第十一話 「ガルネリの夢」





 アメリカのオーディオ誌を購読されている方はことのほか多いようだが、英国の『ハ
イファイ・ニュース・アンド・レコードレビュー』誌を購読されている方はさほどでは
なと思われる。同誌の93年12月号にケン・ケスラー氏の手になる、次のような注目
すべきリポートが掲載された。幸いにも有能なアシスタント嬢に恵まれ、オーディオ的
な表現や専門用語に惑わされずに彼女が素直に訳したものをもとに、ほとんどといって
よいほど英語力のない私が、オーディオの基礎知識をふまえて日本的解釈を付けながら
読みやすくしたものが以下の文章である。「日本で、もうすっかりお馴染となったイタ
リアのスピーカーメーカー、ソナースファベール社の社長であるフランコ・セルブリン
氏は、クレモナの偉大なるバイオリン創作者に大変な感謝と尊敬の念を抱いていた。そ
して、エクストリーマの次に挑戦すべきスピーカー・プロジェクトの主題として、この
バイオリン工房に由来する構想を取り入れた。この構想自体バイオリンを単なる模倣の
対象として製作するスピーカーのクローンメーカーではなく、そのフランコ・セルブリ
ン氏が創設したソナースファベール社の持てる技術力と感性を多いに飛躍させる事を意
味している。そして、このガルネリ・オマージュの音とデザインは誰もが予想し得なか
ったのである。このプロジェクトはソナースファベール社創立以来10年越しの悲願で
あったが、偉大なるガルネリの名を冠する作品を仕上げるためには、相応の危険と覚悟
を要するものだった。セルブリン氏の考えでは、スピーカーの製作には芸術として栄誉
が与えられるべきだという信念があり、これまでの作品にはこの考えが多いに反映され
ている。それはどの様なことかと言えば、あらゆる種類のサウンドを表現しなければな
らないスピーカーの製作は、様々な楽器の演奏に対応しているのであって、グロッケン
・シュピールのような楽器だけを専門に再生することを義務ずけられるものではない。
しかし、適切な表現を借りれば正にセルブリン氏はバイオリンという楽器の再生に要求
される、目の届かない所まで数多くのクォリティーの見直しをガルネリ・オマージュに
求たのである。これらの要素を根源に立ち返ってみると、クレモナで生産されたバイオ
リンが、その実物だけしか成し得なかったパフォーマンスと同様の  レベルにガルネリ
・オージュの再生音が完成されたとき、世界的にそれが本物と認められるかどうか不安
なところもあった。このプロジェクト全体がジュゼッペ・ガルネリウス・デル・ジェス
の没後250周年を記念しての事といえる。

