第三十二話「オーディオの相乗効果」





第一章『私を覚えてますか?』

 1996年1月19日もとっぷりと日が暮れて、この日もすっかり暗くなった東京は
、今にも雪が降り出しそうな寒波と小雨に見舞われていた。一年ぶりに私のもとを訪ね
てくれた二人のアメリカ人紳士を見上げながら、思わずこう尋ねてしまった。「デュー
・ユー・リメンバー・ミー!」 「オフコース!」それに続くセンテンスを全て理解出
来ない私にしても、親しみ深い微笑みと暖かい握手が、下手な英会話の必要性を感じさ
せないほど補ってくれた。紳士とはかくあるべきという手本のようなお二人は、今や世
界のハイエンド・オーディオ界で知らぬ人がいないほどの存在となったデヴィッド・ウ
ィルソン氏とジェフ・ローランド氏である。予想以上の人々が詰めかけた私のフロアー
は満席状態であった。大きな拍手に迎えられ、何度も御辞儀を繰り返しながら席に着く
お二人の姿と会場の光景を見ながら、販売には直接関係しないこんな企画もたまには良
いものだとしみじみと思われた。お二人のゲストとご来場の皆様がこんなにも喜んでく
れるのであれば、オーディオを通じて満足と付加価値を販売するという、私の仕事の真
の目的が高いレベルで果たされたという立派な証となったようだ。両社の製品はいつで
も聴くことが出来るが、設計者でもあり社長でもある人物と、しかもお二人とも一緒に
コミニュケート出来る機会はめったにない。まず、私からお二人に基本的な質問をいく
つか問いかける事にした。「現在の社員数は何人くらいの体制ですか。」ウィルソン氏
はすぐに「47名です。」と即答で答える。ジェフローランド氏はしばし考えてから、
「数社のグループとして製作に当っていますが、直接アンプ作りに携わっているのは3
0数人です。」と穏やかな口調で答える。今回も通訳をお願いしている大場商事株式会
社の内田常務は、まずウィルソン氏に回答を求めてからジェフローランド氏に同じ質問
をしている。一歩先輩格のウィルソン氏を立てているのか、それともジェフローランド
氏に思考する時間を提供しているのか、いずれにしても内田常務の配慮でスムースな会
話が始まった。次はこんな質問をしてみた。「両社の製品を販売している、アメリカ国
内の販売店は何店くらいありますか。」ウィルソン氏は四九店、ジェフローランド氏は
約30店、と答えは早かった。世界市場を相手にビジネスを展開しているお二人に、私
の立場からどうしても聞いてみたいことがあった。「数ある販売店に対して、『ハイエ
ンドショップ』の定義とはどんなことでしょうか。」まず、ウィルソン氏が答えてくれ
た。「確かにハイエンドショップと呼ばれている店はあります。取り扱っている製品の
グレードや価格に特に条件があるとは思いません。むしろ、ドクターのようにユーザー
のコンディションや気持ちがわかって、コミニュケーション出来る店がハイエンドショ
ップではないかと思います。」それにジェフローランド氏の答えが続いた。「人間関係
を大切にして、フレンドシップを作り出そうとする店がそう呼ばれていると思います。
」私は、これまでに志してきたことを肯定するお二人の答えを聞いて大変うれしく思い
ました。確かに私のフロアーでは高価な物を数多く取り扱ってはいますが、良いものは
良いと低価格のものでも展示しているものもあり、何よりもユーザーとのコミニュケー
ションに重きを置くという営業方針は多くの方にご理解頂いているところなのである。

