第三十七話「魅惑のバスト」





第一章『第三種接近遭遇』

 1996年7月19日、灼熱の都心を走り抜けて私が降り立ったのは、麻布十番の商
店街から急な坂道を上った所にあたる港区元麻布の閑静な住宅地の一角である。急遽営
業中の私のフロアーをクローズしても行かなければならなかった目的地は、大変シック
な色彩のタイル張りで仕上げられた外壁の三階建てビル、他でもない株式会社ステレオ
サウンドの試聴室であった。輸入元のスケジュールに遅れが生じてしまい、本来ならば
一昨日の7月17日に私のもとに届くはずであったグランドユートピアを聴きに行った
のである。今回の随筆の原稿も遅れており、聴かずに書くことも出来ず、輸入元の株式
会社ノアとステレオサウンドの編集部に無理をお願いしたのだった。本誌の試聴室は使
用中とのことで隣接する同程度の大きさの「HiVi」の試聴室を、超法規的な例外と
して一時間程度拝借させて頂いた。私のフロアーより少し小さめの部屋だが、定在波が
発生しないように平行面の壁を傾斜させた構造で、波形に成型された天井も三メートル
程度の高さがあり、取り扱うコンポーネントのレベルに一致する設計はさすがである。
今年9月発売の同誌は30周年記念号として第120号を数え、記念特集として21機
種のハイエンドスピーカーを駆り集めている真っ最中であった。早速その機材室からグ
ランドユートピアを試聴室に運び入れる。グランドユートピアは一台186kgの重量
があるのだが、幸いなことにキャスターを標準装備しているので比較的容易に試聴室に
移動が出来た。この時初めてグランドユートピアに触れて接近遭遇したわけだが、仕上
げの美しさには大人の風格を思わせる品格がある。特に、側面中央部とトップ、ボトム
・パネルはブラック・ポルシェ・ラッカー複層仕上げによるコーティングが正に漆黒の
鏡面を見せており、力を入れて押していくのに指紋が残りはしないかと気をつかうほど
の見事な美しさである。当日はマークレビンソンのプリアンプNO・26Lと、同社の
パワーアンプNO・20・5L、そしてCDプレーヤーはスチューダーのD732とい
うラインアップを拝借することになった。時間にも制限があり、もうしばらくすれば自
分のフロアーにやって来る予定もあるので、スピーカーの位置も経験上のベターポジシ
ョンを見計らって早速試聴を開始したのであった。

 1980年、パリのホテル・メリディアンにごく少数の人々を集めて、13cmウー
ファーを搭載した高さ30cmの小型スピーカーが発表された。これが同年フランスは
サンテチェンヌ市にジャック・マユール氏の手によって設立されたフォーカル社のデビ
ューでもあり、同時に自社ブランドJMラボの設立に由来する出来事であったようだ。
フォーカルの設立者で根っからの技術者でもあり社長も兼務するジャック・マユール氏
の頭文字をとったJMラボは、日本市場に対しては1991年に発表したユートピアが
デビュー作となる。それ以前からも、ハイファイスピーカーのドライバーユニットの製
造において高い評価を獲得しており、私が知る限りではJMラボ自身の製品よりも高価
な価格帯のスピーカーに使用されている事例が目に付くのであった。ゴールドムンド、
ウィルソンオーディオ、ティール、等々世界30社以上のメーカーが採用している実績
は既に周知の事となっている。JMラボを輸入する株式会社ノアの担当者に私がこの点
を指摘すると、ジャック・マユール氏が多分に段階を重んじるお人柄であるが故に、フ
ラッグシップモデルの発表には慎重であり完成度の高さを確信してからという一貫した
姿勢で数年前から設計を進めていたらしい。創業以来15年間という歴史と技術的な蓄
積、そして絶え間ないイノベーションを貫いてきた結果としてJMラボの感性が大きく
開花したのだ。グランドユートピアの英/仏語版カタログには、このようなジャック・
マユール氏の思想が19世紀のイギリスの小説家オスカーワイルドによる「進歩とはユ
ートピアの成就にほかならない。」というコメントに呼応する同氏の一言によって語ら
れている。「グランドユートピアこそは、その進歩を成就したものに他ならない。」

第二章『グランドユートピアの足首』

 「スピーカーキャビネットの役割とは言うまでもなく、内外部の振動に影響されるこ
となくドライバーユニットをリジッドに支え、その性能を余すところなく抽出すること
。」と広く論じられているものである。これはキャビネット自体の存在を肯定している
ことから展開される論理である。しかし、私は現状のスピーカーキャビネットのほとん
どに対して単純な解釈を持っている。少なくともドライバーユニットがダイナミック型