 そのエンクロージャーは上から眺めると、古楽器のリュートに似ている。フロントバ
ッフルは平らであり、内部側壁は単なるカバーではなく正にバイオリンのように内部定
在波を発生しないデザインになっている。その木工技術は、ガルネリとソナース・ファ
ベールの伝統の両方を維持するに充分な優れたものがある。エンクロージャーに使用さ
れるウォールナット、メープル、リンデン(シナや菩提樹などの類)などの天然木材総
てをゆっくりと2年間もの間自然乾燥し安定させてから、手引きで切り出した42個の
木片に整形し組み上げている。それらの木片は伝統的な手法によって組立てられ、使わ
れる素材は半分以上私が聞いたことも無いような天然の染料と有機質の接着剤(膠)が
使われている。オリーブ、コーパルゴム(熱帯産樹脂の一種)、リンシード・オイル(
あまに油)、ヴェネチア産カラ松の松脂、ガンボージ(東南アジア産の樹脂の一種)、
ワインアルコール、蜂蝋、等これらの素材を使い何世紀も前にバイオリンを作る時に使
われたテクニックをきちんと再現して組み立てられている。エンクロージャー内部は、
それ専用の銅と鉛のシートによって内壁を適度にダンプしチューニングされている。後
部のバスレフダクトとバイワイヤリングターミナルの部分はムクのリンデンのブロック
を削り出したもので形どられている。本当に限りなく豪華な家具といって良いほどの美
しい仕上げである。大きさは横幅190mm、高さ380mm、奥行き375mmで、
全面にはサランネットはなく、バイオリンの弦をイメージさせる数十本のストリングス
がユニット保護のために前面を上下に渡されている。そして、スタンドもこの弦の延長
として格子状のモチーフが施され全体のイメージを完成させている。私はむしろ、その
至上のサウンドに固執したくないが、このルックスと仕上げの美しさを軽視する事は出
来ない。私のスタジオに持ち込んだりショーの会場で見た数々のスピーカーの中でも、
このガルネリ・オマージュは手に入れたい強い欲望とため息を引き起こしてくれた。そ
れは、これまでハイファイ・スピーカーを家に持ち込むときの伝統的な天敵であったイ
ンテリア・デザイナーと世の奥様方に、オーディオに対する敵意を間違いなく喪失させ
ることだろう。たぶん、彼らもガルネリ・オマージュの神話に巻き込まれてしまうはず
だ。もし、彼らの家でカクテル・パーティーが行われることがあれば、こんな話題を提
供するのも面白いのではなかろうか。「クレモナの(博物館的な)バイオリン・サロン
にシリアルナンバー001番のペアーが寄贈されているのを知ってるかい。」「この一
つ一つを手引きで削りだし、10行程ものニス仕上げに気が付いたかい。」そして、「
どうだい、こんなに豪華で貴重なものはないだろう。」という一言を口にしたいものだ
。この木材の仕上げは、パイプをふかすように、あるいはArmagnac(フランス
南西部で作られているコニャックの一種)をちびちびと飲むように気の長い入念な行程
がある。アルブミンのシーリングコートによって下地を作り、大変使い込んだフェルト
とオイルによって磨かれてから、最後にバフによって鏡面仕上げが施される。神秘主義
者的な立場から見て、俗物紳士的な価値観、その製品のクラス、セックスアピール、ス
テータスといった物の見方は貴方にどの様な訴えかけをするでしょうか。私が敢えて指
名して目を覚まさせてくれるようなハイファイ製品は他にはなかった。これは文句なく
、うっとりさせるような性的な魅力をにじみだす、はじめてのコンポーネントではなか
ろうか。ガルネリ・オマージュは、注意深く選ばれたコンポーネントを組み合わせるこ
とで、より高い次元までチューンアップ出来る可能性を内包している。

 140mmミッド/バス・ユニットは、ヴォイス・コイル周りの間隙が圧縮されない
ように特別な配慮を持って作られている。トゥイーターはシルク・ドーム型で、カエデ
材のブロックでそのエア・チェンバーを構成させており、それ自体の共振を抑止してい
る。この両ドライバーは彫刻されたバッフルにマウントする前に、最良のパフォーマン
スを確保するよう長時間のエージングを行った上でコントロールされている。クロスオ
ーバーは更に改良された6デシベル/オクターブのスロープ特性で、唯一のインダクタ
ーにはシルクラップされたリッツワイヤーを採用するなど、各パーツは最大限の透明感
を得られるよう選択され更に改良されている。スタンドの高さはチェスト程度で大変な
重量があり、スピーカー本体の底部に平面でピッタリとフィットするようになっている
。ほかの同社のスタンドと同様に硬質の木材を使った脚柱と天然石材の板によって構成
されている。スピーカー・ターミナルは様々なコネクターに対応しており、他の同社ス
ピーカーに対してゴルドプレートに填め込まれているのは興味深い。さて、やっかいな
のがシステム構成である。ガルネリ・オマージュはアンプマッチングという問題と対峙
した時、一般論では通用しないのである。なぜなら、ガルネリ・オマージュは、バイオ
リンがバイオリニストの感に呼応するようにアンプに対して反応するからである。(中
略)未来のガルネリ・オマージュのオーナーがアンプを選ぶのではなく、スピーカー自
身がアンプに対してオーディションを行うであろう。私は2週間に渡り6種類のアンプ
で試行錯誤を繰り返したあげくに、クレルのMDA300Sに落ち着いた。その理由と
しては、外観から推測出来るように地を這うような重量感のある低音は出しようがない
ということだ。入力される低音信号は好むと好まざるとに関わらず、閉鎖的な表現にな
ってしまい深い低音など出さないのである。アメリカのウィルソン・オーディオやイン
フィニティー、アポジーといったメーカーのハイエンド・モデル、または同社のエクス
トリーマー等を基準に考えたらなおさらである。

