響きを付加するという演出はしない。つまり、電気的にアンプから送ら
れてくる信号に忠実に反応するので、演奏する空間のスケールによっては最低でもこの
くらいは欲しいという音量があるのである。簡単に言えば、私のフロアーのエア・ボリ
ュームでは適切な音量というレベルがあり、そのレベルを出してあげないと私のフロア
ーで聴くノーチラスは空間を余韻で充填してくれないのである。もちろん、一般的な部
屋の大きさでは、私の言うところのレベルは大変縮小されてくるので心配は無いと言え
るのだが、すくなくとも当フロアーで過去に品定めをしてお買上げ頂いたお客様も不満
を持たれたようである。「なんか、ふっきれないなぁ。」「やっぱりダメかなぁ。」と
、期待通りに鳴らないノーチラスにうらやましげな視線を向ける。私は言葉でデモの音
質を取り繕うということはしない。真実のままで顧客に判断して頂くことを信条として
いる。つまり、商品が「どうです私は魅力的でしょ。」とユーザーを説得して、私が口
をきかなくても「これを下さい。」と言わしめるのがハイエンド・オーディオが持つべ
き実力であり、望ましい販売のスタイルであると考えている。残念ながら、今回のミメ
ーシスSRパワーは、このゴールドムンドのオーナーを口説くことは出来なかったよう
である。しかし、ゴールドムンドは後の章で解説することになる新たなる手段をもって
、このVIPに堂々たるリターンマッチを迫ったのであった。

第七章『飛び入り・その3』

 今回の企画を実施した二か月間には、合計4回の試聴会を開催して、ノーチラスの素
晴らしさを皆様に堪能して頂いた。その最終回である11月30日には前章でご紹介し
たゴールドムンドと、私が飛び入りで準備した秘密兵器を登場させたのである。こうい
う表現をすると、どんなに高価で素晴らしいものを隠しているのだろうかと思われるだ
ろうが、職人的な感によって「多分コレだったらきっと良いだろう。」という推測から
持ち上がってきたブランドである。本随筆の第三十一話でも紹介しているオランダのス
フィンツである。何しろ、ここにあるノーチラスでも組合せしていないし、スフィンツ
の輸入元に聞いても前例が無いという。シルバーシグネチャーやノーチラスのスピーカ
ーケーブルなどでも銀素材を使いこなしているB&Wだけに、シルテックのシルバーワ
イヤーで世界的にも評価の高いSTC社の作品だけにノーチラスとのマッチングを期待
していたのである。プリアンプにプロジェクト8(128万円)、パワーアンプにはプ
ロジェクト18(128万円)を4台用意しての試みで、当然デジタルケーブルから全
てのインターコネクトまでシルテックのシルバーワイヤーで統一した。ケーブルだけで
おおよそ240万円程度、プロジェクトシリーズの五台のアンプで640万円という価
格だ。11月27日、いよいよ私の感が実際に験されることになった。当時ニコルマー
ケティングの担当であった西村氏がプロジェクト18の新品を開封してお持ちになり期
待のうちにセッティングが進む。ノーチラスとのコンビネーションは全くの初体験であ
るがゆえに、期待半分不安半分という心境で「まあ、悪くない程度ではずれることはな
いだろう。」という程度の楽観的な予測が私の本心であった。そして、おもむろにプロ
ジェクト8のボリュームを上げていく。またしても、「ピンポーン!」であり「ビンゴ
!」である。ノーチラスのこんな表情は見たことがない。そこには全てのストレスを解
消して満面に笑みをたたえる美貌の鸚鵡貝があったのである。とにかくスムースの一言
に尽きる。さすがにアメリカのハイパワーアンプとはひと味違って低域の肉付き感は薄
くなるのだが、パワーの問題ではない。プロジェクト18は8Ωで160W/chとい
うパワーを備えており、ウーファーのドライブ能力に疑いを持つことはない。このスレ
ンダーな表現こそがスフィンツの持味なのである。最近の新聞の折り込み広告で女性の
エステティック(痩身美容)の宣伝をよく見かける。始めて何か月でこんなに痩せまし
た、という使用前使用後のような体形の比較写真が載っているのだが、まさにそのイメ
ージなのである。一般的に言えば「引き締まった低音」と言えるだろうか。しかし、無
理をして痩せたという不健康さや脆弱感はなく、心身共に軽くなった喜びを表現してお
り物足りなさは感じない。どうしても低音の量を求めたいという方には、それをカバー
してあまりあるほどの魅力がミッドレンジ以上の帯域に見られるので、中高域の質感と
をはかりにかけて評価して頂ければ良いと思う。私は「スピーカーが消える。」という
表現を多用しているが、これまでの体験がノーチラスの疑体(昆虫やカメレオンなどの
ように周囲の色に同化する保護色を持っている生物の能力)であったとすれば、スフィ
ンツはノーチラスをガラスのレベルまで光の透過を良くしてしまったような透明感を与
