第三十三話「ポスト・キュービズム(POST CUBISM!)」





第一章『ザ・バックグラウンド』

 1996年2月9日、私は不覚にも今年2度目の症状が異なる風邪をひいてしまい、
高熱で思考力が萎えてしまっている有様であった。そんな状態でも、長年鍛えられた営
業マン魂が、悲しいかな私を会社へと引きずって行くのである。こんな最悪なコンディ
ションであっても、私の感性を刺激する魅力的な新製品に対して、今度はオーディオフ
ァイルとしての嗅覚が興奮を呼び覚まし、再び熱を上げてしまうことになる。性懲りも
なく始末の悪い〈オーディオ熱〉のウィルスを運んできたのは、ステラヴォックスジャ
パン株式会社の代表取締役社長である西川英章氏である。噂には聞いていたものの、カ
ーボンファイバーで独特のカーブを描くトーンアームを搭載したアナログプレーヤーシ
ステムを完成させた英国のウィルソン・ベネッシュが、今度は何とカーボンファイバー
でエンクロージャーを構成するという斬新なスピーカーを発表したのだ。音響工学の基
礎知識と数多い経験によって培われた職業的感によって、私は、スピーカーのエンクロ
ージャー・デザインにおける設計者の意図を理解することが出来る。そんな私が、30
ページにも及ぶ英文資料の表紙にあった写真を一目見て気に入ってしまった、理想的な
プロポーションを備えているのがウィルソン・ベネッシュの手になるA・C・T・ON
Eである。自社の哲学を語る英文資料は次のような前文から始まる。「ザ・アクト・ワ
ン・ラウドスピーカーは本質的で急進的な開発であったと言えます。それは、大変古く
からある技術と最新の素材が見事に融合し、機能と情緒的な魅力が両立していることが
最大の特徴です。ウィルソン・ベネッシュから、わずか2マイルの距離にある優秀なキ
ャビネットメーカーとは緊密な関係であり、ここが作り出してくれる美しい外観と妥協
を排した構造のキャビネットがベースとなっています。ザ・アクト・ワンは、その開発
過程で度々明らかになった興味深い技術進歩の集大成なのです。スピーカーの設計と生
産性という二者択一のアプローチを理解して頂くためには、設計上最も重要な複数の外
観的特徴を述べていくことに意義があると考えています。」私は、オーディオコンポー
ネントにおけるデザインの善し悪しを問われた時には、音質と性能を検討した上で内部
から発祥し必要とされた外観であれば、「機能美」として設計者の感性を代弁し説明す
る立場を取ることにしている。ザ・アクト・ワンは写真を見た時の第一印象で、既にそ
のデザイン上の奥深い根拠を容易に推測することが出来たのである。そのバックグラウ
ドが次に語られている。「高性能なスピーカーでは、低域情報の重要性を無視すること
は出来ません。高品位なソースとアンプが要求する良質なトランスデューサーとしての
スピーカーは、八音階と一六の半音階などで構成されるオクターブ全体に対して、30
Hzから60Hzの帯域における再現性が優れていなければなりません。この帯域は、
全周波数帯域を下側から支えている帯域でもあり、中低域のスピードを自然に保つため
にも大変重要な帯域なのです。この帯域は、全ての高調波も含めて8キロHz以上の周
波数帯域にとって大変重要であることが議論の上での真実とされています。これらを総
合して考えれば、正確で音楽性に富んだ低域の反応は、多数のパラメーターの一つを選
択しながら意志決定を行う、印象的なミッドレンジにおけるバランス調整の失敗を回避
することにつながるのです。スピーカーを構成する様々な部分総ての基礎は、構造的に
ドライバーを基準として設計されます。これは、他の多くのスピーカーが低域情報の正
確な再現性を試みているという事でも専門的理論の関連性を裏付けています。木材の大
きな平板パネルを使用する一般的な技法には原理的な弱点が存在します。スピーカーの
サイズが大きくなるにつれて望まない出力が表れ、それは表面処理と造形に関連性を持
つという事実があります。付け加えるならば、不適切なエンクロージャーの構造と素材
の採用は、不愉快な特性を発生する直接の弱点となるのです。実は、これらに付随する
素材ほど日常的に使用されているものなのです。明らかに、使用される素材の決定は、
フロアースタンディング・スピーカーを含むスピーカー全体の最終的な音質決定に対し
て、かなり大きな影響力を持っているのです。」

