第四十五話「美音倶楽部」



第一部「プラトン哲学に生きる音」



第一章『following conception』

 ちょうど一年前の4月23日、アヴァロン社の社長であるニール・パテル氏が私 のもとを来訪された。この時の模様は第四十三話に詳細を述べているので詳しくは触 れないが、今になってみれば当時私が発した質問で大変良く思い返されるものがある。

「アセントは大変素晴らしいスピーカーでしたが、なぜ生産を止めてしまったのですか。」

この質問に対するニールの答えはこうだった。

「まず、第一にレディアンHCが各種の項目においてアセントを上回ってしまったと いうこと。そして、最も大きな理由は、オザイラスの開発と生産を同時進行するほど 会社と工場にゆとりがなかったのです。皆さんが思われているほど我々の会社は大き くないんですよ。」

そして、私から質問が続く。

「それでは、アセントの後継モデルは考えているんですか。」

何年先になるかわからないが、という注釈付きで答えは「YES!」であった。

 それから起こった数々のエピソードは読み返して頂ければおわかりになるとおり、 第四十三話の序章で述べているような最高レベルの評価をオザイラスに与えたのであ る。このオザイラスによる衝撃的なスピーカー評価の次元をアップデートしなければ ならない体験が続き、これだけの技術力を駆使して作られるであろうアセントの後継 モデルには否応なく期待が高まるのであった。昨年の秋あたりから、いよいよ開発の 成果が見えるようになってきたという噂を聞くようになり、遂に九八年一月のウィン ターCESで発表されたのがアイドロン(EIDOLON)である。 ところが、実物を見てこられた輸入元の大場商事の話しを聞くうちに、これまでのア ヴァロンのモノ作りの姿勢が大きく変化してきたことで戸惑いと疑問が真夏の入道雲 のように私の頭に立ち上り始めたのである。



第二章『first impression』

 私は独断と偏見による好みで近年映画を見に行くことが多くなってきた。その多く が原作を読んで映画化を心待ちにしていたものである。 しかし、原作を読んで感動したレベルで評価できる作品は数少ない。古くは「未知と の遭遇」「レイズ・ザ・タイタニック」「ファイアフォックス」「ジャッカルの日」 「ブラックサンデー」等々尽きない思い出がよみがえってくる。最近のものでは「レ ッドオクトーバーを追え」「愛国者のゲーム」「いま、そこにある危機」「ジュラシ ックパーク」「ロストワールド」「アビス」「セブン」等々がある。好きな作家はと いうと、トム・クランシー、クライブ・カッスラー、スティーブン・クーンツ、マイ クル・クライトン、トマス・ハリス、ハロルド・コイル、リチャード・ハーマン・ジ ュニア、フレデリック・フォーサイス、A・J・クィネル、クレイグ・トーマス、デ イル・ブラウン、とまだまだ続いてしまい、それはそれはもう話しが長くなってしま う。趣味が合いそうな方はお会いしたときの話しのタネにとっておくのが楽しみとい うものである。

 さて、このような私の経験の中で小説におけるプロットの関連性と情報(取材・調 査)量の豊富さが醍醐味となっている筈が、映画化された脚本では、これら作家の苦 心と背景描写の妙が大きく欠落してしまっているのである。コンピューター・グラフ ィックスを多用した奇想天外な映像の世界も楽しいものではあるが、原作者の力量は やはり活字からという思いなのである。事前に収集している情報が、対象とする実物 を目の前にして果たしてどのよう評価されるのか。このアイドロンは、私がアヴァロ ンに対して抱いている既成概念をどうくつがえすのか。興奮と緊張を交えた心境を胸 に秘めて、写真でしか見たことのない見合いの相手を眼前にする思いである。

 そして、その日は1998年3月25日にやってきた。待ち兼ねていた私の心境を 察してか、輸入元である大場商事の担当者はいつもの明るさと笑顔でアイドロンを運 び込んできた。まず、アセントとの単純な違いはその重量である。アセントは幅33 センチ、高さ114センチ、奥行き45センチの本体が80キロ、ネットワークは幅 30センチ、高さ81センチ、奥行き30センチで25キロ、総重量で105キロと 大きさの割にはヘビー級であった。それに引き替えアイドロンは幅が30センチ、高 さ110センチ、奥行きは43センチと一回りアセントよりも小振りで重量は68キ ロと軽量化されているのである。各項目の数値は前作よりもゴージャスになっている のが新製品の常であるが、アイドロンは予想に違いコンパクトで軽量なのである。 「まあ、ニールがよかれと思って作ったものなのだから、よけいな詮索は抜きにして とにかく聴いてみるか。」と、私はアセントの記憶を呼び起こしながらセッティング に取りかかった。トランスポートは今では私のリファレンスとして欠かすことの出来 ない存在になったエソテリックのP0、D/Aコンバーターはマークレビンソンの NO・30・5L、プリアンプはジェフロウランドのコヒレンス、そしてパワーアンプ も同社のモデル8TiにバッテリーパワーサプライBPS8を組み合わせたシステムである。