えてくれたのである。「滑らかさ」「艶っぽさ」「シルキータッチ」などと言葉で言い
表すには難しいが、とにかく空気に音が溶け込んでいく、というよりも鮮やかに空気に
同化した音と言えるかもしれない。思わず私は「スフィンツはノーチラスのために生ま
れてきたようなものですよ。」と西村氏に言うと、笑いながら「そこまで言いますか。
」とうれしそうな表情で答えて下さった。このペアリングが再度実演出来ないのは大変
残念であるが、滅多に取引先の目の前で商品を褒めることのない私が本心から敬服した
相性の素晴らしさであった。さて、もう一つ有力な新製品をノーチラスで聴けるという
幸運がめぐってきた。アメリカのプロ・マーケットからコンシュマー・マーケットに進
出してきたボルダーが発表したハイエンドモデル二機種である。プリアンプのモデル2
010(480万円)と、D/Aコンバーターのモデル2020(440万円)である
。この両機種の情報は9月には耳にしていたのだが、輸入元の都合で実際に聴ける機会
が11月まで遅れてしまったのである。この両機種の詳細をご紹介するには紙面が足ら
ず、ちょうどステレオサウンドの最新号に紹介されているのでご参照頂きたい。組合せ
としてはパワーアンプをジェフローランドとして、アナログ系では同社のコヒレンスと
の比較試聴を行った。また、デジタル系ではトランスポートをワディア7として、同社
のワディア9との比較試聴を行ったのである。フロントエンドを構成するコンポーネン
トとしては最高価格の製品だけに慎重に評価したいところであるが、自社製のパワーア
ンプとトランスポートが製品化されていないため、ボルダーの志向がいずれの方向にあ
るかというよりも単品でのコンビネーションでユーザーにとって好みの組合せを模索し
ていく事が当分の間は続くことになると思われる。後日ほかのスピーカーが入って来れ
ば違う局面が観察されることになると思うのだが、今回はノーチラスを核としてコヒレ
ンスとワディア9との比較という範囲に限定した表現であることをお断りしておきたい
。ケーブルも含めて全ての条件を同一にしてコヒレンスとモデル2010のプリアンプ
を差し替え、同じ曲を数回繰り返して聴く。私は曲の途中でシステムを切り替えての試
聴はやらない。必ず同じ演奏個所を始めからリピートして、どこかに相違点はないかを
発見するために精神を集中する。この作業は、クイズで良く見かける二枚の絵の「間違
い探し」と感覚的には大変近いものがある。相違点が見つかると同じパートを納得する
まで繰り返して、比較部分を特定し各々のキャラクターを分析記憶する。次に、その傾
向を念頭において、他の曲でも同様な個性が見受けられるかどうかを予測しながら確認
していくのである。数曲を聴き比べたのだが、第四章でも紹介しているオルフのカルミ
ナブラーナの13トラックが特にそれぞれの個性を明確に聴きわけられた。冒頭のトー
マス・ハンプソンのバリトン・ソロが始まった瞬間に、私は両者の相違点をすぐに見つ
けることが出来た。バリトン歌手の位置が違うのである。コヒレンスで聴くバリトン歌
手の位置よりも、ボルダーで聴く方が手前に位置している。コヒレンスの方が遠くに聴
こえ、ボルダーの方はマイクロホンがぐっと接近したようにすぐそこで聴こえる。次の
瞬間には、ステージの左手から大太鼓、ドラ、鐘、シンバル、などのパーカッションが
一斉に「ダン、ダン、ダン、ダン!」と強烈な連打を繰り返す。この連打で先程の遠近
感の違いがより鮮明に聴きとれる。何せ230万円と480万円のプリアンプを比較し
ているのだから、カタログに記載されている電気的な特性を違いとして感じるような低
レベルの相違点ではない。「ダイナミックレンジが広いか狭いか。」「高域や低域がど
れだけ延びているか。」というような量的な分析はケーブルやセッティングなどでも変
化するポイントでもあり各論であると思われ、もはやこのレベルのコンポーネントの比
較には通用しないと考えている。ノーチラスという格好の「音響的空間表現プロジェク
ター」で見せられる立体的なイメージの分析にこそ比較のポイントがあると考えている
。コヒレンスとボルダーの遠近感の相違は、まさにこのプロジェクターのズームレンズ
を操作して画像の大きさを変化させたような印象である。このアナログ系の比較をして
からプリアンプをコヒレンスに固定し、次にワディア7からワディア9とボルダーにデ
ジタル信号を同時に出力してD/Aコンバーターの比較へと進んでいった。この際にワ
ディア同士は純正であるSTリンクで光伝送とし、ボルダーへはAES/EBUでバラ
ンス接続として各々のデジタル信号を供給している。従って、デジタル伝送方式は同一
ではない。しかし、これも興味深い個性が表れた。この場合の相違点は、プリアンプの
ような遠近感よりも正面から観察した場合のバリトン歌手の口の大きさの表現に集中力
を優先させる必要があった。単純に言えば、ワディアの方が口元の表現は小さく引き締