であった場合、低域再生のためにはエンクロージャーが必要だが、中高域再生に関して
エンクロージャーは無いほうがよいと思われるのだ。そして、出来ることなら低域から
高域に渡る全帯域でエンクロージャーを無きものとするスピーカーを理想像としてあげ
ておきたい。この状態を現時点で実現しているのはB&Wのノーチラスだけである。さ
て、グランドユートピアを理解するために、試聴のポイントを折混ぜながら独創的なキ
ャビネットデザインから解説を進めていくことにする。最終ページにグランドユートピ
アと、フォーカルの同系統ユニットを搭載するウィルソンX1の概要を図で示したので
合わせてご覧頂きたい。外観は前章で述べたように、近日発売となるステレオサウンド
誌にグラビアで登場して来るので、ここでは構造的な特徴のみを図解している。グラン
ドユートピアはクロスオーバーネットワーク用に一個、スピーカー用に五個、合わせて
六個のサブ・エンクロージャーによって構成されている。各部のパネルは25っm厚の
MDFによって構成されているが、サイドパネルは更に30mm厚の硬質アニグレード
(アフリカ原産のハードウッド)を貼りあわせて合計55mm厚という堅牢な設計をし
ている。そして、各サブ・エンクロージャーには強力なブレーシングを施した上に、幅
15mm厚さ2mmの鉛ストリップを片側で6・5kgも使用して内部の不要振動をダ
ンピングしているのである。また、各コーナー部にも硬質アニグレードで補強を施し、
全体の剛性を極限まで高めている。話はコロッと変わるが、皆さんは街行く女性や初対
面のご婦人と相対したときに、一体どこから視線をめぐらせていくだろうか。思春期以
降二十代後半まで、このような場合私は間違い無く最初は顔、それから順に視線を下げ
ていったと思う。だが、ここ数年間はふと気が付くとまったく逆に、足元から順に視線
を上に移動して最後に顔を見ていることに思い当たった。「オジサンの戯言」と言って
しまえばそれまでだが、どの順番でどこに注目しながらスピーカーを分析していくかに
関してはヒントになるところがある。そう、スピーカーの足首にあたる低域を、先ず最
初につぶさに観察することから始めるのだ。事前に輸入元から頂戴している資料で、こ
のキャビネット構造を知っている私としては大いに期待して最初の曲をスタートさせた
のである。この低域の検討には、クラシックやポップスのライブ録音よりはスタジオで
収録された鮮明な低音が入っている曲で試聴することお勧めする。最初にかけたのはク
リスチャン・マクブライド「ファーストベース」の10曲目でウッドベースのソロ演奏
による「ナイト・トレイン」である。ウッドベースの太い弦を激しくピッキングする様
子、弓で弾き鳴らす様子、開放弦の唸る様子、と多彩なテクニックによって様々なベー
スの音色がスピーディーに展開する。聴き初めてすぐにわかったことがひとつ。「あァ
、とっても正確だ。膨らまないし尾を引くような響きも付帯しない。そのくせ開放弦の
堂々たる鳴りっぷりはエキサイティングでスリル満点だ。倍音の塊のようなウッドベー
スでも、弾き始めのパルシブな立ち上りと残響の分離が大変良いので音程がとっても明
瞭に聴こえる。」この曲は最近の試聴では定番となっているもので、数多くのスピーカ
ーで聴き馴染んでいる。おそらく低域の解像度という見方では、このグランドユートピ
アが最高かも知れないと私は胸の中でつぶやいた。次はロン・コリエ「クレモンティー
ヌ」の最初の曲、「マイ・シェリー・アモール」だ。ハープを弾くようなイントロから
シンプルな録音のエレキベースがリズムをとり初めてソフトなキックドラムが重なって
来る。このエレキベースが聴きどころだ。中には妙に重たく聴こえるスピーカーがある
のだが、よくよく聴いて見ると単調であるはずのベースに付帯音がついてきてしまい、
中には音程よりも重量感を強調するスピーカーもあったものだ。しかし、グランドユー
トピアは違った。低域再生にスピード感という言葉を当てはめるならば、実例としてこ
れほど好ましいものはない。エレキベースのテンションがしっかりとかけられたスチー
ル弦に指が乗せられ、弾かれる様を目の前で高解像度の映像で見せられる思いである。
とにかく音程の明確さはリアルである。そして、次は竹内まりや「インプレッションズ
」の11曲目「告白」のイントロを聴く。効果音として電話のベルがなり、鮮明にして
強力なシンセベースが打ち鳴らされる。目一杯オンでとらえられたシンセベースはルイ
ス・ジョンソンばりの重たさでウーファーをゆさぶるが、バスレフのポートチューニン
グが未熟なものは吹かれるベースになってしまう。しかし、グランドユートピアは違っ
た。歪感がないので、ついついボリュームを上げてしまうのだが、体全体に爽快な風圧
