《HAL's Hearing Report》


No.0060 - 2001/11/20

東京都八王子市在住  M・K 様 より


(M・K 様)川又さんのお休みが木曜日だということをすっかり忘れて いました。 しかしそのせいか他のお客様もいらっしゃらずSignature 800 のシステムを存分に聴かせて頂きました。

(川又)ありがとうございました。
お話出来なくて残念でしたが、くつろいで試聴して頂きよかったと思います。

(M・K 様)大抵のお店やオーディオショーで聴くシステムの音は、そのほと んどが聴くに耐えない物が多く、H.A.L.の試聴にも一抹の不安がありました。 しかし、それは全くの杞憂でした。こんなことならもっと早くからH.A.L.を 利用すれば良かった悔やまれました。

(川又)ありがたいお言葉です。
私は他のショップに音を聴きに行くという事をしないので、皆様からの 印象を伺うのみです。これについてはノー・コメントとさせて頂きますね。

(M・K 様)昨日は、実に2時間以上に渡って持参したCD12枚を試聴させて 頂ました。 私は、ほとんどクッラシックしか聴きませんが、それでもソース のクオリティには気を使ってきたつもりです。しかし最近特に感じるのは、 聴くシステムによって演奏者の音楽的表現まで変わって聞こえるということ。 確かに昔からそのように言われていましたし、多少の実体験もありましたが、 いままで気に入らなかった演奏が大変魅力的になることがしばしばあります。

(川又)はい、おっしゃるとおりです。
私はよく「レコーデッド・ミュージックはすべて虚構の世界」と随筆でも 述べておりますが、再生する場合にはいかに忠実度を意識したつもりでも、 使い手の感性以上の演奏にはならないものという原則が存在するようです。

(M・K 様)そんな訳でぜひ一流のシステムの実力を聴いて見たかったのです。 自宅のシステムは、スピーカーはマーティンローガン(3代目で6年目)、 CDプレーヤーはエソテリックP2s+D3、プリアンプはJFのシナジー、 パワーアンプはサンスイの2301L(もう10年以上使っています)でドラ イブしています。大理石を敷いた左右のSPの間は約4.5mとっており、 壁から約90センチ手前に出しておおよそ20度から30度内向きにセッティング しています。

(川又)了解しました。

(M・K 様)H.A.L.の視聴室でのスピーカーの間隔もほぼ似ておりましたので、 どんな音場が再現されるのか興味津々でした。 持参したCDは、バロックからショスターコービッチまで、CDのレーベルも 様々、録音年代も様々です。実際に日頃聴いている状態に近い条件で、 音を確認したかったのです。(でも川又さん、現在私の手元にあるCDや LPは、音にはそれなりに拘って残っているものだと思いますよ。長い 年月の間に自然と淘汰されたCDです。システムにかけた金額より ひょっとすると大きいかもしれません。)

(川又)なるほど…、
私は素直にコレクションの豊富さと充実には敬意を表します。

(M・K 様)最初にかけたCDは、ソニークラシカルのブロフマンのpfによる ショスターコービッチのピアノ協奏曲とピアノ五重奏曲('98'99の録音)です。 これは録音も新しいこともあり、ピアノを少し強調していますが、透明で 全体としてやや艶っぽい音色に支配されたすばらしい録音です。 奥行きも広がりも好ましい物で、わたしにとっては極めてナチュラルな音です。 さて、POsのトレイを開きCDを乗せると、POsの有名な動作音がして(胸が 期待に膨らむ瞬間です)、しばらくすると、ピアノ協奏曲1番の第一楽章が 始まりました。右手の少し奥に艶っぽいトランペットが浮かび上がると すぐにあの透明で波間を漂うようなピアノの主旋律が奏でられました。