 最近は必ずと言ってよいほど新製品の試聴に用いているソフトがある。アゼルバイ ジャン共和国出身のピアニストでありヴォーカリストであるアジザ・ムスタファ・ザデ の五枚目のアルバム「JAZZIZA」(SONY RECORDS SRCS 8542)である。ハイテン ションで音域が広く、スキャットも交えて歌われるジャズのスタンダード。バックは パーカッションとギターというシンプルな編成に、数曲だけゲストであるトゥーツ・ シールマンスのハーモニカがフィーチャーされている。この一曲目「ラヴァー・マン 」と六曲目「ネイチャー・ボーイ」が私の大変なお気に入りとなっている。セッティ ングも完了し期待に胸膨らませて「ラヴァー・マン」をかける。まずパルシブな効果 音的な炸裂音が入り、二言三言の女性の会話の声でイントロが始まる。そして、タブ ラのズィーンという腹に響く低音のリズムが繰り返され、スキャットでザデのヴォー カルが入ってくる。「うわぁー、なんだこれは・・・。」もう、この瞬間にアイドロン の魅力が私の感性をわしづかみにしてしまった。このヴォーカルのフォーカシングの 見事さは何なんだ。これまでに聴いたことのない各レンジのスムースなつながりは何 なんだ。このエコー感の見事な展開と消え去っていく瞬間までを、ことさら忠実に拾 い上げしまう描写力と情報量は一体何なんだ。アイドロンが存在している空間、ユニ ットが位置するはずのポイントから周囲の三次元的空間に向けて、楽音が送り出す空 気感とも言える余韻の拡散領域がこれほどまでに鮮やかに広範囲に広がっていくスピ ーカーがあっただろうか。頻繁に使われる言葉ではあるが、「透明感」という言葉が アイドロンの音に最もふさわしいかもしれない。この「透明感」という表現はよく使 われるのだが、製品に対する印象を当意即妙に言い表しているように聞こえるのだが 、「これだ。」という明確な定義は誰もが言い表すことが出来ないのではないだろう か。誰にでもわかるように視覚的なイメージで「透明感」を表現すると、私は次のよ うに実に簡単に説明することが出来る。

 私が今までに聴いてきた大多数のスピーカーは、それを聴くことによって大変立派 なビジュアルイメージをリスナーに提供してくれた。しかし、これらのスピーカーが 何らかのビジュアルイメージを描いてくれたのは、キャンバス、画用紙、上質紙、等 々とにかく白い平面であったようだ。純白さの程度は色々とあるにしても、とにかく 真っ白な平面に描かれた映像美であった。真っ白な画面に描き出された演奏と楽音は 十分な鮮明さを持っているにしても、やはり四角く切り取られた平面という二次元の 世界なのである。従って、確かに美しい色彩が描かれているのはわかるのだが、背景 である「白」という色の上に乗せられた色であり、「白」という色彩に透視効果的な 要素を求めるのは無理であろうと思われる。そこで、これら楽音のイメージが、輪郭 や色彩感をまったく維持したままで、極めて高い透明度を持つガラス、アクリル、セ ルロイド、などに描かれたらどうだろうか。空間には主役となる演奏だけが浮かび上 がり、その映像の周辺は透視できる「無」の存在として見なすことが出来る。しかも 、少しでも体や頭を動かして視線を変化させれば、その動きにつれて楽音の背景が移 動するのである。非常に立体的であり、演奏だけが中空に浮かび上がる例えとしてご 理解頂けないだろうか。私流の「透明感」という表現は、白いボードに描かれた絵で はなく、くもり一つない完璧な透明度をもつガラスに描いた絵ということだ。そして 、まさにアイドロンが聴かせる音楽は、この「透明感」という評価の基準をほぼ完璧 なまでに満たしているのである。私がこれまでに巡り会ったスピーカーのなかで、こ の「透明感」を完璧に実現しているのはB&Wのノーチラス、大型シアター的醍醐味 を加味したものでアヴァロンのオザイラス、ハイビジョン的解像度で至近距離でも美 しさが破綻しないゴールドムンドのエピローグなどであろうか。これ以外のスピーカ ーを使用されている方すべてに、私のレベルで推奨したい、そして聴いていただきた いスピーカーであるという自信を、アイドロンはほんのわずかなヒアリングで私の頭 の中に作り上げてしまったようだ。



第三章『progressive designer』

 昨年はオザイラスというビッグモデルを引っ提げて来日したアヴァロン社の社長で あるニール・パテル氏は、今回もアイドロンの入荷にタイミングを合わせて来日され た。各国を飛び回りプロモーションに余念のないニールであるが、4月10日国内の オーディオ店のなかでは唯一今回も私のフロアーに立ち寄って下さったようだ。昨年 の出会いとエピソードに関しては アヴァロンのホームページにも「 オザイラス・トウキョウ・デビュー」 と写真入りで紹介されており、当社と私のフロアーが実名で紹介されている。大変名誉 なことであり、インターネットをご覧になっている皆様も是非一度のぞかれてみるこ とをお勧めしたい。前日に来日されたばかりで、まだ時差ボケが回復せず体調と頭の 回転が本調子ではないと大場商事の内田常務からフォローがあった。

「やあ、久し振り。また会えてうれしいよ。」

と、日本語と英語でお互いにあいさつを交わし握手をする。大変ソフトな力加減の握手 がニールの人柄を物語っているようである。

 早速、前述のアジザ・ムスタファ・ザデの「JAZZIZA」をアイドロンで聴い てもらうと、大きくうなずくパフォーマンスで、私がセットアップしたアイドロンの 演奏に評価の笑顔を向けてくれた。お返しに用意してあったこのCDをプレゼントする。 大変喜んでいただいたが、この時点では言葉少なくお疲れの様子である。しかし、 ニールには申し訳ないが、私としては聞きたいことが山ほどあった。そこで、最初に