第二章『素材と構造技術』

 「カーブド・フォームは、かねてからハンドメイドの風あいと自然さを持ち合わせて
います。ザ・アクト・ワン・トーンアームの開発中にカーブド・フォームを追究してい
った結果、多数の異なる直径を有するパイプ形状、つまりカーブド・フォーム・トーン
アームのデザインに至りました。1975年に、D・A・バロー博士がAES(Audio Eng
ineeringSociety)に提出した〈Soound output from Loudspeaker cabinet walls〉とい
う論文があります。彼は大変リジッドなカーブド・サーフェス構造であっても、伸長圧
縮を繰り返す波動が潜在的で微妙な色付けを発生させていると調査の結果で指摘してい
ます。我々はカーブド・フォームの重要性を認識した上で、進化したコンポジット構造
に採用可能な素材を広範囲に調査しました。私たちは試行錯誤の結果、ハイ・パフォー
マンスなドライバーとエンクロージャーだけが可能とする成功例を作り上げたのです。
ザ・アクト・ワンのパネルは、現在得られる素材の中では大変有意義な利益を与えてく
れ、非常に高価であるが比類の無い恩恵を享受する事が出来るものを採用しました。そ
れでは、いくつかのアドヴァンテージをご紹介しましょう。

(1).ローマス構成であること。重要な意味を持つエネルギー蓄積が無いため、ウィ
ルソン・ベネッシュのターンテーブルのサブ・ケースにも採用されています。本質的な
再生音のカラーレーションを否定する上で、この問題を避けて通ることは出来ません。
ハイ・パフォーマンスなドライバーが、しっかりしたトランジェントを確保するために
は、それ自身が発生する膨大なエネルギーをエンクロージャーの構成によって吸収する
ことが求められるのです。

(2).一枚のザ・アクト・ワン・バネルは、同程度の厚みのMDFボードの5倍以上
の強度を持っています。これまでに、ザ・アクト・ワン・パネルをキャビネットに取り
付けた場合の共振周波数は、30キロHz以上であることが測定されています。従って
、仮りにエンクロージャーの壁面が音を発するとしても、超高周波帯域でしか起こりえ
ない事と言えます。同様な測定から、共振周波数もMDFの5倍以上の帯域に追いやら
れてしまうことが確認されています。

(3).エンクロージャー内部で発生する定在波はボックス形状のデザインで避けられ
ない要素でしたが、内部空間におけるカーブド・フォームの採用により、その問題を難
無く解消しました。これによって、特定周波数で確実に品位を損なっていた信号を極め
て正確な出力として取り出すことに成功したのです。

(4).今から三〇年程前に、H・F・オルセン博士はAESに次の題名の 論文を提
出しました。〈Direct radiator Loudspeaker enclosures〉12の異なる形状のキャビ
ネットに同一のスピーカーユニットを取り付けたものを試作し、個々の周波数特性にお
ける変化を測定していました。本質的には、一般的なボックス形状が最も劣悪な特性を
示し、球面に近い形状が最も滑らかな特性を示す事が判明しました。ザ・アクト・ワン
・スピーカーは、内外部の両面において極わずかな回折効果しか発生しないような形状
であることを提示しています。つまり、忠実にオーディオ信号を出力するためには、大
型のボックス形状のバッフル・デザインによる前方への収束した輻射効果から逃れて、
広範な空間に音波を拡散させる必要があるということです。その結果、レコーディング
の際に封じ込められたはずのステージ感を伴う雰囲気と臨場感を忠実に再現出来るよう
になったのです。