(M・K 様) ところがどういうことか…!??
自宅ではピアノが左右に広がって、大きすぎると感じていましたが、 Signature 800のシステムから出てきたピアノはグッと引き締まり、その 音像はきちんと実体を伴っていました。(つまり自宅のシステムでは、 低域のコントロールの違いか?ピアノの音像がぼやける、 あるいは やや大きくなっていたようです。)

すぐに低弦のピチカート続き(これがまた、いかにもピチカートなの ですが芯があるのに柔らかな、 つまり空気が振動して伝わっている 感じなのです)、バイオリンのユニゾンのが左手の中空に浮かびます。 しかも自宅で聴いているよりももっと奥に浮かぶのです。

そのかわり左右の広がりは自宅のシステムよりは小さく、音のバランス も低域がよくコントロールされて、引き締まった音です。

(M・K 様) オーケストラは左右のスピーカーの間隔より少し小さく 浮かび上がります。 弦楽合奏のリアルさは克明なのですが、いかにも リアルなというよりは、自然な音色で鳴っていました。 ショスターコービッチのあるいは20世紀の室内楽の最高傑作の一つである ピアノ五重奏は、優秀な録音を得て水を得た様に感動的に奏でられる 名演奏なのですが、一楽章の導入部の弦楽器の擦れ音が微妙なニュアンス で艶やかさを一段と増し、震えるようなその音は心に滲みいるようです。

(M・K 様) 二楽章のフーガは、自宅で聴いていて独白をしているかの ように鳴る弦楽器の音に胸が突き上げられるようでしたが、ここでは 一層リアルに鳴っていました。勿論音像は自宅より少し小さくまとまり、 小さなホールの少し前の方で聴いている感じで、演奏者の姿が目に浮か ぶようでした。

(M・K 様)川又さん、勿論自宅のシステムでも立体的にもっと前の席で 聴くように演奏者が浮かぶのですが、でもSignature 800のシステムの 方が一段とリアルなのです。

(川又)克明な記憶力と分析に脱帽です。そして、私が作った音楽の 料理を評価して頂き本当にありがとうございました。(^^♪

(M・K 様)一聴したところ、確かに低域の厚みは自宅のシステムに較べ ると薄いように感じられました。このときは、多分スピーカーがおろし たてで、ウーハーが堅いのだろうと思っていました。 経験上300〜500時間ぐらい経過すると突然音が変わり始める時期があります。 低域の詰まった様な音が急に解放されて、音に深みがでてきます。 (少なくとも私の使ったスピーカーは、3台ともそうでした。) この時はそう思ったのですが、視聴を続けるうちに実はそんな単純なこと ではないのだろうと考えるようになったのです。

(川又)はい、評価頂いてありがとうございました。 さて、この中で問題提起があるとすれば、低域の質感ということでしょうか。

まず「低域の厚み」ということに関しては、熟練と質の高い経験から作り出さ れたバランス感覚に基づく量感と質感の創造としかお答えのしようありません。

再生装置の宿命として、必ず限られた大きさの空間と、そのルームアコース ティックによって、録音されている低域にプラスアルファの要因が加算されて 皆様が認識している「自宅の低域再生」ということになります。

つまり、グランドの真ん中や海岸のように無限大の空間でオーディオ装置を 再生したらば、何ともつまらない音になってしまうのは想像できると思います。 しかし、ルームアコースティックの影響を受けない無限大空間における再生ほど 物理的な周波数特性がフラットになることはないわけですよね。

つまり、皆様がこれまでに親しんでいて、心地よいと判断されてきた習慣に もとずく低域の再生音というのは、実は味覚といっしょで第三者からすれば 「甘すぎる、辛すぎる」という感じ方もされてしまうものです。

ですから、私は自分の膨大な試聴時間と、色々なケースで経験してきたバラ ンス感覚でこの部屋の音響的な環境とセッティングを行っていたということ。 それを評価していただいたということを、まず事実として記憶させて頂く ことにいたしました。ありがとうございました。

