第八話 「職人の千里耳〈眼〉」





 前話までの二作で、音響工学の基礎を一般ユーザーに必要なところだけ簡単に説明し
、それを実際の部屋でどう応用するかを解説してきた。今回は、これらの理論がスピー
カーの設計上どの様に関係してくるか、わかりやすく検討してみたいと思う。これは、
音波がどの様に空気中を伝わっていくかを考えると、逆説的にスピーカーのデザインに
辿り着いてしまうという話である。先ず楽器そのものがどの様に音波を放射しているか
と言うと、一部の指向性を持たせた楽器を除いては、ほとんど球面波の形で空間に拡散
していく。これは簡単に例えれば、風船が膨らむ様子をイメージして頂ければ良いと思
う。この風船が膨らむ速さは第六話で解説したように、340m/秒というスピードで
ある。そして、一キロHzという周波数では同じ口元から、毎秒一千個の風船が次々に
膨らんでいくということになる。次々に膨らんでくる風船と風船の皮と皮の間隔が34
cmになるというのはもう計算出来ると思う。この風船が膨らんで大きくなるうちに、
風船の皮(肉厚)が薄くなってくることは容易に想像出来ると思う。当然ながら音源か
ら離れていけば音圧は小さくなっていくが、それは距離の二乗に反比例するというのが
自然界の法則である。陸上競技の100m競走で、スタートライン上の選手が聴く号砲
を例にあげれば、中間の50m離れた審判員が聴いた音量に対して、スタートのピスト
ルの音はゴールにいる審判員には約0.29秒遅れて4分の1の音量が聞こえると言う
ことになる。こうした基礎知識をもとにして、音波を発する同じ音源としてスピーカー
のデザインを考えてみることにする。

 先ず楽器には、一つで8オクターブ近く音域を持つピアノから始まって様々な音階の
楽がある。そして、演奏そのものをパッケージ化して2チャンネルにまとめたものがス
ピーカーから放出される。ここにどの様な違いがあるかというと、スピーカーには低音
から高音まで音楽に必要とされる広い音域をカバーすることが求めらる。そのために一
般的なダイナミック型スピーカーでは、2ウェイ以上の複数のユニットを使用して各音
域を分割するという手段がとられてきた。理解しやすいように2ウェイスピーカーを例
にあげて考えてみると、先程の風船を膨らませる口が二つあるということになる。その
口の形を形成するのがユニットを取り付けてあるバッフル板である。低域を受け持つウ
ーファーは波長が長く、回折現象を起こしやすい周波数帯域を受け持つので、バッフル
板が平面であってもウーファーが膨らませる風船は殆ど正球体に近く、本当に丸いボー
ルのような形で音波を放射していく。これはウーファーを動作させる(ローパスフィル
ターを構成する)クロス・オーバー周波数が低いほどその傾向は顕著になる。これを視
覚的なイメージで考えると図1(1)のようなパターンになる。ここで誤解のないよう
に補足すると、多くのウーファーが受け持っている帯域では数メートルの波長で音波が
放射されており、図1で示す範囲より実際はもっと拡がっていることになる。そして、
高音域を受け持つトゥイーターが発する音は、図1(2)のように波長が短く、回折現
象が起こりにくく指向性が鋭い傾向を持っている。図1(2)のスピーカー・エンクロ
ージャーの前面コーナーで、特定周波数の反射が発生する様子を側面に表現した。この
側面の反射を含め、実際にはトゥイーターを取り付けているバッフル板の表面でも、量
的には少ないものの同様な反射が起こる。そこで以前からラウンドバッフルという、コ
ーナーに丸みを付けることによって角口から発生する反射を軽減させてきたのである。
そして、その理論を更に推し進めていくと理想音源としての形状は、仮定として図2に
示したような球体になってくるのである。




