第四十九話「45×65に棲む鸚鵡貝」



プロローグ

2001年9月11日、衝撃的な事件がニューヨークとワシントンで起こった。 私は読書家ではないが小説の中にエンターテイメントを求めるのが常であり、更に私が好んで読んでいるのは外国人の作品がほとんどである。 その小説の世界にも冷戦終結とともに従来の東西の超大国が謀略・機略を戦わせるという図式がなくなり、麻薬組織との対決とともにテーマとして取り上げられるのがテロリズムの実際と、 それに取り組む主人公たちの戦いぶりである。そもそも有史以来地球上のすべての人々が満足し、一切の争いがなかったという時代はないのではないだろうか。 近代になってからでさえ超大国の存在が重しになったということもない。

 そして、これまでの戦争や紛争は経済的・エネルギー的・人的な"資源"を奪い合うことで起こってきたものばかりだが、 どうやらテロリストの思考回路では自由主義経済下の西側諸国をはじめとして国連の安全保障理事国レベルのほとんどの国々の活動そのものが 祖国から搾取して成り立っている罪悪そのものとされているのである。つまり私たちとそれらの国々の繁栄と経済的な基盤が天然資源の消費によって支えられ、 その資源を消費しているということが彼らの祖国の人々の犠牲の上に成り立っているということなのだろうか。

 更に、そこに宗教という私たちには理解が難しい概念が絡み合ってくる。我々の眼から見ると一日何回も祈りを捧げ、 信仰する宗派の儀式によって苦行や戒めが数多く義務付けられ、経済活動には縁遠くなるばかりの生活様式があるのだろう。 私は宗教とは人民を統治するための直接政治ではなかろうかと以前にも考えたことがあるが、崇拝によって支配者をあがめるという図式に近代的な産業と経済成長が起こりえるはずがない。 しかし、彼らの祖国での経済的な反映を目指すよりも(色々な条件からそれが難しいということもあるでしょうが…) 繁栄の陰には搾取あり…、それを宗教という隠れ蓑をまとってアジテーションするのがテロリズムの原理なのではないでしょうか。  後年に読み返すときの時間軸のランドマークになればと時事問題を生意気にも述べてしまったようであるが、 今回の物語はジャスト一年前に来日したこの人物のコメントから始まるのである。 B&W LOUDSPEAKERS LIMITED Senior Product Manager MIKE GOUGH その人である。当時の店頭でのエピソードは以下に述べているが、 実はこの後に食事を共にする中で彼らの開発がどのようなベクトルで進められているかに私の関心は大きく引き寄せられていったのである。


1.「接近遭遇と第一印象」

   2001年9月21日、台風の当たり年とも言える雨模様の新宿駅南口、日本マランツの山神所長と待ち合わせて10数年ぶりにロマンスカーに乗り一路相模大野を目指すことになった。 思い返せば8年前の10月4日、ここ日本マランツの本社でオリジナルノーチラスを初めて体験したのだが、今回も当時と同じ試聴室に通された。 そして、これも同じく解説して下さったのも日本マランツ株式会社のAV事業本部・商品企画部の澤田龍一氏であった。 何だか懐かしさが感じられる試聴室に入って体面したのが思い焦がれたNautilus Signature800(以降はS800と表記)であった。


写真1 Signature800との対面
まず実物を見て触って感じたこと…、「ああ〜きれいだ…」と思わずため息が出てしまった。これまで写真でしかS800を見たことがなかったのだが、 グレー・タイガー・アイのハイグロス仕上げがこれほどまでも透明感と光沢があり、しかも不必要な光線が当たらなければ本当に落ち着いた佇まいであることが実感された。 雑誌やカタログでは独特の木目を強調するがごとくの照明の当たり方でどぎつく見えていたものが何とも上品でしっくりと周辺の明るさになじむのである。 そして、コノリーレザーの手触りは写真ではわからぬふっくらとしたクッション材の弾力感がいやが応でも高級感を漂わせるのである。 こればかりは実物を目の前にしないと実感できない仕上げの美しさである。お見事!!