そして、ウーファーの使用時間の経過による変化ですが、これは振動系の スチフネスが向上するとトランジェント特性はよくなります。 つまり、歯切れよくヌケがよくなるということですね。 しかし、質感として重々しい方向には傾向としては中々変わらないものです。 それよりも、スピーカーを30センチでも壁に近づけた方が量感と重みが加わる 感じになりますね。

ですから、おっしゃるところの「低域の詰まった様な音が急に解放 されて、 音に深みがでてきます。」これは正解です。

(M・K 様)次にオネゲル作品で、デュトワ/バイエルン放送SOが’82年に エラートレーベルに録音した交響曲三番「典礼風」を試聴しました。 これは交響曲五番とカップリングのCDで、システムが変わると音の変化 も大きいCD一つです。10年前に購入したときには決して特別優秀な 録音とも思わなかったのですが、現在の自宅のシステムで聴く限りでは、 深々とした低域に支えられた透明感のある録音で、ステレオイメージも 当時の録音にしては優秀。これがどんな風に聴こえるのか、P0sの作動 音に期待が膨らみます。(ところで川又さん、P2sでも同じような動作音が しますが、P2sのトレーの開閉を遅くさせた方が音がいいような気がして、 今は最も遅く開閉しているのです。そんなことで音が変わるものかとも 思います。私の気分的なものかも知れませんがそんな話は他に聴きま せんか?)

(川又)トレイの開閉スピードによる音質の変化は経験からしても、物理的 な根拠からしても音質に影響があるとは思えません。 だって、ディスクが回転し始めるときには静止しているのがトレイですか ら・・・。

(M・K 様)Signature 800から飛び出てきた音は、私の想像外の音でした。 わたしは雄大な低域に支えられた迫力のあるオーケストラの圧倒的な 音の波を想像していたのですが、そこから出てきた音は、一段と磨きが かかった艶やかで、しなやかなオーケストラの音です。想像した厚い 低域は出ていません。絹の糸を一挺一挺の弦楽器や一管一管の 管楽器の音色で染め上げたような、その音色の音の織物としての しなやかな音の拡がりです。子どもの頃初めて耳にした輝かしく艶や かなオーケストラ音、「ああこれが聴きたかった音だ」と思いました。

(川又)ありがとうございました。
そのように、皆様が求めていたにもかかわらず、今まで見つからなかった 音がここで発見される事が大切なことなんです!!

(M・K 様) でも低域は本当に出ていないのでしょうか?不思議に低域が 不足している時の、あの満たされない気分は微塵も生じません。

(川又)私は、ひたすら録音に忠実にとしか申し上げようがないですねW…(^^ゞ ここのSignature800の低域はスピーカーの開発意図を肯定して、トランジェ ントを最大限に発揮し、かつ楽音の微小なレベルでも低域の再現性が失われ ないことを狙ってセッティングしています。 ですから、やっぱりディスクに入っている通りに出てくるということですね。

(M・K 様)そこで特に低音部が音楽のイメージに決定的な印象を与える ブリテンのCDをかけました。 持参したのはブリテンの自作自演の録音で、「戦争レクイエム」と同じ ジョン・カルショウがプロデュースした一連のシリーズでの一枚です。 曲目は「シンフォニア・ダ・レクイエム」です。この一連のシリーズは LP時代の輸入盤の音を知っているだけに興味があります。 LPの音は、目も覚めるような艶っ気たっぷりな音で、弦楽器は特にリアル でした。それはCDが演出する透明感とステレオイメージの世界とは別の 世界です。ジョン・カルショウの音づくりは、ディティールをサブマイク で強調したマルチマイクの録音方式なのか、左右に拡がりのある、どちら かと言えば奥行きの少ない録音です。音づくりは今とは違うとはいえ、 かなり贅沢なものです。(しかし今でも名録音だと思います)ブリテン も参加しての録音であることを考えると、作曲者の表現しようとした意図 とはこの録音のイメージと、そう異なる物ではなかったはずです。