を感じさせるほどの音量感に対しても、床面にまとわりつくような低域の輻射に補助さ
れたベースとは明らかに違うのだ。仕上げとして、これも定番となったイーグルスの「
ヘル・フリーゼス・オーバー」から「ホテル・カルフォルニア」のイントロを聴く。先
日、ポピュラー音楽のプロのミキシング・エンジニアの知人に低音のリズム楽器の正体
は何かときいてみると「これ、キック(ドラム)だね。キックはチューニングとイフェ
クトでいくらでも音をかえてしまうんだ。でもこれってうまく録ってるね。」と、いと
も簡単な答えが返ってきた。皆さんはお気付きだろうか。このキックドラムは、演奏途
中から音程が変わる部分があるのだ。最初から7回目に始まり、それ以降は3回に1回
の割合で「ズゥーン」という単調な余韻を引くところが「ズゥィーン」と上ずった音程
に移行して余韻を引いていくのだ。これを先程の知人に指摘したところ、そんな細かい
ところまで聴かれたんじゃたまらないという呆れ顔で「まったく、よくきいてるねェ。
」と言われてしまった。さて、この何気無い音程の変化をグランドユートピアは見事に
捕らえて聴かせてくれた。早速この部分が気になり、現在は私のフロアーに来ているウ
ィルソンのX1グランドスラムで聴き直してみたが、この音程の変化をX1はあまり聴
かせてくれなかったのである。さて、ここで分析だ。



図1の(2)グランドユートピアのキャビネットの断面図を見て頂きたい。ユニット数 は五個だが、クロスオーバー周波数は400Hzと3キロHzで、オクターブあたりマ イナス18デシベルの減衰特性を持つ3ウェイ構成なのである。つまり、図1(12) の270mm口径ウーファーと(16)の380mm口径ウーファーは電気的な帯域分 割を行っていないのだ。同図の(13)は内容積50 の密閉型サブ・エンクロージャ ーがミッドバスレンジとして270mm口径ウーファーを搭載する形で、(17)の内 容積250リットルのフロントバスレフ型サブ・エンクロージャーが380mm口径ウ ーファーの駆動を担当しているのである。メカニカルフィルターによる低域ユニットの 2ウェイ化をさりげなく実現しているわけだ。演奏中に近づいて見ると、明らかに違う 帯域を再生しているのがわかる。電気的なフィルターを2個のウーファーにかけないメ リットは何か。単純だが、低域の質感に自然さを与えることに他ならないだろうと思う 。それに位相回転も発生しないので、前述のウッドベースやキックドラムのように高調 波を多分に含む楽器のミッドレンジにつながる連続性もスムースになる。もし、この2 個のウーファーを同一エンクロージャーに収納したらどうなるのか。当然口径が異なる ので、いかに電気的なフィルターをかけても高域特性は違った状態となる。つまり、異 口径のウーファーが発生する倍音の成分と位相にもズレが発生する。その症状がエンク ロージャーの内部で混じりあってしまうので変調歪の原因となる可能性もある。図1の (13)は50リットル密閉型という選択もうなずける。もし、ここにバスレフポート を取り付けてしまえば、当然ポートの共振周波数が表れ、ミッドレンジにつながる10 0Hzから400Hzの肝心なところにレスポンスの乱れを発生させることだろう。ポ ートの共振周波数は予想以上に高い周波数に表れることもあり、高性能なミッドレンジ ユニットの仕事の邪魔をしてしまうことになる。どうやら、この270mm径ウーファ ーは80Hzから400Hzの帯域専用に開発されたということもあり、20Hzにお いてもマイナス3デシベルを保証するという、80Hz以下の仕事をグランドユートピ アのハイライトとも言うべき380mm口径ウーファーに引継ぎさせているようだ。図 1の(18)に示しているのが「ラミナーフロー」と呼ばれているフロント・バスレフ 方式のポート開口部である。測って見ると開口部の高さは約5cm、横幅は38cm、 手を差し込んで見ると18cm程度の深さのポートであるのがわかった。もちろん風切 り音が発生しないように、ベント周辺部はラウンド加工されている。「ラミナーフロー 」という呼称に関しては詳しい説明はされていないのだが、文字通り解釈すれば「流れ を薄板状にする」という解釈になるのだろうか。JMラボの過去の製品を見てもユート ピア、アルコアなどほとんどのスピーカーが同様な横長のポートデザインを採用してき ている。おそらくは円筒型バスレフダクトによって発生する管共振を嫌っての選択であ ろうと推測している。さて、ここで同じフォーカルのウーファーを採用しているウィル ソンのX1グランドスラムの低域再生セクションとの比較をして、それぞれの手法に理 解を深めていく。