さて、この日の目的は仕上げの美しさに見とれることではない。短時間ではあるが実際にS800の実際の音を確認するためにわざわざ出向いてきたのである。 ここで澤田氏に色々と教えて頂いた技術的な分析は後述するとして、早速持参したディスクで試聴を開始することにした。 まず私が記念すべきS800との対面で最初の一曲目を何にするか。持参したディスクを広げてすぐに直感した。 「これだ!!」Fourplayの「The Best Of fourplay」(WPCR1214) http://www.wbjazz.com/catalogRelease.cfm?relNum=192 である。なぜか??  従来のNautilus801(以降はN801と表記)搭載している38センチ口径のウーファーに対して、 S800に搭載された二個の25センチ・ウーファーがどのような低域の再現性を見せるのかに最初の興味があったのである。 既にお馴染みとなった5トラック目の「Chant」の冒頭の約20秒間のドラムの演奏が実に多くを物語ってくれるのである。さぁ、スタートだ・・・。

 S800の第一声はこのHarvey Masonの強烈なフロアータムの連打から始まった。
ここで私は過去に同じ曲を数々のスピーカーで聴いてきた経験をフラッシュバックさせて、その第一音が発せられたその瞬間から記憶のファイリングキャビネットを探り、 その引き出しから過去のスピーカーでの分析事例のファイルを瞬間的に取り出してS800との比較検討を既に開始していたのである。

まず、この部分ではフロアータムの一打に続いてキックドラムの二打が後を追うのだが、 フロアータムのヘッド(ドラムの皮)が長く尾を引くようにバイブレーションを残していくのに対して、 ダンプされたキックドラムは「ドス!ドス!」と重々しい立ち上がり、そのすぐ後には、エコーをスピーカーの前の床にぼとっと置いてきてしまったようにきっちりと制動がかかり、 すぱっと切れ味よくブレーキがかかってくれなくてはいけないものだ。 オリジナルノーチラス(以降はNautilusと表記)ではその様子が大変によくわかり、N801ではキックドラムには独特の量感が追加されて再現されてきたものだ。しかしS800は…

 まずフロアータムの情報量は格段に多いことに驚かされる。
海原はマリンブルー一色かと思っていたのに、実際にはきらめく光や深い藍色が混在しているように実にひとつの打撃音にこれほど数多くの色彩が含まれていたものだと感心してしまった。 まぎれもなくウーファーの反応が超高速であるという何よりの証拠だ。さて、注目のキックドラムなのだが…、

いやはや、これには驚いた!!まるでエンクロージャーがないような反応の速さなのである。 口径の大きなウーファーが叩き出した低域は、当然振動板の後方にも放射されエンクロージャーの内部に衝突し、開放されるべき方向を求めて拡散しようとする。 それをバスレフポートやバックロードホーンなどの手法でエンクロージャーの外界に送り出すものだから位相がずれ時間も遅れる。

しかし、このS800の低域の反応の素晴らしさは何なのだろうか。これまで体験してきたこのキックドラムの残響のあり方、響きの継続時間は階段を5段くらい上から飛び降りたように ふわっと数瞬の滞空時間があったものだが、S800の場合には二段目くらいからぴょんと着地したような極端に短時間で制動がかかるのである。 参った…、こんなに強力なブレーキングが可能なスピーカーがあっただろうか…。

 この低域に関する驚きと発見を澤田氏に語るためにいったんポーズをかけて、たった今感じたことを語る私に氏は何度もうなずいて同意を示される。 さて、それでは、と同じディスクの1トラック目の「MAX-O-MAN」にスキップした。 この曲のHarvey Mason一転してシンバルワークの軽快なリズムにキックだけがからむスタートであり、空間にちりばめられたBob Jamesのキーボードにとにかく驚いた。 とにかくキーボードの鍵盤の肉厚を半分ほども削り取ったのではと思えるほどタッチが高速化し、それでいてストレスは微塵も感じさせない。 そして、Lee Ritenourのギターが入ってくると、その驚きは更に頂点を迎えた。こんな澄み切ったRitenourのギターはこれまでに聴いたことがない。 ピックを使うと一音の最初の出足が特に印象に残ることがあるのだが、その音色は何と純真無垢であることか。 今までの体験では無理に主役の座を奪おうとするがごとくギターのリードが目立ってしまうようなところがあったのだが、 S800で聴くと周辺の空気がRitenourのギターに対する浸透圧が逆転したように気持ちよくエコーを吸収していくのである。