(M・K 様)Signature 800から出てきた40年前の音は、やはり期待を裏切り ませんでした。確かにカルショウの録音コンセプトを覆すことはできま せんでした。ステレオイメージは、自宅のシステムほどではないにしても、 やはり左右に大きく拡がってしまい、近年の録音のように奥行きは決して 深いもではありません。それでもH.A.L.のこのシステムからは、(LP で聴いたときとは勿論違うのですが、)録音された現場の緊張感やその場 の雰囲気が鮮明に蘇ってきます。

(川又)喜んで下って私もうれしいです。(T_T)ありがとうございました。

(M・K 様) 自宅システムに比較すれば、低域は量感こそ後退して聴こえる のですが、すべての音はしっかり出ており、自宅では聞き取れなかった 音が浮かび上がっていました。「実に鮮明によく聴こえる」、言葉に すればそれだけですが、音楽として聴くと大きな違いがあります。

(M・K 様)確かにシンフォニア・ダ・レクイエムの最初のティンパニの 打撃音やコントラバス、金管の音の迫力そのものは自宅のシステムの 方があると思います。しかし、ここでも言えることですが、Signature 800を中心とするこのシステムの音は、そうした部分的な音の問題など ではなく、壁を1枚突き抜けた音なのです。勿論よく聴いて見れば低域 は過不足なくしっかりでているのです。

(川又)そうでしょ!!
ありがとうございます。(^^ゞ

(M・K 様) コントロールされた低音は、中高域にかぶりませんから、 見通しの良い音であり、オーケストラの全強奏の時でも、濁りはほとんど 生じません。素晴らしいではないですか。

(川又)恐縮です〜

(M・K 様)次にアルヒーブに録音したオッター(ソプラノ)の一連のシリ ーズから一枚、 ヘンデルのマリアンカンタータを聞きました。

(川又)このディスクは私のところには二枚あります。 いい作品ですね。

(M・K 様) 自宅でも気に入っている一枚なので聞く機会が多いのですが、 これがまた素晴らしかったのです。自宅でもオッターが目の前で歌って いるように聴こえるのですが、H.A.L.でのそれは小さなコンサートホール で歌うその人であり、ホールいっぱいに拡がるオッターの張りのある声が 涙の出るほどのニュアンスで聴こえてきます。オッターの声がホールに 波のように拡がる感じが分かります。

(M・K 様)この他にも以下のようなCDを視聴しました。

ヤーコブスのクリスマスオラトリオ、内田のモーツアルトピアノ協奏曲、 バレンボイムがエラートの録音したブラームスの交響曲と序曲全集〜大学 祝典序曲、インバルのチャイコフスキーの交響曲4番(デンオン)等ですが、 すべてをお話しするのも大変ですから、要点だけを言えば、基本的な印象は 皆同じだと思います。デンオンの録音は大抵素晴らしいのですが、システム による音の変化は小さいようです。つまりシステムがそこそこであれば、 それなりに奥行きのある透明なステレオイメージで鳴ってくれます。

(M・K 様) 私の乏しい経験の唯一の例外は、システム6で聞いた時だけです。 このときのこのCDの音は、ものすごく鮮烈でした。 そしてとても強い音でした。 バレンボイムのブラームスですが、大学祝典では、残念ながら低域に 引きずるようなこもった音が出てしまいました。このエラートのCDは、低域が

たっぷり入った録音で、RCAのヴァントの録音とは違い中低域の透明感が 確保されています。それだけに低域の再生とオーケストラの全奏での透明 な音場の再現が命なのです。これだけコントロールされていても、やはり 低域のコントロールは難しいのだと思いました。

(川又)今度、その曲を聞かせて下さい。
皆様が絶対の信用をおくレコーディングと作品としてのクラシック音楽と いうものは、実は編集と音質加工が盛んに行われているものであり、低域 の処理の仕方も千差万別です。「低域のコントロールが難しい」とおっし ゃっていることの本質は録音内容に原因がある事が意外に多いものです。 聞かせていただければ私はわかります。