図2(8)にX1の低域再生セクションを図示しているが、この容積 を外寸からおおまかに計算して見ると約280リットル程度であるのがわかる。このエ ンクロージャーにグランドユートピアと同口径の2個のウーファーを一緒に搭載し、( 17)のように開口径15cmという巨大なバスレフポートを取り付けている。この開 口径15cmのポート面積はわずかな違いではあるが、グランドユートピアの「ラミナ ーフロー」方式のポート面積とほぼ同面積であるのが興味深い。なぜかと言えば、開口 部の表面積は同程度であってもウィルソンX1のポートは奥行きが43cmもあり、ポ ート内部の空気の質量が大きくなるのでポートチューニングのセオリーとしてポートの 共振周波数を引き下げる狙いが見えて来るのである。しかし、グランドユートピアの場 合には図1の(18)でわかる通り、内容積250リットルに対してのポート内容積が 小さく、しかもポートの奥行きも短く、ネーミングの通りウーファーの背圧を流し出し てやるという狙いではないかと思われる。つまり、位相反転したエンクロージャー内部 からの低域の放射によって、システム全体でのバランスを得ようとするものではなく、 ウーファーの前面における放射のみを重要視しようとするものである。ミッドバスレン ジで270mm口径ウーファーを密閉型サブ・エンクロージャーに納めて、この背圧を 外部に逃さないという手法とも共通項が見えて来るのである。 第三章『グランドユートピアのハート』  グランドユートピアには、サランネット、フロントグリル、と言われるようなコスメ ティック用のカバーはない。長時間使用しない時には、それぞれのフロントパネルにブ ラジル産のハードウッドであるタウリ材のパネルを装着して、完全にフロントバッフル とユニットを隠してしまうのだ。このパネルを装着するとハイグレードなウッドファニ チャーと見まごうばかりの外観となり、けっしてスピーカーとは思えない造形美が表れ るのである。従って、聴くときにはパネルを外さなければならず、必然的にドライバー ユニットは露出する形となる。昨年までは、このユニットに関して、同じフォーカルな のだからウィルソンのX1と同様なウーファーとトゥイーターが搭載されているものだ とばかり思っていた。しかし、一見して違うのがわかった。X1はウーファーはポリケ ブラーを中心素材として特殊なダンプ材をコーティングしたザラっとしたグレーのコー ンであったが、グランドユートピアのそれは光を反射するほどの光沢感を持っており表 面がスベスベしているのだ。このコーンの素材こそが、JMラボが三年以上の歳月をか けて開発したというコンポジット・マテリアル「サンドウィッチW」である。この「サ ンドウィッチW」という名称で、このWをフランス語では「ドゥブル・ヴェー(Vが二 つの意)」と読むらしいのだが、Wのヴェーにガラスを意味する「ヴェール」をかけた のが由来らしい。なぜガラスが関係あるのか。このコーンは特殊な三層構造となってお り、その芯材となっているのはハイパー・リジッド(シンタクティック)フォームと呼 ばれている特殊な発泡体である。これは微細な中空の球体を無数にプラスチックに埋め 込んだ発泡素材で、航空・宇宙分野で主に使用されているものらしい。この芯材の下面 にファブリック構成のファイバー・グラスを、上面には更に目の細かいメッシュ状のフ ァイバー・グラスを貼りあわせたものが、フォーカル独自の「サンドウィッチW」の正 体である。グランドユートピアは、このダイヤフラムをトゥイーターを除くすべてのユ ニットに採用している。これまでグランドユートピアの低域再生能力をキャビネット構 造の独自性から推し量ってきたのだが、どうやらもうひとつの重要なイノベーションが 大切な役割を担っているようだ。この素材を使用した各ユニットがフォーカルの面目躍 如たる豪華な設計なのである。図1の(16)ユニットナンバーが Audiom 15WX8 とされている38cm口径ウーファーの総重量は14・2kgに達し、強靱なダイキャ ストフレームの中に直径が72mmのリングマグネットを12個円周上に配置し、直径 で234mmの超大型磁気回路を形成している。フラットリボン型のボイスコイルをフ ァイバーグラス製の77mm口径ボビンにエッジワイズ巻きするという極めて複雑で精 巧な作りが、ハイパワー・ボイスコイルと呼ばれるにふさわしいヴェンチレーションを 可能にしている。センターキャップの中央にヴェンチレーション用のネットを張った穴 が開いているが、低音楽器が演奏されている時に顔を近付けると、ここから空気が吹き 出して来るのが感じられクーリング効果を実感することが出来る。