《HAL's Monitor Report》


No.0051 - 2001/01/09

柏市在住 阿部 仁様

モニター対象製品:Zoethecus z.Block 2D / SR Composites SRX-BX

現在の使用機器

スピーカー  THIEL CS2.3BEM
パワーアンプ  AYRE V-1x
CDプレーヤー  WADIA 830
スピーカーケーブル  WIREWORLD ECLIPSE 3
ラインケーブル  WIREWORLD ECLIPSE 3
電源ケーブル  WIREWORLD ELECTRA 3 Reference Power Cord x 3

No.0043の回答

 JEFFのModel 10とAYREのV-1xの比較試聴記(No.0043の拙筆レポート)をご覧頂いた方には、双方とも五分五分の勝負をしたかのように読めてしまったかもしれない。けれども、実は聴き始めて5秒後には、私はV-1xの音に惚れていた。広大で深遠な音場と、その上にキリリと定位する音像という私の理想のイメージに、V-1xの奏でる音はビタリとはまっていたのである。既に居間では、真っ新のV-1xがジジジとトランスを唸らせている。
 せっかくのアンプを地べたに置いておくのは可哀想で、また、時としてトランスの唸りが階下の寝室にまで及ぶ可能性があるので、次はアンプの置き台を検討してみることに。早速川又様に連絡したところ、二日後にゾーセカスのz.Block 2DとSRコンポジットのSRX-BXがアクシスから直送された。川又様と代理店様の素早い対応には、本当に感謝です。

 入電から間もないV-1xの音は、ちょっと悲しくなるほどガチガチに固い。この状態でボードによる音の差を聴き分けられるかどうかは微妙だが、とりあえずゾーセカスから聴いてみることにした。

ゾーセカス z.Block 2D

 まず最初に感じられるのは、バリというバリが全てゴッソリと削ぎ落とされていること。V-1xは音の輪郭を比較的しっかりと描くアンプだが、まだこなれていないせいか、ときどきその輪郭線に厳しさを感じるときもある。しかしながら、ゾーセカスに載せただけで、そのような厳しさは皆無になり、音の輪郭がとても滑らか、艶やかになった。入電三日目の音の固さを微塵にも感じさせないほど、ゾーセカスの影響力は強烈である。

 エンヤの新作『Day Without Rain』では、コーラスの個々の存在を意識させることなく、夢見心地のブレンドに浸ることができる。「ブレンドする」というと、定位やコントラストを曖昧にするように思われるかもしれないが、ゾーセカスブレンドの定位はあくまでも明確であり、色彩のコントラストは床置きの場合よりも俄然大きい。

 まだ聴き込んだとは言えないが、V-1xは深い深い奥行きを意識させる倍音成分や、内角低めの温度感、表現のダイナミズムやコントラストで聴き手を魅了するアンプだと思う。これはNo.0043のレポートでも書かせてもらった通りだ。

 そのようなV-1xに対して、ゾーセカスは正に割れ鍋に綴じ蓋的に作用する。V-1xでは不足しがちな艶を乗せ、中低域の音像の密度を濃くし、一つ一つの音を分離させずにブレンドして聴かせる。音楽をマクロに構えてゾーセカス流に料理したような感じとも言える。

 10枚くらいCDを聴き込んだところで、ふと考えてみると、ゾーセカスの持つ性質は、V-1xとの比較試聴を行ったModel 10が目指しているような方向性に近いような気がする。艶、滑らかさで聴き手を包み込むような優しい音楽が、別の個性を持つV-1xでさえも、いとも簡単に聴けるようになっていた。ゾーセカス、恐るべし。

SRコンポジット SRX-BX

 SRコンポジットとV-1xの組み合わせで音を出した瞬間、私は安心した。鳴っている音を聴けば、ほとんどの人がゾーセカスに載せた方を「安心できる音」と言うと思うが、私が安心したのは、その音に対してではない。SRコンポジットの効果や影響力がゾーセカスほど強烈ではなく、しかもV-1xの素性を素直に出しているところに安心していたのである。

 しかし聴き込んでいけばいくほど、SRコンポジットもタダモノではないことが徐々に明らかになる。

 まず、どのCDを聴いてもS/Nと解像度が上がっている。録音のいいCDでは個々の音像の立体的な配置に圧倒され、今までそれほど録音が良くないと思っていたCDでも、初めての発見がそこかしこに見受けられるのが嬉しくて、持ち駒を忙しなく次々に交換して聴きたくなる。ゾーセカスでもS/Nと解像度の向上は聴き取れるが、「意識させる」ほどではない。この辺りのバランスが、ゾーセカスの場合「トータルバランスの整った音楽を完成させる」方向にあるのに対し、SRコンポジットの場合は「ある方向へ、あくまでも上へ上へ」という勢いを感じる。その勢いの向いている方向が、V-1xのそれと非常によく似ている点がいい。

 キース・ジャレットの『Still Live』では、始終ジャック・デジョネットのドラムの立体感に圧倒されっぱなしだった。手持ちのキース・ジャレット・トリオを次々にかけてみたが、どのアルバムの録音の善し悪しに関わらず、躍動する彫刻を見ているようなダイナミズムに驚く。また、色彩よりも明暗のコントラストを強く表現する。色彩のコントラストを求めるのであれば、SRコンポジットよりもゾーセカスの方が適しているかもしれない。

 ケイコ・リーの『Live 1999』の7曲目「Summer Time」は、エキセントリックなアレンジが爽快。ピアノの野力奏一はとても小柄で、その体躯で遊び心のあるアレンジを決めていくのが彼の持ち味だ。SRコンポジットに置いたV-1xが奏でるこの曲では、彼が精神をグッと集中させながら、彼ならではのアレンジを紡ぎだしていく指先が意識できる。

 一方、ゾーセカスで聴く「Summer Time」のピアノは、とても高級な音になり、ジャズのライブではなく、ホテルのラウンジで深いソファーに身を沈めて、ワインでも揺らしながらゆったりと聴いているような気分になれる。聴き手の意識をあまり微視的にしないところが、逆に凄味を感じる。

結論

 私には、ゾーセカスが奏でる(ボードが音を奏でるというのもおかしな話だが、ゾーセカスの効果や影響力はそこまで強い)音は、私には若干温度感が高すぎると感じた。また、音をブレンドする方向にあるので、V-1xが奏でる音の一つ一つにある「奥行き成分」がちょっと伝わりづらくなるような気もしないでもない。しかしながら、ゾーセカスの効果の強さや明確な個性、バランスの良さは、ハマってしまう人には、本当にビタリをハマるはずだ。艶や滑らかさ、温度感や密度感というところに理想像の重きを置いている人には、強くお勧めできるアイテムだと思う。

 しかし私は、クラシックよりもジャズを、しかも現代のジャズばかりを好んで聴く人間なので、音をブレンドするよりも、もっとストレートに、もっとその場のプレゼンスを強く意識させるような音に惹かれるのである。その点、SRコンポジットはV-1xの持つ奥行き感やS/N、コントラストやダイナミズムといった素性に沿い、しかもその特徴をより明確に示してくれる点が、自分にとっては非常に好ましい。

 割れ鍋に対する綴じ蓋を取るか、持ち味をより鋭く研ぎ上げる砥石を取るか。今回はまだ砥石を取りそうだ。今は、もっともっと自分の理想を研ぎ上げていきたい。鍋の割れがもっと深くなったとき、それから蓋を考えても遅くはないだろう。


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