まった印象であり、ボルダーの方がやや大きめの力強い表現をするのである。これがパ
ーカッションの連打に移行すると、ワディアの方はテンションがより張った印象を与え
、鐘やシンバルといった金物の響きの鮮明さが印象に残る。そして、やはりボルダーの
方は前方にパーカッションが張り出して来る定位の前後変化を伴いながらも、大太鼓や
ドラといった大物の鳴り方が熱を帯びてエネルギッシュに聴こえる。まるで大太鼓やド
ラの演奏家がボディービルダーにとって代わったかのような豪快さだ。でも、このボル
ダーのモデル2020は想像以上にイイ!。そして、この状態でプリアンプをボルダー
に変更して同じ実験を繰り返して見る。ここで都合によってケーブルをちょっと変更す
ることにした。ボルダー以外はカルダスのゴールデン5を使い続けているが、ワディア
7からボルダーのD/Aコンバーターへのバランス・デジタルケーブルと、D/Aコン
バーターから同社のプリアンプへのアナログ・バランスケーブルの両者をアメリカのN
BSオーディオの製品に変更する。この両方ともNBSのトップランクであるステート
メント・シリーズで、XLRバランス・インターコネクトは1・2メートルで110万
円、XLRデジタルケーブルは1メートルで53万円という凄い価格である。この2本
とも、日本で聴けるのは唯一ここだけである。さて、公正を期すためにプリアンプをボ
ルダーに切り替えて再びD/Aコンバーターを比較試聴する。「やっぱりそうか!」同
じパートを聴き始めて直感的にボルダーの意図が聴きとれたのはうれしいことだった。
コヒレンスで比較して「演奏家がボディービルダーになったような」という表現をした
のだが、これはステージ上で目立ち過ぎる存在になったのではないかという婉曲的な言
い回しであった。しかし、ボルダーのプリアンプで聴き直すと、ボディービルダーの演
奏家にふさわしい大きなホールへと演奏会場が豹変してしまうのである。これには恐れ
入った。アナログ系のアンプしかないジェフローランド、デジタル系のコンポーネント
しかないワディア、この両者のコンビネーションには私も大きな安心感を持っている。
緻密であり、低域の厚みもあり、パースペクティブな空間表現も見事な取り合せである
。しかし、フロントエンドのアナログ/デジタル両者の超弩級コンポーネントを同時に
送りこんできたボルダーは、明らかに両者の空間表現と質感に共通のコンセプトを封入
しているのである。ワディアやジェフローランドよりも高価であるのだから、すべてに
おいて勝っていなければというのは如何にも短絡的過ぎる。最優秀なシステムと良い環
境でということを条件に、ボルダーとこられを真剣に比較できる店を選んでじっくりと
吟味する必要があるだろう。もちろん購入はユーザーの問題であるが、この価格に見合
う価値観を感じ取ってからでなければ値段だけがひとり歩きしてしまうことになる。私
はノーチラス以外のスピーカーでボルダーを聴き込むことを緊急の課題として取り組む
ことにしたのである。

第八章『リターンマッチ』

 当初二か月間の期間限定を予定していた今回のノーチラスの企画は、結果的には19
7年1月12日まで延長されることとなってしまった。これまでの錚々たるアンプとの
共演を実現するうちに、ノーチラスを聴かれた多くの方が具体的な購入に向けてのプラ
ンニングを開始したのである。輸入元の担当者の話によると、日本でノーチラスを販売
した店あるいはセールスマンは各々1セットずつであり、一人で複数台数を販売した事
例はどうやら私だけのようである。この販売記録は、これからも更新されることが予定
されており、ノーチラスの展示期間が延長された理由もここにある。ここにノーチラス
が展示してあるうちに希望するアンプとのぺアリングを験してみたいという熱心な顧客
の要望に応えるため、年越しで新型アンプの入荷を待つことになってしまったのである
。そして、ここで再び登場して来るのがゴールドムンドである。従来のA1、A2モジ
ュールという独自の電圧増幅段を全面的に改め、JOBサーキットを搭載したゴールド
ムンドの新世代パワーアンプ、それがミメーシス29(250万円)である。実は第六
章で述べている通りミメーシス29のサンプルを既に見ているのだが、この外観に関し
ては昨年10月にスイスから送られてきたFAXで既に知っていたのである。それはデ
ザインを検討する上で従来のようにフロントパネルにハンドルを付けた方が良いか、そ
れともハンドルが無い方がよいか、輸入元のステラヴォックスジャパンから意見を求め
られたからである。その時、私はミメーシス20・22という新世代のゴールドムンド
をイメージした場合にはハンドルは無い方が良いと答えている。大方のコンセンサスを
得たようであり、結果的には従来のゴールドムンドのデザインを大きく変えてハンドル
無しに決定したのである。さて、昨年11月25日にミメーシス29のサンプルが持ち