同図の(12)で1 1W826Dと称されている27cm口径ウーファーも同様なダイヤフラムを持ち、口 径156mmのダブルマグネットを磁気回路に採用している。15WX8と同様にファ イバーグラスのボビンに65mm口径のボイスコイルを搭載している。このユニットは 80Hzから400Hzの帯域専用として設計されているのだが、第一部で述べた試聴 曲の随所で低域のスピード感として感じられた鋭敏な反応に大きな貢献をしていると思 われる。この贅沢なユニットに電気的なハイパス・フィルターを使用しなかったことに 、試聴した上での評価として賛意を表したい。そして、図1の(7)ミッドレンジの2 個のユニットにもコーンの素材として「サンドウィッチW」が採用されている。この4 00Hzから3キロHzという大変重要な帯域を受け持つ16・5cm口径のユニット も新規開発されたもので、ボイスコイル・ボビンは40mm口径のカプトンであるがフ ラット・アルミニウムリボンのボイスコイルをエッジワイズ巻きし、口径100mmの 強力なマグネットによる磁気回路で駆動させている。更に、高音圧の放射に際しても拡 散性をよくするために、コーン中央にフェーズプラグを設けている。なお、このミッド レンジユニットも図1の(5)で示しているサブ・エンクロージャーにマウントされい るのである。図1の(6)の位置にトゥイーターが取り付けられているのだが、このト ゥイーターも新規開発のユニットである。中・高域の音源を出来るだけ近接させるため には、トゥイーターのサイズを小さく抑える必要がある。しかし、グランドユートピア の設計上で必要とされた音圧レベルを得るためには、与えられたスペースに入りきらな いような、従来よりも大きな口径のマグネットが必要とされたのだった。そこで、JM ラボはこれまでに発表してきた逆ドーム型トゥイーターの設計を根底から再検討したと いう。結果的に、きわめてパワフルな希土類元素であるネオジウムを磁性体として採用 し、その口径を51mmまで縮小することに成功した。更に、その強力な磁界がポール ピースの磁気飽和によって減衰されないように、2・15ステラと極めて高い飽和点を 持つ純鉄の一種、テラー57を採用することとなった。わずか80mmというユニット 高のサイズで、ギャップに発生する磁界を2・0ステラまで高めるというトゥイーター の設計でも、グランドの名にふさわしい高域を目指したのであった。この口径30mm のテラー型・逆ドーム型トゥイーターはTGUと呼ばれており、ピュアーチタンにチタ ン酸化材「チオキシド」を7ミクロンの厚みでコーティングしたダイヤフラムを採用し ている。また、この「チオキシド」をアルミを成型した位相補正用の砲弾型ディフュー ザーにもコーティングして、トゥイーターの正面にブリッジ状に差し渡している。これ らの高性能なユニットを結び付けて精緻な3ウェイ構成を実現しているのがグランドユ ートピア独自の「パッシブ・デバイディング・ネットワーク」と呼ばれるものである。 エアコア・インダクター、ポリプロピレン・キャパシター、高精度レジスター、など厳 選パーツで構成された回路は、プリント基板を一切使用せずポイント・トゥ・ポイント のハンダ付けによって仕上げられている。挿入損失を回避する目的のこの手法によって 、容量、誘導、いずれの問題も発生せずにユニットへの伝送を可能とした。また、38 cmウーファーと27cmミッドバスは、フィルターアウトの同一ポイントからパラレ ルに接続されており、それぞれのサブ・エンクロージャーの容積と形式の違いからカッ トオフ・ポイントを、38cmウーファーは20Hz、27cmミッドバスは80Hz と異なる周波数に設定している。グランドユートピアは電気的な3セクションに、音響 的なフィルタリングを施した1セクションを加えた4ウェイシステムと言うことも出来 るのである。クロスオーバー・ネットワークは専用のサブ・エンクロージャーに収納さ れ図1の(15)の位置に格納されており、リアパネルのプレートを外すことによって アクセス出来る。そのセクションでは、ジャンパーによる切り替えによってトゥイータ ーレベルを±1デシベルレンジでコントロールできる機能を持たせている。ネットワー ク及び各ユニットに対する内部配線材は、フォーカルのロゴがレタリングされた断面積 0・8cuのLC−OFCケーブルが採用されている。図1(14)の位置にある入力 ターミナルはバイワイヤリング対応で、ウィルソンのX1と同様にWBTの0700が 採用されている。総合的な仕様としては、再生周波数帯域は20Hzから25キロHz までを マイナス3デシベル、ノミナル・インピーダンスは4Ωでミニマム・ インピー ダンスは75Hzにおいて3Ω、出力音圧レベルは94デシベル、最大入力500W、 最大出力レベル118デシベル、家庭用としては充分過ぎるほどの能力が数値の上でも 表れており、特に能率の高さが情報量の拡大につながる要素を多分に含んでいる期待が 大きいスペックだ。 