 これはあくまでもイメージとしての仮定だが、ご覧のように音源自身の一切の反射が
なくなり、本当にスムースに音波が拡散していく。しかし、実際の製品化に当たっては
様々な問題もあるのだ。デザイン、箱の強度と剛性、素材選択などの問題と、第一にユ
ーザーがこの形を受け入れるかどうかということだ。そして肝心なことだが、確かにこ
の球面体は中高音以上の周波数帯域でのメリットを有している。しかし、大きいエネル
ギーを必要とする低音域を支えるための工作上の選択では、箱型の方が製造コストや強
度、剛性、質量の点などで優れた面が出てくるのだ。加えて、低音域では箱型の形状で
も放射パターンに与える影響は軽くなってくる。私の場合には自分の経験と過去に聴い
た製品の分析から、様々なスピーカーがそのデザインによって何を狙ったものなのかが
、これらの基礎知識から推測出来るようになったと言える。背が高いトールボーイタイ
プのデザインは単純に置場所をとらないという目的ではなく、前面から見た時の投影面
積を限りなく小さくすることによって、バッフル板の折り返し反射を極力減らし球面波
の再生に近づけようとしているものだ。これは具体的には、アヴァロン、ウィルソンオ
ーディオ、ヘイルス、等の製品に見られる傾向である。また、球面と箱型を合わせ持っ
たデザインとしては、ソナースファベール、ティール、等がそのバッフル板の優美なカ
ーブでその特徴を示しているのだ。これらと全く逆の考え方で古くから認められている
もので、JBLのK2シリーズに代表されるようなホーンシステムがある。これは、一
言で言うとホーンの開口部の描くカーブの延長線の内側の範囲内で、均一な周波数特性
と位相特性を得ようとするものだ。演奏している楽器との距離を近くとって、目の前で
演奏している様な感じを出すには向いている。この様なデザインコンセプトで異彩を放
っているのが、今回のステレオサウンド誌第108号の表紙を飾ったB&W社のノーチ
ラス(Nautilus)である。これは、前述のような球面波再生を追求しておりスピ
ーカー外部へ放射された音波だけにとどまらず、エンクロージャー内部の音波の減衰に
ついても、デザインによってその影響から逃れようとする発想だ。

 結論としてスピーカーの音波の放射パターンが推測出来ると、それが何の役に立つか
ということでまとめてみる事にする。要はスピーカーからの放出された音波の拡散して
いく傾向によって、リスナーから見たスピーカー自身の存在感を自己主張するタイプと
、音楽的にスピーカーの姿が消えてしまうようなタイプに分類出来るのである。JBL
の43シリーズやK2シリーズの様に、コンプレッションホーンを擁したシステムは大
体においてユニットの音源位置を自己主張することが多い。「高音の特定の楽器は、ほ
ら、ここから音を出していますよ。」と聴き手にわからせる傾向がある。つまり楽器の
位置関係がユニットと重複するか、あるいは左右二つのユニットを結ぶ水平線上に楽音
が展開するのである。従って、近代の録音スタジオのように各楽器がブース毎に別れ、
一音源の音を純粋に収録して、ミキシングルームの壁に埋め込まれたモニタースピーカ
ーを通して聴くような目的に大変適している。スピーカーの位置という「ものさし」で
、各楽器の定位を2チャンネルの音源の中に決めていく作業に必要なことなのである。
この場合は、ミキサーの耳には、なるべく直接音が届けられるような配慮が必要なこと
も推測出来る事と思う。この様なモニタースピーカーの目的に準ずる音を家庭でも聴き
たいという方は、ご自分の好みの説明がこの様な文章から具体化出来れば幸いである。
それでは、球面波の再生を目指したスピーカーはどう考えるかであるが、ここでちょっ
と考慮しないといけないことがある。冒頭に述べたように楽器の音波は球面状に広がる
というのは事実だが、それは音源のごく近距離における様子であって、コンサートホー
ルのように音源から距離を取って聴く場合には様子が変わって来るのである。そう、ご
推察の通り距離を隔てて聴くとリスナーの耳に楽音が到達するときには平面波に近くな
ってしまうのである。もちろん、その過程においてはホールの音響特性という反射音の
影が加わってくる。球面波から平面波への変化の過程は、距離だけでなく演奏空間の影
響もるということは、皆様のリスニングルームにおいても全く同じ要素に置き換えるこ
とが出来るわけだ。皆様の部屋をホールの空間に例えれば、そこで演奏される楽音の拡
がり方が球面であれば単純にいってホールとの相似形であり、臨場感を高める要素がそ
こにあるということだ。この場合、スピーカーは自己主張せずに楽音の定位感は明確に
するが、音源は空間に存在していてユニットの存在を忘れさせてくれ、楽音の位置と振
動板の位置は極力一致しないことが望ましいわけである。そして、プレーナータイプの
スピーカーが持ち得る平面波再生の魅力もズバリここにある。究極的には、視覚的にス
テージの有様が捕らえられるような描写力が求められるのである。これらが、モニター
スピーカーと家庭用ハイファイスピーカーとの本質的な違いと言える。表現を変えれば
、直接音を如何に正確にミキサーの耳に届けるかがモニタースピーカーの仕事であるの
に対して、部屋という空間の中で間接音を織り込みながら、スピーカーから出る音では
なく楽器が主役として浮かび上がって来るのが家庭用スピーカーの使命と言えると思う
。いかがであろうか。こんな見方をして写真や店頭で見かけるスピーカーの性格を推測
し、聴き方の自己分析をして、間違いのないスピーカー選びを楽しみながら実践してい
きたい、というのが私の願いでもある。
                                    【完】

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