込まれた時を振り返って見る。ノーチラスの試聴が一通り終わった後で、私はミメーシ
ス29を見ながら色々な質問をレバション氏にしてみたのである。「前から気になって
いたのだが、JOBサーキットのJOBとは誰かの人名ですか?」「NO!」答えは早
い。そして、又もやIBMのキーボードを叩き始める。今度画面に表れてきたのは見た
こともないアンプのようなものだ。「確かに開発はスイスのチューリッヒ工科大学です
が、その時にはまだ命名されていませんでした。その回路を採用してアンプを作ってい
たのがJOBオーディオという会社で、私達の理想にかなったサーキットだったのでパ
テントごとその会社を買ったのです。それでJOBサーキットと呼んでいるわけです。
」「へぇ、そうなんだ。」と納得、また一つ勉強しました。次は外観から質問を続ける
。「コンパクトなくせに大変重たいですね。サイズと重量は?」「横幅は44cm、リ
ア・フロントのパネル間の奥行きは36・5cm、ヒートシンクを含めると41cmで
す。重量は約60kgです。」「従来の同価格ステレオアンプがミメーシス9・5でし
たが、このサイズは横幅が48・3cm、奥行き48・3cmでしたが、これにフロン
トパネルのハンドルの突起部分5cmを足すと奥行きは53・3cmでした。重量は6
5kgだった。それにしても、コンパクトな割に重いですね。」「YES!大変良い質
問です。中を見ればわかりますよ。」と、輸入元の担当者と一緒になってトップパネル
を開け始めたのである。「これは凄い!」確かに中を見てすぐにわかってしまった。今
までのゴールドムンドのパワーアンプは、スチール・パネルを溶接して箱型としたボデ
ィーが大半の重量を占めており、内部はあっけないほどにシンプルでガランとしていた
のだが、ミメーシス29は巨大な電源部とJOBサーキットを内蔵した大きなモジュー
ルが内容積の80%程を占めているのである。文字通りギッシリと詰まった充実感があ
る。「既にミスターカワマタもスペックは見ておられると思いますが、定格出力は8Ω
で250W、8Ωにおける連続出力は400W、そして3Ωでの最大出力は1000W
以上とモノブロックのミメーシス9・4を上回るパワーをハイスピードを前提に取り出
そうとした結果がこれです。」なるほど、しかしマークレビンソンやクレルといったア
メリカ製のハイパワーアンプとは本当に大きく異なるコンストラクションだ。更にレバ
ション氏はIBMの画面にモジュールの中身を映し出して内容の解説をして下さったの
であるが、従来の同社のアンプデザインと比較してミメーシス29のウェイトはまさし
く中身の重量が圧倒的である。「なるほど、この電源ブロックはミメーシス9・4より
大きいじゃないですか。一体トランスは何個入っているんですか。」「左右と入・出力
を独立させて四電源方式としています。しかも、プラス・マイナスにセパレートさせて
いるので合計八個のトロイダルトランスを搭載しています。」「でも、ゴールドムンド
はアンバランス設計なのだから、プラス・マイナスにトランスを分離しても意味がない
んじゃないですか。」と突込みを入れると、ニコッと微笑みながら。「大変良い質問で
す。当社の歴代のパワーアンプはすべてアースフローティング設計です。つまり、一般
的なアンプのようにシャーシアースを否定した考え方なのです。従って、ミメーシス2
9はシングルエンドながらプラス・マイナスで独立した増幅を行っており、3メガHz
という超広帯域と透明度の高い音質を求めた結果でプラス・マイナス独立トランスの必
要性がどうしても無視出来なかったのです。」なるほど、今回のミメーシス29に対す
る意気込みは以前とは違うな。「従来のゴールドムンドのパワーアンプは、内部を見る
と電源部とA2モジュールを取り付けた電圧増幅部、それにパワーデバイスを取り付け
た出力段とヒートシンクと、明確に三つのブロックを見分けることが出来ましたがミメ
ーシス29では大きなブロックが二つですね。」「その通りです。電源部は先程のよう
に八個のトランスと高速フィルタリングコンデンサーを搭載したハイスピードレギュレ
ーター、そしてACノイズをそれ自身でキャンセルする新開発のゴールドムンドACダ
ンパーを装備して大きなブロックを形成しています。そして、もう一つの大きなブロッ
クがミメーシス29の心臓部なのです。A2モジュールに代わる更に高速で広帯域のJ
OBサーキットと、ヒートシンクに銅板を介してダイレクトに取り付けられたパワーデ
バイスとが一体のモジュールを形成しているわけです。つまり、電圧増幅部と電力増幅
部を最短距離で結合し、更に高速化したパワーモジュールという概念で設計されている
のです。」へぇ!こいつは正直言って驚いた。「でも、そうするとサービスの面では従
来のように基板にアクセス出来ないですよね。パワーデバイスがとんでしまうというの