「アイドロンを聴いて大変素晴らしい音質に感動した。第一印象の段階で明らかにア セントの領域を上回っていると評価している。Congratulation!」

と、内田常務に通訳をお願いした。このコメントには旅の疲れを癒す効果があったよ うだ。アメリカ人特有の上半身を大きく使ったジェスチャーで、笑顔と目の輝きがも どってきた。「いいぞ、その調子だ。」雰囲気が明るくなった。

 私の記憶が正しければ、アヴァロンが初代のアセントをアメリカで発表したのはち ょうど10年前ではなかったかと思う。同社が設立された時点ではニールは在籍して おらず、89年から90年にかけてアセントが2にマイナーチェンジされた時期から 同社のリーダーシップを取り始めてきたようである。そして、今は廃刊となってしま ったアメリカの専門誌アブソリュート・サウンドの編集長であったハリー・ピアソン 氏が同誌の評論でアセント2を高く評価した上で、スピーカーの世代感が刷新された と言及している。この八年前の評論文を翻訳して紹介しているのが、私のこの随筆第二話 『新世代スピーカーの定義を考える』であった。 今から五年前のことである。当時からアヴァロンの作品を評価してきた私から見て、 今回のアイドロンにおける最も大きな変化は何と言ってもシールデッド(密閉型)エ ンクロージャーからバスレフ型エンクロージャーへの変更である。最も議論を呼ぶで あろうこのポイントを最初に質問した。

「私は、その時代における最高のものを作ろうと努力してきました。10年前の技術 力をもって当時最高と信じられるレベルで作り上げたのがアセント2でした。しかし、 時代とテクノロジーは進歩します。その進歩を無視することは出来ないし、過去の成 り行きから最新技術を採用することを拒めば自分に嘘をついたことになります。様々 な研究開発を繰り返してきた努力を素直に作品にするのは、過去の実績を頼りにする 経営方針からすれば勇気を必要とするものでした。技術的追求によってよりよいもの が開発されたのであれば、それを商品化することはエンジニアと経営者の義務である とも考えています。アイドロンを聴いて頂ければ、それらの疑念もすべて払拭される ものと信じています。」

 私も海外の多くのメーカーのトップと直接話しをすることが多いのだが、経営者と 設計者が同一人物であるときには、必ずと言っていいほど作品の在り方に彼ら自身の 哲学的な発想を物語る情熱と思い入れを強く感じさせるものがある。経営者、エンジ ニア、セールス担当者と、それぞれの仕事の領域を分業している有名メーカーの人と 話すと、この辺が大きく印象を異にする点でもある。実名はあげられないが、私に対 して「日本のマーケットで売るためには、どうしたらよいのか。」あるいは「今日本 で売れている商品と、そのセールスポイントは何か。」という生々しい質問を投げか けてくるビジネスマンもいるのである。

 さて、ティールのようにポート・チューニングを否定的に見てパッシブ・ラジエー ターを採用する考え方や、ウィルソン・オーディオやJMラボのようにバスレフ型に 主力を置く考え方、エグレストンワークスのように変則的なポート・チューニングに 解決法を見い出す考え方、ジェネシスのようにサーボ・コントロールによる制動力を 重視した考え方、等々首尾一貫してエンクロージャー・キャビネットと低域再生の手 法は各メーカーのトレードマークでもありセールスポイントでもあったと、数多くの スピーカーを聴いてきた私は系統的に分析して各々を評価してきた。その中でも、ア ヴァロンは密閉型で自己主張を行い評価を勝ち取って来たのである。そこで、当然ニ ールもわかっていることなのだが、ポート・チューニングにおけるメリットとデメリ ットを私は前置きとして内田常務にまず説明を始めた。メリットはともかく、デメリ ットとしてポート(バスレフ・ダクト)内部で起こる管共振について、私は手元にあ った紙をパイプ状に丸めて声を出し疑問点を話し始めた。日本語を話さないニールは、 私が始めたパフォーマンスを見てほほ笑み始め、頭の中で回答を用意始めたようであ る。次第に目つきが変わってきた。「そうこなくっちゃ!」と私は内心ニンマリして きたのである。通訳が終わるか終わらないかのタイミングでニールは切り出した。

「今、ミスター・カワマタが言ったことは事実です。しかし、ポート・チューニング を採用している多くのメーカーは、50年代に論文化されたティール・アンド・スモ ールの理論をそのままに設計していることに問題があるのです。」

「OH!」と言って「このティールとは、ジム・ティールのことではありません。」

とジョークの追加も忘れていない。

 さて、ここで勉強をしなければならない。ニールが語ったことを、彼の作品である アイドロンを聴いたという事実だけでわかったような顔をすることはできない。技術 的知識において、設計者と同様なレベルで理解する、あるいはより近いレベルまで自 分の知識を高めておきたいというのが私の信条でもある。そして、それを一般の皆様 に分かりやすいように咀嚼して解説することが私の仕事でもある。「ティール・アン ド・スモールの理論」って何のことだろう?

