《ESOTERIC 論文コンクール応募作品 Vol.9》


No.0126 - 2002/2/4

札幌市北区在住 H・M 様より

「P−0の登場」

LPレコードがまだアナログディスクと呼ばれていなかった頃、発売される
数々のデジタル録音によるLPレコードに私はすっかり心を奪われてしまって
いた。

盤によってももちろん差はあるが、それらの音は総じて録音現場の空気をその
ままスピーカーから解き放ったかと思われるほど鮮度が高く、そのことがもた
らす余韻や音場感の素晴らしさが強く感じられるからだった。

かといって冷たく硬質になるわけではなく、艶やふくよかさのような部分も
きちっと表現されたそれらの音を聞くにつけ、やがて登場することになるコン
パクトディスクの再生音への期待は、もはや確信に近いものになっていた。

そして、コンパクトディスクは発表された。初めて手にしたディスクは虹色に
輝いておりとても貴重なもののように感じたものだ。しかも手にすっぽり入る
大きさで扱いやすく長時間連続再生でき、しかも何回聞いてもすり減らないと
いう優れた特質を持っている。

さらにレーザー光線による読みとりはレコード針より遙かに高精度であり
もはやプレーヤーによる音の差など存在しないとのこと。

そんな基礎知識を聞いて期待が最高潮に達したところで、いよいよコンパクト
ディスクの初体験である。

確か弦楽曲であったように思う。音が出た。ん?これは何だ?その音は、まるで
演奏者たちが寒いほこりっぽいホールでかじかんだ手を揉みほぐしながら弾いて
いるような躍動感のない貧粗なもので、スピーカーにへばりついて鳴っていた。

しかも2本のスピーカーによって再現される空間には何か電気くさい雰囲気の
もので満たされており、そのことが繊細さや力感、情報量などを大きく損なう
原因となっているようだった。

もちろんノイズとは違うのだが、なぜかそう感じさせる再生音なのである。
明るさを上げすぎたテレビ画面のように。

デジタル録音レコードではあれほどいい音で鳴っていたのに。いったいどう
したことなのだろう。ディスクに入っている情報が全く引き出されていない
のに違いはあるまい。さっき仕入れたばかりの基礎知識が恨めしかった。

時は流れ、私は何台目かの、ヨーロッパからはるばる海を越えてやってきたCD
プレーヤーを愛用していた。不断の改良を加えられたCDシステムは発表当時よ
り遙かにいい音になったが、LPレコードのように静かで力強く繊細な音には
まだ遠かった。

そんなおり、ティアックですごいCDトランスポートを開発しているという
情報が飛び込んできた。

同社はこれまでも独自の観点からCDシステムに改良を加え、それが音の良さに
結びついていたが、開発中のものはそれらのノウハウの集大成で、なんでもレー
ザーピックアップの動きが凡百のプレーヤーとは全く異なるものであるとのこ
と。

CD登場の頃、CDプレーヤーからドライブメカニズムのみを取りだして、それ
にわざとCDを傾けて装填し、レーザーピックアップがその傾きに追従して激し
く上下するデモを見たことがある。

こんな悪条件でもきちんと再生できますよと言うことが主催者の意図だったよ
うだ。けれど、主催者の意図とは逆にどう考えても素人目にはそんな状況で正確
に信号を読み取るなど不可能に感じられた。なにしろCDのピットは球場の砂粒
にもたとえられるほど非常に小さいのだ。

いや待てよ。これは極端な例にしても似たようなことはあらゆるプレーヤーで
実際に起こっていることは間違いない。

ならば現状のCDシステムではディスクに刻まれた情報の一部を聞いているの
にすぎないのではないか。

でもCDにはCIRCなる誤り補正システムを標準装備している、これがあれ
ばたとえ信号が欠落してもきちんと補正されるから大丈夫だという声も聞こえ
る。

もちろん絶対のピックアップがない以上こういったものは必要であろうし、
CIRCは信号欠落がなければ表には出ないが、いざ信号が欠落したとき、
果たしてどのような信号で置き換えられるのか、考えると夜も寝られなくなる。