(5).カーブド・フォームで構成された空間は、ドライバーのエネルギー放射によっ
て起こるブレーシング(箱の構成壁面が呼吸をするように膨張収縮する事)を吸収して
しまうという効果も持ち合わせています。

(6).ザ・アクト・ワン・パネルは、文字通り一千個もの無共鳴空間からなるマトリ
ックス構造に匹敵する効果を持ち、他の素材によるパネルとの接合点についても、積極
的にレゾナンスエネルギーを分散させる効果を持っています。この素材を使用してエン
クロージャーを構成するのは、素材自身にセルフ・ダンピング効果があるからです。こ
れは、音楽の再現性を損なうまいとした制動制振素材の採用に他なりません。皆さんが
望む通りの音量で演奏しながら、このザ・アクト・ワン・パネルに触れれば、その絶大
な効果に必ずや大きな評価を頂けるものと思います。」

第三章『OPTIMISING THE REST OF THE DESIGN』

 「広範囲な数々の素材の採用によって開発されたザ・アクト・ワン・パネルにおける
多数の独自性ある設計上の特徴は、そのパフォーマンスの優秀さを楽観的な結論とする
ものです。金銀を含む多数の金属。そして、アルミニウム合金、MDF、ナチュラルウ
ッド、積層ベニア合板、など実に広範囲な素材を取り入れています。これらの多種多様
な素材を採用しながら、一つのエンクロージャーは49個の独立したパーツで構成され
ています。大変シンプルな部品から構成されており、この数量には個々の部品を組み上
げる際のビス、ボルト、ナットなどの組立て用の金具、接着剤やブランド名のバッジ等
は含まれておりません。ザ・アクト・ワンは完全なスピーカースタンドとの融合したデ
ザインとも言え、個々に形状の異なる18個以下のパーツによって組み立てられます。
このアッセンブリーは、スピーカーベースとして延長されているものと考えられ、10
mm厚のレーザーカッティングされたスチールプレートを通じて30mmのスパイクへ
とつながっています。これらのパーツの全ては、ウィルソン・ベネッシュのCADシス
テムによって詳細に図面化されたものです。更に、次々と発生したエンクロージャーと
して要求される機能から検討され、あらゆる点で異なる構造に対して基本的な再評価が
なされました。そして、更に大変独自な設計と量産効率の両方面において最新新技術を
開発したのです。それは、木材を中心とした部品とカーボンファイバーの部品の両分野
において、個々にまったく異なる形状に加工するための工作機械に対しても重要な投資
を惜しまなかったことに表れています。それらの骨格となるものを例えれば、生産工程
で欠かせない一九の異なる加工を可能とした、二つの大きなカーバイド・カッティング
マシンなどがあります。」そして、ザ・ドライバー・テクノロジーと題されたユニット
の解説が続く。「それぞれのキャビネットには三つの近代的な要素が含まれていますが
、ザ・アクト・ワンのハイ・パフォーマンスなドライバーもその一つに数えられます。
カーボンファイバーをドライバーのコーンに利用した例もあります。ミッドレンジ・ユ
ニットに酷似しており、多くの帯域でオーバーラップしても問題の無い動作を行える特
別性の低域用ユニットもあります。ザ・アクト・ワンでは、3キロHz以下に二本の1
0インチドライバーを採用しました。これは、ミッドレンジに関しては正確さと高速反
応が求められるという基本原理に基づいた選択です。低域ドライバーはミッドレンジド
ライバーに比べて、より高質量のコーンを使用した方が共振周波数も低くなります。ザ
・アクト・ワンの分割された各ドライバーのバックキャビティーは、キャビネット本体
とバスレフポートの共振を低減させることに役立っています。この個々にチューブとス
ロット(溝、隙間)形状という二種類のバスレフポートを採用するというアレンジによ