 50年代にはベラネック(L.Beranek)、ロカンシィ(B.Locanthi)、ノバック(J.Novak) らの手によってポーテッド・システムに関する優れた分析がなされた。そして、シス テム設計に対する比較的簡単な手段を示したのがノバックの研究を共同で引き継いだ ティールとスモールであったという。ポーテッド・システムには組み合わされた二つ の共振が存在する。一つは「スピーカー自体の共振」、もう一つは「チューニングさ れたエンクロージャーの共振」である。これらを適切にマッチングさせることで望ま しいシステムの特性が得られる。ティールとスモールは設計者がエンクロージャー容 積とポート・チューニングを変数としてシステムの特性を計算出来るように有用なパ ラメーターを案出しており、現在でも大半のメーカーが彼らのパラメーターを使って システム設計をしているのである。これらのパラメーターは

小信号時「fs : Qts : Vas : η」   大信号時「Vd : Xmas : Sd : Pe(max) : Re」

と表記されるもので一つずつに学術的な意味を持っている。このパラメーター各々の 説明をすると、最初の「fs」などは「Hz(周波数)単位によるユニットの自由空気共振」 となり、ほかのパラメーターはこれの三倍以上の文字数を使って説明することになり 、私でも興醒めしてしまうので皆様も面白くはないだろうと考え割愛させて頂いた。 要は、これらの変数に数値を当てはめて微積分を行なうと設計者が求める各数値が算 出されてくるというものなのである。当然近代においてはコンピューターを駆使して 、ティール・スモール・パラメーターを用い各種の設計が行われているということだ 。ここでニールが問題としているのは、これらパラメーターを使用すること、あるい はそれ自身に問題があるということではない。その後に提唱されたキール(D.keele)の 大まかなデザイン式でも計算上での精度はプラス・マイナス約10%というところま で導き出されているのだが、どうやら他の要因がポーテッド・システムにはあるらしいのだ。



第四章『analyze』

 さて、ここからは私の知識と経験に基づく私流の解釈ということになるので、これ からの記述の責任は私にあり、内容に何らかの誤解があった場合にはご容赦いただき たい。まず、図1をご覧いただきたい。大変初歩的な密閉型スピーカーとバスレフ型 スピーカーの低域特性を象徴的に示しているものである。密閉型の場合はなだらかな 下降線を描いてレスポンスが低下していくことをまずご理解いただきたい。この左下 がりの傾斜線がどのくらい低い周波数まで延びていくかということは、エンクロージ ャーの容積、ユニットの口径やエフゼロ、などに関係してくるのである。ここで記憶 していただきたいのは、レスポンスが低下し始める付近の特性に乱れがなく、なだら かに均一の下降率をもって最限界となる低域まで下降が続いていくということである 。そして、図1において点線で示しているのが一般的なバスレフ型スピーカーの低域 特性である。ウーファー・ユニットの再生限界付近でわずかに0デシベルを上回る上 昇カーブがあらわれること、そして下降率がオクターブあたりマイナス24デシベル と大変急激な減衰特性に変化してしまうということを記憶していただきたい。ここま でがビギナー向けに説明される一般的な内容であり、示される図表のたぐいはほとん どこれと同じものであろうと思われる。言い替えれば、ティール・スモール・パラメ ーターを使って設計できる特性の推測もここまでということであろうか。

 さて、ここでニールが昨年と同じようにジェスチャーでペンと紙を要求してきた。 スラスラと図面らしきものを書き始めて解説が続いた。

「ポーテッド・システムにはポートとエンクロージャーの共振点によって、ごく低い 周波数の特性に変化を与えることもありますが、もっとも大切なことはポートの共振 点からオクターブごとの高い周波数にかけて、こんなリップル状の特性変化をもたら していることなのです。」

ニールが書いたイメージを私が書き直したものが図2である。なるほど、今思い出す と三年前にジム・ティールが力説していたポイントとどうやら同じことらしい。(本 随筆の第二十一話をぜひ読み返して頂きたい。)しかし、オーディオの用語解説など でバスレフ型の特性を述べている記述などでは、ポート共振点より上の周波数で発生 するこの特性変化を指摘しているものはほとんどない。そうか、40年も前のティー ル・スモール・パラメーターで指摘されていなかったことがここにあったのか。だか らアヴァロンは、図2のようなミッドバス帯域の変調を否定して、これまで頑固に密 閉型エンクロージャーを採用してきたわけか。

「我々は、このポーテッド・システム特有の変調をネットワークとエンクロージャー 内部の工夫によって取り去る手段を開発することが出来ました。これで、ポーテッド ・システムのメリットだけをアイドロンに生かすことが出来たのです。」

なるほど、一応はうなずきつつも私まだ納得したわけではない。

「ウィルソンのシステム5はPUPPY5を推定125Hz以下、エグレストンワーク スのアンドラは100Hz以下と、サブウーファーと言えるクロスオーバー周波数で各 々ウーファーを駆動している。これほど低い帯域でウーファーを駆動させるというこ とは、300Hzから600Hzというミッドバス帯域に影響を与えなくするためだと思 っていましたが、違うんですか。」

「ウーファーのユニットだけを特定してみれば確かにそのように見えるかもしれませ ん。しかし、ポーテッド・システムであるということを忘れてはいけません。ユニッ ト自身の共振の他にもポートとエンクロージャーの共振点があり、それは周波数の高 い方に向かっても作用しているんです。」

そう言われれば、これまでの経験の中でふくらんだような不明解な低域を聴いたこと は度々あったことを思い出した。ということは、ウーファーのクロスオーバー周波数 をどんなに低く設定しても、ポート・チューニングの共振点から高い周波数に向けて 、この変調があるということか。「だとすれば、100Hzや125Hzでウーファーの クロスオーバーを設定しているとすれば、このリップル状の変調は200Hzから40 0Hzにかけて一番大きなうねりを示すということか。」