(M・K 様)ところで川又さんが登山をなさるかどうかは知りませんが、 仮に今、川又さんの目の前に、見上げれば吸い込まれそうなほど蒼い空の 下に雄大な山岳の景色が広がっているとしましょう。 この景色の前に、ガラスの壁を1枚、又1枚と重ねていくとしましょう。 ガラス越しに見える景色は、そこで見ている限りガラスの壁を感じること はありません。この何枚かのガラス越しに景色を見ている状態がCDで 音楽を聴く状態とします。

(川又)了解しました。 イメージしましょう。

(M・K 様) この本物の景色に重ねるガラスの壁が、録音エンジニアであり、 制作機器であり、つまりCDの制作過程そのものであるとも言えましょう。 (中には曇りガラスや色ガラスもあるようですが)この重ねられたガラスを 1枚づつはがしていく作業こそが、実はわたしにとってのオーディオの目的 なのです。

(川又)なるほど、なるほど…。

(M・K 様) 何枚にも重ねられたガラスの壁を剥がすことはそう容易なこと ではありません。川又さん、窓越しに見て素晴らしいと思っていた景色でも、 実際にその窓を取り払ってその場の空気に触れて大自然の中に身を置けば、 その差は歴然としています。大気の冷たさ、梢の擦れる音、風の音、花や 木の香りを感じるはずです。

(M・K 様)わたしが先日H.A.L.のシステムで聞いた音というのは、このガラス の壁を何枚か突き破った様な音だったのです。

(川又)おおー、何と言う心強いお言葉でしょうか!!ありがとうございます。 うれしい評価ですね。

(川又)さて、私からも一言・・・。

私は、もう10年前くらいになるかしら…山中湖湖畔のホテルに滞在した 事がありました。早春のちょっとヒヤッとする富士山麓の空気が何とも 新鮮で、とてもいい気分でしたね。

そして、一泊しての翌朝、コーヒーでも飲もうとラウンジに降りて席 につきました。すると、広いラウンジの向こう側の窓から雪をいただく 富士山がちょっど窓の中央にみえるではないですか。 「おおー、やっと晴れたか!!」と、しばらく眺めてから、ふとしたことに 気がつきました。

富士山は、ここから見ると切り取られた風景であり、額縁にかこまれた 絵画のように見えてしまうのです。もちろん、超リアルな美しさはある のですが、ちょうど五合目から上が切り取られているようでした。

はて、いままで自然の中で、つまりアウトドアで眺めてきた富士山と はどこか違うぞ。と疑問をもった私は、ふらふらとラウンジを横切って、 その窓際まで歩いていったのです。

その、窓に近づく歩みを一歩、また一歩と進めるうちに、切り取られて いた富士山が次第に裾野までの全景を段階的に私に見せてくれるように なってきます!!

そして、窓際に立って、左右の視界をさえぎるものが取り払われたとき の感動!!

「そうだよ!! ここまで見えて富士山だよ。」

パノラマ的な眺望と、先ほどの窓に切り取られた風景の感動レベルが これほどまでに違うとは…。

前述の「ガラスを一枚ずつはがしていく作業…」の例えは私も大変に よく理解できるものです。 しかし、気をつけなければいけないのは、その窓ガラスへの距離感を意識 しなければいけないということです。

私はよくスピーカーはオーディオシステムの中で最も支配力が強い、そして それはシステムを通して演奏者を見つめるためのウィンドウであると、お客 様に例え話しをしています。

このウィンドウは限りなく透明であること。
歪みや色が付いていないこと。
そして、十分に(極力大きな)スケールを持っていなければいけない。

という事が大切なのです。

そして、もうひとつ、十分に接近できること。

つまり、スピーカーの存在感が消えてくれて、何よりも楽音の歪感がない こと。それによって、私たちは演奏者に近づく事が出来て、そして視野が 広くなるのです。 これはホール全体を見通せるような視野の広角化ということです。 さっきの「窓からの富士山」と同じですよ。

