《HAL's Hearing Report》


No.0012 - 2000/10/16

四国 阿波の国の住人 様より

Krellのスピーカーシステム:LAT-1試聴記 2000/10/09 14:45〜15:30

 スピーカーは、楽器なのか、それとも電気信号を音に変えるトランスデューサー として捉えるべきであるか議論がこれまで、しばしばなされてきました。“色付 けのない再生音”を目標にすえる立場をとるならば、トランスデューサーである べきでしょう、しかしながら、過去に発表された様々なスピーカーを概観すると、 スピーカーを開発するにあたって、トランスデューサーに徹しようとするとつま らない音になるというジレンマがあった事は想像に難くありません。
 ところが、川又さんからのメールによると、 Krellから、 LAT-1(Lossless Acoustic Transducer)というをきわめて魅力的なトランスデューサーが届いたと のこと。キャビネットは分厚いアルミで出来ており、アコースティックな損失を極 力押さえた設計らしい。金属のキャビネットだと、外部からの電磁波ノイズも遮 断できるという利点も生じる。だが、アルミの鳴きによる悪影響は無いのだろう か? そもそも、キャビネット部材の内部損失を小さくすると一体どんな音になる のだろうか? 気になって気になって落ち着かない。四国は阿波の国(徳島)から これを聞くためだけに空を飛び、ドキドキしながら HALに乗りこみました。

(私自身のシステムは《HAL's Monitor Report》No.0021を参照下さい。)

試聴の対象となったシステムを以下に示します。

スピーカー  KRELL  LAT-1
パワー    KRELL  650Mc
CD-ドライブ  ESOTERIC P-0s の信号を、KRELL のCDプレイバックシステム
(CD/DAC/プリ)KPS25sc のDACに接続した状態から試聴を開始した。

 試聴の途中から DAC MARKLEVINSON  No.30.6Lを導入。 ケーブルは全てPADのドミナスグレードのバランスケーブルを用い、クレルの電流 伝送CASTは使用しなかった。スピーカーケーブルは、ドミナスによるシングルア ンプのバイワイヤー接続。ラックはゾウセカス

【まずは外見】

 フロアー型としては比較的こじんまりとしている。これは、バッフル面を極力小 さくし、回折の影響をなくそうとする最近のハイエンドスピーカーの流れ(その最 たるものがバッフルを排したオリジナルノーチラス)に沿ったものである。また、 ユニットは、トゥイーターとスコーカーが仮想同軸とし、指向性の弱い低域を担 うウーファは下に配置するという合理的な配置となっている。アルミのキャビネッ トは平面図上では後部分が砲弾状の曲面となり、これは音の回り込みを妨げない よう配慮した結果であろうと想像され、ソナスファーバーのガルネリ /アマーティ ・オマージュやウイルソンベネッシュ等に類形が見られる。 LAT-1の場合は、そ の曲面に更に細かいリブが入るという複雑な断面を持っている。この部材は、引 き抜き加工と思わるが、アルミの加工特性を十二分に生かした形状となっている。 表面は、深い黒色のアノダイズ仕上げ(だろう)になっており無機的な冷たさは 無く、落ち着いた雰囲気となっている。

 フロントグリルに張られたゴムのストランドとキャビネットのリブの直線は、共 通した縦の線を強調する事で一体感を醸し出している。側面と後面を一体とした 曲面による造形は、端正ではあるが無機的な冷たさは皆無である。床の占有面積 は幅 31.8× 35.6cmと小さく設置の自由度は大きい。

 音楽を鑑賞するにふさわしい仕上がりであり、アンプ等の専門メーカーであった Krellの第二作としては大変に高い完成度であると感じた。第一作の KRSが、内蔵 アンプと 2つのユニットを配置し、分厚いとはいえアルミの平面的部材で囲った だけ (失礼!)という質実剛健なものであったから、 LAT-1の造形には新たなデザ イナーの手と、新たな分野に打って出る Krellの意気込みを強く感じさせる。た だ、型番がKR*でないので将来Referenceクラスのモデルが出てきそうな予感もす るが・・・・・。