と言うと、ニールは自信たっぷりに大きくうなずいて

「YES、YES。」

と繰り返すではないか。

「わかりました。それじゃ、アイドロンはそのポートチューニングの宿命からどうや って開放されたのですか。」

と、今度は私の方が興味津々で答えをせかせる質問を発してしまった。

「先程ミスター・カワマタが例にあげたような他社と逆の考え方ですよ。まず、アイ ドロンのポート・チューニングの共振点を35Hzと大変低く設定します。それによっ てウーファーの再生帯域に盛り上がりを付けるブースト効果を狙うのではなく、より 低いレンジへエクステンションさせることが出来ます。(図3参照)そして、ここが 肝心なのですがウーファーのクロスオーバー周波数は比較的高いところで設定します。」

そうか、なるほど。実はニールが来る数日前にアイドロンを横倒しにして底部にある ポートを観察したのだが、口径は約7.5センチで長さが何と32センチもあったこ とを思い出した。ウィルソンのシステム5ではPUPPY5の後部にあるポートがほ ぼ同口径で長さが17センチであることを考えれば、アイドロンのポート・チューニ ングが大変低い共振周波数に設定されていることがうなずけるものである。意外に思 った私はアセントを思い出した。確かアセントのウーファーもクロスオーバーは30 0HZ程度ではなかったか。それよりもアイドロンはウーファーのクロスを上げてきた というのか?

「ちょっと待って下さい。ウーファーのクロスを高くするということは、ミッド・バ ス・レンジの信号もウーファーから出力される割合が高くなるということです。とい うことはウーファーの背圧に含まれる中高音域の成分が、よけいにポート・チューニ ングに影響されやすくなるのではないですか。」

ニールは、この質問を予期していたのか、待ってましたとばかりに解説を始めた。

「よい質問です。先程、他社の例を引けばリップル状の変調は200Hzから400Hz に表れるということを申し上げましたが、ウーファーのクロスが仮に500Hz位だと したら、ポートの影響は1キロHz以上に表れてくることになります。しかし、我々は エンクロージャー内部で1キロHz以上の帯域を消滅させる技術を既に開発しています。 このエンクロージャー内部の特殊な構造によって、ウーファーの背圧がポートに変調 される以前に、その帯域の大半を吸収させてしまうのです。つまり、ミッド・バス・ レンジまで分割振動や混変調が起こらないハイスピードで強力な優れたウーファーユ ニットを採用すること、そして、ポート・チューニングを含むエンクロージャーの設 計を理想的なものにすること。最後に、この両者を取りまとめる意味でも従来の理論 で満足してはならないエレクトロニクスの開発、ネットワークによるフィルターを意 味するものですが、これを妥協なきものにする三つの技術的な追究がなされて始めて 実現できたことなのです。」

そうか、そうすると・・・。

「アイドロンは口径は約7.5センチで長さが32センチもある長いポートが、ボデ ィーの中心部から床面に向かって直立する形で取り付けられている。この中を低域の 音波が通過してくるわけだが、このような形で床面に直角に音波が打ち当てられると いうことは機械的なハイ・カット・フィルターの効果を持つはずだが。」

「その通りです。ミスター・カワマタ。」

そこで、その答えを受けて切り返した。

「他社のポート・チューニングされたスピーカーに比較的大きな音量で低域の信号を 入力すると、ポートから盛んに肌で感じられるくらいの風速で空気の流れが発生する が、アイドロンのようにポートの出口がこれほど床面に近付き小さなすき間しかない 場合、排出される空気が抑圧を受けて減速させれらる原因にはならないか。言い替え れば、ポート開口部の広さが十分でないように思われ、ウーファーの振動板の動作に 影響は無いのだろうか。」

これに関しては答えは早かった。

「結論から言えばまったく問題ありません。当社の製品であるアペックス・カプラー というスパイク・コーンを使用して、わずかに床から浮かせてセッティングするのが 通常ですが、これを使わずに直接床面にアイドロンをベタ置きしたとしてもウーファ ーの動作は保証されます。先程もお話したように大変低い周波数でポートがチューニ ングされており、35Hzというごく低い音波の波長は九・七メートルにもおよぶ大変 ゆったりとした気圧変動となります。No problem!」

やっぱり、そうきたか。まったく私が予想したとおりの答えであった。よくポートの 風切り音を問題として、ポートの開口部をラッパ状にラウンド加工したスピーカーを 見かける。非常に単純なことだが、CDやレコードなどに録音された音楽には風切り 音などは入っていないのだから明らかにスピーカーが付加した余分なものと考えられ、 本来あってはならない音なのである。ポート・チューニングの限界、あるいは弊害と して認識されるべきポイントもニールは正確な判断のもとにモノ作りをしていること が理解された。

ウーン、なるほどと唸ってしまった。私は手元の紙に「500Hz、600Hz」と書い て「クロスオーバー・フリークエンシー」はいくつかとニールに問いかけたが、笑 ってゆっくり頭を横に振るだけだった。