は、まずありえないからドライブ段だけをメンテナンスするときはどうするんですか。
」サービス性まで聞くとは細かいことを言う奴だ。何てことはおくびにもださず、レバ
ション氏はよくぞ言ってくれたとばかりに早い回答だ。「ご心配無く。万一(そんなこ
とは無いでしょうがと自身ありげに)の時にはパワーモジュールごと交換します。これ
でこそ、サービス性のハイスピードも合わせて実現したことになります。」(一同笑い
)と言いながら、今度はヒートシンクとパワーモジュールが一体となったリアパネルを
外しにかかったのである。「何ですかコレは。」と、思わず驚きの声をあげる。巨大な
電源モジュールの下から直径3cmくらいはあろうかという金属性のマルチコネクター
が取り付けられており、電源モジュールとパワーモジュールがワンタッチで着脱出来る
ようになっているのである。このコネクターから引き出されている電源供給用の太いケ
ーブルの数からすると、9ピン以上の端子を持っているものと思われる。電源供給を銅
製のバス・バーで行っているクレルやマークレビンソンとは何とも大きな発想の違いで
ある事か。確かにサービス面でもハイスピードである。1マイクロセカンドあたり10
00V以上という超高速のスルーレートを確保し、ナノセカンド領域にまで及んだグル
ープディレー(群遅延特性)を実現するためには、他に類を見ないこのような使いこな
しが電源モジュールに必要であったということであろうか。さすがに想像もつかなかっ
たアプローチでエレクトロニクスをまとめてしまったアイデアには、ただただ感心する
ばかりである。しかし、待てよ。ゴールドムンドと言えばメカニカルグランディングが
大きなセールスポイントであったはずだ。従来は、スチール製の箱の底にごっついスパ
イクを溶接し、振動源となる電源部をテフロンでフローティングしてアイソレーション
しているのでわかりやすかったのだが。「従来のメカニカルグランディングは一見して
わかりやすい構造で巨大なスパイクが付いていましたが、ミメーシス29の足はミメー
シス36と同じものですね。機械的なアースはどのようになっているのですか。」「ま
ずミメーシス20、ミメーシス22、そして今回のミメーシス29などの共通した構造
を理解してもらわねばなりません。従来のようにスチールのキャビネット自体に強度を
持たせるという発想ではないのです。ボトムプレートは5ミリ以上の硬質ブラス(真鍮
・黄銅)で出来ており、その上にテフロンのワッシャーを介して各モジュールを取り付
けています。肝心なのは本体の4コーナーに垂直に取り付けられている、この4本のス
テンレス・シャフトなのです。」と言って実物を指し示す。太さは12mm程度あろう
かというステンレスの棒がボトムプレートから突き出している。この棒の上部には凹型
の小さな受け皿のような削り出し加工が施されている。これは良く見るとゴールドムン
ドのミメーシスラックのスパイク受け(本随筆十八話参照)にそっくりではないか。と
いうことは、ミメーシス29の上に同社の他のコンポーネントを直接スタッキングして
積み重ねていくということか。「YES、YES!」とレバション氏は通訳する前から
うなずいている。「ご指摘の通りフィートはミメーシス36と同様のもので、四つのフ
ィートは各々独立して高さ調整が行えるようになっています。当然このフィートはステ
ンレスシャフトに直結され、メカニカルグランディングの機能を果たしているわけです
。これでキャビネットを機械的なアースポイントとしていないことがおわかりいただけ
ますか。」なるほど、フロント、リア、そして両サイドのパネルはあくまでもカバーで
あって内部モジュールの支持構造には関係していないということか。でも、待てよ。肝
心なステンレスシャフトはモジュールを取り付けているボトムプレートに対して、一体
どのような固定方法で取り付けられているのだろうか。素人風に考えればステンレスシ
ャフトの先端とボトムプレートの受け口(この部分は補強のためプレートの板厚の倍以
上に厚い円周部となっている)にネジが切られていて、ネジ込んでいくのだろうか。そ
れを質問してみると、レバション氏は右手の人差指を上に向けて話し始めた。この答え
をどう訳したらいいかと考えていた西川社長は、「そうそう、日本語では圧入と言うん
ですよ。」とホッとした顔をする。「ボトムプレートを充分に加熱して数トンの圧力で
ステンレスシャフトを押し込んで行くんですよ。もちろん、受け口の口径にはミクロン
オーダーの加工精度を要求されるし、常温であれば紙一重の口径差で挿入は出来ないで
しょうね。圧入後の異種金属は熱膨張が冷めると完全に一体となるので、これほど強固
な固定法はないと言っていいくらいです。しかし、製造コストを考えないで作っちゃう
んだから参っちゃうよ。」と、うなずきながら苦笑をもらして西川社長の解説が続いた
。ジェフローランドのアンプも、その筐体には相当な凝り方であったが、何とまぁ、ゴ