情報がもたらされてからだいぶ経って、そのトランスポートは「P−0」と
名付けられて我々の前にその雄姿を現した。トランスポートと言うよりは研究室
に置いてある試験機や測定機といった風情で、見るからに高精度で剛性の高い造
りだ。

私は外国製品崇拝するものでも何でもないが、この時ばかりは日本からも目的の
ために手段を選ばず製品化するものが現れたことが掛け値なしにうれしかった。

さあ、いよいよ音を出す時がきた。ディスクがスムーズに吸い込まれると、
ピックアップの高速移動音やら回転音やらピックアップの位置調整音やらが
聞こえてくる。

ますます測定器のようだなと感じたその次の瞬間、音が出た。
やはり弦楽曲であった。なんとその音は澄み切った空間を切り裂くように聞こえ
てきた。空間は電気くさい何かではなくホールの空気で満たされていたのだ。

しかもその空気は奏者の息づかいや聴衆の人いきれ、さらに空調機器が作動して
いる様子までが感じ取れるほどにリアルだった。きちんとしたキャンバスに描か
れる音楽もそれは素晴らしいもので、奏者が曲を通して伝えるべきものが本当に
よく伝わってくる。一音一音に力があるからに他ならない。

正直なところ、表現がやや誇張気味にも感じられたが、世界中の耳目を一身に
集めて登場したのだから多少肩に力が入ったってそれはご愛敬というもので
しょう。

やはりCDにはきちんと音が入っていたのだ。それまでは、自分のシステムの音
が悪いと「CDだからね」などと言い訳してきたが、もうそんなことは通用しな
い。アナログディスクとは佳き好敵手としてお互い切磋琢磨し、未踏の世界を目
指す時代に突入したのだ。

いま、一度目のバージョンアップを終えた「P−0」で音楽を楽しんでいる。

「P−0」と後に続く愛すべきコンポーネントたちによって奏でられる演奏は、
もはや演奏会場の再現といってもいいほど自然でリアル。ソニーロリンズのサッ
クスに絡むトミーフラナガンのピアノ、その押さえたフレーズのなんと胸に迫る
ことか。アートブレイキーのドラムの凄まじさは、CDの再生でありながら思わ
ず椅子の上でのけぞってしまうほど力強い。

チェチーリアバルトリが2本のスピーカーの間にすっくと立ち、そのメゾソプ
ラノが空間に溶けていくさまをじっと聞いていると、不覚にも目頭が熱くなって
しまうことさえある。

モダンジャズから最新録音に至るまで、やはりディスクに刻まれた情報を余す
ことなく脚色することなく音にすることが、もっともその時代の雰囲気に近づ
くように感じる。そのためコンポーネントに対する要求は厳しくならざるをえ
ないが、その重責を果たしうるトランスポートは、私には「P−0」以外考え
られない。

ティアック・エソテリックカンパニーでは、現在2度目の「P−0」バージョ
ンアップを行っているとのこと。まさに秒進分歩ともいえる現在社会にあって
自らの存在を保ち続けることは想像を絶する難しさに違いない。

ドイツの名車ポルシェ911は、名声に甘えることなく自身を磨き続けた結果、
その不利なリヤエンジンレイアウトにも関わらず、40年もの間、常に孤高の
存在として自動車界に君臨し続けている。

「P−0」も今後、時代の波に揉まれ、強力なライバルの出現にその存在を
脅かされるに違いない。しかしながら、「P−0」が課せられた使命を見失う
ことさえなければ、ポルシェ同様長年にわたり孤高の存在としてオーディオ界
に君臨し続けると確信しているし、また、1ユーザーとしてそうあり続けるこ
とを願ってやまない。



HAL's Hearing Report