「ガードが堅いな。企業秘密というところか。でも、逆転の発想から生まれたアイド ロンの素晴らしい低域再現性を考えれば私でも教えないだろうな。」それでは、

「ミッド・レンジとトゥイーターのクロスは。」

と聞き直すと、

「2キロHzです。」

と、拍子抜けするほどあっさりと答えが返ってきた。

 フィルターによる電気的なウーファーの使い方は高めの周波数へ、ポートのチュー ニングはより低い周波数へと移行させ、ウーファーユニットとポートの共振周波数を 上下に分離することによって、その両者のデメリットを補完しメリットへ転換させて しまったのがエンクロージャー内部の特殊な設計というわけか。いやはや、これで理 解できました。ニールの解説が大変大きな説得力を持っているのは、私自身が既にア イドロンを聴いて評価しているポイントがそっくりそのまま語られたからであり、何 よりもアイドロンそれ自身の音質がニールの解説を見事に裏付けているからである。

 前述のアジザ・ムスタファ・ザデの「JAZZIZA」では低音のリズム楽器とし てタブラと思われる打音がズィーンと度々繰り返されるのだが、この低音の緊張感あ ふれるテンション、立ち上りのスピード感と消えていくまでの誇張感のない減衰特性 、そして叩くたびにわずかずつ音色が変化する演奏者の実在感、どれを取ってみても 他のスピーカーが描くことの出来なかった細密な描写力なのである。そして、私はポ ート・チューニングの良いところだけをアイドロンに取り入れることが出来たという ニールの思惑を次のように解釈したのである。ウーファーそのものの純粋な出力を取 りだそうとする目的でシールデッド(密閉)型を採用してきたアヴァロンであるが、 その目的を達成する代償として、小容積のエンクロージャーに搭載されたウーファー のオーバーダンピング的な抑制効果が従来のアヴァロンにあったかも(あくまでも、 ・・・かも。)しれない。しかし、アイドロンの二八センチ・ノーメックス&ケブラ ー・コンポジットコーン・ウーファーはしたたかな高速反応を示し、まれにみるスピ ード感を眼前に展開するのである。この立ち上がりの反応の素晴らしさ、強力なブレ ーキシステムを思わせる見事な制動感、この静から動へ、動から静へ、という両方向 への高速レスポンスを可能としたことがポート・チューニングへ移行したアヴァロン の最大の進化であると私は分析したのである。



第五章『succeed to Osiris』

 さて、アヴァロンと言えば優雅な木目の仕上げが特徴となっているのだが、皆さんも その姿が頭に浮かぶほど認知度が高くなってブランドではないだろうか。外からはわか らないポート・チューニングの話しが長くなってしまったが、エンクーロージャーの構 造に従来とは異なる変化はあったのだろうか。

「以前から細身のプロポーションでありながら、各ユニットを取り付けているフロント バッフルの厚さが尋常ではなかったのがアヴァロンの特徴でもありました。レディアン HCやオザイラスでは約一七センチもの厚みを持たせていましたが、アイドロンの場合 はどうですか。」

「約13センチの厚みがあります。オザイラスよりは若干薄くなりましたが、レディア ンHCを含むアヴァロンの他のモデルではやっていないことがあります。高密度MDF を何層にも張り合わせてバッフルを形成しているわけですが、この一枚一枚の厚みを黄 金分割比によって異なる厚みにしています。」

なるほど、アヴァロンの造形は音響工学的に言ってもうなずけるものがある。特にトゥ イーターの周辺部を斜めにカットしたデザインなどは音波の放射パターンに影響を与え る部分なのである。しかし、今回のアイドロンではウーファーの下側両側面のコーナー からも上に向けて同様なカットを入れてある。これはなぜだろう。

「これも一口に説明するのは難しいのですが・・・。低域のポーラーパターンを考慮し て、ミッドレンジとのつながりをよりスムースにするためというのが目的です。アヴァ ロンの各スピーカーは高密度MDFでまず最外形のブロックを作り、その後で先程のコ メントにあったフロントバッフルの斜めの部分をカットします。そして、キャビネット 内部には二層のダンプ材を貼り付け、外側には下地の役目も果たす一層のダンプ材を貼 り付けるのです。その上から天然木材をスライスしたツキ板を貼り付けて仕上げるとい う大変に手間のかかる工程で作られていきます。従来のアヴァロンのスピーカーはフロ ントから見て平面が4面、両側面に後面と上面の4面と全部で8面体でした。この1面 一面にプレスマシンで6トンの圧力を加え最低2時間放置します。単純に計算すれば、 これだけで16時間かかります。アイドロンでは、これに更に2面が加わり作業時間は 20時間以上と大変長時間になります。実物を見て頂ければわかりますが、ネジや釘を 一切使わないクラフトマンシップあふれる仕上げによって完全シンメトリーの木目が正 確に配置され貼り付けられています。従って、先程の外側の下地にかける工程と同じ時 間をかけてツキ板を貼り付けるので、プレスマシンにかける時間は合計で40時間以上 となります。こんな手間のかかる作り方をしているのは我々くらいのものでしょう。商 品としての価格も単に大きさと重さだけで計れない要素がここにあります。」