ールドムンドも大変な手間暇とコストを投入していることかと感心してしまった。メカ
ニカルグランディングも万全である。さて、ここで私は事前に頂いたミメーシス29の
英文資料で、もう一つのグランディングを新開発したという記載があったことを西川社
長の解説を聞くうちに思い出した。「ボトムプレートを加熱して圧入する」という話し
から、確か「サーマルグランディング(Thermal Grounding)」と熱
に対するアースという表現で英文資料には書かれていたのである。「メカニカルグラン
ディングは従来から理解していた理論ですが、確かサーマルグランディングというのは
初耳です。これは・・・。」と、私がこの単語をカタカナ英語でしゃべっただけでレバ
ション氏は語り始めた。「ミメーシス29のパワーデバイスは、厚い銅板に取り付けら
れてからヒートシンクに結合されています。パワーデバイスは、どんなに大きなシグナ
ルでもパルシブな信号が入力されている限りは瞬間的に温度上昇を起こしません。つま
り、連続的なシグナルを継続して増幅することによって徐々に温度を高めていくわけで
す。従って、複雑な音楽信号をハイスピードに伝送する場合には、このパワーデバイス
にも温度的なスタビリティーが要求されるわけです。一般的なハイパワーアンプではヒ
ートシンクの大きさを巨大化することで対応しようとしていますが、大きくなった分だ
け熱伝導の不均衡という問題から複数のパワーデバイスの温度条件にムラが起こってし
まいます。そこでミメーシス29では左右チャンネルで合計十六個の高速FET素子を
、まず熱伝導の良い銅板に取り付けているのです。これで全てのパワーデバイスが均一
な温度条件で駆動され、かつ温度変化の上下動が安定化してくるわけです。これがゴー
ルドムンドで新開発したサーマルグランディングです。」ハハァッ、恐れ入りました。
正直言って脱帽です。ハイスピードアンプを構成する要素としてエレクトロニクスのみ
ならず、メカニカルな分野と、そして今度は温度環境にまでメスを入れていくゴールド
ムンドにはほとほと感服させられる物作りの姿勢と執念を感じさせられてしまった。そ
して、「フィーチャー!」と言ってレバション氏はこう付け加えた。「将来的には、オ
プションでデジタル・インプットモジュールをミメーシス29に搭載して外部からのD
SPコントロールを可能にし、かつD/A変換から最短のシグナルパスを構成し、更な
るハイスピードでパワーアンプを駆動していく計画です。ミメーシス29には未来があ
るのです。」この最後の一言を聞いて当日の私は、もうこれ以上何も言うことはなかっ
た。サンプルの1台ではノーチラスを鳴らせない、4台が揃うには本格的な生産開始を
待つしかない。何と待ち遠しいことか。さて、こんな出会いから約一か月後、年の瀬も
押し迫った12月27日。わずかな台数ながら入荷した中から、今回も新品を開封して
頂きいよいよミメーシス29とノーチラスのペアリングが実現したのである。前回同様
フロントエンドもすべてゴールドムンドで統一してフルラインアップである。そして、
比較のためにプリアンプとD/Aコンバーターにはミメーシス2プラス、ミメーシス1
0Cプラスという薄型デザインの従来モデルも比較のために用意した。期待のうちにセ
ッティングを終えて、いよいよ第一声をどの曲にしようかと考える。アレだ。オルフの
カルミナブラーナがいい。迷わず聴きなれた13トラックを呼び出して演奏が始まった
。しばらく聴いた上でパッとボリュームを下げ、かたわらに立って聴いていた西川社長
の目の前に、私は沈痛な顔をして立ち上がったのである。いきなりボリュームを下げて
立ち上がった私が深刻な顔をしているので、西川社長も何かまずいことがあったのかと
同様な顔つきになっている。「西川さん!今度のアンプは・・・。」と私が言うと、心
配そうな目付きで見返して来る。「本当に・・・、素晴らしいですよ!」と、一言。西
川社長は目を丸くして一瞬表情が凍り付いた。一拍の間をおいてドッと笑いながら、「
なんだ、おどかさないでよ!」「いゃぁ、でもそう言ってもらえると持って来た甲斐が
ありますよ。」私も同じタイミングで笑いを浮かべながら第一印象をお話ししていた。
トーマス・ハンプソンのバリトン・ソロは申し分ない。薄くほこりがかかったポートレ
ート写真を手に取って、刷毛でサッサッとほこりを払い落したように写真が鮮明に見え
てきたようである。更なる驚きは次の瞬間にやってきた。強烈なパーカッション群の連
打は経験したことのないようなテンションを持っているのである。張り詰めているだけ
で刺激的ということではない。立上りの聴感上での高速感も目が覚めるようであり、立
ち下がりのブレーキ感も抜群である。これまでのアンプ群と比較して何よりも印象に残
るのは、これらのパーカッションが同一方向から飛来する音の集団として聴こえていた