第二章『ウィルソンオーディオの戦略モデル』

 今年もネヴァダ州ラスヴェガスでウィンターCES(コンシュマー・エレクトロニク
ス・ショー)が開催された。もちろん、お二人も出展したわけだが、その席上で発表し
なかった新製品をこの席上で発表するという何とも光栄な趣向が用意されていた。実物
は試作段階なので写真のみの発表となったが、本場アメリカでは3月に予定している公
開にさきがけて、しかも一般のユーザーである当日来場された方々に対して発表したの
だ。ウィルソンオーディオ・スペシャリティーズではWITT(150万円)の下位モ
デルを開発中であるという。WIITの15cmミッドレンジ・ユニットを2個低域用
ウーファーとして装備し、その中間に同じくWITTの2・5cmトゥイーターを仮想
同軸型として配置したフロントバッフルをイメージして頂きたい。写真をみながらの推
測だが、正面からみたバッフル板の大きさは一辺が25cm、もう一辺が60cm程度
の長方形である。奥行きは、ゆうに50cmほどの深さを持ち、バッフル以外の側面は
ウォールナットに光沢を持たせた美しい仕上げになっている。トゥイーターを中心とし
て両脇に配置された15cmウーファーを固定しているサブ・バッフルは、どうやらシ
ステム5と同様なメタクリレートで作られている模様だ。そのサブ・バッフルは正面か
ら見ると、中心のトゥイーターに向かってテーパーがかけられ細く括れた形となってい
る。そして、横からサブ・バッフルの肉厚を見ると中心に向かうほど斜めにカットされ
、トゥイーターの直前では大変薄くなるよう処理されている。そのトゥイーターの両側
には、長方形の長辺に沿った方向でスリット状のバスレフポートが開けられている。本
体は恐らくMDFで構成されているのだろうが、メタクリレートのサブ・バッフルの採
用と相まって総重量は結構な数値になりそうだ。シンプルな外観だが、いたるところに
ウィルソンオーディオのこだわりを発揮している新製品について、ウィルソン氏はこう
語った。「縦に置いても横に置いても、同様な指向性パターンを持たせています。小型
スピーカーの特徴である広範な高域の放射パターンによる音場感を実現しながら、低域
のレスポンスを得られる限り挑戦しました。ホームシアター等のイフェクトスピーカー
としても大変スムースな音場感が効果を発揮し、2チャンネルのハイファイ用としても
コンパクトなボディーは日本の皆様には歓迎されるはずです。」なるほど。ここまで聞
いたところで、「フロアースタンドもいっしょに作ってくれますか。」と尋ねると、「
もちろん、考えています。」どうやら、ホームシアターがブームとなっているアメリカ
での需要はもちろんだが、小型ハイフィディリティー・スピーカーを切望する日本市場
に対しては、本格的2チャンネル・ハイファイを狙った音作りとして開発中のようであ
る。大場商事の内田常務に後でそっと尋ねたところ、日本での価格は100万円前後を
目標としているらしい。今年からアメリカの自動車メーカーのビッグ3が、小型の20
00ccクラスで100万円前後という戦略モデルを相次いで日本に送りこんでくると
いう話しを思い出してしまった。果たして、ウィルソンブランドにおける戦略価格のス
ピーカーは、日本においてどの様なセールスを展開するだろうか。