って、キャビネット内部の強力な背圧を上手に抜き去っています。トゥイーターはハン
ドペインティングのシルクドーム型を採用している。偶然ですが、シルクとカーボンフ
ァイバーは大変酷似した諸特性を持っています。全ユニットのフレームを5mm厚のマ
グネシウムプレートで補強した上に、3個のユニットは精密な工作機械で仕上げられた
10mm厚のアルミ合金バッフルプレートに取り付けられています。また、ユニットの
フレームを強固にバッフル板に締め付けるために、ステンレススチールを挿入してあり
ます。これもまた、ドライバーを交換したりクロスオーバーネットワークのパーツを移
動したりしながら、その時折のテストでアップグレーディングした音質決定をしていく
過程で必要なものでした。最終的には、アルミ合金のバッフルプレートをMDFのキャ
ビネット正面の顔の部分に割り込むような構造とし、その高度にダンピングされた20
mm厚のMDF製バッフル板の表面には更にダンピングされた薄膜が張られるという仕
上げになっています。」クロスオーバーネットワーク、ケーブルとターミネーションに
ついては、次のようなポリシーが語られている。「クロスオーバーネットワークは可能
な限りシンプルであるべきです。3個のエアーコア(空芯)インダクターと、トゥイー
ターには1個のキャパシターしか使用していません。内部配線には、トゥイーターに単
線構造の純銀ケーブルを、ミッドレンジとウーファーにはヴァン・デン・ハル社製の銀
メッキの純銅ケーブルを採用しています。また、キャビネット内部の振動からアイソレ
ートして、きちんと内部配線のワイヤリングを管理するということは、結果的にドライ
バーを上手に使いこなす上での定石とも言えます。ザ・アクト・ワンの入力ターミナル
は、スパイクが取り付けてあるベースプレートの下部に隠されて見えない様になってい
ます。この重厚なターミナルは純銅製で、0・25ミクロンの単層ゴールドコーティン
グが施されています。この頑強なナットによるケーブルの着脱に関しては、一般的なタ
ーミナルを採用してのスピーカー設計における重要な技術的問題を早期に解決する事が
出来、時間外勤務を削減するのに役立ったほどでした。ターミナルという一部品に関し
ても、ケーブルを強固に結合させることによって伝導領域を維持するための、しっかり
とした接触表面を持たせる必要があるのです。トライ・ワイヤリング仕様としたザ・ア
クト・ワンで若干の抵抗成分を有するジャンパーを使用するにあたり、システムの高域
特性を左右する個々の技術的選択を正確に反映させるためにも前述の強固なナット締め
によるターミネッションは必要なことであったのです。これら多数のフィーチャーを結
合して完成されたザ・アクト・ワンは大変素晴らしいものとなりました。ワールドクラ
スのデザインと多数の技術系工業会社による、かなりの共同作業を通して成し遂げられ
、更に革新的な素材とウィルソン・ベネッシュの開発力によって生み出された傑作と言
えるのです。このスピーカーの主な功績は、スピーカーの音質に関する総てのベーシッ
ク・パラメーターにおいて、総合的な改良が必要不可欠であると認識させてくれたこと
にあります。リファレンス・クォリティーのアナログオーディオシステムの入力と出力
の両方面のコンポーネントが、カーボンファイバーをベースとした最先端のコンポジッ
ト・テクノロジーで成り立っているということこそ、現在起こりえる大変重要な事実な
のです。」

第四章『観察と分析』

 2月23日、そのザ・アクト・ワンがやって来た。先ず感じたことは、ソナース・フ
ァベールのガルネリ・オマージュをまっすぐ下に引き延ばしたデザインが大変印象的で
あるということだ。ウィルソン・ベネッシュがCADで図面化したプロフィールに、私
が各部の解説を加えたものを用意したのでご参照頂きたい。