【いざ試聴】

 始めに川又さんが、フォープレイのチャントの冒頭の(フロアータムのアタック) をかなりなボリウムで再生。タイミングといい、有無を言わさぬやり口は「ウマ イ!」。口には出さないが「どうです!」という川又さんの表情もむべなるかな。 アタックの瞬間の音圧上昇の急峻さはどうだ!。また、アタックから1秒ほどの間 のドラムの音質変化が明確に聞えてくるのである。アタックの一瞬には、ドラム の固有振動数とは異なる、皮がバタつく音が混じり、直ぐに、このドラム固有の 素直な振動に遷移し、減衰していく様子が明瞭に聞き取れる。この過程を想像力 を逞しくして、視覚的表現を試みる。 1.アタックによりドラムスティックの打撃 部を中心に大きく凹み、その波は同心円状に水面に波が広がるように振動が広が り、周辺部で反射して中心部にまたもどって来る。その過程で波がぶつかりあい 皮がはためく。 2.ドラムの皮の中心が腹、周辺が節とするモードの振動に遷移す る。この結果、ドラム本来持っている固有な振動数となる (これより高い音は急 速に減衰する)。 3.固有の振動数を保ちながら減衰していく。という様子だろ う。そんな事を考えたくなる程の時間軸方向の解像力の高さなのである。

 LAT-1の音を聞いていると、従来のスピーカーはキャビネットの部材内での損失が わずかながら有り、わずかではあっても、出てくるべきピークの音圧が充分出て いなかったり、そのエネルギーが別の形の音として付加したり、尾を引いたりし ているように感じてきた。私は、今まで何を聞いていたんだろう?。

 ドラムの直接音とはまた別に、アタックの瞬間の打撃音の余韻が減衰していく様 子もまた完全に分離して聞き取れる。この解像力は快感である。スピーカーのSN 比は素晴らしく、音場空間は大変に広く感じる。アタックの最大音圧は充分に高 いが、それが目や顔にぱしっと当たって来るような音ではなく、筋肉が共鳴した り、お腹に響くのであるが、全く重苦しくはなく、実際の演奏会場で聞くような 風のような低音で私には大変好ましく感じられた。大口径の重たい振動板をスピー ドの遅いアンプで鳴らす重たい低音でなく、軽い振動板を現代のアンプでドライ ブした軽やかなハイスピードの低音である。(音速に早い遅いは無いのだが、大 口径の重たいユニットを小さな振幅で再生した低音と、小口径の軽いユニットを 大振幅で動かし再生した低音は自ずから質が異なり、後者は、“早い低音”と言 いたくなる特性を持っているのは HALの諸賢には自明のことであろう)一方、オー ディオの世界には重低音と言う言葉があり、どちらかと言うと誉め言葉として用 いられているが、現実の楽器が出す低音は決して重低音ではない。(私が論じて いるのはあくまでアコースティックな音にのみ限定している)現実の音は、軽や かでハイスピードである。現実の音を軽いとかハイスピードと言うのは違和感は あるが、ステレオによる再生は、よほどハイスピードなアンプでないかぎり、現 実の演奏会場の音と比べると、低域は重たく、リズムに乗れない感さえあるが、 LAT-1が聞かせてくれる低域にはそれは無い。

しばらく脱線します。
 一般的な話ですが、現実の演奏会場の音と比べると、かなり注意深くチューニン グした再生音でも、音場空間の狭さ、高域のザラツキ感、重苦しく遅い低域、部 分的に虫眼鏡でのぞきこんでいるようなバランスを欠いた不自然な解像力と、か なり不自然な要素を持っている場合が多いように感じます。そう言いながら現実 には、昔の貴族のようにオーケストラを雇うほどの財力は無く、それどころか、 頻繁に演奏会に通う事さえもできません。特に地方に住んでいますと、演奏会の 回数も少なく、演目は極めて限られています。オペラを聞こうと思ったら東京ま で出かけるしかありません。