リスナーが気持ちよく接近していけるスピーカーは少ないということも 追記しましょう。 私が選んだものは大丈夫ですよ。(^^ゞ

(M・K 様)今回の視聴でいくつかのことが分かりました。

(M・K 様)私にとっては、立体的なステレオイメージが何よりも優先し、 そしてその基本は、拡がりや高さもさることながら、奥行きが大事なん だということ。

(川又)同感です。(^^♪

(M・K 様).やはり低域のコントロールはすべてに影響するということ。

(川又)そうですね。大切なポイントです。 そして、その対象はスピーカーとシステムというハードウェアに対して向ける 関心と、ルームアコースティックに向ける関心の両立によって成り立ちます。

(M・K 様)そして低域をそれぞれのスピーカーなりにコントロールしようとする と、そのスピーカーに想定される以上の強力なパワーアンプが必要だというこ と。

(川又)一理ありますが、要因はパワーアンプだけではありません。 環境はアンプの支配力を上回る事がしばしばあります。

(M・K 様)装置のレベルが高くなると、CDのレーベルの録音クオリティの 差がはっきり現れると思ったが、実はその反対で、レーベルの差はどちらか というと縮小するという発見があったこと。( 勿論レーベルの違いによるカラーは歴然とありますが)

(川又)レーベルごとというよりは、同一レーベルの中でも出来不出来がある ようですね。お分かりのことと思いますが。 <(_ _)>

(M・K 様)やはりピアノの再生は、ホーンスピーカーが勝るのではないかと 思われたこと。(ピアノのかちっとしたした芯のある音の再現には、ホーン スピーカーに1日の長があると改めて思いました)

(川又)いやいや、それはね…!?ピアノの録音には本当に色々なバリエーション がありまして、各々の録音の特徴を性格に再現する事が大事なんです。 つまり、私がセッティングしたS800で「かちっとしたピアノの芯」が感じら れなかったということであれば、録音の手法と演出に原因があります。 私がいるときに再度同じ曲を聞かせて下さい。 その場で実験して誤解を解く事が出来ます。

(M・K 様)スピーカーシステムとしてのSignature 800は、いぜん聞いた 802とは別物のようだということ。

(川又)はい、その通りです。別物ですね。 (^^ゞ

(M・K 様)音の鮮烈さではシステム6の音が依然として耳についている という事実。

(川又)私はシステム6も相当数販売してきたので、それも優秀なスピーカーと して評価しています。しかし、人間の記憶はあっという間に更新されます。 どちらが、いい悪いという議論は意味がないですが、公平な評価の仕方は必 要です。だから、私はちょっとS800を弁護して、再度私がいるときに試聴し ていただけることを希望するものです。

(M・K 様)音の入り口であるCDトランスポートと出口であるスピーカーの クオリティが揃っていないと、なかなか例の音の「ガラスの壁」を突き破れ そうにないこと。

(川又)そのとおりです。まったく同感です。(^^♪

(M・K 様)自宅のシステムのレベルから考えると、現在出している音は、 そこそこの水準にあり、まだ改善の余地はあるものの、やはり(パワー アンプも含めて)スピーカーの限界点が近づいていること。

(川又)おやおや、とうとうそこに行ってしまいましたか!?(^^ゞ はい、それは私が自分のセールス本意にむやみに肯定することはしたく ありませんし。皆様のお一人ずつが感じて判断して頂ければよいことです。 ゆっくりお話ししましょうね(^.^)/~~~

(M・K 様)川又さん以上です。H.A.L.での貴重な体験は大変参考になりました。 ありがとうございました。親切にしていただいたアシスタントのかたにも 宜しくお伝えください。


HAL's Hearing Report