 上から見た場合の断面は、(4)のブレーシング・プレートと同一の輪郭をしている ので想像に難しくないと思われる。ガルネリ・オマージュで象徴的だったリュートの外 形をモチーフとしたデザインなのだが、正面のユニットから発せられた音波が回折しな がら後方で合流するという、点音源に近付けながら擬似的な球面波再生の手法として大 変納得出来るものだ。大変エレガントなデザインで、サイズ的には高さが108cm、 横幅が23cm、奥行きは37cm、重量が45kgと、家庭用スピーカーとしてはハ ンドリングしやすいものだ。図中(16)でおわかりのように、加工成型がやっかいな カーボンファイバーをカーブド・フォームに加工したという非量産的なモノ作りの姿勢 にも共感を覚えるものである。これら総ての外観上のデザインの特徴が音波の滑らかな 拡散にあるということは、これまでの私の随筆でも力説してきたポイントである。さて 、配線のために横倒しにしてみて驚いた。直径が10mmはある四本のスパイクは全て オリジナルでソリッドスチールから削り出されており、今までのアメリカ製品で見られ た既成品のスパイクとは格段に違う質感なのである。そのスパイクは直径が40mm程 度の円筒形スチールブロックに捩じ込まれる形で高さ調整を可能とし、後部2本のスパ イクは図中(18)のスチール・ボトムプレートに直接固定されている。前部2本のス パイクは、図中(17)の30mm厚のMDFボトムプレートにリジットに固定されて いる。本体と図中(18)のスチール・ボトムプレート、本体と図中(17)の30m m厚のMDFボトムプレートは、4本のスチール製スクリューシャフトとナットによっ て貫通連結されており、本体のメカニカルアースの接地点を前後で分割させる事によっ てシステム全体のレゾナンを分散させるという巧みな手法を取っている。図中(19) の部分で、トライワイヤー・ターミナルには純銅2mm厚の金メッキ仕上げのジャンパ ープレートが装着されている。そこに所せましと突き出ている直径7mmはある六本の スクリューシャフトと、直径15mm程度のナットとワッシャーを介してケーブルの先 端を強靱に締め付けてターミネーションする。今や主流となったバナナプラグの採用な ど何処吹く風と言わんばかりの徹底した独自性が目を引く。前章でも述べられているよ うに、高域特性を重視してのターミネーションの頑固一徹な方式採用には思わず拍手を してしまった。これまで、アンプの分野では真空管と半導体を共存させたハイブリッド 構成という表現は度々耳にしてきたが、スピーカー分野でのハイブリッド構成とは実物 を見て初めて理解されるものであった。まったく異なる素材の採用が、優美なデザイン センスと高度な工作精度の成果として、各アッセンブリーの接合部で見事なサーフェス ラインを描いており全く違和感のない造形美となっている。図中(9)の部分が、ユニ ットをマウントしたアルミ合金に黒く塗装したバッフル板である。図中(6)(7)( 8)はいずれもウィルソン・ベネッシュが、特別仕様のスキャンスピーク製ユニットで ある。(6)のトゥイーターは直径25mmのボイスコイルで駆動されるワイドレンジ タイプで、磁性流体によるダンピングとクーリングを施されている。そして、このユニ ット自体をウィルソン・ベネッシュが精密加工した合金製のハウジングに納めてから取 り付けるという念の入れようである。(7)のミッドバス・ユニットと(8)のウーフ ァーは共にマグネシウム合金製のフレームに搭載され、コーン表面にコーティングによ る若干のマスを加えた直径170mmのコーンと42mm口径のボイスコイルで構成さ れている。コーンの素材も、パルプ・ポリマーの芯材をカーボンファイバーで補強する という徹底ぶりだ。磁気回路も高リニアリティーを実現するために、純銅の低歪率ポー ルピースを採用している。トライワイヤリング仕様としながらも、前述のシンプルなク ロスオーバー・ネットワークは400Hzと3キロHzで6デシベル/オクターブのフ ィルター特性により帯域分割を行っている。