「えっ、こんな爽快な演奏は初めてだ!!」とこの曲をスタートして30秒ほどで再度ポーズをかけて山神所長や澤田氏他の日本マランツのスタッフの面々に私は顔を向けて言い放った。 「皆さん、凄いです。こりゃぁ〜、売れますよ!」

 当然この後も持参したいつものテスト用ディスクを試聴したのだが、各々に新鮮な驚きと発見があり、ますます私の興奮は高まるばかりである。 しかし、それをすべてここで語ってしまうのは順序が逆であろう。そして、この日準備されていたオール・マランツのシステムでは私が求めるパワーでのテストが残念ながら出来なかった。 そして、売れっ子のタレントのようにスケジュールがぎっしりのS800を、何とか一泊でもいいから私のフロアーに持ち込んで下さるようにお願いし帰途についたものであった。 帰りの車中では既に頭の中で今後のプロモーションの構想がいくつも浮かんできており、 このスピーカーの魅力をいち早くお伝えしたいという思いから二年ぶりの随筆を執筆しようという決意が固まったのであった。

2.「S800の開発概要」

写真2 Front View

B&Wは35周年記念モデルとしてS800を開発した。
しかし、25周年記念のSilver Signature25や30周年記念のSignature30のような単なる記念モデルではない。
Nautilus800シリーズ最高の"民生機"として更に進化させたものなのである。

レコーディング・モニタースピーカーであるN801の開発はロンドンのEMIアビーロード・スタジオの多大なる協力のもとに行われた。
モニタースピーカーには大音量再生時でも破綻しない、伸びのいいレスポンスのよい低域が求められる。 これはスタジオの様にコントロールされた環境のもとでは比較的容易に実現することが出来るが、 理想的な音響空間とは言えない一般家庭のリスニングルームにおいては低域のコントロールが困難なことがしばしばある。 このような場合にはNautilus802の選択ということもあるだろうが、やはり超低域での伸びはN801には及ばない。 そこでS800の開発の目的のひとつは低域のレスポンスが同等であり、しかも家庭内で使用しやすい現実的な製品に仕上げることであった。

 1999年に新フォーマットであるSACD/DVD-Aがスタートしたが、それに先駆けてB&Wは研究を進め、次世代のモニタースピーカーとしてもNautilus800シリーズに反映させてきた。 ここで言う彼らの新フォーマットに対応するということは、直接的に可聴帯域をはるかに上回る100kHzに及ぶレスポンスを獲得しようとするものではない。 エリアシングのない高次フィルターの、可聴帯域における位相とグループディレイ(群遅延特性)を改善することにあったという。 つまり、新フォーマットへの対応とは可聴帯域内におけるトランジェント(過渡特性)の追求に他ならないということなのである。 それにはより広い再生周波数特性と位相特性が求められ、可聴帯域内での正確無比なレスポンスが求められるのである。

S800はレコーディング・モニタースピーカーのパフォーマンスを有しながらトランジェントを極限まで追求することで完成したと言っても過言ではない。 S800は明らかにN801/802をベースにしているが、直線歪と非直線歪(元の信号にはない特徴を再生音に与え細かなディティールを再現する能力を減少させること) を最小限に抑えることを目指した。その結果としてスピーカーを構成する各パーツのすべてが新規の設計となった。 その構成要素である各パーツをこれから一つずつ私なりの表現で、わかりやすく特徴をとらえて解説していくことにしたい。