 しかし、それにもかかわらずアルマーニ・クラッドのLS3/5Aのはるか上を行っ
ている。轟く雷鳴のような、サブソニックから70Hz位の低音を盛んに再生すること
は幼稚ではないかと思う。15インチもある大口径のダブルウーファーで、薄汚れた4
0Hzの低音を125デシベル近い難聴になるような大音量で聴いている人種を連想さ
せてくれる。しかし、なぜ私のスタジオで聴いた時、ずっしりと重い最低音部を見落と
してしまったのだろうか。ミラノにあるソナース・ファベール社の試聴室ではロー・エ
ンドのエネルギー感を重量感を持って聴かせてくれたのだが。(中略)このスピーカー
は同名のバイオリンのように、洗練されたデリカシーのある道具なのです。ウィルソン
オーディオのWATT&PUPPYよりも実際は小柄なのだが、ガルネリのバランスは
より熟練した感性を感じさせてくれる。理屈の上ではわかっていても、手を触れないと
スピーカーがそこにあることがわからないくらい見事な演奏を聴かせてくれる。ガルネ
リ・オマージュのサウンドを妥協なく求めるならば、ピックアップ・カートリッジの取
付けのように細やかな配慮が必要だ。まさに個性を尊重しながらの音質追求をするとい
う細かい設計配慮が、このデザインに反映されているからだ。腕時計のような精密な分
析を音楽に対して行うような、ひどく気難しい愛好家は、ハートよりも頭脳に好感を与
えるWATT&PUPPYや、同社のエクストリーマの方がお似合いではないか。ガル
ネリ・オマージュはテクニシャンではなく、むしろアーティストではないかと思う。こ
れまでにLS3/5Aで聴いたヴォーカルで、大変クリアーに聴こえていたものが余韻
を含んだ潤いのある響きで、これほど真に迫って聴こえてくるとは全く予想していなか
った。ユニットの共通点から推測した類似点がことごとく粉砕されてしまった感がある
。なぜ、ガルネリ・オマージュはバイオリンのようにいかないのだろうか。ガルネリウ
スは独特の特徴を持っていて、熟練したバイオリニストは演奏する空間の環境や雰囲気
に合わせて使いわけるものである。

 しかし、ガルネリ・オマージュの設計に当たっては再生する空間を特定していない。
雑踏の中でロックン・ロールを聴くことも出来るが、スタジオでのストリングス・カル
テットの録音モニターに是非使って欲しい。そして、オーケストラを充分な音量とダイ
ナミック・レンジで公平に評価することも出来る。ガルネリ・オマージュの周辺に音楽
が湧きあがり本物のステージ感に驚かされ、そしてスピーカーが消滅してしまうのであ
る。これはリスニングルームの大小によって引き起こされるものとは違い、克明な描写
力は真の音楽に対するレプリカを味するものである。しかし、低音の軽い質感はリスナ
ーに再教育を必要とするであろう。特にリスナーがベース・ジャンキーだったとしたら
、なおさらのことである。ヘビーな低音部が出ないからといって音楽を聴く喜びが損な
われるとは思わない。むしろ、ガルネリ・オマージュは、その美しいデザインから使い
手の警戒心を解きほぐすような優しい話しかけをしてくる。ガルネリ・オマージュの持
つスピリットの真実は、これまでに出会ったことのない特徴であり、私がこのスピーカ
ーから受けた影響と同じくらい鮮明なものだ。それは実際の楽器の材料を駆使したガル
ネリ・オマージュが、その特質を調和のとれた響きの豊かさとして伝える能力があると
いうことだ。これは、音楽を拡大解釈しているということではなく、他のスピーカーが
それを目指していないだけだ。リアルなアコースティック・ギターのウッディな質感、
トランペットのクールな質感を今までに聴いていなかったという現実を警告してくれて
いるのである。他のスピーカーがレコーディングの中で得られた情報としての雰囲気と
感触に反応していなかったことを、ガルネリ・オマージュは暴露しているのである。私
は大変な危険を犯してこれを執筆している。私自身の好みを認めた上で、ガルネリ・オ
マージュはこれまでに聴いたことのない最も小型なモニターであることを信じている。
逆説的にいえば、とても重量感のある響き渡るような低音に私がまだ惑わされていない
証拠である。最後に、ガルネリ・オマージュの予想される価格はすぐに私の手の届く範
囲を超えているが、たとえ沢山の品物を売りに出すとしても、ソナース・ファベールが
生産可能としている月産10ペアの内の1ペアを手にいれるであろう事を断言する。」