これを通してのインピーダンスは、最小4 ・5Ω、最大10Ω、通常は6Ωと設定されており、能率としては89デシベル(2・ 83W入力時)と高能率を実現している。スピーカー正面の軸上1mの距離において最 大音圧110デシベルを可能としており、最大入力は200W、再生帯域は30Hzか ら20キロHz(偏差が3デシベル以内では40Hzから20キロHz)をカバーする というスペックである。内部空間にはおおよそ40リットルの容積を有しており、エア ホールのないソリッドな図中(12)の隔壁によって二つのチェンバーに分離させてい るのである。ミッドバス帯域は図中(13)のバスレフポートからエアを抜いている。 この口径37mmで奥行き80mmのポートは、両端の開口部できれいにエッジがラウ ンド加工されており、ポート特有の風切り音が発生しないように配慮されている。特筆 すべきは、400Hz以下を受け持つ(8)のウーファーのバスレフ用のスロットであ る図中(15)の隙間である。図中(5)のボトムアッセンブリーの中央に(14)の エア抜き用の穴があるが、ここを通り抜けた低域成分を含む空気の流動が(15)の隙 間から放出されることになる。単純なパイプ状のバスレフポートであれば管共振が発生 することになるが、(14)と(15)を通過させることによって共振周波数を分散解 消してしまうわけだ。そして、一般的なパイプ状ダクトであれば、ユニット後方へ放射 する音波の背圧に中・高域成分が含まれてしまいポートから一緒に聴こえてしまう。し かし、(14)を直進して抜けようとした音波は(18)のスチールプレートに衝突す ることになり、その過程で機械的なハイカット・フィルターをかけられるのだ。単純だ が、第一章で述べた「30Hzから60Hzの帯域における再現性、中低域のスピード 感を自然に保つ事。」など、これらの実現も含めて、より純粋な低域の放出が可能とな っている。ウィルソン・ベネッシュの理論の実証は、このように随所に表れているので ある。 第五章『オーディオのソムリエ』  私は、これまでにご紹介してきたように世界のハイエンド・スピーカーを大変数多く 聴いてきた。ゴールドムンドのアポローグ、ウィルソンオーディオのX1グランドスラ ム、クォドラチャーのDSP−1、テクニクスのSB−M10000、B&Wのノーチ ラス、最近ではバックス・アンド・ミューラーのBM−30等々、これら大型スピーカ ーだけでなくガルネリ・オマージュやアンサンブルなど、小型でもハイエンドという位 置付けの物は、大きさ価格にこだわりなく味わってきたのである。「オーディオのソム リエ」を自称出来るくらいの経験と学習を積み重ねて来た結果、その知識と経験を熱心 なオーディオファイルの皆様のために役立てていきたいと考えているのである。ソムリ エは自分でワインを作ることは仕事ではない。お客様が求めるものを自分の経験と知識 の中から捜し出し、その選択によって喜びと満足を提供することがソムリエの仕事なの だと思う。そして、少なからず製造メーカーにも意見具申をしながら、作る者と味わう 者とのパイプ役も担っているのではないだろうか。私が信条とするオーディオセールス のスタンスは正にこれなのである。さて、いよいよザ・アクト・ワンの試聴を開始した 。CDトランスポートはワディア7、DAコンバーターはワディア9、プリアンプはジ ェフローランドのコヒレンス、パワーアンプはマークレビンソンのNO・33L、イン ターコネクトケーブルはカルダスのゴールデン5、スピーカーケーブルもカルダスのヘ ックスリンク5、と聴き馴染んでいるシステムで鳴らすことにした。一つの製品を吟味 するに当たっては、次々に30曲くらいは軽くかけてしまう。まず最初は、スタジオ録 音のシンセベースやドラムを中心に低域の反応を見る。結論としては、ウィルソンのよ うな開放的なバスレフの低域ではない。