 やっとの思いで出かけた演奏会の直後は、「あそこがダメ。ここがダメ」と分析 的、批判的に聞いていた再生音も、しばらくして記憶が薄れ、耳が馴れると「や っぱり良いなあ」と思うようになるから好い加減な物です。このいい加減さがあ るからこれまでオーディオを趣味として続けてきたような物ですが。とはいえ、 演奏会場でたまに聞く習慣を持っていると、再生音の限界を強く感じると同時に、 オーディオ装置は透明な窓ガラスであるべきだという思いが強くなってきました。 つまり、自分の音に対する好き嫌いだけで、音作りをしてはいけないのではない かなと自戒の念を込めて感じています。自分の音に対する好悪がどれだけ根拠に 基づいているのかを、自分で時々演奏会場に行き確認する必要があります。つま り、自分の耳を標準化する作業をする事が必要だと感じます。

 機械を繋ぎ替えて、音が変わった、良くなった、自分好みの音になったと言って も、所詮標準原器と比較せずに測定器の精度を論じているような物だと言う気が するのです。こんな事を考えるようになったのは、キース・ジョンソンの影響な のかもしれません。彼は、様々な音楽の演奏を録音してCDを出し、一方ではア ンプ、コンバーター等を設計している電子工学の大学教授です。彼のアプローチ は大変に興味深いものがあります。種々のCDの実際の録音現場の音を知ってアン プやコンバーターの最終の音決めが出来るのですから。キースは、CDプレイバッ クシステム、アンプを設計し、これに使用するケーブルも指定し、スピーカーも 概ね指定する事によりエンドユーザーも原音再生が可能なシステムアプローチを 推進しています。私自身は、このような“原音”を知って再生システムを評価し ている訳ではありませんが、キースが設計したアンプ類を使い、指定したケーブ ルを使い、出来るだけ実際に演奏会場に足を運んで、現実からの解離が少ない再 生を心がけているつもりです。

 例をあげれば、今年、アムステルダムに仕事で行った時に、せっかくだからとコ ンセルトヘボウでのコンサートを聞いてきました。会場に直接行って、「今夜の コンサートを聞きたい」というわけですから、全く選択の余地はありません。な んと、アムステルダム大学の学生オーケストラによるベートーベ ンピアノ協奏曲 第 5番とブルックナー交響曲第 9番でした。私に取りましてこの演目は、日ごろ 聞きなれたものではないので少し躊躇しましたが、値段も異様に廉いし、ホール の響きが体験できたら一曲目で出ていっても良いと思い 550円程の切符を手にし ました。演奏は、大学の学生が、学業の合間に練習をしてここまで演奏できたら 本当に大した物だと感じましたが、それ以上の物ではありませんでした。ただ、 音の響きが、それはそれは美しく、正直、聞きほれました。全く当たり前の事で すがバイオリンが耳障りでなく、本当に漂うがごとく、古臭い表現ですが、まさ に嫋嫋と響くのです。明確に響いているのに芯が無いのです。(一旦録音すると どうしても芯が出てくるのはどうしてなのでしょうね?)アリーナ席で、ティン パニーのほとんど真横でしたから、音圧をまともに受けましたが、響きが皮膚に ではなく、体に感じられて興味深く感じました。顔に音圧は感じないのに体の筋 肉が共振するのです。

 オーボエのちょっと間抜けな感じや、フルートが風の様に通りぬける風情などと っても良い感じでした。聴衆のマナーも、とっても良く、身内の者ばかりだから でしょうが、拍手は、本当に嵐のようで、コンサートを聴いたと言う実感さえあ ったほどでした。良い経験をしました。