ちょっと営業口調になってしまったニールを私の質問が再び技術的な側面へと振り向けていく。

「今の、ポーラー・パターンて何ですか。」

「OH!ソーリー。」と再び解説が始まる。

「スピーカーの各ユニット、もしくはシステム全体が各周波数帯域によって示すエネル ギーの分布図と思ってください。各周波数ごとにマイクロホンを移動させ、一定の音圧 を感じるポイントを結んでいくと幾何学的なパターンになります。これらは通常スピー カーの上から平面的に見た視点となりますが、クローバー(トランプのマーク)に形が 似ています。その茎の部分がスピーカーとすると、葉の外形のようなパターンになりま す。低い周波数では、このクローバーの形がふっくらと丸みを帯び、周波数が高くなる につれて細身のクローバーに変化していくのが一般的です。しかし、このクローバーの 形が周波数の高低によって大きく変化してしまうと正確なステレオ・イメージを得るこ とが出来ません。アヴァロンでは、低域から高域にいたるすべての帯域で、このポーラ ー・パターンが近似することに大きな価値があると考えているのです。つまり、スピー カーユニットの軸上から見て、各方位と各周波数帯域に対して均一なエネルギー放射を 行なうことが大切であるということが、コンピューターを駆使した各種のシミュレーシ ョンから判明してきたということなのです。」

そういうことでしたか。このエネルギー放射の分布にキャビネットのデザインが影響を 持つのであれば、面倒な工程を追加して生産効率が低下するのを覚悟の上で、アイドロ ンのカット面を増やしたことも納得が出来るというものだ。まったく凝り性なんだから ・・・。

 次第に関心がアイドロンの低域から高域に移っていくにつれ、新規採用のドライバー ユニットが目を引く。セラミックスの振動板を採用した8.9センチのミッドレンジ、 同様にセラミックスを使用した2.5センチのトゥイーターである。これまでアヴァロ ンは、ドイツのイートン社が製造するウーファーと、同じくドイツのMBクォート社製 ミッドレンジとトゥイーター(最近発表したアーカスではトゥイーターにフランスのフ ォーカル社製)を採用していたのだが、このアイドロンでは思い切ったイメージチェン ジとなるものである。そこで、私はちょっと意地悪な質問をしてみた。

「私の耳に入った情報ではドイツのセラテック社が、これと同じセラミックを使用した ユニットを作っていたと思うのですが・・・。」

と尋ねると。これを訳した内田常務がしばらく返事を待ってから首を振った。

「川又さん、どうやらニールはこのユニットの製造元をはっきりコメントしたくないみ たいだね。」

と言われる。確か、アメリカでフォーカル社の輸入をしている代理店が、このセラテッ ク社もいっしょに取り扱っているはずだ。私としてもこれ以上追及しても得るところが あるわけでもなく、そのうちにわかることだからと、この話しはこれきりとした。

 しかし、これらのユニットの変更は私にとっては実にすんなりと受け入れられるもの であった。前述のアジザ・ムスタファ・ザデの「JAZZIZA」で、ザデ本人がヴォ ーカルの合間に弾けるような鮮やかさで繰り広げるピアノを聴けば、どなたでも新ユニ ットの採用に肯定のつぶやきをもらさずにはいられないであろう。ウーファーが実現し たハイスピードなトランジェント・イメージをミッドレンジ以上にマッチさせるには、 もうこれ以上はないと思えるほどのスピード感のリレーションである。しかも、メタル ・ダイヤフラムが聴かせる緊張感や誇張感がなく、この冒頭で語っている「透明感」を 非常に高いレベルで、そして無理なく聴くものに認識させるのである。さて、ここで更 に質問だ。

「大変素晴らしいミッドレンジとトゥイーターの選択であると思います。しかし、これ らのユニットを正確にコントロールする目的のために、オザイラスでは妥協を排した巨 大なネットワークを作られたわけです。その真価を大いに評価してきたわけですが、ア セントでさえもネットワークを別のキャビネットにしていたのに、アイドロンは本体に 内蔵させました。これには何らかの妥協があったのですか。」

「NO!」ちょっと表情を変えてビシッと、まずこの一言が返ってきた。

「技術の進歩は必ずしもサイズや重量を大きくするものではありません。それはコンピ ューターやビジュアルの世界でも見られるように、むしろ技術進歩によって小型軽量化 されていくのがエンジニアの目標でもあるわけです。確かにオザイラスでは価格や大き さという制限を考慮せずに我々の持っているテクノロジーをすべて出し切ることを目指 した作品でした。しかし、オザイラスの開発で得た様々な技術があったからこそ、この アイドロンが誕生したということも事実なのです。従って、オザイラスのネットワーク を開発してきたノウハウが、そのままアイドロンに生かされているとご理解ください。 つまり、オザイラスのスケールを真似ることがアイドロンの開発目的ではなく、一般的 な使用環境にどこまでフィットさせるかということが大切だと思うのですが。そして、 その手法としては、フィルターのパーツにおける三次元的な配置形態、インピーダンス マッチングやノイズキャンセルといった高度なエレクトロニクスの要素をコンピュータ ーによるCADモデルで解析していったことが中心となっています。また、多くの場合 クロスオーバー・ネッワークは帯域分割をすることだけが目的のように解釈されていま すが、先程説明したポーラー・パターンも同時にコントロールすることが出来るのです 。これは、ネットワークにこだわるアヴァロンの大きな特徴でもあるので、ぜひ日本の 皆さんにも伝えてほしいポイントです。そして、フィルターの中でもパーツ点数が大変 多くなるバンド・パス・フィルターが、アイドロンでは一つですんだということもスペ ースセービングの面では大きく貢献しました。何と言っても、オザイラスではこのバン ド・パス・フィルターが三つもあったわけですから。」