第四章『グランドユートピアのバスト』  さて、これまではグランドユートピアのきりりと引き締まった足首とも言える低域の 再現性について述べてきたが、今度は演奏の情景をありありと眼前に展開してくれる豊 かな胸、中・高域の再現性にかかわるグランドユートピアの豊満なバストに着目してい きたい。図1の(4)がトゥイーターを搭載するサブ・エンクロージャーの水平断面図 と取付け位置を示している。この図面はグランドユートピアの設計初期の資料であり現 在の設計と同一であるかの保証は無いのだが、トゥイーターのサブ・エンクロージャー は(10)のような砲弾型のバックキャビティーを設けているらしい。(11)の空間 部分は上から見た水平面での外形で、垂直方向には上下に同寸法の空壁があるらしいの だ。確認は出来ないが、何らかの響きを調整する手段として興味ある構造だ。トゥイー ターの高さは床面から約1m7cm程度の位置にあり、標準的な椅子にかけてのリスニ ングには適当な高さと言えよう。図1の(2)の断面図に再度ご注目頂きたい。(4) と(5)の位置関係でわかるように、トゥイーターを2個のミッドレンジユニットが挟 む形で仮想同軸構造となっている。この上下シンメトリカルな構成をJMラボでは「ダ ポリット・システム」と呼んでいる。これはJMラボがスピーカーデザインにおいてア ドバイスを受けているアメリカ生まれのデザイナーで、物理学博士のジョゼフ・ダポリ ット氏が開発したユニットレイアウト方式であるという。水平方向の周波数特性は、ユ ニット軸上から±30度以内において均一でなければならず、それ以外の範囲ではスム ーズに降下して壁面からの不要反射を避けなければならない。また、通常では無視され がちな垂直方向のレスポンスも±15度の範囲で均一化することが望ましい。それ以外 の範囲では、やはりスムーズに降下して床と天井からの反射を低減しなければならない 。言うまでもなく、これらの初期反射音は周波数特性を乱し、音像の実在感に対して悪 影響を持っているからだ。各周波数ごとに時間軸で区切った放射パターンを原文ではポ ーラー・パターン特性と表現しているのだが、この一種の指向特性とも言うべきパター ンを、垂直、水平、いずれも安定化させるための構造が「ダポリット・システム」の目 的であるという。具体的には図1の(2)でわかるように、トゥイーターを挟むミッド レンジユニットが等間隔であり、それぞれに仰角をもってレイアウトされている設計を 示している。グランドユートピアは、本体から3mから4・5mの距離において理想的 な音像のフォーカスを得られるように設計されている。そのために、トゥイーターの軸 上に五つのユニットをいかに自然に配置するか、これをテーマとして生み出されたのが グランドユートピアの造形美なのである。ところで、ウィルソンのX1グランドスラム は音像のフォーカシングに対してはどのように対処しているのか。図2の(5)(6) (7)がX1の中・高域再生セクションである。グランド(GRAND)スラム(SLAMM)のネー ミングがその手段を象徴している。私の手元には18ページに及ぶX1のオーナーズ・ マニュアルのコピーがあるのだが、その9ページから11ページに渡ってグラフが記載 されている。左側縦軸がX1本体の側面にあるゲージレベル、横軸がX1本体からの距 離、右側縦軸が床面からの耳の高さを示している。このグラフには関数曲線のようなカ ーブが数本描かれており、それぞれのパラメーターを実測の上でグラフ上で追いかけて いくとX1本体のゲージレベルが割り出されるという寸法なのである。このゲージレベ ルの数値に従って、図2の(5)(6)(7)をそれぞれ前後にスライドさせるのであ る。この調整の過程を実祭に経験したことがあるのだが、極めて有意義な変化が得られ る事に驚いた。X1からの距離を5m、耳の高さ85cmで調整をして、ヴォーカルと オーケストラを聴いたのである。大きなスピーカーなのだが定位は素晴らしく、正確な 音場感が見事に展開する。ここで、わざと設定された位置から外れた所で同じ曲を聴い て見ると違いがわかってくる。単純なのがヴォーカルの口の大きさである。耳の高さ8 5cmから徐々に立ち上がっていくと、不思議なことにヴォーカルの口元が次第にほこ ろんで大きくなっていく。X1からの距離5mから徐々に接近していくと、今度はオー ケストラの後方に展開する楽器群の奥行き感が希薄になり明瞭さも低下して平面的なス テレオになって来るのである。