アヴァロンのような高度にダンピングされた低 域でもない。しかし、スピード感として例えられる反応の速さは大変見事である。重量 感とスピード感を合わせ持った低域再生とは、まさにこの事であろうと思う。前章で述 べたエンクロージャーの素材と構造が、大変よく音質に表れている。カーボンファイバ ーのサイドパネルに触れて見ても、その振動は私の触覚では感じられなかった。2種類 のレフレックス・ポーテーションの成果であろうか、引きずるような低域のふくらみは 皆無で極めてニュートラルな表現には舌を巻くほどである。同じ英国(ノーチラスを除 く)B&Wの低域表現とは大きな違いである。ウーファーに大きなストロークを要求す るスタジオ録音から、オーケストラを中心としたアコースティクな曲に変えていった。 重厚さを伴うコントラバスの響きに合格点を出したところで、予想しなかった展開があ った。ティンパニーの連打が始まったところで、ティンパニーの位置関係が微動だにし ないのである。英国製のこれまでのスピーカーでは、この時とばかりティンパニーがス テージの手前に迫り出してきて聴こえるものが多かった。バスの通奏楽音に打楽器が乗 った時の変調感、誇張感といったものがないのである。ウッドベースのピチカートでも 、弾いた瞬間を正確に表現しながら開放弦のたわみにまつわる余韻のふくらみが感じら れない。前述のウィルソン・ベネッシュの理論が、そのまま再生音に表れているのであ る。こんな思いをしながら、曲が次々と変わっていく。この過程で、「この低域には、 いったいどんな高域がふさわしいだろうか。」と考え始めてしまった。カーボンファイ バーという、いわゆるハイテク素材を使っているのなら、チタン、アルミニウム、など のメタルドーム型のトゥイーターがふさわしいようなイメージだが、ヴォーカルを聴き 始めたときに答えが出た。スタジオ録音でも、教会やホールなどの大きな空間による録 音でも、声が様々な音階を行き交う時の、日本語で言うサ行が大変よくコントロールさ れているのに気付いたのである。3キロHzのクロスでミッドレンジとつながっている ということは、まさに二つのユニットの共同作業としてヴォーカルが再生されるわけだ 。たった一つのキャパシターで、この両者をスムースにつなげなければならず、振動板 の素材はひたすら高域共振がないものが望まれる事になる。メタルドーム・トゥイータ ーを採用する際には、エフ・ゼロの4倍以上の帯域で発生する高域共振にどの様に対処 するかが必ず設計項目に含まれている。ひょっとすると、第三章において、「シルクは カーボンファイバーに大変類似した諸特性を持っている。」と、ウィルソン・ベネッシ ュが述べているのはこのことかもしれない。いずれにせよ、従来の英国製という既成概 念を打ち破るかの中・低域再生能力からすると、高域のマッチドペアとしては、私もシ ルク・ソフトドーム型トゥイーターを選択していたに違いない。弦楽器の流麗な表現は もちろんだが、ヴォーカルの色合いに艶めかしさがあるところが一層の説得力を持つこ とになったようだ。この中・高域の見事な空間表現は、エンクロージャー・デザインに よる恩恵が大きく、今後のスピーカーの造形に少なからず影響を与えていくことだろう 。そして、このトゥイーターに関しては、今後輸入されるものは更に改良されたものが 搭載されるという予定であり期待がふくらむ。電子楽器を多用したスタジオ録音を大音 量で鳴らすという目的よりも、音楽ジャンルにかかわらず良質のアコースティックな演 奏に神髄を発揮する個性の持ち主ではないかと推察した。特にヴォーカルは出色の再現 性を保証する。英文資料の冒頭に『ポスト・キュービズム』と大きくタイトルを掲げた 意味合いがやっと理解できたようだ。キュービズムとは音場空間の立体感であると・・ ・・。                                 【完】

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