 また、9月10日 日曜日はNHKホールでリゴレットを聞きました。ミラノのスカラ座 の演奏家達の技量にはほとほと感心させられました。管、弦、打楽器、勿論声楽!、 どれも素直に聞き惚れるばかりでした。イタリアからの長旅の疲れかなと思える 部分が無い事はありませんでしたが、全体としてみるとやはり満足できる演奏で した。素晴らしいチェロの響きは、今も耳に残っています。

 とにかく高音の滑らかさ、中域の明確さ、低域の軽さ・早さが全く違うなあと思 います。子音が弾けたり、それだけが別の位置に定位したり、発音の過程が妙に 強調されたり等(当たり前だけど)全くしないのです。いわば当たり前の音が聞 えてくるのです。オーディオではこの当たり前の音が評価されにくいし、実際に 当たり前の音を出すのは困難を極めるのは御存知の通りです。

 オーディオによる再生音ばかり聞いていて、時々ふと演奏会場に足を運ぶと、自 分の再生装置の美点と欠点が顕わになります。コンセルトヘボウのように美しい 響きを聞いた後では、自分のシステムは、柔らかな明晰さが今後の課題かなあと 思います。ただ、私が求めているような再生音が本当にスピーカーから出てくる のかなあと時々疑問を感じたりします。音を出す物理的なメカニズムが、全く違 うのですから。 LPにしろ CDにしろ詮缶詰音楽なんだろうか?ひょっとして、私 は、缶詰に刺身を美味を求める愚を犯しているのかなあとふと思ったりします。

大幅に脱線しましたがLOSSLESS のスピーカーの話にもどります。

 確かにこの解像力の高さと聴感上の瞬間的な音圧の高さはこれまで聞いた事の無 いものであり、それがこのスピーカーの最大の美点であろう。まさに事実上 LOSSLESSと感じた。内部損失が、通常の木材系のキャビネットに比べ極端に少な いし、音の伝導スピードも比較にならないくらい大きいであろうから、音声信号 が熱エネルギーに変換される事なく音として出てくるのであろうと想像できる。 フロアータムの再生音から、特に低域の解像力は、賞賛に値するレベルである事 が明らかになった。ではアルミの塊を叩いた時に出る固有振動数付近の高い音は、 再生音に悪影響は無いのであろうか? 試聴を続けた。

グールド のBach ゴールドベルグ変奏曲 '81年

 ハンマーが弦を叩き、弦が振動し、空気を振るわせる過程がわかるような気がす る解像力の高さ。弦の響きとフレームの共振音、木のボディー?の共鳴音が別々 に指摘できるほどの分解能には驚く。解像力フェチの私には堪えられないレベル である。リズムの遅速も、モタモタすることなく表現できる能力を有す。

ヘンデルのコンチェルトグロッソ THE ENGRISH CONCERT TREVOR PINOCK

 適度な軽やかさもあり、重たくなりすぎず好ましい。楽器の分離は大変良く、 輪郭は不明瞭だが、定位は良く好ましい。輪郭が明瞭でないのに、明確に定位す ると言うのは初めての経験であるが、違和感はなく、こちらの方が自然により近 い。 一方、弦、特にヴァイオリンの高音部に僅かながら艶を感じる。粉っぽい輝 かしさとでも言おうか(例えて言えばアポジーのスピーカーと共通する輝き)。

ルチアーノベリオのセクエンツィアV キャシー バーバリアン

 演奏雑音と言って良いのか? 息を吸い込む音が明確に再生され、こんな音が入 っていたかなと不思議に思ったりする程、ローレベルの音や気配が明確に再現さ れ、しばし聞き惚れる。ただ、表現の幅は、わずかに平坦になりがちである。こ の作品は、人の声による表現の可能性に挑戦するものであるが、そういう危なっ かしさ、危機感がわずかに不足気味である。勿論、ベリオ婦人であったキャシー の卓越した演奏技術が、危なっかしさとは全く無縁のレベルの演奏を可能にして いるのではあろうが、あまりにすんなりと、淡々と演奏が続くとこれで良いのだ ろうか?こんなに寛いで良いのか?と言う疑問が沸いて来る。キャシ−は、セク エンツィアVまでも心安らぐ音楽に変えてしまったのか? それとも再生する側の、 更には聞き取る側の不手際かと考えてしまう。 明確でありながら、刺々しくは無 く好ましいが、私には緊張感・緊迫感がわずかに薄められる気がするのである。 勿論、音楽から緊張感・緊迫感なぞ聞き取りたくもないという立場に立てば完璧 な演奏なのだが・・・・。