なるほど、でもアセントのようにセパレート式のネットワークの方が高級感と説得力があるんだが・・・。と言うと。

「先程もお話したように、技術開発によって電気的、磁気的、機械的振動といった各々 の課題が解決され、従来の大きさと重量、そして構造を持ったネットワークと同じか、 もしくはそれ以上の能力を発揮した場合、皆さんはそれでもセパレート化されたもう一 つのキャビネットをスピーカーの後ろに置くことを望みますか。高級感と説得力がある からと言っても、性能に変わりがないのなら、ネットワークと本体をつなぐケーブル、 それに要する互いの接点数が増えるということ、もう既にこの両者の存在でさえも逆に マイナス要素になってきているのです。」

なるほど、最後にもうひとつ訊いておきたいことが頭に浮かんだ。

「ネットワークと同様に、以前のアヴァロンはユニットの数だけ入力ターミナルがあっ た。つまり、2ウェイでは二系統でバイアンプ/バイワイヤーが可能とされ、同様に3 ウェイでは三系統でトライアンプ/トライワイヤーが可能となっていました。しかし、 アイドロンでは一般的なシングルの入力ターミナルですね。複数の入力ターミナルを装 備していた方がマニア・ライクで高級感があるという見方があるのですが。」

「ダイナミック型スピーカーは・・・、少なくともアヴァロンのスピーカーにおいては 、ウーファーは電流によってコントロールされるべきドライバーであり、ミッドレンジ やトゥイーターは電圧によってコントロールされるものと私たちは考えています。つま り、2ウェイ以上のスピーカーシステムにおいては、瞬間的には大変大きな電流を連続 して流さなければならないウーファー・セクションと、それ以外のユニットに対する回 路とが一緒になっているのが一般的なネットワークと言えます。これらを前提にして2 ウェイ以上のネットワークでは、このウーファーに対する大きな電流がネットワークの アースラインと例えられる経路を伝わってミッドレンジ以上の帯域に影響を与えている ことを、私たちは大分前から問題視していました。これが、これまでのアヴァロンのス ピーカーシステムにユニット分の入力ターミナルを装備させ、各帯域のアイソレーショ ンを優先した理由です。つまり、バイ・アンプやバイ・アンプなどに対応する複数のタ ーミナルを装備したのは、それを商品にとってのセールスポイントにしようとするつも りではなく、当時の技術力では解決が出来なかったので単純な手段で対応したというこ となのです。アイドロンの開発では、ネットワークの各帯域のアイソレーションも内部 で解決することが出来たので、入力ターミナルは一系統になったわけです。シングルで も設計通りの音質と性能を発揮するのに、複数のターミナルを取り付け、一台のアンプ で鳴らすときに入力ターミナルを外部でショートするジャンパーケーブルを使ったり、 あるいはスピーカーケーブル二セット分の経費を使うことの方が不合理ではないでしょ うか。ましてや、ジャンパーケーブルの品質が悪かった場合や、違う品質の二組のスピ ーカーケーブルでバイ・ワイヤー接続を行なったりすれば、設計者が意図した音質はこ とさら得られない状況となるでしょう。ですから、シングルのターミナルは逆にテクノ ロジーが進化した証拠であると理解してほしいのです。」

参ったな・・・、「完膚なきまでに。」というのはこういう状況のことを言うのだろう か。何かを質問するごとに、質問のおろかさを露呈していくようなものである。それほ どニールの回答には納得させられてしまう。もう今ではアセントと比較すること自体に 何の価値観も感じられなくなってしまった。昨年のオザイラスでは商品としての完成度 に妥協のない仕上がりを見せつけてくれたが、それはアヴァロンの知り得る問題点をす べて解決するために、価格、大きさ、重量に制限を与えない究極の設計思想があったと 言えるだろう。そして、巨大化を肯定して取り組んだオザイラスの開発で得たノウハウ を、アイドロンでは小型軽量化を目的とした設計に完璧にシフトチェンジしてきた成果 がニールの解説から感じられた。アイドロンと同様にニールには正直に言って脱帽であ る。

 紀元前469年に生を受けたソクラテスが、地上の人類に初めてもたらしたのが 「哲学」であり、その後プラトンによって「恋愛論」「友情論」「国家論」から「宇宙論」 までと、およそ人間が考えつくすべての事柄に思考のほこ先を向けていこうとする哲学 の大系が築かれてきた。プラトンによれば、我々は誰しも地上に生を受ける以前は純粋 な魂として天上のイデア界に住んでいた。しかし、罪を得て肉体の牢獄に閉じ込められ 、この世に生まれてきたのであるという。学問とは物事のイデア(原型・普遍的本質) を探求し、イデアに関する知識を獲得することだとすれば、この世にはイデアが存在し ない以上、その認識はかつて住んでいたイデア界の記憶を呼び覚ますこと、すなわち 「想起」という手段によって行われるほかはないという。これが有名なプラトンの「知 識想起説」である。そして、このプラトン哲学の概念で理想的な形を意味する言葉が 「アイドロン」なのである。私たちの認識しうる限界を越えた完全という概念を具現化 することを目指したアヴァロンは、ニールの解説からも感じとれる絶対の自信を持って 「アイドロン」と名付けた。数多くのハイエンド・オーディオを取り扱ってきた私から 見て、アヴァロンはオーディオにおけるイデアを追究し続ける数少ないマニュファクチ ャラーであると、今回のアイドロンを聴き、ニールと言葉を交わすことによって実感さ れたのである。


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