第三章『相乗効果』

 昨年3月17日に開催されたジェフローランド氏を招いてのセミナーでは、コヒレン
スを深く掘り下げて研究することが出来た。その模様は、『音の細道』第二十三話に詳
細が記されているので是非読み返して頂きたい。このコヒレンスに付属させる赤外線方
式によるリモートコントロールの開発と並行しながら進めていたのが、この弟分に当る
プリアンプのシナジー(SYNERGY)である。残念ながら実物のサンプルは間に合
わず写真を見ながらの解説となった。二段重ねの下がシナジーの本体で、上の薄い方が
赤外線リモコンの受光部を兼ねる電源部である。まず、私が最初に驚かされたのはサイ
ズである。正面から見れば、コヒレンスのコントロールスイッチを省略しただけの単純
な変化に見受けられるが、奥行きの寸法にこそシナジーの秘密がある。本体部の高さは
8cm、電源部が3・8cm、ともに横幅が44・5mだ。ここまでは察しが付く寸法
なのだが、本体部の奥行きは何とたったの15・25cm、電源部にいたってはわずか
12・2cmしかないのだ。しかし、さすがに重量としては本体は11kg、電源部は
3kg、合計14kgの重量級のボディーである。正面からの姿は昨年から情報として
知ってはいたが、奥行き15cmとは夢にも見なかった姿である。それを知らなかった
私は「なぜ、シナジーはこんなに安いのか。」と尋ねると、内田常務はジェフ!と呼び
掛けると、何と「バーゲン」という単語を使って私の質問を伝えているではありません
か。ジェフローランド氏は笑いながら、「アンプを構成するパーツの中で、最もコスト
がかかるのが筐体であるシャーシーです。シナジーでは金属メーカーが規格サイズで量
産している4インチ角のアルミ角柱を使用し、必要な長さに切断してから加工している
のです。しかし、コヒレンスについては規格外のアルミブロックを特注で作らせたので
、大変なコストがかかってしまいました。」なるほど、4インチのアルミの角材に、フ
ロントとリアに1インチパネルを取り付けたものがシナジーのボディーとなっているわ
けだ。疑い深い私は、これで90万円なのだから、他にもコストダウンの秘訣があるの
だろうと質問を繰り返した。「ボリュームコントロール機構はコヒレンスとは違うタイ
プでしょう。」すると、「NO!」「ライントランスのグレードはコヒレンスとは違う
のか。」「NO!インプットのみ2個搭載していますが同じ物です。」「リモコンの機
能はコヒレンスより大分簡略化しましたか。」「NO!」本体の機能スイッチはコヒレ
ンスと全く同じで、入力は全てXLRバランスタイプで5系統。サラウンドシステムと
接続のためのバイパス入力が1系統と、メイン・アウトとレコード・アウトが各1系統
が装備されている。電源部のDC出力は2系統あり、将来発売予定の同社フォノイコラ
イザーにも給電が可能となっている。電源部においてACからDCに変換して本体に給
電しているのであれば、コヒレンス同様のバッテリー駆動が出来ないのだろうか。「コ
ヒレンスのバッテリー電源部から出力されるDCと同じ電圧なので、コヒレンスのバッ
テリーから電源を供給すればDC駆動となります。しかし、シナジーの場合はリモコン
のコマンドも電源ケーブルを使用して伝送しており、若干の改造を必要とします。それ
に、コヒレンスのバッテリーのみを単体で発売する予定もないし、経済的には不合理と
なるので、その場合にはコヒレンスをお使いになることをお勧めします。」という事だ
。さて、コヒレンスの場合には規格外サイズである6061アルミニウムブロックの内
部を、8個の小部屋に掘削して分割するという大変コストのかかった加工をしている。
更に入出力ライントランスとエレクトロニクスサーキットボードを、アルミブロックか
ら削り出したケースに納めるという気の遠くなるような贅沢をしている。シナジーの内
部はどうだろうか。本体の分解された写真を見ると、さすがにツボを心得たコストダウ
ンの後が見られる。まず、入力のライントランスは、アルミブロックに直接収納用の円
筒形の穴を切削加工し、ダンピング材を外周に貼付た中に収納される構造となっている
。ボリュームコントロールをつかさどるエレクトロニクスは8cm×10cm程度の基
板に集約され、その面積と等しい部分が同様な切削加工によって本体の中ほどの深みに
取り付けられている。写真に見たかぎりで未確認だが、この基板は4本の支柱によって
ソルボタンを介して本体からフローティングされているようだ。このように、丸い穴が
二つと四角い穴が一つという単純な金属加工によってコストを大幅に抑えているのだ。
入手したシナジーのスペックをコヒレンスと比較して見ると、入出力インピーダンスの
設定でコヒレンスは18キロΩと600Ωの選択に対して、シナジーは36キロΩと6
00Ωの選択となっている。出力インピーダンスはコヒレンスの50Ωがバランス・ア
ンバランスとも共通となっており、シナジーはバランスが80Ω、アンバランスが40
Ωとなっている。その他のTHDノイズ、チャンネルセパレーション、S/N比、出力
ノイズレベル、などの項目は全くの同一であることがわかる。つまり、ジェフローラン
ド氏が語られたように、出力ライントランスが省略されたことを除けば、エレクトロニ
クスはコヒレンスと同等であるということだ。アンプのコストダウンを、どこの部分で
行うかについても設計者の感性が表れているという好例ではないだろうか。極端に奥行
きの浅いデザインについても、ラックマウントした際に配線が容易になるという解釈で
ご理解を頂きたい。最後にジェフローランド氏にシナジーというネーミングの由来を尋
ねたのだが、氏独特の哲学的音楽解釈論が展開されて内田常務も一言で翻訳するのをた
めらう程の内容であった。私もニュアンスでの代弁は出来ると思うが、端的な文章表現
には自信がもてない。しかし、シナジズム「Synergism」の辞書的な意味が「
相乗効果」、ギリシャ神話の神人共働説を表していることから、想像力のたくましいオ
ーディオファイルであれば、ジェフローランド氏がシナジーに込めた使命感と期待感が
理解されてくるのではないだろうか。ウィルソンオーディオの思いもよらなかった新製
品の発表も含めて、シナジーの意味する「相乗効果」が96年のオーディオシーンに大
きな期待を提供してくれた。両社の新製品が日本で最初に聴ける場所はもうおわかりで
しょう。
                                    【完】


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