グランドスラム(S・L・A・M・M)の意味がスーパー・ リニア・アジャスタブル・モジュラー・モニターの略であることが、このような調整機 構を通じての経験談として皆様にもご理解いただければ何よりである。さて、こんな経 験の記憶を呼び覚ましながらグランドユートピアへの関心を中・高域にしぼり込んでの 試聴を始めた。最初は東芝EMIから発売されている「トルヴェール・クワルテット」 の「イノセント・ドールズ」(TOCT‐8276)の三曲目、「カフェ・サンジェルマン」で ある。サクソフォーンだけのクワルテットという大変珍しい編成の録音であり、中・高 域の楽器群だけの演奏で38cmのウーファーは出番がない。実は、この録音にはカル ダス社のヘックスリンクのACケーブルが使用され、ヘックスリンク・ゴールデン5の バランスケーブルがA/D変換の直前でも使用されている。しかも、録音機材の電源に はCSEのレギュレーター電源を使用し、曲によって電源周波数を変えているという凝 ったものなのだ。この録音にたずさわるミキシング・エンジニアが私の古くからのお得 意様であるという種明かしをすればうなずいていただけるであろう。ケーブル関係の機 材提供に協力を続けていたことに制作者側が恩義を感じて下さったものか、96年7月 10日発売の「トルヴェール・クワルテット」の新譜である「カルメン・ラプソディー 」(東芝EMI TOCE‐9153)のジャケットクレジットに私の名前を記載して下さった。同 時にカルダスケーブルを使用した録音であることもクレジットされている。この一連の 作品を担当するエンジニアの主張として、イフェクト機器を使ってエコーを付加するこ となく、6本のマイクロフォンを使用して収録したホールのエコーだけで仕上げている という。ケニー・Gやアーニー・ワッツ、マイケル・ブレッカー、ディヴィッド・サン ボーンなど、ポピュラー音楽で聴くサックスとは全く違うアコースティックな演奏から 改めてサクソフォンの魅力を堪能出来るアルバムとしてお薦めである。さて、話を戻し て「カフェ・サンジェルマン」を聴いての印象だが、バリトンサクソフォンのバリバリ としたバイブレーションが爽快な導入部から見事なエコーが行き交うのが感じられる。 私は音場型スピーカーの特徴として、左右のチャンネルの余韻が相互に連結しあってホ ールエコーを醸し出していく状況を頻繁に経験しているのだが、大きなコラムスタイル のグランドユートピアがこれほどまでに見事な余韻を聴かせてくれるとは思わなかった 。フォーカルが自負するだけの情熱を注ぎ込んだミッドレンジとトゥイーターに秘めら れた能力を、このリアルなエコー感において微細な余韻の粒子を正確に捕らえて聴かせ てくれるという仕事によって証明してくれたのである。「私は素晴らしい音に出会うと 笑いだしてしまう。」と、過去の随筆で語ったことがあるが、私のフロアーに持ち込ん でから結論を出そうという気持ちの前提があったので、この時は意地でも笑いを見せま いと歯をくいしばっていたのである。次は、アンネ・ソフィー・フォン・オッターのメ ゾ・ソプラノがコーラスと古楽器に一体となって奏でられる、ヘンデルの「マリアン・ カンタータ&アリア」の12曲目をかけた。この曲に対しては、オリジナル古楽器とい うことでコントラバスのような重たい音色は日頃から期待していないのだが、高能率の グランドユートピアで聴くチェロの低音階は充分な量感を伴って演奏全体を支えてくれ るのである。また、オッターのソプラノがフォルテでぐっと声量を上げていく場面でも 、その質感を硬質な印象へと誘い込んでしまうメタル・ダイヤフラムトゥイーター独特 の表情変化が見られないのである。さすが、フォーカルだ!」と、私は心の中で膝を叩 いていた。よし、次はピアノだ。エグレストンワークスのアンドラの試聴でもさんざん 聴いてきた、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーのベートーベン/ピアノ・ソナタ第八番 をかける。ゲルバーの十指が降り降ろされる冒頭の和音の展開で、余韻を引く各音階の 弦の分離が素晴らしい。合格である。弾かれるように立ち上がる単音のアタックの切れ 味は申し分ない。それでいてワンポイント録音の旨みであるエコーが、ピアノの実態感 を壊さぬように優雅に展開していく。ミッドレンジのいかに大切なことかが、このグラ ンドユートピアでも一段のスケールの拡大を伴って切実に実感されたのである。次はオ ーケストラ、ソプラノ、コーラス、そして肉声のナレーションとダイジェスト版として まとめて聴くことの出来る曲を用意した。