 大体この様な内容になるのだが、直訳が難しい文体であるので解釈を要する意訳にな
っており、大筋において大きな誤りはないものと思う。聞くところによると、このガル
ネリウスは150挺程度が現存しており、ストラディヴァリウスよりも響きと美しさに
勝るとしてパガニーニをはじめとして、現在も著名なバイオリニストたちから評価され
ている。本文中に製造番号001が何処にあるかは語られているが、002はアッカル
ド、003はウート・ウーギに寄贈され、004は九四年からのごく少数づつの製造開
始のために、ソナース・ファベール社にリファレンス・モデルとして保管されていると
のことだ。望ましい木材の選別と乾燥期間を考えると安易に生産することはおろか、本
年の生産分は数年前からの準備期間があってこそ可能となった事がわかる。科学合成さ
れたハイテクの産物でエンクロージャーを構成するメーカーが多いなか、私は職業人と
してガルネリ・オマージュに感じられる情熱的なオーディオのロマンを禁じえない。今
まではセカンド・システムがメイン・システムよりも、サイズ的、価格的、能力的に下
回るものと定義づけられてきた風潮に変化をもたらすものが現れたと思う。このガルネ
リ・オマージュが明るいリビングルームに、あるいはメインスピーカーの前にたたずむ
風景に、果たして違和感が感じられるだろうか。ガルネリ・オマージュの登場によって
セカンド・システムという概念から解き放たれ、ネクスト・システムという発想を提案
したい。パガニーニのような音楽家にとって、ここぞという演奏を控えたバイオリニス
トの脳裏、ガルネリウスのイメージが湧き起こりバイオリンを持ち替えることが許され
るなら、我々の貴重な時間の中でバイオリンという歴史に裏打ちされた楽器を味わいた
いと思ったとき、スピーカーを替えて楽しむ贅沢が許されて良いはずである。現在この
ガルネリ・オマージュは、当然の事ながら日本のオーディオ評論家の文章表現によって
、いわゆる「高名な先生のご意見に染まってしまった」ことのない処女地なのである。
今のところ想像するしかないのだが、それが大変ロマンチックに思えてならない。あの
JBLのK2が店頭に並ぶ遥か以前に、聴かずして大変な数が予約販売されてしまった
事実を時効として大目に見て頂きたい同様な現象がガルネリ・オマージュによって引き
起こされた場合、販売する立場の責任として出来うる限りの情報を提供する義務がある
と思う。音をお聴かせする事が出来ないうちに予約を頂いてしまった場合には、この文
章上で伺えるガルネリ・オマージュに対する価値観を評価して頂き、日頃申し上げてい
る私の販売方針には反する結果となることをお許し頂きたい。まだ見ぬもの聴かぬもの
に思いを馳せることは往々にして期待が先行するものだが、一か月に一〇セット以内の
生産台数で、その内何台が日本向けとして入手出来ることやら。世の中に弦楽器専用と
うたわれるスピーカーが一つくらいあっても良いではないか。日頃、JBL等でジャズ
を楽しまれている諸兄が弦楽曲の名演に手を差し伸べるとき、シリアルナンバーの若い
ガルネリ・オマージュの素肌の感触をそのままに、流麗な弦楽のしらべを堪能させてく
れる事だろう。 ケン・ケスラー氏の結びの言葉を借りば、このガルネリの夢を 追いか
ける日本人が名乗りをあげてくれた時、私はその人のために月産一〇ペアの内の一ペア
を手にいれるであろう事を断言する。そしていよいよ、ガルネリ・オマージュ生誕の年
がやってきたのである。
                                    【完】


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