ものが、大太鼓とドラ、鐘とシンバル、という位置関係をジャケット写真と寸分違わず
に分離して聴かせてくれるのである。大太鼓の皮のテンションがチューニングし直され
、ドーンと尾を引かない引き締まった演奏への変化は見事の一言に尽きる。通常ならば
中・低域でテンションを高める傾向のアンプは、中・高域ではシャリッとした刺激成分
を聴かせるものだが、透明感が一枚上手と言った印象でかえって聴きやすい高域の落ち
着き感があるのだ。数曲を聴き進むうちに、ひと月前にレバション氏から聞かされた数
々のテクノロジーが、何を目的として開発されてきたのかをはっきりと実感出来るよう
になったのである。「ウン、これはイイ!」そして、フロントエンドを切り替えて従来
型との比較をしてみた。プリアンプをそのままでD/Aコンバーターだけミメーシス1
0Cプラスへ、逆にD/Aコンバーターをそのままにプリアンプだけをミメーシス2プ
ラスに、そして両者とも一緒に新旧比較という具合にクロスチェックをして四通りのパ
ターンを聴き比べる。今までにも同様な経験を何度も繰り返して来た事があるのだが、
本当に自分がイヤになってしまった。それは、今まで最高だと信じてきたものが、ほん
の一瞬の比較試聴で覆されてしまうからである。でも、その革新性があるからこそハイ
エンドはやめられないのである。これまではミメーシス2プラスとミメーシス10Cプ
ラスこそがゴールドムンドのリファレンスであると思っていたのに、ミメーシス20と
22を一度聴いてしまうと従来のリファレンスが色褪せてしまい、全面的に音質評価の
メモリーをアップデートしなければならないのである。「圧倒的な情報量の拡大」「ゴ
ールドムンド特有の高域の緊張感から、温度感を追加したような潤いのある質感へ」「
低域がふくらむ演出を完全否定する思想をそのままに、ぐっと重量感を感じる低音再生
を実現」無理矢理言葉で表現すれば、こんな感じになると思われる。さて、昨年ミメー
シスSRパワーで苦渋をなめたゴールドムンドは、こんなウォーミングアップを行って
問題のVIPとのリターンマッチに備えたのである。1997年も明けて1月5日、い
よいよ決戦の時がやってきた。過去のゴールドムンドのトップモデルばかりを愛用して
いる難敵が万を持して来店された。いつものように私はレフリー役を務めることになる
。クラシック音楽だけを聴かれるVIPは数枚の課題曲を持参されている。VIPは黙
したまま約一時間をかけて、じっとこれらを順番に聴き進んでいく。レフリーの私には
どちらが優勢なのかまだわからない。「なんか、ふっきれないなぁ」と、昨年と同じ言
葉が口からこぼれた。「確かに悪くないんだけど、ゴールドムンド特有のスピード感み
たいなものが薄いんだな。」と、ゴールドムンド不利のジャブが繰り出される。このV
IPの現用機種、それを選択してきた過程、リスニングルームの特徴、そして最も肝心
なその方の感性、私の頭脳は様々な要素を高速回転で計算していく。「ウンッ、ミスは
ない。」しかし、首を縦に振ってくれないのはなぜだろう。そこでハッとしてノーチラ
スを見て気がつく。「だまされたと思って、前の席でもう一度聴いて下さいませんか。
」 この日はノーチラスから約5メートルの距離にある後ろのソファーで 聴き始めたの
だが、ノーチラスを聴き込んでいくうちにこのフロアーのルームアコースティックの特
徴にも更なる学習をした思いがあるのだ。クレルのダゴスティーノ氏や、ゴールドムン
ドのレバション氏に対して推奨したリスニングポイントとは、まったく逆の変更をお願
いしたのである。「この違いは、そうですねぇ、この曲で試して下さい。」と言って、
つい先ほどかけたディスクを再び演奏した。中空を睨みつけるように聴き続けるVIP
の表情にはまだ変化がない。そして、その曲が終わりきらないうちに私を見て。「全然
違うじゃない。今まで聴いたのは何だったんだ。」やった!やっとゴールドムンドは反
撃のパンチを繰り出してきたのだ。3メートルの距離で接近戦を仕掛けてきたゴールド
ムンドは、鋭い連打を浴びせかけてきたのだ。ノーチラスからある程度距離を取ってい
くと、ノーチラスの描くステージ感の全体像が整然と見晴らすことが出来て良い面が出
て来る。少なくとも、これまでのアメリカ製のアンプと従来のゴールドムンドのアンプ
でも、一歩下がって引いて聴いた方が望ましいと判断してきたのである。しかし、数日
前に私がミメーシス29を評価したのは前の方のリスニングポイントではなかったか。
私のホームグラウンドであるこのフロアーの間接音を、充分に滲み込ませた方が良い場
合と、直接音に対する間接音の割合を少なくした方が良い場合があるのだ。これまで聴
いてきたディスクを次から次へと聴き直していくうちに、VIPの表情に微笑みが浮か
び上がって来るのが見て取れる。さぁ、もう少しだ。レフリーとしては失格だが、営業
マンとしての内心ではついついゴールドムンドを応援してしまうのである。更に一時間