 ここで、川又さんから、 D-Aコンバーターを MARKLEVINSON No.30.6Lに変更して はという提案がなされ早速実行してみる。柔らかさ 滑らかさが増し、わずかに豊 かな感じがするが、表現の幅が広がり、この音楽に私が必要だと考える緊張感が 加わってきたのでこの D-Aコンバーターで以後聞く事にした。

ヘンデルのオペラSELSEの最終合唱

 楽音の分離も良く悪くないが、結局あまり録音が良くない事を暴露する事になる。 そういったモニター的な性格も持ち合わせているが、録音の欠点の表現は、決し て不快な表現ではなく大変に好ましい。表現の幅が僅かに狭い感じはあるが、最 終合唱の輝かしさは充分であり、高いレベルにある。

アルヴォ・ペルト  テ デウム

 出だしのローレベルの演奏は、少しざわつきが感じられる。ここまで低いレベル だと仕方がないのかもしれない。また、暗い部分と輝かしい喜びに満ちた声の表 現は完璧に限りなく近い。ただ、歓喜の演奏と、内省的な部分の対比がもっとも っと明確であって欲しい。等と無いものねだりをしたくなるほどの解像力の高さ である。ここでもバスの再生は力感に満ち、本当に本当に素晴らしい。

POSTCARDS  THE TRUTLE CREEK CHORALE RR-61CD

 キース・ジョンソン教授が録音したリファレンスレコーディングのHDCD-CDである。 コーラスは、日頃充分に訓練を積んだ多くの人々の声が積み重なって演奏されて いる事がリアルに実感できる。子音の不自然さはほとんど見られず、また、空間 の自然な広がりといい大変に素晴らしい。今回は通常の CDとして再生したが、 HDCDで再生すると更に滑らかさが強調されるはず。子音の不自然さはもしかする とCDの録音側に問題を孕んでいる可能性がある事を示唆する演奏であった。

Bach カンタータ

 スケール感 楽器の分離 全体の一体感も充分で素晴らしい再生である。低音楽器 のウネリ感は、重苦しさは一切無く、明晰な力強いもので大変に素晴らしい。再 生し難いドイツ語の子音の強調感は、一般的なシステムと比べたら少なめであり、 表出は柔らかく、アルミのキャビネットを持つLAT-1からこのような滑らかな人の 声が聞こえるのは驚きでもあった。

 全般的に共通して感じられる事は、際立った解像力である。特に低域の解像力は 素晴らしく、こじんまりとした佇まいといい、シングルアンプで使えるという取 りまわしの軽快さも私にとっては大きな魅力である。表現力がごくわずか平坦に なる感じがあるのは、他のエレクトロニクスを組みこんで試聴する必要があるの ではないかと私は想像している。

 ただ唯一わずかな高域の粉っぽい輝かしさがヴァイオリンで感じ取られた。これ はアポジーやHALで前回に聞いたオリジナルノーチラスに共通しており、もしかす るとアルミという材質の音なのかもしれないがにわかには断言はできない。

 実際にLAT-1を聞く前は「金々キラキラアルミが光る」音が何処かにあるだろうと 思っていた。いくら強度が高く、充分な重量を有しているとはいっても、キャビ ネットの素材固有の音から完全にフリーになる事はできないだろうし、キャビネッ トを叩いたり弾いたりしても共振らしき音は聞えないように静的なコントロール は出来ているであろうが、何処かにアルミの共振音が聞こえるのではないかとい うのが私の予想・先入観であった。アルミの共振音といえば、その典型はアポジー のアルミのリボンの音。あの音を知っている人ならアルミの音と言う意味を理解 していただけるのではないだろうか?