メンデルスゾーン/シェイクスピアのための 劇音楽「夏の夜の夢」全曲(グラムフォン/ポリドール POCG‐1774)小澤征爾指揮、ボストン交響 楽団、キャスリーン・バトル、タングルウッド音楽祭合唱団、そして、吉永小百合のナ レーションと大変豪華なキャスティングによるアルバムである。1992年一10月に ボストン・シンフォニーホールで録音されたオーケストラに、翌年東京のスタジオで収 録された吉永小百合のナレーションをオーバーダブした構成のアルバムである。私が好 んで使う部分は、いきなり最後の十二トラックで「フィナーレ」である。まず、眼前に ポッと出現するナレーションのリアルさに注目する。多少低音部にイフェクトをかけた のではなかろうか、と思うほどにナレーションはオンマイクの様相を明確に表わしてく る。当然ホール感とのマッチングを考えてエコーを付加しているシンプルな音源だけに 、その実在感は口元の動きをクローズアップで捕らえたような生々しさが妙に説得力を 持ってくるのである。そして、オーケストラの弦楽部といっしょにタングルウッド音楽 祭合唱団が旋律を歌いはじめる。このコーラス部の遠近感が弦楽と分離して、ホールの 天井を見上げてしまうような三次元的立体感を発生させる。ほどなく中央やや左よりに キャスリーン・バトルが登場して、コーラスの主旋律にならったメロディーを歌い上げ ていく。この時、ほど好くオフで捕らえられたソプラノの余韻は先程のオッターとは違 う節度ある展開でコーラスとのスケール感を対比させていくのである。意地でも何か不 満の要素をひねりだして注文を付けてやろう、そんな考えを胸の内に秘めて聴くのだが 中々見つからない。そうこうしているうちにエンディングだ。もしかしたら、私は演奏 を楽しんでしまったのではないか。癪に触るのだが、どうやらグランドユートピアは私 の気持ちを見切って笑いながらやり過ごされてしまったようだ。しかたない、降参であ る。時間も迫ってきたことであり、私は常用の「大貫妙子」のヴォーカルで当日の試聴 をしめくくることにした。もう4年以上も使い続けている彼女の「ピュアーアコーステ ィック・プラス」の4曲目、「横顔」というナンバーである。最初にウッドベースのリ ズムから入り、曲の半ば過ぎに左側からバイオリン、右側からチェロがそれぞれのソロ を展開しながらヴォーカルに花を添える。そして、最後にはピアノが軽いリズムを刻ん で幕を閉じる。私が試聴のために欲しいと思っている楽器がアコースティクな録音手法 によって全部入っていて、しかも上品な女性ヴォーカルが花を添えてくれるという重宝 なアルバムなのである。聴き始めて「アレッ。」と思う。イントロのウッドベースは大 概のスピーカーでは床に近い下の方から聴こえて来るのだが、グランドユートピアでは 下側のミッドレンジユニットのある高さくらいに聴こえて来る。数えきれないほど本当 にたくさんのスピーカーで同じ曲を聴いてきたが、このような展開は本当にまれなこと なのだ。グランドユートピアのミッドバスが一番上に位置していることが、このような 垂直方向の定位感に関連していることはすぐに察しが付いた。「トゥイーターの軸上に 五つのユニットをいかに自然に配置するか」このテーマがはっきりと認識できる曲を最 後に聴けた事は幸運であった。それはなぜか。音楽を目の前に再現してくれるステージ をスピーカーが作り出すという使命を担っているのであれば、その舞台上に階段状の落 差を付けて演奏家たちを配置して良いのだろうか、という素朴な疑問に対する答えなの ではないだろうか。ウッドベースという倍音を多分に含んでいる楽器は、ウーファー、 ミッドバス、ミッドレンジ、音階によってはトゥイーターまでをも含む全ユニットを駆 使して再生されることだろう。そのウッドベースにヴォーカルや他の楽器群と同じ高さ のステージを提供するということは、あらゆる曲層においても同様な舞台を均一に演奏 家たちに提供するということでもあり、グランドユートピアの持っている音楽ジャンル に対する広範な守備範囲を「自然な音場感」という代名詞によって評価できるものでは ないだろうか。そして、肝心な大貫妙子のヴォーカルがこれまた素晴らしい。声量豊か に歌いあげるタイプではないので、口元に残る呼吸音にも、あるいは囁きにも近いよう な語尾にまつわる余韻が大変気持ち良く表現されるのである。中・高域ユニットの潜在 能力とそのレイアウトの成果がはっきりと認識出来る場面であった。例えは微妙である が、グランドユートピアのバストは豊満なだけでなくツンと上を向いた立派な輪郭を見 せてくれたのである。さあ、フランス生まれの魅惑のバストよ! 急いで私のフロアー に来るがよい。                             【完】

 目次へ

  Heariing Line Up へ