ほどパンチの応酬が続き、フィニッシュの瞬間が近づく。「いやぁ!素晴らしいですね
。これでこそゴールドムンドらしいスピード感ですよ。先程はゴールドムンドらしさが
薄れてしまって、なんか普通のアンプになっちゃったな、と思っていたんですが部屋の
音だったんですね。いやぁ、参りました。これに決めましょう。」と、レフリーである
私は興奮が表情に表れないように苦心しながら、努めて冷静に勝者となったゴールドム
ンドの手を高々と上げたのである。

第九章『再び冬から春へ』

 今回は「ノーチラスの四季を彩る」という試みを、結果的には104日間に渡って実
施する事になってしまった。もうあと数日でノーチラスとお別れとなるのだが、現状の
システムは再びマークレビンソンとクレルにもどり、最終日である1月12日にはるば
る名古屋から試聴に来られるお客様を迎えるのみとなった。文字通り、本当にフォー・
シーズンが一巡してしまった事になる。今だから言えることだが、今回の企画は4ブラ
ンドのアンプをエントリーしたが、各アンプのスケジュールの都合上で春夏秋冬のイメ
ージテーマの順序を後から決定したものだった。しかし、実際にこれまでの104日間
を思い出して見ると、偶然にも春夏秋冬の季節感が見事に4ブランドのイメージとして
一致していたことに気がつくのである。事実上は既に述べてきたように、飛び入りでF
Mアコースティック、  エアー、スフィンツ、ボルダー、そしてゴールドムンドのミメ
ーシスSRパワーとミメーシス29、と合わせて十種類以上のシステムでノーチラスを
聴き込んできたことになるのである。「噂には聞いていたが、これほどの物とは思わな
かった。」「今まではウチのシステムが最高だと思っていたが、これには参った。」「
今まで他の場所で聴いたノーチラスとは全然違う。ここが最高です。」私のフロアーで
各シーズンごとにノーチラスを聴いて頂いた皆さんは、大方このようなコメントに象徴
される評価をして下さったのである。たった一人だけ、「たいしたことないなぁ。」と
発言された方もいたということも事実なので正直に書き添えておくことにする。しかし
私は、この方の人物像を敢えてコメントしようとは思わない。そして、恐らく製造元の
B&Wでも、これだけ充実したアンプでの試聴はなされていないだろう。私が耳にした
範囲では、世界各地の発表会やショーにおいても限られたアンプでのデモしか行われて
いない。有名なハイエンド・アンプのメーカーでも、ノーチラスを自社で鳴らしたこと
があるというのは恐らくダゴスティーノ氏のクレル社だけであろう。輸入元では最近シ
ョールームを恵比寿に開設したが、当然マランツのアンプでしか演奏していない。この
ような状況の中で、果たしてノーチラスの素晴らしさを実感させてくれる場所があった
だろうか。そして、その商品としての価値観を満足感とともに認識させてくれるところ
があっただろうか。これが一昨年のある日、鸚鵡貝の誘惑に負けてしまった男が思い付
いた企画の発端なのである。これらを実演してきた店頭風景を輸入元の日本マランツは
写真に撮ってB&W本社に送っていたそうで、今は亡きジョン・バウアース氏の位牌(
当然、英国にはないが物の例えとしてお許しを)の傍らにでも飾って頂けるものであれ
ば私も本望である。また、バウアース氏の遺志を継いでノーチラスを完成させたローレ
ンス・ディッキー氏にも、海を越えたノーチラスが数多くの日本のオーディオファイル
に愛された事を伝えることが出来たのならば、ハイエンドオーディオをセールスする一
人の人間としてこれほどうれしいことはない。工業デザインの専門誌「アクシス(AX
IS)」や、月刊「宝石」といったマスコミも取材に訪れ記事になるなど、数々のエピ
ソードを残しながらノーチラスとの蜜月も終わろうとしている。この104日間で、ノ
ーチラスは私にオーディオの何たるかを基礎から教えてくれたのである。そして、この
期間に確実に成果を上げてくれた。私は、この場合の成果とは色々な意味を含んでいる
と思っている。販売店に置かれる以上は販売実績という見方もあるだろうが、それは後
から結果としてついて来るものだろう。しかし、この場合の成果とはノーチラスがいか
に聴き手を感動させてきたかという素晴らしい説得力にあると思う。なぜならば、数多
くの海外製スピーカーを皆様に紹介してきた私が見て、これほど来店客のハートを誘惑
したものは他になかったからである。まだノーチラスを聴いていない人々へは、次なる
「鸚鵡貝の誘惑」のプロローグとして、この大長編作となった今回の随筆を捧げたい。
日本全国のオーディオファイルよ、鸚鵡貝の再来にご期待あれ。
                                    【完】


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