 実際には、中低域に関してはアルミの共振らしきものは全く聞き取れなかった。 また、高い周波数では、ごく一部のエネルギーが、キャビネットのアルミの持つ 固有な振動に変換されている可能性は指摘できるが、実際に共振と考えられるピー キーな響きは認められなかった。ただ、ヴァイオリンの弦にわずかに艶が乗るの が聞き取れたが、アルミのキャビネットの共振ならもっと盛大にキラキラと乗っ てくるのであろうから、事実上アルミの共振は完全にコントロールされていると 考えて良いと考えられる。そのわずかな高域の艶も量的には許容範囲ではあるが、 それ以外の部分では極めてニュートラルな特性を示しただけに私の記憶には残っ た。ただ、量的に少なく、コントロールは容易であろうと考えられた。

 改めてLAT-1の構造について川又さんに聞いたところ、前面のフロントバッフル、 両サイド・パネル、入力端子があるリア・パネルの四枚の構成にトップ、ボトム の上下のパネルで組み立てられているようである。むやみに大きな部材とせず、 多分、パネル間に必要最小限の異種材料を挟む事で高域を効果的にコントロール しているのだろうと想像された。

 高域の艶のに関連する可能性として鳴らし込み不足や電源事情の違いが考えられ た。川又さんの事だからPADのシステムエンハンサーで充分処理はなさっていると は想像するが、 LAT-1がHALの住人となってまだ20日ほどしか経たない状態を私は 聞いたわけである。それでも生硬さといった感じは皆無であり、かなりなレベル までコントロールされている印象である。

 これまで様々なお店や友人宅での試聴では、東京で聞くと同じシステムであって もわずかに力感が弱く、ノイジーに聞える事を経験した。東京は50Hz、徳島は 60Hzで効率が少し違い、また、電源からのノイズ、空間からの飛び込みノイズ等 にも差異がある事が影響していると想像できる。私のシステムには、電源の力率 を改善するパワーアンプ用の電源装置、更にはデジタル機器をアイソレートする フロントエンド+プリアンプ用電源装置を導入し、かなり大きな効果を確認して いる。 HALの電源周りの環境に関しては私は、充分把握出来ておらず、その影響 に関しては不明である

 9日私がHALに到着した時は、他にお客さんはいらっしゃらなくて、ほとんど私一 人が独占する事ができたことは大変に幸運でした。途中顔なじみらしいお客様が がいらっしゃいましたが、私が慌しくCDをとっかえひっかえ試聴しているもので すから、早々にお帰りになってしまいました。帰りの飛行機の時間が迫っていま したので、「30分ほどで引き上げます」と御挨拶をしておけば良かったと今にな って悔やまれます。

【まとめ】

 フロアー型スピーカーとしては異例の、アルミの分厚い引きぬき材を使って、 比較的コンパクトに仕上げた手腕は賞賛に値する。実際はアルミの塊であるのに メタリックな感じを極力押さえた造形は、端正であるが、無機的な感じは皆無で あり素晴らしい。
 再生音は、これまで聞いたことのない解像力の高さと、まとまりの良さを見せ つけた。特に低音の再生能力はこれまで聞いた如何なるシステムをも凌駕する素 晴らしいレベルに達していた。中高域も明確で、完成度は高かった。ただ、高域 にごくわずかの艶が、バイオリンでのみ聞き取れた。それ以外の部分では極めて ニュートラルな特性を示しただけに記憶に残るが、量的にはごくわずかであり、 コントロールは充分可能であろうと考えられた。LAT-1の特性をより完全に把握す るには、十分な時間を用意して川又さんを訪ね、再度徹底した試聴をする必要を 強く感じた。


HAL's Hearing Report